雪に閉ざされた都市
薄暗く、嫌な湿気に満たされた地下。肌が裂ける程に空気は冷え切っていて、白い息を吐くと共に歯が震えてカタカタと音が鳴る。
「あなた、よく平気ね」
「雪中訓練は経験積みだ」
二人は薄暗い牢獄で両手足に枷を嵌められて壁に立たされていた。
「それにしてもこの臭い・・・肉が腐ってるの?」
「糞尿の臭いもする」
「女性を待たせる場所じゃないわ」
トロッコから降り重圧な鉄の扉の向こうがここに繋がっていた。有無を言わさず枷を嵌められるとそのまま放置されたのだ。
「それにしても、あなた随分と大人しかったわね」
「あの手錠。力を出せなかった。どんな仕組みが知らないけれど、肉の力を抑える効果があるようね。これも同じみたい」
「ケセド付近に落ちた赤い星の力ね。そうとしか考えられない。
けどあなた、他にも理由がありそうだけど?」
「話す事は無い」
スミレはそれ以降何も喋らなかった。
足音が聞こえてきた。一人だけで向かってくる。
法衣を纏ったその男はふくよかな体形をした老人だ。長く白い髭を生やし温和な笑みを浮かべている。
「お初にお目にかかります。ネツクが誇る赤髪のルージュさんに、エターナ軍コウ大佐直属のスミレ中佐。私が七つの鐘の教祖ヘブンズです」
礼儀正しくお辞儀をする。そのどれもが演技臭い。
「よく知ってるわね。ここ最近私を知らない人ばかりで逆に驚いたわ」
「他の都市の事は商人越しに聞いていましてね。ここは雪に閉ざされた都市、情報は何よりも大切なんですよ。
世界とは常に流れ一定の姿を保ちませんから」
嫌な汗が流れる。当然の事のように聞こえるが、この男が言うととても恐ろしく響く。
笑みの向こうに隠された本性が瞳に黒く表れている。
「目的は何だ?」
「神の星ですよ」
「それって、赤い星の事?」
それは突然だった。ヘブンズは裾から取り出した黒い布でルージュの顔を殴り飛ばした鈍い音と共に歯が数本折れる。
「言葉使いに気を付けなさい。赤い星?如何にも愚かな人の例えですね。神の星です。我々をお救いくださる為に神が地上に振らせた星なのです」
まるで子供のような笑顔を浮かべて楽し気に語る。両腕を広げるその姿は母親に甘えようとする子供みたいだ。
「私は七つの鐘についてほとんど理解がない。理解を深める為に一つ、基本的な事を質問しても良いか?」
「どうぞ」
ヘブンズは鷹揚に応じた。
「何故あなた達は異獣を神が遣わした聖なる獣とする?異獣を受け入れ、異獣と共に高みに達すると言うのなら何故あなたは生きている?」
ヘブンズは失笑した。
「失礼。あなたは、聖獣を受け入れるのが即ち死であると思っておられたのですか?それは違いますよ」
ヘブンズは憂いを滲ませて遠い目をした。
「今は誰もが疑問を抱きませんが、私達は世界の歴史を知らない。多くの人は言います。異獣が現れて歴史が途絶えてしまったと。
それに疑問を抱かない人がいますか?何故異獣は異獣なのか?真実を得たいと思いませんか?」
「・・・考えた事が無い」
「そうでしょう。ほぼ全ての人がそうですよ」
固定観念とは人の思考を硬直させ停滞させる呪いでもある。ずっとそうだった。初めからそうだった。それは思考の放棄だ。
「私は真実を知りたかった。そんな時ハンターから過去の歴史を残した遺跡があると聞き、私は周囲の反対を押し切って遺跡を巡り世界を渡り歩きました」
「よく死ななかったな」
「ええ。聖獣は、私を襲いませんでしたから」
信じ難い言葉に二人は唖然としてしまった。
「全ての遺跡を巡った私は真実を得ました。
神は滅び、新たな神が生まれたのだと」
「どう言う意味だ?」
ヘブンズは湾曲した刀をスミレの首に当てる。
「頭の悪い質問はしないでください。今私はあなたの問いに答えたのですよ」
