偽りの天使
繭は心臓のように規則的な鼓動を繰り返している。その中で肉が蠢き、徐々に人の形へとなっていく。
繭に切れ目が走り破られると中から六対の黒い翼を生やした巨人が現れた。
均整の取れた身体は、肉の色のしていてのっぺらぼうなのを除けば人そのものだ。
『神は人と聖獣と共にある』
その声は直接頭に響く。ヘブンズの声だがとても澄んでいて、そしてとても低い。
『高みに登る為の種だ。私は、神と共にある天使となる!』
右腕を掲げ拳を握り締める。
『神の分身よ。私と一つになるのだ。共に神に尽くし、そして万物を救済するのだ』
ヘブンズは手を差し伸べてくる。
「ふざけないで。こんな悍ましい、恐ろしい存在と一緒になったりなんかしない!」
『神の分身が、神に逆らうと言うのか?』
「神じゃない!こんなのは、神のする事じゃない!」
パンハイムの言葉が蘇る。神とは人に感情と心を与え、万物の自然の恵み、そして厳しさを与えた存在だと。そこに善も悪も無い。
これは、悪そのものだ。悪意の塊を凝縮した、災いと害意を振り撒くだけの存在だ。
『人に染まりすぎたのだな。神の使者がお前を抹殺しようとするわけだ』
「それは、テンレイドの事か?」
『口を慎め旧神の愚物よ。あの方はまさしく神の御使い。あり方に反するお前を正しき存在に戻そうとしたのだ。
だがお前は抵抗し、あくまでも人であろうとする。
ならば私が断罪する。そしてお前の罪を浄化しよう。私と共にあり、己の罪を償うのだ』
翼を軽く動かすと身体が宙に浮く。ヘブンズが右腕を上げると無数の肉の剣が形成されていく。
「いけない!」
降り注ぐ剣の雨をギリギリでリンダの肉で防いだ。それでも大半は削り取られている。
「リンダ!俺達に鎧を作れ!あの野郎の攻撃に対して一々お前に守ってもらっていたらジリ貧だ!」
「はい!」
「我々は中佐とルージュの救出に向かう!」
「わしも行こう!本部の構造は頭に入っておる!」
「頼んだ!」
パンチョが凍結玉を投げ、ロドリゲスが燃炎弾で撃ち抜いた。熱で冷気が蒸発し強烈な蒸気に覆われる。
蒸気は一瞬で霧散する。僅かな翼の動きで旋風が巻き起こった。
「待ってくれるのかよ?意外と優しいな」
『無意味な足掻きだ。足掻くが良い。そして絶望するが良い』
四人は別の扉から廊下に抜け、肉の鎧も纏い終わった。
「絶望はしない!こんな世界でも僕達は生きている!助け合って生きている!間違っていても正してくれる人がいる!
それをお前だの価値観で決めつけるな!」
「倒す!守る!」
ケンの突きが螺旋を描きヘブンズを襲う。左手を突き出して螺旋を受け止めるも左手は手首ごと粉砕された。
『ほう』
瞬時に左手は再生する。そして右手で軽く払うと一閃と化し、空気を両断した。
「おおぐぅ!!」
一閃を受け止めたヒュームは胴体から血が噴き出した。
それでも怯む事無く立ち向かう。
「あたしも!」
「待てよリンダ。お前、銃持ってるだろ?」
ルージュから譲られた銃はずっと腰から下げている。
「俺達が武器を強化できるんだ。お前だって出来るだろ」
「銃で援護すれば良いんですか?」
「お前ルージュの弟子なんだろ?教えてもらった技術を無駄にするなよ」
最近はずっと自分の力ばかりで戦っていた。慣れる為でもあったが、そのせいで教えてもらった技術を使わなくなっていた。
「はい。あたしは、一番弟子です!」
銃に肉を纏わせ弾丸の雨を浴びせる。
二枚の翼が盾となって防ぐも羽は砕けぼろぼろになる。
『そんな玩具で私に傷を付けられると思うのか?』
「思わない」
傷の隙間を狙ってゴーツ・グレネードから放たれた弾丸がヘブンズの胸に直撃する。先程とは違い吞まれたりせず、胸の肉が大きく弾けた。
「技術は使い合わせてこそだ!」
体勢が崩れた隙を狙いゴーツ・ハルバートで左脚を半ば以上切り裂き、ケンの突きが薄くなった胸を貫き大穴を空けた。
『小賢しい』
ここまでの傷も全て瞬時に再生してしまう。ダメージを受けた様子もない。
「どうなってるんだ?」
「肉の花の時と同じよ。きっと、身体の何処かに核があるの」
「成程な。残るのは胴体か、頭か」
ヘブンズの身体に人の顔が現れる。苦悶、悲嘆の呻き声を上げている。
