救済者
七つの鐘の本部は漆の如く黒く塗り固められたお堂の作りをしていた。都市の半分を占領する本部は異様な圧迫感を放っていて、傍にいるだけで息が苦しくなってくる。ずっと見ていたら頭がおかしくなりそうだ。
異獣人は本部の傍まで来ると追走をやめ、まるで何事も無かったように散っていった。
「ヘブンズの教育か。群れで襲われるよりはマシだな」
こちらは反撃がほとんどできない。実際、取り囲まれて選択肢を迫られるのを一番危惧していた。
「皆、大丈夫か?」
「俺達は平気だ。リンダは?」
「平気です」
毒や酸を浴びた肉は切り捨てた。体力もほとんど減っていない。
「それにしても悪趣味なデザインですね。センスを疑うよ」
「概ね同意する。こんなのが傍にあったら鬱になりそうだ」
「異獣を崇める教団だからの。黒くして異獣と共にあろうとしておるのだ」
「理解出来ないな」
ロドリゲスを含め、全員が同じ気持ちだ。
「何が、そんなに異獣を、慕わせるんだろう?」
「その話しは後だ。これから」
本部の扉が開くと一人の信徒が現れた。
「お待ちしておりました皆様。我らが教祖、ヘブンズ様がお待ちです」
「凄い歓迎をしてくれたな。お陰でえらい足止めを食ったぞ」
雰囲気も声質も変わりすぎていたからすぐには気付けなかった。
「レオナルド!?レオナルド中尉なのですか!?」
「軍曹、何を言ってるんですか。そんな事・・・・・・本当だ」
ロドリゲスは衝撃が大きすぎて口を開けたまま言葉が出なかった。
「もしかして、エターナ軍の軍人なのか?」
「大佐直属の精鋭部隊の一人だ。まさか・・・七つの鐘の信徒だったのですか?」
「どうぞこちらに」
質問には答えず、人形のように無感情の顔で中を進んでいく。
「行くしかないの」
「出来るのならば裏から何名か侵入させたかったが」
「無理じゃ。向こうはこちらの行動を完璧に予測しておる。今は下手に動かず、従うしかないの」
「いいさ。敵の腹の中に入ってやる」
武器に肉を纏わせ何時でも戦えるようにして本部内に足を踏み入れた。
奥から聞こえる祈りと何かを崇める声。そして漂う、肉が腐ったかのような悪臭。
だがそれ以上に堪えるのは、多くの人達の怨嗟の声が何処からともなく響いてくる。苦しみに喘ぎ、助けを求める声が木霊する。本部の中を反響して全ての場所へと届いている。
リンダは胸を抑えて倒れ掛かり、咄嗟にケンが身体を支えた。
「どうしたリンダ?」
「何か・・・とても恐ろしいものがある。ここでは何をやっていたの!?」
レオナルドは答えない。
「パンハイム。この奥には何があるの?」
「七つの鐘の本堂だ。そこで信徒は鍛錬と瞑想を積んでおるのだ。そしてそこには、奴らが象った神の像がある」
「それ、どんなの?」
「・・・見れば分かる」
レオナルドはどんどん進んでいく。他の皆も後を追う。
「とんでもないものが待ち構えているんだな。肉の花と同じものが」
「それよりも、もっと・・・危険。・・・けど、行かないと」
危険な場所なのは初めから分かっていた。今更二の足を踏む事も無い。
やがて巨大な観音扉が姿を見せた。ヒュームの身の丈よりも更に大きい。
レオナルドが扉に手を当てると一人でに開いていく。
本堂の中央には人の顔が無数に張り付いた巨大な銅像が鎮座していた。どの顔も苦悶の面持ちを浮かべており、非情に醜く、怨念と悪念が籠っている。
銅像を崇めるように信徒達が意味不明な祝詞を唱えている。本堂を埋め尽くす信徒達の集団は圧巻や圧倒よりも、背筋が冷たくなった。明らかにケセドの都市民よりも多くの人達がここにいるのだ。
だが、そんなものがどうでもよく思えてしまう。それは胡坐をかく銅像の膝の上に蠢いていた。
人だ。沢山の人が溶けて混ざり合っている。赤黒い肉塊には異獣も混ざっている。波打つ身体は不定形でもがき足掻くように人と異獣は肉塊の中に消えては現れている。
「なんだ、あれ・・・?」
グレッグの声は乾いていた。
パンチョは壊れたように引きつった声で笑っていた。
「ああ・・・。ああああああ・・・!!!」
リンダは頭を抱えて啼泣した。
「どうして、どうしてこんな事を・・・!?」
誰がこれをしたなど考えるまでもない。しかし思考が麻痺してしまい誰も答えてあげられなかった。
「ヘブンズ!出てこい!」
憤怒のこもったパンハイムの声が本堂に反響する。
「そう叫ばなくても、私はここにいますよ」
神の像の後ろからヘブンズが姿を見せた。
「これはなんだ!?お前一体何をした!?」
