肉の星
大気を貫き、摩擦で燃え上がり、それは炎を纏った弾丸の如く地表に向かってきた。
地下にいても空気が震える音が聞こえてきた。数舜の後、凄まじい振動が襲い掛かった。時折起きる地震とは比べ物にならない。まるで天地がひっくり返ったかのようだ。
悲鳴が上がる。「この世の終わりだ!」、「助けてくれ!」と泣き叫ぶ人もいればただ泣きながら抱き締め合う人達もいる。
赤い星が落ちてきた。それだけで生きるのを諦めるには充分な理由になってしまう。
だが物事とは終わってしまえば呆気ないもの。揺れが収まりしばらくすると誰しもが呆気に取られた表情を浮かべた。
「・・・これで終わり?」
誰かがぽつりと零した。
何もかも消し飛んでしまうのだと思っていたのに、生きている事、無事である事が信じられないのだ。
「外を調べるぞ!ハイは俺と共に来い!」
ベンの号令でハイのハンターが集まり出口へと向かう。
「ヒューム。扉を開けてくれ」
「分かった」
「ベン。気を付けてな」
「ああ」
付いて行きたい。しかしその気持ちは押し殺した。今の自分が付いて行っても足手纏いにしかならない。我儘を言って迷惑を掛けるのは異獣ハンターではない。
地下から出てまず協会が残っている事に驚いた。流石に振動で物が倒れ落ちているがそれだけだ。窓も割れていない。
「これは・・・」
そのまま外に出ると、都市は何ら変わりない姿を保っていた。
「星が落ちたのに、こんなに無事なの?」
天変地異とはあらゆる存在を圧倒的な力で薙ぎ倒し消し飛ばす。足掻いても意味をなさず、無慈悲に無情に全てが消え去ってしまう。
星が落ちたらどうなるかなど誰も知らない。天変地異がもし起きたら程度の知識しかないが、都市が無事である事が逆に異常であると認識して思考が麻痺してしまっている。
「一度戻って部隊を編成して調査するぞ。万が一にも異獣が入り込んでいるとも限らないからな」
それでもベンはいち早く理性を取り戻し指示を出した。
*
一晩中ハンター達が都市を調査して危険が無い事が分かり、避難した人達は翌日家に帰る事が出来た。
ケンは物凄い気だるげな表情で木箱の上に座っていた。
「ケン、大丈夫?」
差し渡された水を少し飲み、残りは頭からかぶった。
「三日四日寝なくても平気だけど、酒を飲んだ時はちゃんと寝ないと辛いんだ・・・」
寝れば二日酔いにはなるがケンはその真逆のようだ。
「お前はよく平気だよな・・・」
「俺、あれぐらいじゃ酔わない」
少し前、十八になって何処まで酒が飲めるか競い合った事がある。ケンは酒瓶三つで限界だったがヒュームは酒樽を四つも空けてようやく酔っ払ったのだ。
(あの後大騒ぎするこいつを止めるのに苦労したな)
力の無い疲れた笑いが漏れ出した。
協会ではベンを含めたハイランクのハンター達が協会長と話し合いを行っている。
「空を見たか?赤黒い煙が立ち上っていたぞ」
「おそらく赤い星が落ちた場所よ」
「ネツクの傍に落ちるとは・・・しかし、それにしても被害が全くと言っていい程無かったな」
被害の少なさはむしろ異質で言い表せない不安がこびり付いて離れなかった。
「都市長とも連絡をとった。赤い星が近隣に落ちたのなら、危険性が無いか調べてほしいと。そして最悪の場合対処してほしいそうだ」
「対処って、どう対処するんだ?」
そんな事分かるはずが無い。協会長は渋い顔で黙り込んだ。