本堂を、建物を激しく震わせる程の慟哭が発せられた。柱は崩れ、天井は崩落する。
身動きが出来ない。慟哭は心を抉る。響くのは人の苦しみと怨嗟の嘆き。数多の絶望が流れ込み自分が砕けそうになる。
それでも踏み止まった。嘔吐し、耳から、目から、鼻から血を流しつつも耐え抜いた。
『神の力。お前達には過ぎた力だ。分不相応、返してもらうぞ』
「それじゃあ・・・僕からも言わせてくれ・・・」
ケンはゴーツ・ジャマダハルを差し向ける。
「お前も分不相応だ」
全員がそれぞれの武器を差し向ける。
「それと、一つ訂正させてもらうぞ。リンダの力で耐えられた。それは本当だ。けどそれだけじゃない。心の強さと覚悟で耐えたんだ!」
『くだらん』
右腕を上げると黒い靄が現れ、振り下ろされると共に強烈な重圧を伴って圧してきた。まるで鉄の塊が自分達を押し潰そうとしているかのようだ。
「ぐううぅぅぅぅ・・・」
歯が砕ける程食い縛り、唯一動けたのはヒュームだけだ。
ゴーツ・ウォーハンマーを振り上げ床に叩きつけた。渾身の一撃は床を粉砕し地面を隆起させた。岩盤を粉砕して岩雪崩を起こす。
左腕を使うまでもない。翼で薙ぎ払うと岩の中からヒュームが現れゴーツ・ウォーハンマーを振り上げる。
ゴーツ・ウォーハンマーを握る右腕をヘブンズは左腕で掴むと力を籠め、握り潰した。
骨の砕ける音して肉が半ば以上千切れた。右腕は千切れかかった状態でぶら下がり、ゴーツ・ウォーハンマーを落とした。
『!』
ヘブンズの右腕にゴーツ・クレイモアが刺さった。
初めからこれを狙っていた。自分なら動ける。自分では倒せない。ならば仲間を動けるようにする。
大仰なウォーハンマーの一撃はフェイントだ。全てはこの一撃の為にある。
刺さったクレイモアを力任せに一気に引いて右腕を真っ二つにする。当然すぐに治るが、力は消えた。
ヘブンズは右手をヒュームの胴体に当てる。
『失せろ』
ヒュームの胴体が弾け飛んだ。大きく吹き飛ばされリンダに受け止められる。普通の人間なら即死だ。しかし今のヒュームは肉の力で人知を超えた生命力を有している。
「リンダ!ヒュームを頼む!」
「任せて!」
再び突きを放つ。衝撃波を翼で受け止め粉砕される。
間髪入れずに撃たれたグレッグの銃撃を更に二対の翼で防ぎ粉々になる。
四対の翼を失えば当然守りに隙が出来る。すぐに再生が出来てもタイムラグは生じる。
身体に銃撃を浴びる。ケンの手に肉で包まれた銃が握られている。
『児戯だ。意味などない』
「そうかな?」
直後凄まじい爆炎が巻き起こりヘブンズを業火が包み込んだ。身を焼かれヘブンズから低い唸り声が漏れる。
「燃炎弾も強化されるんだな」
ゴーツ・ハープーンがヘブンズの頭部を貫いた。
「核は腹か」
「狙う場所が定まった!」
ヒュームも回復が終わった。リンダの肉が既に身体に入っていたから再生も素早く済んだ。
「慎重だよ。死んだら傷は治っても、蘇らないから」
「分かってるさ。急所が判明したからって楽に済むはずがねえからな」
ゴーツ・ハープーンはビクともしない。再生した肉にがっちりと捕らえられてしまった。翼も再生し、凄まじい突風で業火も吹き消された。
『まだ無意味に抗うのか?』
縄を切断しゴーツ・ハープーンを抜いて投げ捨てる。
「可能性はあるみたいだけどな」
『貴様の力ではない。神の力だ』
「思いは人の力だ!」
*
本部中にはまだ信徒が残っていた。彼らはゴメス達を敵と認識して襲い掛かってくる。
しかし力こそ増してはいるが人の範疇を抜け出していない。歴戦の軍人が相手では力だけがあっても相手にはならない。
「流石特殊棍棒。こやつらも一撃じゃのう」
棍棒と言うには細く、槍と言うには小さく短く先端は丸まっている。鉄よりも硬く鉄よりも軽い。
「肉が入っていても、基本は人か」
対人用の武器など威圧目的の為に携帯しているだけだ。扱い方は習っても実戦で振るうのはこれが初めてだ。
「地下牢はこっちだ」
「結構部屋が多いんですね」
廊下には沢山の扉があった。いくつか開いて見ると二段ベッドと生活用品が仕舞われていて人が生活する為の準備が整っていた。
「これ、全部信徒の部屋なのか」
「信徒のほとんどはケセドの者だ。家はそれぞれ持っておる」