「神の祝福を与えた。ただそれだけですよ」
柔らかな微笑。全てを受け入れるように腕を開く。
それは二度と引き返せない悪魔の大口だ。
「おい・・・それはなんだ?」
グレッグはヘブンズの腰に下げられている赤い糸で編み込まれた装飾を指さした。
「ああ。お気に召しましたか?このような珍しい一品はそうそうお目にかかれませんからね。しかしながら供給源を絶ってしまいましたのであなたの分を作れないのですよ。誠に残念ですね」
「お前、まさか!」
「早計な決めつけは愚者のする事ですよ」
ヘブンズはケンを嘲笑う。
「生きていますよ。しかし彼女は餌に過ぎません。あなた方は例え死んでいたとしても可能性があるのならばここに赴かなければいけません。
余り悠長にしていては本当に」
「グレッグ!」
止める間もなかった。グレッグはゴーツ・グレネードを撃ってしまった。
弾丸はヘブンズの胴体に命中した。しかし身体は波紋の如く大きく波打つと弾丸を呑み込んでしまった。
「いけませんね。これだから人はいけない。すぐに感情に振り回されてしまう」
「感情?実にシンプルな答えだろう。お前は敵だ。お前は全ての人間にとっての敵になる。ここで確実に殺す」
それはまごう事無き絶対的な事実だ。
しかし、パンハイムが前に出てグレッグを遮った。
「ヘブンズ。お前は、自分が何をしているのか分かっているのか?」
「・・・パンハイム。あなたは良き友人です。愚かな問いで失望させないでください」
「では一つ問う!お前は何故ここまでする!?何がお前をここまで変えた!?」
ヘブンズは蠢く異塊をまるで子供をあやすように撫でる。
「何故?どうして?私は人を救いたい。ただそれだけですよ。
異獣は人を殺す。何故殺します?異獣は都市、村、町を滅多に襲わない。そこに意思を感じざるを得ない。
異獣とは何か?あなた方はそれを考えた事はありますか?ただ害ある存在としか思っていませんか?」
「異獣は悪だ!それ以外ないだろ!」
「ケンの、言う通りだ!異獣は、悪い!」
ヘブンズは悲しそうに首を振る。
「固定観念と言うのはなんとも哀れなものですね。彼女達と同じだ。
信徒達をごらんなさい。彼らは誰一人として不幸など抱いてはいませんよ」
恍惚とした、満ち足りた表情。幸福と安心感が不安も恐怖も消失させている。
八人には不気味にしか映らなかった。
「異獣。それは人に害をなし世界を穢す存在。果たして本当にそうなのですか?私達は何か大きな見落としがあるのではないのですか?
その真実は、旧時代の遺跡が教えてくれました」
「異獣が現れる前の人々が神を崇めていたと言うあの遺跡か」
ゴメスの言葉に頷き返す。
「かつての神、旧神は滅び、新たな神が誕生したのです。異獣は新たな神が遣わした聖獣なのですよ。
聖獣は我々人間が悍ましい、醜いと評する姿をしております。けれど、それは人も同じではありませんか?」
「人間が異獣と同じだとでも言うのか?」
「人もまた、悍ましく醜い。この心はあっさりと堕ちる。パンハイム。あなたは、ケセドの過去をご存じですよね」
「わしはお主をずっと見てきた。傍に寄り添い助けてきた。
ケセドは雪に閉ざされた孤独の都市。作物はほとんど育たず、皆飢えと寒さに苦しんでおった」
「あなたは私達の為に寒い所でも育つ作物を与え、孤児院を作り、家々を建ててくれた。それは確かに救済です。表面上ですがね」
ヘブンズは虚ろな眼差しを向ける。
「人を救えても、人の心は救えないんですよ。物質的な救済ではそれが限界です」
「だがわしは、正しき道を歩めるよう知識者を招き、学び舎を作った。そしてわしもお主達に説いて回った。己に降りかかった不幸、自らを苛んだ苦痛と苦しみの生活に戻ってはならんと、他者に振り撒いてはならないと!」
「ええ。正しい言葉です。ですが、正しさだけでは救えない」
ヘブンズが右腕を上げると辺り景色が一変した。雪が降り積もるケセドの都市並みが現れる。
「なんだこれ!?」
「あいつの力か!?」
狼狽えるパンチョとロドリゲスを「落ち着け!」とゴメスは諫める。
「私の記憶を再現しました。パンハイムがケセドを物質的に救ってくれた、その後の光景ですよ」
「これが、そうなのか・・・?」
雪に埋もれて動かない人達。その多くが子供だ。家の半数は取り壊され薪となってくべられている。焚火を求めて殴り合いと殺し合いが至る所で頻発している。
その光景にパンハイムは渋面を浮かべ歯軋りをした。