「いずれにしても調べない事には行動の起こしようがない。俺とルージュ、後数名のハンターを連れて調査に行く。残りはネツクの防衛にあたれ」
その案に異議を唱える者はいなかった。
「ケン!ヒューム!」
ベンは大声で隅っこにいた二人を呼んだ。ケンは頭を抱え足がふらついている。
「なんだよベン?」
「これから赤い星の調査に行く。お前らも来い」
途端に協会長とハイハンター達は抗議の声を上げる。
「ちょっとベン!正気なの!?」
「この二人よりも優秀なハンターは他にもいる。お前も疲れてるんだ、落ちついて考え直せ」
「ヒュームは頼りなるだろうが、こいつは使えるとは思えんぞ。ふらふらじゃないか」
「弟子可愛さの贔屓か?お前らしくも無い」
否定する声を押しのけてベンはケンに問いかけた。
「お前、誰よりも早く空を見上げていたな。それは何故だ?」
「・・・誰かに呼ばれた気がしたんだ」
「呼ばれた?」
「そんな気がするだけだよ。何も声はしなかった。けど、空に何かあるって言われた気がしたんだ」
ベンは腕組して神妙な面持ちを浮かべる。
「馬鹿馬鹿しい。酔っ払って勘違いしただけだよ」
「いや、違うな」
隣にいた奴の発言を即座に否定した。
「あの時のお前は、明らかに普通じゃなかった。まるで、誰かに乗り移られたかのようだった。それが赤い星と何か関係があるのかもしれない」
「けど、僕にも分からないんだ」
「誰だって分からないさ。星が落ちるなんて前代未聞だ。だから最善の選択肢や方法なんてある訳でもない。だからお前らを連れて行く。事態の解決に繋がる何かがあるのなら何であれその可能性を試すべきだ」
協会長もハイハンター達も反論できなかった。
納得は出来ないが、ベンの言う事が最もだ。例えそれがか細い穴に糸を通す程の可能性であっても、事態を治める切っ掛けに繋がるのなら縋るしかない。
初めてに対しては人は不安になり、拭いきれない恐ろしさに取り憑かれるのだ。
二人を連れていく事に対する不安など、それに比べれば取るに足らない。
「分かった。水浴びて頭を覚ましてくるから待っててくれ」
「三十分したら行くから遅れるなよ」
*
ハイハンターのベンとルージュが先頭に立ち、その後ろにノーマルハンターが五人同行している。最後尾はヒュームでその巨体と頑強な鎧で異獣の不意打ちに対処する役目だ。
「本当に大きいわね。彼、本当に人間なの?」
「人間だよ。人間以外の何者でもない」
ベンはきつい口調で答えた。
「ごめんなさい。失言だったわ」
「あいつの鎧は特注でな。基本鎧の五倍は丈夫だ。身の守りとリーチのある獲物で異獣を狩れる希少なハンターだよ」
「近接戦闘が出来るハンターはそれだけで有能な人材よ。それに彼、見た目より周囲の気配に気を配ってるわね」
兜は上半分の前面が特殊硬化ガラスで出来ている。初期兜は視界が狭く死角からの攻撃を避けれず被弾してしまう事態が相次いだ。身を守る為の防具の欠点は可及的速やかに改善され今の形へと変わったのだ。
ヒュームは目線を動かして神経質なぐらい周囲の様子を窺っていた。
「彼の肉体は才能よ。ベン、あなたの元でもっと育てるべきだわ」
「雛は巣立って大人になる。荒波を乗り越えなければ強くはなれない」
「なら、私の元に引き取っても構わないわね?」
自由だというのなら、こちらからどう接するのも自由だ。
「無理だよ。ヒュームはケンの傍から離れない」
「何故?」
「あいつが信頼できる人間はケンか俺ぐらいなもんさ」
ベンはそれ以上口を開かなかった。
