凶刃 再び
もしこれが本当の遺跡ならば荘厳の見た目に心奪われていただろう。
現実は薄汚い人間が積み上げた欲の産物だ。どれだけ芸術的な意匠があったとしても気持ちは冷めるだけだ。
「すぐ傍で苦しんでいる人達がいるのに、よく贅沢が出来るわね」
怒りを通り越して呆れてしまう。
「そう言うてやるな」
「人は、間違った事する。けど、これは酷すぎる。それでも、パンハイム、味方する?」
「生まれついて歪んだ者などおらん」
そう言われれば、彼らも積み重なった歴史と教育の犠牲者と言えるのかもしれない。
それでも今現在酷い事をしていて全く心が痛まないのは事実だ。
どんなに鋭い視線を向けても彼らは気にする素振りすら見せない。
「それにしても、これは都合が良いな」
「なんでだよ?こんな場所居心地が悪いのに」
「絶対に会えない都市長に会えるんだ。色々、出来る事があるだろう?」
都市長は基本誰でも会える。向こうに事情が無ければ来客を拒まないのが都市の決まりだ。だがホドは違う。会えるのは上層の住人か金持ちの商人だけだろう。本来は自分達が頼んで会うなど出来ないのだ。
好機とはまさにこの事を指すのだろう。上手くいけばホドを変えられるかもしれない。
気合が入って力が籠るリンダの背をケンは軽く叩いた。
「気負い過ぎると失敗する。まずは流れに身を任すんだ」
「それは、初めはパンハイムさんの話しに合わせるの?」
「そんな感じだ」
都市長の邸宅はオアシスを塞いだガラスの上に建てられていた。
誰も自分に逆らない、自分が一番偉いのだと驕りと傲慢がありありと感じられて気分が悪かった。
「パンハイム様、お戻りで」
感情の無い使用人が六人を出迎えた。
「今日は連れと共に過ごす予定じゃ。フレイマも了承しておる」
「では、皆様のみでごゆっくりお過ごしください」
「何?お主達がおるだろう?」
「フレイマ様はあなた方だけと過ごしたいと申されまして、本日私達は別宅で過ごします」
それだけ言うと使用人はさっさと去っていった。
「なんだ?考えていたのと違うな」
「僕達に世話させようって言うんじゃないだろうな?」
「そんな訳なかろう」
パンハイムが扉に手を掛けようとすると中から開いた。
「来たか」
現れたのはヒュームほど身体の大きい太った男。ここまでは予想通りだが、その質素な服装は想像の真逆で五人は呆気に取られた。
派手なだけの悪趣味な服、見せびらかす為の指輪などの貴金属類や宝石類などは一切無く、何処にでもいるおじさんにしか見えない。
「随分とさっぱりしたな」
「軽くなった気がするな」
その笑みは何処か悪いものが抜けたようだった。
「お前達も入ってくれ」
言われるがままに邸宅に足を踏み入れるとその豪華振りが逆に気付けとなって気を元に戻してくれた。
「印象と違うから驚いたか?」
「見た目は、そうね。中は流石だけど」
フレイマは噴水の彫像に手を当てた。水面に映る顔は泣いているように見えた。
「狂っていた。何もかも・・・」
そのまま噴水の中に入ると彫像を抱き締めた。
「怖くて怖くて・・・自分の檻の中に閉じこもっていないと気が変になりそうだった」
そのまま膝から崩れて泣き笑う。
「左二つ目の扉が客間じゃ。すまんが、落ち着くまで少し待ってくれんか?」
「分かった」
とても問い詰められる雰囲気ではない。
演技ではないのは見れば分かる。
客間もまた豪勢だ。椅子から机までどうすればここまで高級に出来るのだろうか?
