堕落の情婦
腕は刃ではなく、人の腕をしている。どす黒くたなびく髪、女性的な顔立ち、僅かに膨らんだ乳房。
醜悪な化け物が、美しくも悍ましい美女へと姿を変えた。
「ここまでとは、思わなかった」
僅かに濁っているが、澄んだ声だ。テンレイドが初めて発した言葉は女性の声音だった。
「雑魚とは言え、やはり奴の力を奪っていて正解だった。
肉の断片。力を得た者共」
テンレイドの指先から爪が伸びる。
「お前達は確実に、自分が殺す」
「嘗めるな!」
再び突きを放つが軽く身体を傾けて避け、両手から一気に爪が伸びてくる。
「なっ!」
「危ない!」
咄嗟にヒュームが前に出るも、爪はヒュームの身体を貫通してケンを貫いた。
「ケン!ヒューム!」
「クソッたれが!」
グレッグとルージュが同時に銃を撃つ。その瞬間テンレイドの背中を突き破り大きく口の裂けた蛇の群れが現れた。蛇は弾丸を防ぐ盾となり、残りは眼前に立ち塞がるヒュームへと襲い掛かる。
「ああああぁぁぁぁぁぁぁ!!?」
ヒュームの絶叫が木霊する。蛇は身体を貪り食いながらどんどん内側に入り込んでいく
ケンはどうにかしたかったがこのままではゴーツ・ジャマダハルでヒュームも殺してしまう。
「させない!」
リンダの肉がテンレイドを覆い尽くし強引に爪を抜き蛇を引き剝がし遠方に投げる。
「二人共大丈夫!?」
「僕は平気だ!ヒュームが」
ヒュームはゴーツ・クレイモアを橋に突き立ててどうにか倒れるのを堪えた。
身体の全面は食い荒らされ内臓が漏れ出て肉がどろどろに溶けている。
リンダは同時に二人の傷を治し始める。
「これは毒・・・。普通の人だったらもう原型を留めてない」
「あいつ、何で突然変わったんだ?」
肉が溶け、中からテンレイドが出てくる。
「疑問は後!今は目の前の事に集中して!」
ルージュは銃弾を撃ち込むも蛇が口で受け止めてしまう。
「そんな・・・」
先程までの触手とは訳が違う。
あの蛇は意思を持ち生きている。能力も触手とは比べ物にならない程向上している。自身の機関銃を連射できても一発も本体に命中しないだろう。
「くそっ!」
傷が治ったケンは再び攻撃に転じようとする。
「待てケン!」
グレッグは鋭い声で動きを止める。
「ヒュームでこれだ!お前じゃ一瞬で食われて死ぬぞ!」
「じゃあどうするんだよ!?」
テンレイドは再び爪を伸ばしてくる。紙一重でケンとスミレは飛んで避け、リンダは肉壁で攻撃を防いだ。
「リンダ!お前の肉で三人に鎧を作れ!」
「はい!けど、長くは持ちません!」
「それでも良い!お前達はとにかく俺が入り込める隙を作れ!」
「どうする気だよ!?」
「俺を信じてくれよ!」
グレッグは自信ありげな笑みを浮かべる。
「何か策があるのか。良いだろう」
「ヒューム。出来るか?」
傷の大部分が治った。以前よりも治りが大分早くなっている。
「やる!」
リンダは三人の身体を肉で覆った。
脈動する肉は硬質化し、全身を覆う肉の鎧と化す。
「ルージュ!お前は隙間を縫って奴の顔面に銃弾を叩き込め!」
「はあ!?無茶な事を言わないでよ!」
「出来るだろ?」
信頼の眼差しを向けられルージュは腹をくくった。
「良いわ。鍛え上げた射撃スキルを見せてあげる」
ルージュは全神経を機関銃と視線に集中させる。
「無意味」
背中から蛇が伸びて三人に雨の如く降り注ぐ。素早く対応できたのはスミレだけでケンはヒュームが盾となって守った。
「おおおぉぉぉぉ!!」
ゴーツ・ジャマダハルを振るった斬撃破は空気を裂き蛇を半数以上切り落とした。
「ケン!行け!俺は、平気だ!」
ゴーツ・クレイモアを投げ渡す。
「おお!」
スミレはテンレイドと眼前で牽制している。三百六十度視界が見えているのか、四方八方から襲い掛かる蛇の噛みつき、そして巻き付きを流れるような動きでかわしている。
それもそのはず。スミレは初めから攻撃を意識していない。目の前に立ち意識を自分に向ける事が目的だ。
テンレイドが身を丸めると全身から鋭い棘が伸びる。
「・・・!」
辛うじて急所は避けたものの隙間のほとんど無い棘に全身を貫かれた。
言い換えれば伸びた棘でテンレイドも動きが止まった事になる。そしてスミレは地面に張り付けられている。
(ここしかない!)