釈然としなかったが、ベンがこう言うのだ。何か訳があるのだろう。無理強いをするのはやめておこう。
ネツクを経って役二時間、一行は遂に赤い星が落ちた場所へと辿り着いた。
木々が生えた小さな林。地面には折れた枝が散らばり衝撃でへし折れた木が道を塞いでいた。
「思ったよりも被害が少ないな」
この程度の林、星が落ちたのなら消滅していてもおかしくないはずだ。
「ヒューム、頼む」
「うん」
ヒュームは倒木を退かし道を作っていく。
その怪力に他のノーマルハンター達は恐れを抱いたがケンは違った。
「流石ヒューム!頼りになるよ相棒!」
「ケンも、頼りになる」
お互い深い友情で結ばれ、信頼し合っている。その様子を見たルージュは(ケンの信念もあるし、引き抜きは無理そうね)と諦めたのだった。
しばらく進むと木々に赤い物体が付着していた。それは肉片を思わせるもので目が冴える程の血が滴っていた。
「まさか・・・人が?」
「いや、これは違うな」
手に取ると血は粘ついていた。肉片は異様に大きく人間でもなければ動物でもあり得ない凹凸があった。
「全員警戒を怠るな!武器の準備をしておけ!」
全員銃を構える。ヒュームはハルバードを構えた。兜越しからもその息遣いが聞こえてくる。
地面に粘ついた血が飛び散っている。肉片が林を悍ましい血肉の森へと変貌させた。
それは赤い煙を上げて地面に深々と刺さっていた。
一見すれば恐ろしく巨大な槍の先端に見える。半分は地面に突き刺さってなお上体を上げなければ全容を見渡せない。ヒュームよりも更に大きい。
鮮血が溢れ地面を赤く染めている。その赤い血は戦慄が走る程に穢れていなかった。心臓が鼓動をするように不気味に脈動している。
「なんなんだ・・・これ・・・?」
感情の無い声で誰かが言った。
異様すぎて、恐ろしいと言った感情は吹き飛んでいた。
「全員武器を降ろせ」
ベンの声は震えていた。
指示に従えたのはルージュとケンとヒュームだけだった。他のハンターは凍り付いたように身体が動かなかった。ただ、放心状態で無意味な攻撃をする事が無いのが幸いだ。
「どうするの、ベン?」
「・・・燃やす」
動揺が走る。その発言に恐怖が蘇りノーマルハンター達は「手を出すべきじゃない!」騒ぎ出した。
「放置は出来ない。さりとて、余計な手出しをしたら何が起きるか分からん。これは、異獣とは違うが・・・存在してはならないものだと思えてならないんだ」
これの傍に来た時、とても嫌な気分になった。どす黒い、醜悪な感情が湧き上がるのを確かに感じた。誰でも抱く、憎悪、殺意、欲望、愛欲、野心と言った忌むべき感情が大きくなった。
これは存在してはならないものだとベンは直感で確信した。
「だから焼き尽くすと」
「その為の道具も持って来てある。
お前達、準備するぞ」
互いに顔を見合わせるも反論できる意見など無く、従うしかなかった。
ハルバートを置こうとした時、ヒュームはバッと背後を振り返った。
「どうしたヒューム?」
「何か、来る!」
「構えろ!」
ベンの一声にハンター達は銃を構え、ヒュームはその前に立った。
林の奥から空を切る音がする。鋭利な刃物が重なる時にする金属音が響く。
見るだけで不快感と嫌悪感を抱かせる黒い身体。二本の足で歩き、両腕は関節から先がノコギリのような凹凸ある刃になっている。背中からは触手が生えていて先端も鋭い刃だ。顔には巨大な口だけがあり金属の如く光る牙が生えている。