「何か、辛い事があったみたいですね」
「寂しそう、だった。きっと、大切な人、亡くしてる」
「狂うよな・・・」
深ければ深い関係である程、失った時の悲しみと傷もまた深くなる。絶望は人を狂わせ、簡単に人間を変えてしまう。
「その気持ちは痛い程理解できる。
けれど、それで犯した罪は消えないわ」
「誰だって不幸な目に遭っている。不幸の辛さを知っているのなら、不幸を振り撒いたらいけねえよな」
許すつもりはない。だが、同情してしまう。
ややあって二人が部屋に入ってきた。泣きはらしたのかフレイマの目は赤く腫れていた。
「みっともない所を見せたな。すまなかったな、お客人」
「いえ、お気になさらず」
労わるリンダに対し感謝と怯えが入り混じった表情を浮かべる。
「本当に、人と変わらないな」
「えっ?」
「あんた、リンダの事を知っているのか?」
「知っている。・・・教えてもらった」
パンハイムは無言で頷いた。
「ちょっとパンハイム」
「心配は無い。フレイマは信用できる」
「だったらまず俺達を信用させろよ」
如何に長年連れ添った友人であっても先の話しからフレイマに五人の評価は最低だ。如何にパンハイムが信用していても流石に納得できるものではない。
「最もだな」
フレイマは身体を重そうにして椅子に深く座り込んだ。
「ティファレトの都市長、ウェヌスが殺された。テンレイドに」
空気がざわりと震える。
「殺され方からそうじゃないかとは考えた。けど理由が無いし、あり得ないわ。どうして異獣が都市長だけを殺すの?」
「あれが、ただの異獣だと思うのか?」
「それはそうだけど」
「少し良いか?」
グレッグが話しに割って入った。
「異獣として異端な存在だって言うのなら行動には理由があるはずだ。
ヒメラトゥムの活動時期がずれたのも妙だ。これもテンレイドの仕業か?」
「間違いないだろうな」
「なら、そこまでしてティファレトの都市長を殺す理由はなんだ?」
「そうだよ。理由も繋がりも何も無いじゃないか」
フレイマは僅かに目を伏せる。何から話すべきが考えているようだ。
「世界が、大きく動こうとしている」
ややあって、絞り出すような苦し気な声で話し出した。
「理由は、ある。力を得る為だ。その為にヒメラトゥムを動かしてお前達の気を逸らした」
話しの繋がりが見えない。ウェヌスを殺して何故力を得るのだ?
「赤い星もテンレイドも・・・分身なんだ・・・」
「分身?」
フレイマはリンダを指さす。
「あの・・・あれの・・・あのぉぉぉぉ!」
フレイマは頭を抱えて悲鳴を上げ客間を飛び出した。
「フレイマ!」
パンハイムはその後を追う。五人は仰天して動けなかった。
「おそらく相当酷い目に遭ったんだろう。異獣に襲われて、心を壊す奴は多い。
おそらくリンダに関係した何かに襲われて、心に深い傷を負ったな」
ややあってグレッグは口を開いた。
「あたしに、関係あるもの・・・」
「それって、赤い星なのか?それともテンレイドなのか?」
「さてな。それは当人が話してくれないと分かりようもない。
ただ、トラウマを背負ってそれを教えようとしてくれたんだ。爺さんが先にどんな話しをしたのか知らないが、これならホドも良くなると思うぞ」
「うん。きっと、そうなる」
ヒュームは先の会話でフレイマの認識を改め信用できる人と判断した。
「そうね。時間は掛かるだろうけど、今の彼ならそれが出来る」
印象よりもまともな人だったら。錯乱してしまったが、必死に何かを伝えようとしていた。自分を苦しめて他人の為に何かが出来る人は信用できる。
「あの人は、あたしの事を知っている・・・」
怖い。何故あんなにも恐れるのか?それは、自分の正体がとてつもなく恐ろしいものだからではないのか?