ヘブンズは刀を振るい鞘に収める。スミレの首に小さな切り傷がある。
「長い長い時を経て、我々は救われる時が訪れたのです。その為にも、神の星を全て我が元に集めなければなりません。
まずは一つ。あなた方には後でゆっくりと神の教えを説いて差し上げますよ」
怖気がする笑みを残しヘブンズは檻から出て去っていった。
「大丈夫か?」
「女の顔を殴るなんて最低の教祖ね」
口から血の混じった唾を吐いた。
「あれはブラックジャック。中に砂鉄を積めて扱う鈍器。大昔武器として使用されていたそうだ」
「他にも色々とありそうね」
腹の奥がキュウっと引き絞られる。きっとこれから自分は想像もつかない酷い目に遭わされる。考えるだけで身体が痛くなる。
「怖いか?」
「怖いに決まっているでしょう。異獣とはいくらでも戦ってきた。何時なんどきも死ぬ覚悟は出来ていたわ。まともな死に方なんて望むべくもない。ハンターは半数以上の人が異獣との戦いで惨たらしく死ぬ。
けど・・・これは違う。そう、人の悪意を形にして向けられるのよ。人間って、歪むと考えられないぐらい歪むから・・・」
「それがどうした」
スミレはにべもなく吐き捨てた。
「叩きつけられるのなら耐えろ。お前は奴らに屈服するのか?」
僅かにムッとするも、少しすると苦笑してしまった。
「耐えてやるわよ。そして殴り返してやるわ。女の顔を殴った事を後悔させてやる」
「意気込みは良いが、顔がそんなに重要か?」
「女だから。どんなに行っても女は女だから」
自嘲気味に、寂しさを滲ませる。その姿にスミレは心の奥底がチクリと痛んだ。
(・・・コウ様)
頬を強く噛んで感情を殺した。
「奴の言葉。真実だと思うか?」
「信じられないわよ。異獣が襲わないとか、神がどうとかなんて」
「私もだ。だが、虚言と片付けるには奴の言葉には真実味がある」
「神が死んで新たな神が生まれたか。だったら、もう少し意思疎通を図っても良いじゃない。一方的な押し付けなんて有難迷惑よ」
*
うず高く積もった雪は城壁の前で高い壁となっている。周囲をぐるりと囲った城壁は天然の城砦だ。
「少しは雪かきしろよな」
パンチョは木の影から偵察しつつ突っ込みを入れた。
「あれがケセドか。なんて言うか、異様な空気だな」
「前とは違う。なんじゃこの静けさは」
離れているが、それでも何も聞こえない。何処の都市でもここまで近づけば人が生活する声と物音が伝わってくる。
パンハイムを腰を上げ雪をはたき落とした。
「わしが行商として中に入る。護衛はケン、グレッグ、ロドリゲスだの」
「残りの我々はリンダの能力で裏から潜入する」
「リンダ。頼んだぞ」
「うん」
「ヒュームも気を付けてな」
「任せて」
四人は防寒具に身を包み門へと歩む。門は開け放たれていて守衛のハンターもいない。
「変だの。ケセドでも門は基本閉じられておるはずだ。何故開いている?何故誰もいない?」
「入って調べれば分かるし、どう見ても歓迎してくれる証だろ」
「急がないとな。ザックームのせいでもう二日も経ってる」
一晩中ザックームと戦い続け、疲労回復の為に更に一日を費やした。如何に能力で圧倒できても寒冷地、身体に及ぼす疲労と影響は大きい。
ケセドは静まり返っていた。通りには誰も歩いていない。
「妙だ。如何にケセドでも暮らしている住民が通りにいるものだが」
「物音どころか、人の気配がしない」
ロドリゲスは警戒を強める。
「嫌な気配がビンビンするな。こいつは、異獣が近くにいる時の気配だ」
「一先ず異獣ハンター協会に行くぞ。ケセドの中であそこのみがヘブンズの影響を受けておらん場所だ」
静まり返った都市は不気味で息苦しい。都市民が一斉に襲ってくるか、待ち構えていたヘブンズが人質を盾にこちらを大人しくさせるなどを予想していた。