「人型の異獣だと?グールやグーラー以外に存在したというのか?」
「ベンさん。あれの事、知らないんですか?」
「異獣が記載されている図鑑に載っていない。つまり新種だ」
「この肉の星と何か関係があるの?」
その疑問に対する答えは無い。だがこのタイミングだ。無関係とはとても思えない。
「俺が行く」
「待てヒューム。ベンの指示に従うんだ」
独断専行は自分のみならず仲間も危険に晒してしまう。
「まずは銃で攻撃する!」
銃撃が鳴り響く。対異獣ように設計された銃は貫通力に長けている。異獣は体表を流れる粘液と特殊な体液で外部からの攻撃から身体を守っている。生半可な飛び道具では通じないし、仮に通じても軽傷にしかならない。
誰しも自らの銃で異獣を倒してきた。弾丸は必ず異獣を貫く、はずだった。
刃の異獣は触手を振るい迫りくる銃弾の雨を全て弾き飛ばした。触手の動きが速すぎて残像となって視界に映った。
「う、嘘だ・・・」
ノーマルハンター達は震えあがった。避けられる事はある。しかし弾くなど信じられない、あり得ない事だ。
刃の異獣は口角を吊り上げる。「それで終わりか?」とでも言いたそうだ。
「ヒューム!ハルバードで中距離から奴に攻撃しろ!俺達は散開して奴に攻撃するんだ!」
ヒュームは返答の代わりに空気が震える程の声量で吠えた。異獣の注意を自分に向ける為だ。刃の異獣はヒュームに向かって突撃する。予想以上に足が速い。
ハルバードの突きを軽々と避け腕の刃を振りかぶるが、その刃を帯刀していたクレイモアで受け止めた。
「俺、素早くない。けど、動きは読める!」
ハルバードを手放した手で刃の異獣の足を掴む。触手が伸びるが銃撃に阻まれヒュームには届かない。
「撃て!あいつの鎧は特注だ!銃弾が貫通する事は無い!」
地面に叩き付けられた刃の異獣にクレイモアを突き刺そうとするが刃に受け止められ胴体を切り裂かれる。
金属音が響く。ヒュームはくぐもった声を上げよろめき、その隙に刃の異獣はヒュームから距離を取った。
「ヒューム!大丈夫か!?」
「ケン!あいつ、いけない!俺の鎧、切り裂いた!」
ヒュームの鎧は深々と切り裂かれていた。
対異獣用に設計された鎧は防御性よりも気密性と柔軟性に長けている。動けなければ的になる。隙間があれば毒でやられる。無論鎧としての堅牢さも普通の鉄製の鎧に比べれば厚紙と鉄並みの差がある。それでも異獣を相手にすれば守りは完璧ではないのだ。しかし守りを厚くすれば重量が増し機動力が殺されてしまう。
ヒュームの鎧は防御も兼ね備えた異獣ハンターとしては理想的な物だ。その硬さがあるからこそ近接で戦う事が出来たのだ。
その鎧が軽々と切り裂かれた。それが一体何を意味するのか、ケンは慄いた。
「うわあぁぁぁ!!」
刃の異獣に攻められ、銃弾も触手に防がれノーマルハンターに刃が振り下ろされた。鎧など初めから無い物のようにあっさりと、身体を両断してしまった。
「クソッたれ!」
ベンは球を投げつけた。球は触手に弾かれるが直後に弾け凄まじい冷気が噴出する。冷気は草木を一瞬で凍らせた。
異獣用の凍結球だ。ボタンを押して数舜後に冷気が噴き出し凍らせる武器だ。人型程度の大きさの相手なら瞬く間に凍らせ動きを封じる事が出来る。
だが、刃の異獣は凍らなかった。そしてベンに醜悪な顔で笑って見せた。
ベンは本気で恐怖した。死への恐怖ではない。相手の強さでもない。
(こいつは・・・感情があるのか!?)