「リンダが何であったとしても、僕達はずっと一緒だよ」
「ケン・・・」
全員笑顔で笑いかける。
どんなに不安でも、仲間がいるなら乗り越えられる。
パンハイムは困り顔で戻ってきた。
「すまん。少し話せる状態ではなくての」
「仕方ないですよ。辛い事を無理強いは出来ませんから」
「この屋敷の物は自由に使っても構わんそうだ。とりあえず、飯の支度でもするか」
「そうですね。気が休まるものを作らないと」
言いたい事は山とある。だが今は労わらないと駄目だろう。そしてその事に抵抗感はさして感じなかった。
許せないが、許される人へと変わる事は出来るのだ。
*
「あーあー。何で俺達が守衛なんてやらないといけないんだよ」
上層ハンター達は不満を露わに愚痴と文句を零し続けている。
「寒いし砂は鬱陶しいし、こんなの俺達の仕事じゃないよな」
既に日は暮れて夜となっている。今日は雲が掛かっていて星空が見えない事が一層彼らに不満を募らせていた。
「やっぱりよ。俺達には都市の守りの方が向いてるよな」
「・・・守りってさ、こうやって守衛をする事もそうなんじゃないか?」
その言葉に全員何かハッとした面持ちになる。
「俺達、上層の人達の為に商人の護衛や物資の運搬はするよな」
「だよな。なのに、どうして守衛をするのがこんなに嫌なんだ?」
疑問を抱けば次々と溢れてくる。
「別に、下層の奴らは悪い事をしてる訳じゃないよな」
「けど、砂漠じゃ自給自足が必要だからって」
「だったら皆でやれば良いんじゃないのか?」
「だよな。・・・俺達、何で脅してたんだ?」
昨日までの自分が自分でないように思える。罵り、脅し、どんなに疲弊しても無理矢理働かせる。
下種な所業に全員自分が許せない。罪悪感に潰される。
「俺達って、人を守る為に異獣ハンターになったんだよな。それが、人を苦しめて良いはずないよな」
「じゃあ、フレイマ都市長に直談判するか?」
全員顔を見合わせる。
何故だろうか?ついさっきまでも決して逆らってはいけない人だったはずなのに、今は全く敬う気になれない。恐ろしくも無く、はっきりと言い出せそうだ。
「言おう。守衛の仕事をやり終えて、はっきりと伝えようぜ」
「そしたら下の皆にも謝らないとな。謝っても許されないだろうけど」
「償うんだよ。今までの分も全て」
言葉だけでは償えない。本当の謝罪は行動で示すのだ。
全員やる気を見せて守衛の仕事に真面目に取り組もうと意識した。
「・・・あれ?向こうから誰か歩いてくるぞ」
砂漠の彼方から人影が近づいてくる。
「あんな離れた場所まで見回りに行った奴いたか?」
「いる訳ないだろ」
「旅人・・・な訳ないよな。砂漠は一人じゃ旅出来ない」
ハンター達は銃を構える。
それでも万が一があるので撃たずにはっきりと姿が見えるまで待った。
砂塵の向こうでは何かが動いている。人の背後で動くのは、無数の触手。
「なんだあれ?」
「人型に触手・・・・・・テンレイド!?」
その名前に全員青ざめた。ネツクを襲ったレアルトの異獣。あれは周って来た情報と一致する。
「ど、どうする!?」
「迎撃するしかないだろ!倒すんじゃない、足止めするんだ!何人かは中に戻ってテンレイドの事を知らせてくれ!」
「分かった!」
ハンター達は一斉に銃撃を開始する。テンレイドは避けもせず銃弾を浴びる。
だがその動きは止まらない。砂塵から姿を見せたテンレイドの身体が銃弾を弾いてしまっている。
「嘘だろ・・・」
テンレイドは歪な笑みを浮かべ両腕の凶刃を構え、凄まじい速度で突っ込んできた。
*
(まさか上層に入るなんてね。今頃都市長の邸宅で贅沢でもしているの)
冷たい眼差しで丸い籠を見上げる。
「あの、リンダの拿捕はどのように致しますか?」
「将軍にはもう伝えた。リンダの力は強大。私達だけでは手が足りない」
(そう。この人数では捕らえるのは無理がある。あの時は、リンダは弱かった。けれど今は違う。あの時でさえ私は捕えられて動けなかった)
ビカースの真意が測れない。
その時、スミレは城壁を振り返った。
壁の向こう。風の音にかき消されているがスミレの耳はその音を確かに聞いた。
「銃声?」
「異獣が現れたんでしょうか?」
スミレもそう思った。しかし血相を変えて駆けてくるハンターの姿を目の当たりにしてただならぬ事態であると瞬時に理解した。
「お前達は待機して状況を探れ。私は前線の様子を探りに行く。場合によっては参戦する。退避の準備を終わらせておけ」
「はっ!」
部下達は機敏に動き出す。
「テンレイドだ!テンレイドが現れた!レアルトの異獣だ!!」
ハンター達は大声で叫びながら事態を人々に伝えて周る。
(テンレイド!?海を越えて、ここまで来たと言うの!?)