ケンはゴーツ・クレイモアを投げつけ、渾身の力を込めてゴーツ・ジャマダハルの突きを放った。
突きの衝撃はゴーツ・クレイモアを押し、空気の壁を突き破った。蛇が本体を守る為に壁になるも、ゴーツ・クレイモアは壁を突き破りテンレイドの胸に突き刺さった。
「やった!」
だがテンレイドは大きく仰け反るも倒れない。
顔を上げかけた直後、テンレイドの顔が爆発する。
「爆裂弾だと」
「顔の表面じゃなくて、口の中で爆発したんだから少しは効くでしょう」
並みの異獣ならば一撃で身体がバラバラに吹き飛んでいる。しかしテンレイドは一瞬身体が硬直するのみで留まった。
「よくやったお前ら!」
テンレイドが仰け反った時から距離を詰めていた。ルージュの攻撃で一瞬動きが止まった隙を逃さずグレッグはテンレイドに抱き着いた。
「グレッグ!?」
「何してるのよあなた!?」
スミレは肌に冷気が流れてくるのを感じ、瞬時に転がって距離を取った。
凄まじい爆発と同時に白い冷気が噴き出した。冷気は猛烈な勢いで橋を覆い周囲を凍り付かせていく。
「これって」
「凍結玉だ。あの男、特攻したな」
「そんな・・・グレッグ!!」
冷気が晴れると凍り付いたグレッグとテンレイドが佇んでいた。
「あの・・・馬鹿!!」
「ヒューム!止めを刺せ!リンダ!」
ヒュームはゴーツ・ウォーハンマーでテンレイドを粉砕した。
リンダはグレッグの身体に手を振れる。
「身体の芯まで凍り付いてる。あたしの肉で溶かさないと」
全身を肉で包みゆっくりと温めていく。
「大丈夫よね?死んで無いわよね?」
「大丈夫です。今確認しましたけど、脳は動いています。時間を掛けて解凍すればなんとかなります」
「良かった・・・」
三人はホッとして全身から力が抜けた。
スミレは辺りに散らばっている凍結玉の破片を手に取った。
「おそらく十個だな。グレッグ、だったか?一体何処でこれだけの数を調達したんだ?」
「きっと都市長の邸宅ね。あそこには新鮮な肉や野菜が保存されていたから」
「贅沢な使い方だな」
金持ちの考える事はつくづく常識が当てはまらない。
「そう言えば、異石は何処だ?」
「破片の、中?」
スミレとルージュは一瞬硬直した。互いに合図を出した訳でもないのに同時に破片に攻撃をし始めた。
「どうしたんだ二人共!?」
「忘れたの!?異獣は死んだら溶けて消えるのよ!」
二人は切羽詰まった顔になり同時に破片に砕き出した。
異獣は例え凍り付いても死ねば状態に関係なく溶けて消える。破片が溶けないのは、そう言う事だ。
破片が鋭い棘となって四人を襲う。三人は身体を刺されても平気だが、ルージュは足を貫かれて倒れた。
「ルージュさん!」
「私は良いから、グレッグをお願い!」
破片は一つに集まり瞬く間に元の姿へと戻る。
「そんな。グレッグが死ぬ覚悟で凍らせたのに」
「砕いたのに、どうして?あれで、絶対死ぬはず」
異獣の定義からも外れている。不死身か?底知れない恐ろしさに戦意が折れかかる。
流石にダメージはあるのか身体の一部が崩れかかった。
「弱ってる!一気に畳みかけるぞ!」
弱気になっている暇などない。自分達が戦わなければ誰がテンレイドを倒すのだ。
ケンが突きを放とうとすると上空から猛烈な突風が吹き体勢を崩された。
「あれはピュータル!?」
巨大な単眼から鳥の羽が生えた異獣が四本の細い脚でテンレイドを掴み空へと飛ぶ。
「そんな!気づかなかったなんて!」
(リンダだけじゃない。私も気づかなかった。まるで突然現れたみたいに)
「逃がすか!」
「ケン!前!サミガ!」
「うお!?」
突然飛び掛かってきたサミガに食らいつかれる。
ピュータルの背からサミガが次々と落ちてきて襲い掛かってくる。
「異獣を操っているのか?」
「この好機、逃さない!」
機関銃でピュータルを狙い撃つも蛇に阻まれてしまう。