何も無い。それが一番神経に応える。
異獣ハンター協会の扉を開く前にロドリゲスが中の気配を探った。
「中から人の気配がしない」
「前から俺の知り合いの連絡が途絶えだしてたが・・・」
グレッグは怒りと焦燥感を滲ませる。
パンハイムが扉を開くと協会内は静まり返っていた。誰もいない。受付も、依頼を選んでいるハンターも、そして職員すらも消えている。
「協会長室に行くぞ」
パンハイムは駆け足で向かう。
「トーマス!わしだ!パンハイムだ!」
返事は無い。
ロドリゲスがジェスチャーで待機するように指示を出し僅かに扉を開ける。
反応が無い事を確認して部屋の中へと入る。
「これは」
協会長室は荒れ果てていた。壁には弾痕があり書物は破れて散乱している。家具は破壊されて木片と化し、壁に穴が空いて外から冷気が流れ込んできている。
「こいつは、激しく抵抗したみたいだな」
床に触れると凍った血がパラパラと散る。
「七つの鐘に襲われたのか?」
「そうだろうが、だったらなんでここだけがこんなに破壊の跡があるんだ?都市全体に争いの跡が残っていないのはどうしてだ?」
不可解な状況に三人が難しい顔を浮かべているとパンハイムは奥の壁に手を触れた。すると壁が開き隠し戸棚が現れた。
「面白い仕掛けだな」
「七つの鐘から目を隠す為に重要な書類はここに仕舞っておるのだ」
真ん中の引き出しが僅かに開いていた。開けるとグシャグシャに突っ込まれた紙が一番上に入っていた。紙には文字が書きなぐられている。
『我々は今仲間の襲撃を受けている。仲間だったものだ。あれは最早人ではない。
誰かこの手紙を読んでいる者がいるならばすぐさまエターナ軍と各都市のハンター協会に伝えてくれ!人類の総力を持って七つの鐘を倒すんだ!
奴らは世界を滅ぼせる力を得た!我々はもう駄目だ。頼む、世界を守ってくれ』
これだけの文章から、最早一刻も猶予もない程に追い詰められていたのが伝わってくる。
「仲間・・・ハンターだと?」
「それって、どう言う事なんだよ?」
廊下の奥から足音が聞こえてきた。足音は一人分。ぎこちなく、ふらついている。
ゆっくりと、確実に協会長室に向かってきている。
無言のまま武器を構える。そして、扉を開けて入ってきた。
不揃いな黒く濁った複眼、大きく開いた口から覗く太く長い舌、黒い粘液を身体から流している。女性用の下着を履いている。苦しそうな喘ぎ声が聞こえてくる。
そしてその身体は黒く染まっていた。
「グルパウンド?」
口から消化液を噴き出してきた。グルパウンドのように液の塊を飛ばすのではなく液を嘔吐するように滝の如く吹き出している。
四人が二手に避けるとパンハイムとケンに狙いを定める。戦力として弱点になるパンハイムを狙うのは判断力、思考力がある証拠だ。
「ロドリゲス撃て!」
躊躇ってはいけない。軍人として、時には非情な判断を下さなければならない時もある。
『良いか。我々は世界の秩序を取り戻し人々を守る為に異獣と戦うのだ。その為ならば命を捨てる覚悟を持たねばならん。
だが、非情の選択をしなければならん時もある。百人の命と十人の命、天秤に掛ければどちらが重いか考えるまでもない。
現実とは無情だ。選択を迫られた時、瞬時の判断が出来て初めてお前達は軍人として認められるのだ』
(将軍。あなたの教えは厳しいですけど、正しかったんですね)
弾丸は胸に命中するも僅かに身体を揺らしただけだ。
「まさか。これは対異獣用の銃なんだぞ」
「それを食らって平然としているか」
グレッグは銛に肉を纏わせる。
「悪く思うなよ」
ゴーツ・ハープーンは異獣人の頭を貫き壁に縫い合わせた。異獣人は身体を痙攣させ、やがて溶けて消えていった。