「これが人ですよ。あなたは定期的にケセドを訪れてくれて私達を諫めてくれた。あなたの言葉には力があった。あなたがいる間だけは平穏でした。しかしあなたは世界を渡り歩く行商人。あなたがいなくなるとここまで荒れ果ててしまうんですよ。
その度にあなたは家を直し私達に正しさを説く。そしてまたこの繰り返し。
パンハイム。あなたは人を信じていた。けれどあなたは人を知らない。多少の薬など常時身体に入れ続けなければすぐに病魔に蝕まれるのですよ」
場面が切り替わる。食料の貯蔵庫だろう。だが中は荒れ放題でほぼ何も残っていなかった。
「育てる?種を植える?それが出来ればどんなに良かったか。卑しい彼らはそんな手間をかけません。ただ貪り食う事だけを知っているんですよ」
数人が集まって作物を一心不乱に貪っている。洗わず、土が付いたままなのにそのままだ。その挙句種や苗まで食べてしまっている。
「愚かでしょう。少し考えれば分かるはずなのに。もう飢えたくない、飢えの苦しみは全てに勝る。人として考える力など失っています。あれは獣ですよ」
「だけど、パンハイムが連れてきた知識人がいるんだろ?」
「言葉で人を変えられるのはパンハイムぐらいなものですよ」
また場面が切り替わる。そこはハンター協会の中だ。子供達が受付前に集まって教育を受けていた。
「ハンター達も彼らも愚者を見捨てました。言葉など届きませんからね。言っていましたよ。子供達を連れてケセドを脱出すると」
「わしは人を信じていた。必ず変われると、今から前に進み脱却が出来ると」
上手くいくと思っていた。地盤を固めればケセドの人々は歩けるようになると思っていた。人の本質、心の在り方を理解していなかった。
「あなたは医者です。医者は傷を治せても、歪んだ心は治せません。けれど、感謝しています。あなたの甘さが私を救ってくれた」
子供達の中に混じって一人の男性が熱心に教育を受けていた。
「私は愚か者どもを救いたかった。そして理解したかった。何が彼らをあそこまで堕とすのか。
多く者は語ります。全ては異獣せいだと。全てが歪むのは異獣が存在する為だと。
全く浅はかです。決めつけで思考を放棄している。そこにいた誰もが異獣の本質を知り得ていなかった。考えた事すらなかったと。全く愚かな話しです。
一人のハンターがかつて神を祀った遺跡があると私に教えてくれました。私は食料を盗み、追いかけてくる彼らを振り切り雪原に飛び出しましたよ」
目の前に映し出されるのは雪に埋もれた巨大な遺跡。石柱には古代語の文字が彫られており、入り口以外の大部分が雪に沈んでいると言うのにその威容は全く風化していない。
「雪埋もれたこの遺跡に、全ての真実は記されていました」
眼前に姿を現す壁画には黒く燃える太陽の輝きで多くの人々が逃げ惑い身体を溶かされていく惨たらしく凄惨な光景が彫られてある。
「死しているのは古き神々、そして黒き太陽はこの世界に顕現した新たな神なのです」
別の壁画へと移る。黒い太陽から異獣が降り注がれ数多の人々を襲っている。時間が無かったのか、先程の壁画に比べると荒く乱れている。
「これを目にした時、私は確信しました。神は死んだ。そして新たな神が現れたのだと。新たな神は古き神々が創り上げた私達を別の存在に昇華させる為に聖獣を遣わしているのです。
私には迷いが存在しません。ただあるのは救いです。
ケセドで私は愚かな者達に教え広めました。新たな神が救いに現れる。異獣を受け入れなさい。異獣は聖獣であり、恐れる存在ではないのだと」
「それをあいつらが理解したのか?」
ヘブンズは涙ぐんだ。
「彼らは恐ろしかったのです。寒さも、飢えも、痛みも、恐怖に勝りません。
都市とは即ち檻。異獣はその気になれば都市を滅ぼすなど容易く出来てしまう。それが恐ろしくて堪らなかった。
もう敵ではない。恐れる必要は無い。その真実で彼らは正しき人へとなれたのです」
異獣は人の集落を滅多に襲わない。都市、町、村は滅多に異獣の被害に遭わない。近隣に現れ生活に害を及ぼすのがほとんどだ。
自分達を容易く殺せる、滅ぼせる存在がすぐ近くに存在している。人の心を壊し狂わせるには充分な圧をかけている。
「お前の教えで救われる人がいるのならそれで良かった。七つの鐘ができて以降ケセドは見違える程発展した。心の救い、支えになるのなら咎める事も無い。数ヶ月前に会った時のお前は人を救い、心の支えになる己の役割と使命を信じていた。何より!己の言葉が詭弁であると理解していた!