橋の上の商人達は血相を変えて飛び出して来た。
「上層に逃げるんだ!今門を開かせる!」
(あの上層ハンター、何を言ってるの?開く訳ないのに。・・・上層ハンターがあんな事を言う?)
その疑念は、開かれていく門を目の当たりにして現実となった。
「嘘だ!まさか、こんな事」
開くはずが無い。そもそもホドの作りは万が一異獣に侵入されても下層で足止めして倒す為だ。上層の奴らは下層の人間がどれだけ死のうが意に返さないし気にもしない。
そのはずなのに、門が開いた。冗談にもならない妄想が現実となった。
(何かが、変わり始めているの?)
この一ヶ月間も、そして今日も何も変わらなかった。それなのにほんの僅かな時の間に歯車の動きが変わった。
はげしい物音と共に正面入り口の門が崩れていく。砂埃の中にテンレイドが立ち、その向こうには惨殺されたハンター達の亡骸が散らばっていた。
「助ける義理も理由もないけれど」
『スミレ。我々は力無き人々を守る剣であり盾なのだ』
「何かが変わるのなら、もう少しだけ期待する」
スミレは灰色の特殊な衣服を身に付けた。頭まですっぽりと覆い、顔にはガラスで出来た仮面を装着した。
猛然と駆け出すテンレイド。逃げ惑う人達に振るわれる刃をスミレの鉤爪が受け止めた。
「またこうして戦うとは思わなかった。何の目的があるのか知らないけれど、時間は稼がせてもらう」
テンレイドは忌々し気に歯軋りをして触手で激しく橋を打った。
襲い掛かる触手をバク転で回避して脚をバネにして一気に飛び掛かる。
「!?」
鉤爪がテンレイドの身体に刺さらない。感触が違う。かつてはナイフで容易く貫けた身体が、まるで巨大な異石のようだ。
動きが止まった隙をつかれ触手で身体を掴み上げられる。
(しまった!)