「どう言う事なんだ?こんな異獣がいるって言うのか?」
「いや」
ケンは首を横に振った。
「人間と似通った異獣はグールとグーラーだけだ。人型の異獣だって絶対数が少ないし、異獣の図鑑にもこんな異獣は載ってない。
それにこの姿は・・・グルパウンドが人になったみたいだ」
「それに、服を着た異獣なんて見た事が無いからな。
さながら、異獣人ってところか」
溶けた後には血のように赤い異玉が残っていた。
「これは・・・赤すぎる。異玉ならば黒い濁りがあるはずだ」
「都市民だったもの。人じゃない。・・・つまり、それは」
最悪の可能性が頭を過る。
否、それは可能性ではなく確定的な現実だ。
「今気づいたんだが、協会内のあちこちから足音がしないか?」
「何時の間に?」
「こりゃあどっかに隠れてたな」
グレッグは武器に肉を纏わせる。
「ゴーツ・ハープーンとゴーツ・グレネードの出番だな」
「待て。不用意な戦闘は避けるべきだ。目的はあくまでも中佐とルージュの救出だ」
「・・・そうだな」
焦燥感に駆られている。早く助けたくて冷静な判断力が損なわれている。
「人ではなくなったか。つまり元は人。ヘブンズ・・・何かやりおったな」
パンハイムの声は怒りで震えていた。
「赤い星の力なのか?」
「そうとしか考えられんな。ロドリゲス、無線で連絡をしてくれ」
「分かった」
*
「信じられん。まさかそんな事が・・・。分かった。我々も潜入を開始する。お前達も充分に注意するんだ」
通信の内容を受けたゴメスは険しい面持ちで眉根を寄せた。
「どうしました軍曹?」
「ケセドのハンターが異獣と化してしまったそうだ」
「嘘だ!そんな」
慌ててリンダはヒュームの口を押えた。
「つまり、あたしにどうにか出来ないか確かめるんですね」
「そうだ。本当なら裏手から潜入する予定だったが、どうやらその必要はないらしい。このまま表から入るぞ」
「軍曹。つまりそれは、相手を殺してはならないって事になりますよね?」
「当然だ。相手が人ならば、救える可能性が僅かでもあるのならば、殺すなど論外だ」
「人生で一番の厄日だな」
パンチョは深い溜め息を吐いた。
「まあ、しっかりと勤めを果たしますよ」
次の瞬間には覚悟を決めた強い男の顔をしていた。
(なんか・・・気持ちの切り替えが早い人なんだ)
ケセドを覗き込むと異獣と化した人達がそこかしこを彷徨い歩いていた。
当ても無く、何をするでもなく、まるで夢遊病者のように虚ろに上を向いて徘徊している。
「リンダ。近くにいる異獣人を捕まえて引き摺り出せ。治せるか試すんだ」
「分かりました」
肉を伸ばしケセドの中へ入った瞬間、異獣人達が一斉反応して襲い掛かってきた。
「いかん!腕を戻せ!」
「後少し!」
ギリギリで異獣人を掴んで外へと引っ張り出す事が出来た。リンダの腕が外に出ると異獣人は動きを止め、また意味もなく彷徨い始めた。
「中に入ると、襲う?」
「いや、先に入った四人にはここまで攻撃性を示さなかったそうだ。つまり、奴らはリンダに反応した」
「あたしを捕まえようとしているんですね」
鶏の頭、蛇の胴体に蠍の手足と毒針。バジリスクそのままだ。
「なんて酷い・・・」
パンチョは口を覆った。
異獣人は反応を示さなくなった。心ここにあらずと言った様子で虚空を見つめている。
リンダは肉で身体に触れてしばらくした後、ショックで息を乱した。。
「どうした?」
「・・・一つになってます」
「一つ?どう言う意味だ?」
「えっと、例えばヒュームの腕はヒュームの身体だよね」
「うん」
「つまり、それは絶対に引き剝がせない同一なものって事なの」
全員、衝撃の事実に愕然としてしまった。
ゴメスは雪を殴りつけた。