その思考が隙となる。刃の異獣は傍にいたノーマルハンターの身体を貫き胴を横薙ぎに払った。
「この!」
ルージュは銃を捨て大型の銃を構えた。連射は出来ないが代わりに圧倒的な破壊力を有する機関銃だ。どんなに大型な異獣でも一撃で粉々になる威力がある。
凄まじい轟音と共に撃たれた弾丸は、刃に阻まれた。勢いに大きく後退するも弾丸は刃に僅かな凹みを入れただけで力なく地面に落ちた。
「嘘・・・そんな・・・」
「強すぎる、なんだこいつは」
数多の異獣と戦ってきた歴戦の猛者も、手も足も出ない程の相手と出くわした事は無い。異獣は恐るべき相手だ。それでも今日まで積み上げてきた人類の英知で対等に渡り合えるようになった。
その努力を、積み上げてきた全てを凌駕する圧倒的な存在。ベンもルージュも、生まれて初めて戦意喪失を経験した。
刃の異獣は刃を構える。全員が死ぬまでの時間は一分も掛からないだろう。
「おい異獣!お前の相手はこっちだ!」
ケンは足元を撃ち動きを止めた。
「ベン!ルージュさん!その人を連れてネツクまで戻るんだ!ここは僕とヒュームが足止めする!」
「何言ってるのよ!そんなの出来る訳が」
「誰かが生きて戻らないとこいつの事を伝えられないだろうが!これ以上の犠牲者を出す気か!」
自分達がここで全滅すれば、刃の異獣は闇に消えてしまう。そして多くの人々の命を奪い自然を穢すだろう。これ程の恐るべき強さを備えた異獣の存在を伝えずに死んで言い訳が無い。生きて情報を伝えるのも自分達の役目だ。
「ヒュームとは僕が一番連携が取れる!行け!」
「生意気な事を言うんじゃねえ!連携なら俺も取れるだろうが!」
ベンは銃撃しつつ刃の異獣の動きを抑え二人の隣に立った。
「自立して二年のひよっこに任せてベテランが逃げるなんて格好がつかないだろ?」
「意地張るなよな」
「馬鹿だね」
こんな時なのに二人は笑ってしまった。
「行けルージュ!絶対に生きてこの事を伝えろ!」
「分かったわ!応援を呼ぶから、絶対に生きてるのよ!」
生き残っていたノーマルハンターの手を掴んで二人は走って去って行った。刃の異獣は僅かに二人に意識を向けるが、さして興味を抱かず三人に向き直った。
「そうだ。お前の相手は僕達だ」
互いの距離はじりじりと縮んでいく。
「あの触手と腕の刃が厄介だ。あれを抑えられれば、どうにかなるかもしれん」
「俺が、抑える」
「それは最後の手段だ。いいか?後少しだ」
三人は身構えたまま少しずつ後退して一定の距離を保った。刃の異獣は歪な笑みを浮かべて触手を振るっている。「お前達など容易く殺せる」と確固たる確証の元の余裕だ。
だが笑みは消えた。三人の目は絶望していない。気付いた時にはもう遅かった。
地面に電流が走り刃の異獣に襲い掛かった。高圧電流が身体に走り全身を激しく痙攣させた。
「撃て!」
触手はもう満足に動かない。銃撃をまともに受け身体に穴が空いていく。通常銃撃の嵐を受ければ異獣は粉微塵になるが、胴体部分も相当に固く銃弾を撃ち尽くしても原型を留めていた。
容赦はしない。ヒュームは戦鎚で幾度となく頭を叩き潰した。潰れて飛び散り、止めにクレイモアを胸に突き刺した。
刃の異獣の身体がゆっくりと溶けていく。身体が溶けるのは死んだ証だ。
「やった・・・」
ヒュームは荒く息をついて膝に手を付いた。精神的にここまで追い詰められ疲弊したのは初めてだ。
「ベン。何時の間に罠を仕掛けたんだ?」
「お前のお陰だ。お前が奴の気を逸らした隙にセットする事が出来たんだ」
強力な電流が流れ相手を拘束するトラップだ。地面の振動を感知して伝わる仕組みでもっとも通電しやすい場所を選んで流れる仕組みになっている。異獣から流れる粘液も液である事には変わりなくこの罠が有効なのだ。