残った触手が集まると一つに融合して巨大な槍へと変貌する。そんなものを受けたら身体がバラバラになってしまう。
「中佐!」
部下の一人が電流弾を撃ってテンレイドを感電させた。僅かに触手の力が弱まりスミレは逃れる事が出来た。
「中佐!自分が援護します!存分に!」
「助かる。テンレイドは以前よりも強くなっている。お前は絶対に近づくな」
「はっ!」
部下は遠くに離れる。スミレがこちらを気にせず戦えるように。
「勝ち目は無いようだけど」
スミレは上層の建物に意識を向ける。
「希望はある」
*
流石は金持ちと言うべきか、砂漠の都市とは思えない程に多様な食材が食料貯蔵庫に仕舞われていた。
「随分と大きな冷蔵庫ね。維持の為に異石をどれだけ使っているのかしら」
「肉に魚も山とあるな。凍結玉でも使って運んできたのか?」
下層の皆を思うと豪勢な食事にするのは気が引けた。だからハンターが野営する時に食べる質素な食事を作った。
野菜のスープに肉を焼いただけのもの。味付けは塩だけだ。
「ベンと外で野営した時を思い出すな」
「空腹を、覚える為に、何も食べない、事もあった」
「食べられる木の実やキノコの事も教えてもらったし、そこら辺の葉っぱも食べたよな」
「お前ら、随分とサバイバルな事を教わってるんだな」
「二人は違うのか?」
「私達が教えてもらったのは食料を忘れないようにする徹底管理よ。
それって、美味しいの?」
「意外と、美味しい」
ヒュームは味を思い出してにやけた。
「そうなんだ。今度食べてみたい」
「良いな。全部終わったら食べさせてやるよ」
「約束」
微笑ましい三人を眺めて二人はほんわかした。
(なんか・・・良いわね。自分の人生に後悔は無いけど、少し羨ましい)
(殺伐とした生き方だからな。あんな風に仲の良い仲間がいるのは幸せだ)
それは勿論二人も含まれている。
食事の支度が終わってリンダはフレイマが眠っている部屋の扉をノックした。
あれから取り乱したフレイマは心身共に疲れ果て眠ってしまったのだ。
「パンハイムさん。ご飯の準備が出来ました」
「そうか」
パンハイムは何処か穏やかだ。
「フレイマさんは」
「まだ眠っておる」
「その・・・嬉しそうですね」
「そうだの。間違いも罪も犯した。じゃが、フレイマは殻を破った。閉じこもっているばかりでは自分を苦しめるだけ、それでは何も変わらん」
心に傷を負った時、人は殻に閉じこもってしまう。それは決して悪い事ではない。立ち直る為には、傷を癒す為には身の内に籠るのも大切だ。
しかし、傷を負った記憶がトラウマとなり殻から出るのを極端に恐れるようになる人もいる。そうなっては立ち直るどころか現状を悪化させてしまうだけだ。
殻の中で身を休め、そして外に身を触れる。そうする事で本当の意味で立ち直れるのだ。
「・・・あたしの事を、知っているんですか?」
「わしは知らん」
嘘か本当か、リンダには見抜けなかった。
「焦る気持ちは分かる。じゃが、今は待つのだ。フレイマが目を覚ましてからの」
「・・・はい」
「では夕食を食べに行こうかの」
今すぐ聞きたい。だが、もし真実の内容が重すぎたら一人で受け止められる気がしない。それに、苦しんでいる相手に無理強いはしたくない。
今は堪えよう。
そうしてパンハイムの後に続こうとした瞬間、頭に声が響いた。
『クラッタナ・・・ニクヲ・・・』
悦びの笑い声が頭にがんがんと響く。リンダは声を上げてその場に崩れ落ちた。
「なんだ!どうした!?」
パンハイムの声が聴こえない。身体を揺すられても感覚が鈍化して反応出来ない。
『オボレロ・・・ヨクニ・・・。ヨクニアラウガウナ・・・』
まるで蛇のように言葉が心の中に滑り込んでくる。苦しいはずなのに、こんなにも恐ろしく不快感を抱いているのに、心地良さを抱いている自分がいる。少しでも気を緩めると何もかもが蕩けてしまう快感が襲ってくる。