「ふざけるなよ・・・人を異獣にしやがって・・・」
「軍曹。冷静にですよ。深呼吸です」
パンチョに宥められ、ゴメスは軽く息をして気を落ち着かせた。
「・・・可能性としては、ヘブンズの奴に人々を元に戻してもらう事か」
リンダは暗澹とした面持ちに浮かべた。
「可能性が低すぎる。そう言いたいんだろう?」
「・・・はい」
「それでも、微かな望みがあるのならそれに賭けなければならない。人を救う為ならば」
「そうだ。リンダ、俺達、皆を助ける。ヘブンズ、許さない」
「・・・そうだね。可能性が低いからって、それで諦めたら駄目だもんね」
リンダが気を持ち直したところでゴメスは通信機を繋ぎ今しがたの出来事を報告した。
「奴らはリンダに反応する。群れとなって一斉に向かってきた。そちらはどうだ?」
『いえ。協会内の異獣人は反応を示した様子はありません』
「近い異獣人が反応を示すようだな。陽動しても良いが、可能な限り戦闘は避けたい。そちらの意見は?」
グレッグは通信機を受け取りパンハイムの傍に向ける。
『そのだの。ヘブンズをどうにかして元に戻せるのならば戦闘は避けるべきじゃ』
『・・・とはいえ、そっちも何もしないって訳にもいかないだろう。奴らの本部まで行かないといけないんだ。
お前ら協会前まで来い。そしたら一気に本部まで突っ切るぞ』
「正気か?奴らはリンダに反応して襲ってくるんだぞ」
『初めから奴らの狙いはリンダだけだ。俺達が地上であれこれしても時間の無駄になるだけだ。だったら、向こうから出迎えてもらわないとな』
「・・・成程。ならば余計な戦闘は避けられ、ハンター達を傷つけずに済むか」
『ただ、言うまでもないが相当に危険だ。行けるか?』
「行きますよ。あたしが皆を守ります」
そんなリンダの言葉にパンチョは悲し気に首を振った。
「あんまりだ。いくらただの人だからって、当てにもされないなんて」
「あ、いえ、そう言う訳じゃ」
眼前に大筒を向けられリンダは言葉を詰まらせた。
「異獣拘束用のネットだ。こいつが当たると網が広がって異獣を拘束するんだ。しかも連射できる」
「それ、見た事ある。けど、扱い難しくて、誰も使ってなかった」
「弾が大きすぎて命中精度に難があるが、パンチョなら使いこなせる」
「射撃の腕ならかの赤髪のルージュにも劣らない自負があるんだ」
にやりと浮かべる笑みには自信に満ち溢れていた。
『おい、大丈夫なのか?』
「はい。すぐに行きますので外で待っていてください」
『分かった』
『皆、気を付けろよ』
通信を切りゴメスは入り口を覗いた。先程の異獣人がまだ入り口付近を徘徊している。
「パンチョ。ここから見える範囲の奴を拘束しろ」
「了解」
拘束弾を撃つと反動で身体が大きく傾くが、パンチョはその反動を利用してまるでバネのように身体を動かして連射する。
激しい頭の動きでまともに前なんて見えないはずなのに的確に、一発も外す事無く拘束弾を命中させていく。見える範囲どころか、遠方の異獣人も拘束してしまった。
「それ、気持ち悪くなりませんか?」
「私はこれ平気なんだよね」
「割と欠陥品じゃないですか?」
「開発部も改良を進めているが、何分異獣を拘束するとなると網の大きさや強度を減らせないからな」
効果と利便性を合わせるのは難しいものだ。
「パンチョ、弾は後何発だ?」
「五発ですね」
「よし。それは必要になるまで無用に撃つな。リンダ、我々を守りながら一気に協会前まで駆け抜けるぞ」
「了解です」
リンダは肉を展開して全員を覆うように広げた。前に視界確保の為に穴が開いている。
「リンダ、分かる?」
リンダは首を横に振った。
(やっぱり異獣の気配を感じられない。ここに来るまでもそうだった。そんなにあたしが目障りなの?)