「じゃあこの大量の部屋は何なんだ?」
「わしも聞いてはおらんが、今はそれを気にしている場合では無かろう」
本堂にほとんどの信徒が集まっていたのだろう。拍子抜けする程あっさり地下牢への階段へと辿り着けた。
その前に立ちはだかる五人の信徒達。
「アントニオ」
「下層のハンターか」
既に彼らは弓を構えていた。咄嗟に飛んで避けると放たれた弓が壁に突き刺さった。
「パンチョ!」
拘束弾を撃ち四人を一纏めに拘束した。アントニオだけが寸前で回避した。
「アントニオ!お主は今に満足しているのか!?傀儡となってまで得た安息にそれ程の価値があると言うのか!?」
反応は無い。最早人としての感情も無い。
「これ程か。赤い星の力は」
次の弓が放たれる前にゴメスが間合いを詰め手首を捻り上げた。弓が落ちると棍棒で喉を突いて気絶させた。
「流石軍曹」
「行くぞ」
地下牢は異様に冷えていた。外気とほとんど変わらない肌寒さは氷の中を歩いているかのようだ。
「なんだこの臭い・・・」
むせ返る腐臭と糞便の混じった悪臭に顔をしかめた。パンチョはえづいている。
「ここは罪を犯した者を反省させる為の牢獄じゃ。この臭いも、反省を促す為に染み込ませたそうだ」
「そりゃあ反省するよ」
「だが、血の臭いは違う」
地下牢の奥から血臭が漂ってきている。
駆けていく。合図なく全員で。
そしてその牢屋の前で四人は慄いた。
「お前達、パンハイム。来たか」
スミレはほとんど傷が無かった。いや、傷が治ったと言うべきだろう。リンダの肉が短い間で肉体を再生させたのだ。
何故分かるか?それは、隣のルージュの、言葉にすら出来ない有様を目にすれば一目瞭然だろう。
「待っておれ。今、牢を開ける」
パンハイムは眉間に皴を寄せていた。細い鉄棒を持つ指に強い力が籠る。
三人は言葉が出なかった。この間に伝えるべき事が山とある。それなのに頭も舌も麻痺して動いてくれなかった。
牢屋の扉が開くとまずスミレの手錠を外しに掛かる。
「ルージュは、最後まで折れなかった」
「そうか」
「我を貫き通した。どんなになろうとも、どんな目に遭わされても悲鳴も上げなかった。泣き言を一度も口にしなかった」
「そうか・・・」
「助けに来ると信じていた」
パンハイムは涙を流した。
錠は外れスミレは解放された。ずっと飲まず食わずに拘束されていたのに、酷い目に遭わされたと言うのに身体はしっかりしている。立っている脚は僅かに揺れていない。
「ゴメス。状況は?」
「・・・はっ!ヘブンズが六対の翼を生やした異獣と化し、現在リンダ、ケン、ヒューム、グレッグの四名が交戦中です」
「私の鉤爪は?」
「こちらに。牢屋の上の階に保管してありました」
「杜撰だな」
軽く身体を動かして鉤爪を装着する。
「私は援護に向かう。ゴメス、パンチョ、お前達も来い。ロドリゲスはパンハイムと残りルージュの救護だ」
「救護、ですか・・・?」
これをどうしろと言うのだ?むしろ何故生きているのか問いたいぐらいだ。
「お前は優れた衛生兵だ。ルージュを死なせるな」
プレッシャーだ。だがそれだけ自分を信じ評価してくれている。三人が駆け足で去るとロドリゲスは医療道具を取り出した。
「死なせない為に傷口を焼いてあるな」
「リンダが来るまで持ちこたえさせるんだ。はっきり言って俺はお手上げだよこんなの」
透明な錠剤を取り出すとルージュの口に押し込み水を流し込んだ。口内はズタズタで水が染みて脳内で火花が散った。だが、もう痛みに反応する余力もない。
「何をどうしたらこんなになるんだよ」
数多の傷は、常人が想像できる領域を遥かに超えていた。異獣との戦いに敗れ無残な死を迎えた軍人と同等か、それ以上だ。
「今のは何を飲ませたのだ?」
「総合栄養剤だ。食事を取れない病人や老人の為に最近作られた物だ。出来る事が少なすぎるからな。とにかく身体に力を与えて生きる為の気力を持たせないとな。
何でも良いから声も掛けるんだ。話し続けていれば意識も保てる」
パンハイムはルージュの前に座り込む。
「すまん。わしがもっと大局を見据えていれば、お主がこんな目に遭わずに済んだかもしれん。わしは何も出来なかった。ただ信じる事しか出来なかった」
「・・・あなたの・・・せいじゃない」