どろどろに粘ついた闇が自分を包んでいく。身体の内側で何かが蠢いている。それが自分を少しずつ浸食するのが果てしなく気持ちが良い。
自分自身が食われていく。抗おうとして溶ける意識は元に戻らず、次第に抵抗する意思も薄れていく。
「リンダ!どうしたんだおい!?」
ケンの声が消えかけていた自分を呼び戻してくれた。
快感の誘惑を振り払い自分を取り戻してくれた。
「はっ!はあ・・・はあ・・・」
息が止まっていた。荒く呼吸をするも全身を襲う強烈な不快感と悪感情はそのままだ。
「一体どうしたんだ?」
「ケン・・・テンレイドが来る!もう来ているかもしれない!」
「なんだって!?」
「どうやらそうみたいだな」
グレッグは窓の外を指さした。
上層の門が開いて商人達が逃げ込んでくる。
「そんな。こんなに近くまで来ていて、全く気付かなかったなんて・・・」
「奴は普通の異獣じゃないわ。
すぐに準備して迎撃するわよ!」
リンダも一緒に準備をし始める。
「リンダ。無理はするなよ」
まだ足元がふらついている。
「テンレイドが相手なら、あたしがいないといけないでしょう」
自分はあの時よりもずっと強くなった。本心を言えば休ませてあげたい。しかし相手は底知れぬ恐ろしさ、力を有するテンレイドだ。リンダの力は絶対に必要だ。
「戦う。それが異獣ハンターだから」
「仲間も頼る。それが一流だぞ」
「分かってる」
「俺も、頼って良いから」
仲間がいる。それが大きな力となり支えている。
「テンレイドか。話しには聞いていたが、どれ程のもんかな」
どの戦いにおいても生きる覚悟で臨んで挑んだ。けれど今は勝てる気持ちが僅かにでも湧いてこない。
(逃げる群衆で橋は溢れる。頼る訳にはいかねえよな)
戦いに挑む前からこれ程の絶望感に包まれたのは生まれて初めてだ。
レアルトの知識が必要以上の恐怖を生んでしまっている。
「しっかりしなさい。怖がってる暇も隙も無いわよ」
「勘弁してくれよ。かっこ悪いだろ」
「だったら」
ルージュは背中を思いっきり叩いた。
「行動で証明してみせなさい」
怖がっていたのが馬鹿らしくなってくる。根拠も無いのにどうにかなるかもと思ってしまえる。
(よくよく見れば、若手がちっとも怖がってねえ。先輩がこんなんじゃいけないな)
彼らはまだ若い。失敗もするし、判断が上手く出来ない時もある。
そんな時年長者の自分がフォロー出来なくてどうするのだ。
「頼んだぞ。わしはフレイマの傍におる」
五人は完全武装をして外に飛び出した。
上層はパニック状態だ。逃げ込んできた商人と下層の人達がごった返し叫び声と悲鳴がそこら中から響いている。
「何が起きたんだ!?」
「ちょっと!何でこいつらがここにいるのよ!?誰が門を開けたのよ!?」
「テンレイドだ!レアルトの異獣が襲ってきた!」
「くそっ!下層の奴らを追い出せ!」
「門を閉めるんだ!」
「死にたくない!」
誰かれ構わず言葉が飛び交いまともに動いている人は誰もいない。
道は人で溢れ前に中々進めない。それどころか「守ってくれ!」や「まだ死にたくない!私達を守るのが異獣ハンターの役目だろう!?」と縋りついてくるものだから尚更前に進めない。
「どいてくれ!守る為に戦いに行くんだ!」
最早声など届かない。恐慌状態に陥った人達には冷静な判断が出来ない。
その時銃声が響いた。市民達は身をすぼめて静かになる。見ると上層ハンターが台の上に乗って銃を上に向けていた。
「冷静になれ!奥に避難するんだ!テンレイドは俺達が何とかする!邪魔をするな!」
市民達は数舜戸惑うも、やがて我先にと奥へと駆けていった。
「あんた達!パンハイムさんが連れてきたハンターだよな!?」
「そうよ!」
「上層の地形は俺達が把握している!ここ任せて、橋の上を頼む!」
「分かった!」
門が開いた事と言い、何かが変わっている。
「この変化。ティファレトに似ているわね」
「僕も分かる。ホドは良くなろうとしているんだ。ここで壊されたら駄目だ!」