何処かにいるテンレイドに向けて言葉を放った。
四人は一気に都市を駆けていく。案の定、道から外れた場所にいた異獣人が反応し奇声を上げて襲ってくる。
異獣人は一体となった異獣の力を扱う事が出来る。肉の上から焼け爛れる音、切られる音が聴こえてくる。
(力を得ていて良かった。前のままだったら破られてた)
協会前には四人が外に出て待っていた。
「俺達が先を走る!お前達は後から付いて来い!」
グレッグがパンハイムを背負い先を走る。
並走すれば異獣人に取り囲まれる。ならば前を走りリンダに注意を向かせパンハイムの指示に従い進む方が合理的だ。
(ルージュ。それにスミレ。二人共無事でいてくれよ)
*
一行がケセドに到着する前日、ヘブンズは再び牢屋へとやって来ていた。
「ご気分は如何ですか?」
「とても良いわ。あなたも一緒にどう?」
「遠慮しておきますよ」
「あら?似合うと思うけど、残念ね」
減らず口にガラスの球を突っ込んだ。
「一日飲まず食わずでお辛かったでしょう」
今度はこん棒が振るわれる。衝撃でガラス玉が割れ破片が口の中をズタズタにする。また歯が折れ、半分が無くなった。
「お望みなら、お代わりはいくらでもありますよ」
「良いわね・・・ガラスを食べるなんて御伽噺みたいで素敵よ」
あくまでも折れず強気な姿勢を取るルージュに、ヘブンズは褒め称えるように手を叩いた。
「素晴らしい。あなたは本当に素晴らしい。ここまで折れない人は滅多にいるものではない。あなたにこそ、救いをもたらしてあげたい」
スミレにも横目で視線を送る。
「勿論、あなたにも」
「私達はリンダを釣る為の餌だろう」
「ええ」
隠す事も無くあっさりと認めた。
「何故傍に現れた巨大異獣を放置した?あれは間違いなく、神の星だろう」
「当然、我らの元に迎え入れようとしましたよ。けれど何事にも準備は必要です。その間に神の星はリンダの元へ行ってしまわれた。
ならば、どちらかが一つになった方を迎え入れれば良いだけです」
「成程。単純な理由だ」
ヘブンズはルージュの顔を鷲掴みにする。
「世界の人々に私達の素晴らしさを説く。それは私一人の力ではとても出来ません。けれど、多くの人達と手を取り合えば不可能も可能になります。
ルージュさん。あなたは私の仰る事が理解出来ますよね」
返答は血の混じった痰だ。
ヘブンズは力を込める。みしみしと嫌な音が鳴りルージュは呻き声を上げる。
「今に分かりますよ。私の言葉が」
嫌な気配がする。ヘブンズの指先から何かが蠢いている。
それは一陣の閃光だった。ルージュの頭部とヘブンズの指の間に閃光が走りヘブンズは大きく弾かれた。
「なっ・・・」
驚愕の表情を浮かべ手を見ると、指先が僅かに焦げていた。
「馬鹿な・・・何故・・・」
再び触れると今度は何の反応も示さなかった。
「あなた、何かありますね。神の力を拒む悪しき力が」
口調こそ穏やかだが目は笑っておらず指先に力を込めてぽきぽきと鳴らしている。
「良いでしょう。ならば、スミレさんだけにするつもりだった教育を施してあげましょう。心から神を敬い信じるようになりますよ」
「洗脳の間違いでしょう?」
「その減らず口もすぐに愚かな間違いだと気づきますよ」
ヘブンズは決して表面上感情を露わにしなかった。
しかし感情を抑えきる事が出来ず所々漏れ出てしまっている。
ルージュに弾かれたのが相当腹に据えているのだろう。激しい音を立てて牢屋から出ていった。
「強いな。それだけされてまだ心を保つか」
「どんなにされても、助けてくれるって信じてるから」
「そうね。信じられる人がいてくれれば、絶対に心は折れない」
強い言葉だ。絶対的に相手を信頼している。
ルージュは口からガラス片を吐き出した。
「ねえ、一つ訊いても良い?」
「なんだ?」
「どうしてホドから、下層から出ていったの?」
「私が下層にいれば、奴らの侵入を阻めたとでも言うの?」
スミレはせせら笑った。
「私がいようがいまいが、同じ道を辿っていた。あいつらは自分の力で何もしようとしなかった。ただ強者に唯々諾々と従う事しか出来ない。チャンスがあっても自らその機会を手放す愚か者。他人の脚にしがみ付いて自分の脚では歩こうともしない。
私がどれだけあいつらに良いように扱われたか、お前に分かるか?左目を失った時、あいつらは表面上心配する振りをしていたけど、内心は自分達の将来しか考えていなかった。私が戦えなくなったら困る。それだけだ」
「けど、彼らは反乱を起こしたら沢山の人が死ぬって」
「じゃあどうする?何もかもが円満に解決する方法でもあるのか?そんな都合の良い話しなんて無い。犠牲やリスクを恐れて何もしない。それを言い訳に現状に甘えて、未来で苦しむのは自分自身。それすらも分からない連中を愚かと呼ばずに何て呼ぶの?