欠点は雨が降っていたり水場だと効力を発揮しない事だ。そのような場所では仲間に被害が及ぶ恐れもある。鎧越しでも動きを阻害されてしまう。
「よし、一先ずネツクに戻ろう。こいつをどうするかはまた後でだ」
本当は放置したくはないが、まだ何かが出ないとも限らない。状況が見えない以上今は撤退を優先すべきだ。銃弾もほとんど撃ち尽くしている。
「待てよベン。こいつの異石を持って行こうぜ。こんなに強かったんだからもしかしたら異水晶かも」
「まさかな」
この場にいる誰もが刃の異獣は死んだと確信していた。異獣は死ねば身体が溶けて消える。それが異獣の特性だ。
だからベンは未だに異獣の身体が溶け切らずに残っている異常性に気づくのに遅れてしまった。
そして気づいた時には手遅れだった。
「えっ?」
鈍い衝撃が身体に走った。次いで身体が焼ける程の熱さを感じた。途端に咳き込むと口から血を吐いた。
死んだはずの刃の異獣の腕が伸び、ケンの身体を刃で貫いていた。
「ケン!」
ベンの叫び声が遠くから聞こえる。
ヒュームの雄叫びが聞こえる。大声のはずなのにどうしてか小さかった。
刃の異獣は頭が潰れたまま起き上がった。溶けていたはずの身体は瞬く間に再生した。しかし潰された頭だけは元に戻っていない。
刃を振り上げケンの頭を両断しようするがハルバードの鉤爪でケンを引き抜かれ空を切った。
(僕・・・やられたのか・・・?)
不思議と痛みは余り感じなかった。ただ、熱かった。身体が焼けるぐらい熱かった。
(こんな・・・こんな所で死ぬのかよ!?僕は、まだ死にたくない!約束を果たしていない!リンダとの約束を、果たすんだ!)
鎧の隙間から漏れ出した血が、脈動する肉の星から流れる血と混ざりあった。
肉の星が大きく震え、清らかな鈴の音を思わせる音を発した。
「なんだ!?」
震えは更に大きくなり、肉は中心部に吸い込まれていく。
いや、吸い込まれているのではない。肉が小さく凝縮しているのだ。肉は少しずつ形を変え、人型へとなっていく。
静寂が辺りを包む。肉の星が形を変えて一人の少女へと姿を変えたのだ。
「・・・リンダ?」
ヒュームは信じられないものを見るような目付きで、譫言のように呟いた。
刃の異獣は激しく動揺している。背中の触手は不規則に波打ち、意味もなく刃を振るう。少女が一歩歩くと刃の異獣は逃げ出した。
「なんだと!?」
逃げられた事ではなく、逃げ出した事にベンは驚愕した。
異獣は逃げない。命ある限り全てに害を及ぼす存在だ。
「ケン!しっかり!ケン!」
腹部を貫かれたケンの傷口からは大量の血が流れ出ている。
「駄目だ。この傷と出血量では街まで間に合わん。・・・クソが!」
「ケン!死ぬな!ケン!」
ヒュームは涙溢れる声で必死にケンに呼び掛ける。ケンは強い意志で死に抗っているがそれももう限界に近い。
少女はケンに歩み寄り、しゃがみ込むと傷口に手を当てた。
「お前、何をしてるんだ?」
何か、ぐちゅぐちゅと肉が蠢く音が聴こえてくる。
少しして少女が手を離すと刃に貫かれた傷口は無くなっていた。まるで初めから無かったかのように元通りに治っている。
「傷治った!ケン!」
完治したからだろう。死に抗った疲労からケンは眠ってしまった。
「こんな事が・・・お前は一体」
ベンが問い詰めようとした時ヒュームは少女の手を握り締めた。
「ケン、助けてくれてありがとう!本当に、ありがとう!」
涙と鼻水で兜の中は酷い有様だ。親友が助かった事に比べれば取るに足らない些細な事だ。
「助けてくれた事は事実か・・・」
謎ばかりだが、今は弟子が助かった事に安堵し、礼を告げる事が先だ。
「君のお陰で助かった。とりあえず、何か羽織るものを渡そう」
少女は心ここにあらずと言った顔で二人の顔を見上げている。
自分が裸である事を全く気にしていない。