擦れた声は確かに届いた。ルージュは僅かに口角を上げる。
全てを見通し万全に備えるなど未来でも見えなければ出来はしない。現実とは理不尽で自分の思い通りには事が運ばす、常に想定外と予想外な事が頻発している。
「凄い人だな。こんなにされて、まだ心が折れていないなんて」
尊敬と敬意を抱く。自分では絶対に耐えられない。
「女は・・・強いのよ・・・」
「お主を見ると本当にそうなのだと思うぞ」
*
翼の羽が抜け落ち地面に落ちると異獣へと成る。細い蛇のような異獣すぼめた口には無数の牙が生えている。
ヘブンズは右腕を下げ再び重圧を発生させた。これでは避ける事も倒す事も出来ない。蛇の異獣は身体を纏う粘液のお陰か重圧の中滑るように向かってくる。
「熱いのは平気か?」
「死ぬよりマシなら耐えられる!」
「上等だ」
ゴーツ・グレネードを地面に向けて放ち凄まじい業火が四人を包む。蛇の異獣は炎に包まれて焼け焦げていく。
『無意味』
再び肉の剣を生み出し五月雨の如く降り注がせる。
業火が消えるとヒュームが仁王立ちで仲間達の盾となり剣を一心に受け止めていた。
『死ね』
「お前がな」
横から聞こえてきた声に反応し振り返ると巨大な肉膜が自身を覆い尽くそうとする。
両腕を振るい薙ぎ払うと、小さな玉が肉膜の中から落ちてきた。
猛烈な冷気が炸裂し周囲一帯を瞬く間に凍り付かせる。
『お、おお・・・』
ヘブンズの身体も耐え切れず凍り付いていく。翼が凍り地面へと落ちる。
「ここは地面の上なんだよ」
本部は地面から上に建てられている。冷え切った地面から離れる事で建物を冷やさない為だ。戦いで床は穴だらけになっていたのだ。
業火に紛れてグレッグとリンダは穴から移動しヘブンズの死角へと移動したのだ。
このチャンスを逃さない。ケンは身体を覆う鎧の肉の全てをジャマダハルに宿した。巨大化したジャマダハルは生物の如く脈打つ。
ヒュームは横に飛んだ。
「おおぉ!!」
最早それは竜巻だ。本堂の屋根を吹き飛ばし周囲全てを切り裂いていく。
『ぬう・・・!!』
凍った翼をどうにか動かし防御するも今まで比較にならない衝撃に翼が持たない。身体に宿した肉まで使い守りに徹する。
衝撃が消えた時にはヘブンズの身体は縮小し人より少し大きい程度になっていた。翼も消失している。
『これ程か。だが、これまでのようだな』
ジャマダハルを覆っていた肉も消し飛びケンは力尽き崩れ落ちた。ヒュームは衝撃で吹き飛ばされ壁に叩きつけられ、グレッグとリンダはこの衝撃で瓦礫に埋もれてしまった。
『見事と称えよう。これ程までに追い詰められるとは想像だにしなかった。お前達は神に歯向かう異端者。ここで散れ。
だが、お前達の事は私が忘れん』
「散るのはお前だ」
『!』
腹部と頭部に感じる鋭い痛み。
『貴様・・・!』
「成程。感触からして腹部が弱点か」
身体から肉が弾けスミレを吹き飛ばした。
その直後身体に電流が走り動きが鈍る。
「やれ!」
「言われなくても。これは素敵な贈り物!」
残っていた拘束弾を纏めて放ちヘブンズを拘束する。力が弱まり拘束を破れずもがいている。
『小賢しい真似を!』
「頭を使うんだ。力だけで勝てる戦いなど無い」
ゴーツ・クロウで核を貫かれヘブンズは甲高い悲鳴を上げる。
核を切り裂き止めを刺そうとした、その時だった。
突如空から何かが降ってきて激しい土煙と轟音を響かせる。
「なんだ!?」
もうもうと舞う土煙の向こうから現れたのは顔をマスクで覆った軍人だった。ヒュームと謙遜の無い体格を誇っている。
「軍人だと?何処の所属だ?」
軍人はスミレの問いに答えず指を構える。指先が刃物のように鋭くなると一刀でヘブンズの首を切断した。
更にもう一人がスミレに向かって手刀を振り下ろそうとする。
「くっ!」
寸前でゴーツ・クロウを抜き後ろに飛んで避けた。
軍人はヘブンズの身体に手を付き刺した。核を抜き出すと動かなくなった身体を担ぎ上げる。
「待て!お前達は何者だ!?」
軍人達は信じられない跳躍力で天井に空いた穴から外へと出て行ってしまった。
「中佐。彼らは」
「分からない。・・・ヘブンズは?」
「頭部だけなら、まだ生きています」
覆っていた肉が溶け、元の人の顔へと戻る。