ホドは周囲を砂漠に囲まれた過酷な世界。ケセドは頼れない。ガンコウには力は無い。なら、自分達の力でどうにかする以外他に無い」
厳しいが、確かに現実はそうかもしれない。虐げられていた現状から抜け出すには逃げるか抗うかの二択しかない。死にたくない。たった一つ、そして重すぎる楔が行動を封じてしまっていた。
「命は一つしかないのよ。誰だって、失いたくは無いわ」
「・・・今の私にはその気持ちはよく分かる。それでも、他人に縋るばかりで何もしないあいつらには何の感情も抱かない」
「けど、商人に助けてもらった人もいるって言ってたわよ」
「大半が死んだ。そもそも、極限状態の身体に擦り切れた精神、砂漠で異獣に襲われて冷静でいられると思うのか?
商人は程なくしてどんなに金を積まれても応じなくなった。当然だ。人の死ぬ姿なんて見たくもない。
そうして縋ったのが七つの鐘だ。救いようがないとはまさにこの事だ」
「それを止めるのも、あなたなら出来たんじゃない?」
言わずにはいられなかった。スミレは憮然とする。
「私の言葉が届くのなら、奴らは私に縋ったりはしない」
絶望していた。未来に希望は無く、ただ搾取され酷使されるだけの日々。どうにかしたい、けれど死にたくない。生きて幸せになりたい。
命を懸けて抗わなければいけなかった。それは、極限の二択だ。虐げられ続けた彼らには克己心も反骨心も無かった。ただ誰かが救い出してくれるのを待つしか出来なかった。
(・・・私も、同じか。優しさ?結局はそれを言い訳にして抜け出そうとしなかった。コウ様に手を差し伸べられて救われた)
自己嫌悪に陥る。散々嫌悪していた彼らと自分は、結局は五十歩百歩の関係に過ぎない。自分は幸運に救われただけだ。
(絶望して、命を投げ捨てようとした。その時、もし・・・)
そこから先は何も言葉が出なかった。
一時間程してヘブンズが戻ってきた。
「お待たせしました。少々準備に手間取りまして」
「本当よ。お客様を待たせるなんて礼儀知らずね」
「これからそのお詫びを致しますよ」
後ろからアントニオが現れ大きく分厚い鉄の靴を置いた。
「ああ。彼があなたと話したい事があるそうですよ。少しだけ、席を外しましょう」
ヘブンズが牢屋から出るとアントニオはスミレの前に立った。
「アントニオ」
「同じ生まれ、同じ環境で過ごした。それなのに、どうしてこうも差が出来るんだ?」
怒りも無い。妬みも無い。感情の無い能面のような顔を向ける。
「私は恵まれていた。ただそれだけだ。お前達とは・・・本当は違わないのかもしれないな」
ルージュは目を丸くする。
(さっきと言っている事が違う。何か、思う所があったの?)