歪んだ歴史が今良くなろうとしている。ここで邪悪なるものに破壊されてはならない。
橋に飛び出すと誰かがテンレイド戦っていた。
意外な事に人は全くいなかった。橋の下に気配があるので戦闘音に怯え上がってこられないのだろう。上層に避難できたのは僅かな人数だけだ。
茶色い衣服に身を包んだ一人が銃を撃ち、灰色のぴっちりした衣服を着こんだ誰かがテンレイドと近接戦を行っている。
ヒット&アウェイで戦っているが攻め手に欠けるようでじりじりと追い詰められている。
「なんだあの変な格好した奴?」
「怪しいけど・・・良い人だよね?」
「俺も色んな奴を見てきたが、あんなみょうちきりんでダサい服着た奴は初めて見たな」
言葉にしないがヒュームも引いていた。
「格好はともかく、援護するわよ!」
今はそんな突っ込みをしている場合ではない。機関銃の一撃がテンレイドに命中するも寸前で刃に防がれた。
「来たか。お前は退避しろ!」
「はい!」
五人と入れ替わるように部下が引き下がった。
「その鉤爪、お前スミレか!?」
ヒュームと共に最前線まで上がったケンは装備品を目にして変な格好をしているのが誰か察した。
「下層で私の事を聞いたな」
「後で色んな事訊くからな!」
(見つからないように将軍から厳命を受けていたが、これでは致し方ない。コウ様、申し訳ありません)
テンレイドは金属を引っ掻くような耳障りな金切り声を上げた。
そして動きを止め、リンダへと意識を向ける。
『アラガウナ・・・オマエモヨクヲカンジルダロウ・・・。
ナゼテイコウヲスル・・・?ナゼコバム・・・?ヨクハスベテヲミタシテクレル・・・バンブツスベテヨクノママニイキテイル・・・。
カンガエルナ・・・ギモンヲイダクナ・・・。オマエハタダ・・・ヨクニミヲユダネレバイイ・・・』
蠱惑的な蛇の囁きが心の隙間に入り込む。身体の中でテンレイドの言葉に反応して肉の花が蠢きだす。
「人が生きるには欲が必要」
テンレイドは勝ち誇るようにより醜悪な笑みを浮かべる。
「けど、欲だけを求めた結果がこの都市!」
リンダは腕を大きく広げ強い意志を持って叫ぶ。
「欲望のままに、自分達が得をする為だけに生きて多くの人を不幸にした!こんなのは間違っているわ!」
テンレイドは信じられないと様子でたじろぐと音が鳴る程歯を噛み合わせる。
『ダマレ・・・!オマエハヨクダ・・・!ニンゲンノヨクトトモニ・・・ヨクノママニソンザイシロ・・・!ホカノモノナドフヨウダ・・・!』
強烈な念が襲い掛かる。自分の意思が、心が覆い尽くされる程の粘ついた闇が津波となって迫ってくる。
しかしリンダは笑みを浮かべた。
「負けないわ。一人じゃないもの」
銃を一発撃ち込んだ。それが決定的な返答だ。
『ソウカ・・・。ナラバワシガコロス・・・。スベテヲコロシテ・・・オマエヲゼロニスル・・・!』
テンレイドは再び吠えた。腹の底から響く怒号は地下から響いてくるように重く低い。
「気を付けろ。奴は以前よりも力を増している。鉤爪が通らない」
「なんだって!?」
グレッグが単発銃を撃ち込むも触手に軽く弾かれてしまう。
「こいつは半端じゃないな」
「ヒューム!下がって!他の皆で少しだけ足止めして!」
ヒュームは即座のリンダの傍まで下がる。
「リンダ、どうしたの?」
「ヒューム。前にあたしが身体を治した時、身体にあたしの肉が入ったの。もしかしたらヒュームもケンと同じように出来るかもしれない」
「俺が、あれを、出来る?」
「やってみて!テンレイドが強くなっているのなら、強くならないと駄目だから」
選択の余地は無い。ヒュームは分かっていた。
自分は重圧な鎧を身に纏い前に立ち異獣の攻撃から仲間を守り、そして長大な武器を振るって牽制し距離を取るのが役割だ。
しかしテンレイドの前では自分など壁にもならない。紙一枚でどうやって剣を防げと言うのだ。仲間達の邪魔にしかならない。
(守りたい。力になりたい!)