何がお前をこうまで変えた?何がお前を狂わせたのだ!?」
変わり果てた友人の姿に声は震えていた。
「変わった?狂った?私は初めから私です。異獣がなんであるか考えもせず思考を停滞させていたあなたに言われる筋合いはありません。
全ての人々は同じ苦しみを抱いている。ならば、全ての人々を救済するのが我が使命。
誰かがするのを待つのではない。自らがするのです。しなければならない!」
熱を入れてヘブンズは高らかに宣言する。遺跡の光景は消え元の本堂へと戻る。
「お前の言っている事もあながち間違いじゃねえよ。何処も同じだ。ネツクだろうがケセドだろうが、異獣の恐怖に怯えて生きている。
ハンターがいるから大丈夫?異獣は俺達の想像を遥かに超える。俺の仲間も親友も、もう何人も殺された。再起不能な傷を負って引退する奴はしょっちゅうだ。戦うのが、死ぬのが怖くなってハンターをやめた奴も何人も目にしてきた。
異獣が脅威で無くなるって言うのなら、願ったり叶ったりだな」
「お分かりになられますか。あなたは」
「だが現実は違う。異獣が神の遣い?聖獣?共にあれば救われる?
ふざけるな。毎日何人死んでると思っているんだ?毎日異獣に怯えて生きて、俺達が助けられなかった人達が、生き残った人達の悲しみと怒りを、お前は知っているはずだ。共にあれば救われる?そんなのは信じる奴だけ信じればいい。こっちの意思を無視するなんざただの災厄だ」
「それこそが人の弱さ。聖獣を受け入れ共にあれば」
「お前、言ってる事が滅茶苦茶だ」
許せない。今さっきまで憤っていた。だが、矛盾に塗れた数々の言葉の中に苦しみを感じた。その顔は相手を見据えている。
「人の心を救う為に、異獣が害のない存在で、実は聖なる存在なんだって嘘をついたんだろ?本当にお前が世界に自分の思想を広める気なら、今まで何をしていたんだよ?僕は話しに聞くまで七つの鐘なんて聞いた事も無かったぞ。
怯えていた。だから安心したかった。だから、嘘をついたんだろ。安心させる為の嘘を。間違っていたと確信していた。けど、そうしないといけないから。
パンハイムさんの言う通りだ。お前、何か変だぞ。自分が自分でないみたいだ」
「私は私です。偽りなどありませんよ」
「じゃああの、外にいる人達は何なんだよ?」
「ああ。我々に抵抗をしようとしたハンターですよ。聖獣を殺し続けた罪、聖獣となり贖うべきですからね」
「償うか。お前の操り人形だろ。それにケセドから出たら動かなくなった。聖獣と人を人形みたいに操るのがお前のする事なのか?」
異獣人は命令を与えられていた。リンダを集中的に狙ったのはヘブンズの命令に他ならない。
ヘブンズの表情から微笑が消える。憑き物が落ちたような真顔を露わにする。
「俺、お前の事、ずっと、悪い奴だと思ってた。けど、こうして会って、認識変わった。
苦しんでる。間に立って、苦しんでる。間違っていても、人を助ける為に、ずっと苦しんでる。異獣が悪いって、分かってる。
お前、変だ。何かが、変だ。
どうしてこんなに、歪んだの?」
ヘブンズは顔を手で覆った。身体を震わせている。
泣いているのかと思った。だが、ややあって耳に届いてきたのは狂った笑い声だった。
「私は正しい!私が救済するのだ!全ての人達は過ちを犯している!この世界は悪徳に満ちている!」
「なんだ!?いきなりどうしたんだ!?」
「あの目は!」
ゴメスは確かに捉えた。ヘブンズの両眼が肉と化していた。
「苦しんでいるのだ!だから私が救うのだ!救わなければならない!誰かがするのを待ってなどいられない!」
異塊がヘブンズを呑み込む。信徒達は立ち上がると異塊へと歩いていく。
「やめなさいよあなた達!」
「中尉やめてください!」
パンチョは近くにいた人を、ロドリゲスはレオナルドを羽交い締めにする。直後、二人の背中から肉が弾け吹き飛ばされた。
「これは・・・。妙だと思ったのだ。七つの鐘は信徒こそ多いが、狂信者などおらんはずだ。あ奴、肉で人を操っていたのか!」
「肉だって!?けど、赤い星は何処に」
「・・・俺達と同じだな」
「身体の中だって言うのか?」
信徒達は異塊へと自ら呑まれていく。
やがて異塊は一つの繭と化した。