「ならどうして見捨てた?」
アントニオは襟首を掴み上げるが、ルージュは動じない。
「疲れたんだよ。私は死のうとした。何もかもから解放されたかった。
その時、大佐に助けられた。
未来に希望は見えない。だけどどうにかしようともせず日々を無為に過ごす。結局私達は同じ存在なんだ」
予想外の答えだった。アントニオは面食らい、ほんの僅かに瞳に光が戻った。しかしすぐに感情ない人形の顔に戻る。
「お前は俺達よりも早くに救われた。同じだと言うのなら、同じ分の痛みを味わえ」
するとまるで見ていたかのようにヘブンズが戻ってきた。一人の信徒を引き連れて。
「お二人には是非とも私達に協力してほしいのです。私達の教えを広めてほしい、多くの人々を救う為に真なる人の在り方を伝えてほしいのです」
「頷くと思うの?」
「でしょうね」
ヘブンズは嘲笑う。
「私達はリンダを釣る為の餌なんだから、何もせずに放っておいてよ。それともあなた、相当暇なの?」
「本当に口の減らない人だ」
ナイフを頬に突き刺され口まで引き裂かれた。
ルージュは意地でも悲鳴は上げず歯を食い縛って耐えた。
「良い顔ですよ。まさに悪魔だ」
(人の良い顔で笑うそっちの方が、よっぽど悪魔よ)
この世で最も悪なのは、善人の顔で醜悪な本性を隠す人間だ。
「ヘブンズ、お前は何の為に私を攫った?ルージュのついでではないだろう」
「それを知る必要はありません。
しかし悲劇ですね。リンダの力のせいで、これから惨たらしい目に遭うのですから」
鎖が伸ばされ椅子に座らされると二人の脚に鉄の靴が履かされた。中に内側に向けた突起があり脚を僅かに圧迫する。
「遺跡を調べると実に興味深い歴史が見つかりましてね。かつての人々は罪人に対し刑罰を与えます。より相手を長く苦しめ、それでいて死なせない技術。拷問と呼ぶそうですよ」
アントニオと信徒は二人の脚の間に鉄の楔を挟み込み、手に金鎚を握る。
「貴様、何の為にこんな事を」
「あなたに関して言えば、余計な事をされたくないからですよ」
金鎚が撃ち込まれ楔が撃ち込まれる。檻の中に骨が砕き折れる音が響いた。
筆舌しがたい激痛に、呻き声が漏れる。
「お強い。これで悲鳴を上げなかったのはあなた方が初めてですよ」
更にもう一本楔が打ち込まれ、次々と楔は増えていく。
骨は砕け粉砕され、脚の肉が潰れて原型を失っていく。
「素晴らしい。ここまで折れない強い心の持ち主は初めてです」
悲鳴を上げず、涙も見せず、許しを請わない。それがヘブンズに対して出来る唯一の抵抗だ。
ルージュは気を失いそうだった。痛みで視界が明滅する。思考が飛びそうになるのを意地でも抑え唇を食い千切る程強く噛む。
「痛いでしょう。たった一言、従うと言えば助けてあげますよ」
「自分から・・・やっておいて助ける・・・?ふざけるのもいい加減にして。それとも、これはお遊戯なのかしら?」
髪を掴むと頭皮ごと引き剝がした。頭部に灼熱感が走り視界に火花が散る。
「良い髪ですね。赤色が実に見事です。装飾品にしたら良さそうだ」
「代金は高くつくわよ・・・」
「支払いは救済ですね」
非道な行いの後は松明で脚を焼かれた。
「失血で死なれては困りますからね。では、次の準備をしますので」
ルージュは言葉にならない悲惨な姿と化していた。
「何故余計な事を口にする?黙っていれば、ここまでの事はされなかったのに」
「自分でも、馬鹿だと思うわよ。けどね、ああいう奴にはいくら言っても足りないのよ。馬鹿には言葉は通じないだろうけど。
どうせあいつは私達を殺す気は無い。だったら、こっちが強いって事を見せつけてやるのよ」
意地を貫き通す強さにスミレは声を上げて笑い、ルージュは呆気に取られた。
「良いな!お前は本当に良い!気に入ったわ、ルージュ。私も付き合う」
「良いの?私みたいになるわよ」
「身体は私の方が丈夫だ。何より、信じているんだろう?」
「当然よ」