親友の為に、仲間達の為に力を望む。
身体の内側で何かが蠢いた。ハルバードを握る両腕から肉が伸びる。脈動する槍斧は禍々しくも途轍もない力を感じた。そして自分自身にも。
「すごい・・・」
「ゴーツ・ハルバートってところだね」
「今ならやれる!」
ヒュームは雄叫びを上げて突進する。
「何!?」
「ヒューム!?」
触手が降り注ぎヒュームの身体に突き刺さる。しかし筋肉の壁に阻まれて触手は途中で止まった。
「うおおぉ!」
渾身の力でゴーツ・ハルバードを振るう。触手を切断こそ出来なかったが勢いそのままに触手を引き抜きテンレイドを吹っ飛ばした。
「ヒューム。お前、そのハルバード」
「リンダに、教えてもらった。俺、これが出来る」
身体に穴が空いているがどれも致命傷ではない。リンダが駆け寄り傷を塞いだ。
「お前もやれ。巨大異獣の報告は受けている。お前が倒したんだろう?」
「どうしてそう思うんだよ?」
「今リンダが言っていた」
スミレは衣服を脱ぎ捨てて薄い下着姿になる。意識を込めると両腕から肉が伸び鉤爪を凶悪で恐ろしい凶爪へと変貌させる。
「成程。お前らに言わせればゴーツ・クロウと言ったところか」
ケンもまた鎧を脱ぎ捨ててゴーツ・ジャマダハルを生み出す。
「躊躇いがあるな。正体がバレるのを恐れているのか?」
「全部の人が優しいとは限らないだろ。それに、異獣を連想させる。
僕達は構わない。けど、リンダが迫害されたり差別されたりするのは嫌なんだ」
「そうか」
スミレは僅かに優し気な笑みを浮かべた。
「私はリンダの正体を知っている。お前達の力については将軍には黙っておく」
「なんでだよ?」
「大佐ならば、そう言われる」
テンレイドは起き上がると両腕を大きく振るった。腕の刃が取れ凄まじい勢いで回転しながら迫ってくる。
一本はケンの突きで撃ち落し、もう一本はヒュームのゴーツ・クレイモアで弾き飛ばした。
「気を付けて!強靭になっても不死身じゃないから!」
「俺に、任せろ!」
その脇から銃弾が撃ち込まれテンレイドは体勢を崩した。
「私達を忘れないでくれる?」
「後方の援護は俺達に任せな」
単発銃から銃弾が発射される。腕から生えてきた刃で銃弾を撃ち落そうとした瞬間、銃弾が大きく弾け破片の嵐がテンレイドの身体に襲い掛かる。
「破片弾か。良い物を使っているな」
「そいつはどうも」
並みの異獣ならば破片の嵐で身体を削り取られ死ぬだろう。だがテンレイドにはまるで通じていない。一瞬だけ隙を生み出しただけだ。
ヒュームがゴーツ・ウォーハンマーを振り下ろす。強烈な一撃は片腕で受け止められるもテンレイドは僅かに体勢を崩した。無数の触手が身体に突き刺さるもヒュームは力を緩めない。頭を貫こうとする触手はリンダの肉壁に阻まれた。
襲い来る触手の雨をスミレは縫うように駆ける。振り下ろされる刃をルージュの機関銃から放たれた弾丸が押し止めた。
両爪を振るい胴体を大きく引き裂いた。
「引け!」
二人が飛びずさるとケンは突きを放った。肉の花に放ったのと同じ突き。その衝撃で空気はたわみ音が消える。
ヒュームは衝撃を堪え、スミレは姿勢を低くして衝撃から身をかわした。
「・・・なんだ!?」
テンレイドの前に巨大な肉塊が出現した。ゴーツ・ジャマダハルの突きを受けて穴は開いているが、余りにも小さい。それに穴が空く程度で済んでしまっている。あの衝撃、粉々に粉砕されないなどあり得ない。
肉塊が収縮していく。その姿は細身の人の姿へとなっていく。