「爆裂弾は!?」
「あれは高いから一発しか持ってないのよ!」
ピュータルは瞳から赤黒い涙を流しつつ上層へと飛んでいく。
ピュータルの涙は粘性が強く一度囚われると自力では抜け出せなくなる。火で燃やすかピュータルを倒さない限り涙が消える事は無い。
ケンとヒュームは紙一重で涙から逃れた。スミレはルージュを抱えて大きく飛んで距離を取る。
サミガ達は涙の中に囚われると次々と爆発していく。身体から引き剝がしただけで攻撃は一切加えていないのにだ。
「こうなったら僕達を道ずれにする気だったのか?」
「あの爆発、近くで受けたら、ただじゃすまない」
ピュータルは上層の天辺へと到達する。
「お前達は肉を脱いでテンレイドを追え」
「分かった。スミレはどうするんだ?」
「私はいけない。代わりにこいつの応急処置をする」
「頼んだ!」
リンダに肉は吸収され、二人は全速力で上層へと向かう。
「傷を消毒して縫うぞ。私達の店まで行くぞ」
「あの、あたしは」
「お前はそいつの治療に専念しろ。まだ時間が掛かるだろう」
「まだ一時間ぐらいは」
ただ傷を治すだけならすぐに終わる。しかし、心身共に凍り付いた身体を解凍するとなれば別だ。急けば急激な温度上昇で身体が割れてしまう。そして治療に専念しているのでリンダは今動けない。
「ありがとう。お陰で助かったわ」
「後方援護のお前が前に出てどうする」
「倒したと思ったし、気が動転してた」
グレッグの特攻に異常な再生能力と生命力。無理もない。
「あなた、思っていたよりも優しいのね」
「なんでそう思う?」
「あら?潜入調査をしていたのに姿を晒して戦ってくれたじゃない」
「弱き者を守る剣であり盾。そう教えられたからだ」
「ただ守っているだけじゃないでしょう」
スミレは反論しなかった。
偽装商店の傍まで来るとスミレは動きを止めた。
「・・・誰かいるわね。あなたの部下?」
「こんなに悠長に時間を掛ける部下はいない」
商店から人が出てくると一斉に銃を二人に向ける。
「大人しくしろ」
「アントニオ!?」
暗がりから出てきたのはアントニオだった。薄ら笑いを浮かべている。それは他の者も同様だった。
「あなた、何をしてるのよ?それにその銃は」
「お前達の身柄は俺達が抑える。ヘブンズ様の所へ連れていく」
「ヘブンズですって!」
「七つの鐘の教祖か」
スミレは全身に力を籠める。
「余計な事はしない方が良い。コウがどうなっても良いのか?」
「何!?」
「何も知らないとでも思ったか?エターナ軍にも七つの鐘の信徒はいる。ヘブンズ様の指示があれば今すぐにでも殺せるんだぞ」
「嘘ね。どうやってそれを伝えるのよ」
「ヘブンズ様の言葉は届くんだ」
狂った笑みを浮かべる。それは狂信者だ。何を言ってもこちらの言い分など通じない。
「それに、俺達に逆らわない方が良い。分かるか?上層にも俺達の仲間が入り込んでいるんでいるんだ。それに下層の子供達も人質だ。
俺達に抵抗すれば、どうなると思う?」
「あなた・・・本気なの?」
信じられなくて、聞いてしまった。あのアントニオがこんな、信じられなかった。
「期待した私が馬鹿だった。お前らは希望を瞳に宿していた。それが七つの鐘の救いか?」
「そうだ。ヘブンズ様は俺達をお救いになると仰ってくれた。この地獄から必ず解放すると約束してくれた。
そして俺達に役目を与えてくれた。ビカースの部下と赤い星の仲間を連れてこいと」
アントニオは一転人の良い笑みを浮かべる。
「二人は頭が良いからどうすれば良いか分かるよな?」
人質を取られてしまっている。離れた場所にいるリンダは動けない。ケンとヒュームには異変を伝える術が無い。
「スミレ」
「・・・従う。だから誰にも手を出すな」
「それで良い」
アントニオは二人の手に手錠を嵌める。




