腐った果実
ホドに近づくと目視出来る程大きな円形状の建物が目に入った。白く滑らかな石材で作られているのが遠方からでも見て分かる。
「なんだあれ?」
「行けば分かる」
守衛のハンター達はパンハイムの姿を確認して慌てて走って来た。
「パンハイムさん!良かった、急いで都市長に会ってきてください!」
「もしや、ウェヌスの件か?」
「ティファレトの都市長が殺されて、フレイマ都市長が物凄く荒れているんです!」
「分かった、すぐに行こう。ならすまんが彼らの世話を頼めるか?」
「任せてください!」
「すまんがわしは行く。後で地下ハンター協会にて落ち合おう」
(地下?)
パンハイムは通りを駆けていった。老人とは思えない程の健脚ぶりだ。
「これでどうにかなれば良いけど・・・」
守衛ハンターは疲れた様子でその場にへたり込んだ。
「大丈夫ですか?大分疲れているみたいですけど」
「はは・・・この程度、ハンターなら平気さ」
疲れ切った笑みにはなんの説得力も無い。
「お前、それ三徹だな」
「・・・案内するから、付いてきてくれ」
今にも倒れそうなぐらいふらつく足取り、見ていられなくてケンは肩を貸した。
「同じハンターなんだから頼ってくれよ。三徹なんてきついに決まってる」
「悪いな。ああ、俺はアントニオ。地下異獣ハンター協会に所属してる」
五人も簡単に自己紹介した。
「その地下って、どう言う意味?」
「案内しながら説明するよ」
フェルーガの世話を他の守衛に任せて一行はホドへと足を踏み入れた。
ホドの通りは巨大な橋だ。中央の建物へと続く橋の上には雑多な露店に雑貨屋、宿屋が並んでいた。
そこで買い物をしている人達は一様に汚く、汚れた衣服を身に纏っている。ぼさぼさの髪に垢に塗れた身体、汗臭く酸っぱい臭いが充満していてグレッグとアントニオ以外顔をしかめた。
「ここは相変わらず変わらねえな」
「あなた、来た事があったの?」
「一度だけな。その時は入り口の傍にしか入らなかった」
「この通りは、俺達みたいな下層民が利用するんだ。商人も基本はここに寝泊まりするんだ。上層民は籠の中だよ」
「もしかして、それが階級制度なのか?」
「あんたら全員ハンターなんだよな。橋の右手から地下に降りるぞ」
下へと降りる階段は地の底まで続いていると錯覚しそうな程に長く深く続いている。地下は城壁よりも深く掘られてある。
ぼろぼろの簡素な家が立ち並んでいる。けれど奥の人達は路上に屯している。地面の上に布を敷いて寝ている人もいる。
「どうして、外で寝てるの?」
ヒュームは不思議そうに尋ねた。
「砂漠は過酷な環境だろう?」
「うん」
「大昔、大異変でここが砂漠になった時暮らしていた人達は窮地に立たされた。砂だらけの灼熱地獄、つい少し前までは自然の中で暮らしていたのなら耐えられない。
ホドの前身だった国に避難するのは当然だ。けど、いくら国でも避難民全てを受け入れられないし当然暴行や盗みとか問題も起きる。
それを解決する為に避難民の暮らす場所として地面を掘って住処を作った。それがあれだよ。俺達は避難民の子孫なんだ」
「それは、分かった。・・・もしかして、それで差別されてる?」
「確かに、元から国で暮らしていた人達からすれば避難民なんて厄介の種でしかないさ。嫌な目で見るのは仕方ない。それでも初めの頃は関係は良かったそうだ。
けど何時の間にか俺達は完全に下として扱われるようになった。見てみろあれを」
遠方にはうず高く積まれた山がある。すると中央の建物から大量のゴミが流れ出し山に積もり重なる。
「俺達はゴミと同列に扱われてる。奴ら物資もろくに寄こさないからゴミで俺達は生きていかないといけないんだ」
「酷い・・・」
それが同じ人間行う仕打ちだと言うのか?何をどう歪めばこんな事が出来ると言うのだ?
「パンハイムさんを初め、心の広い商人が再生物資としてごみを買ってくれるから俺達はどうにか生活が出来ている。橋の上に建っている店は俺達の為に残ってくれた商人達だよ」
人非人もいれば徳のある素晴らしい人もいる。助けてくれる人がいるから人は生きられるのだ。
「ここから出たりはしないのか?」
「ここは砂漠に囲まれているだろ。砂漠を抜けるには水も食料も足りないんだ。商人について出ていく奴もいるけど、商人だって自分達の仕事があるし物資にも限りはある。こっちが充分な準備をしないと同行は無理だな」
気に掛けてはくれる。色々と助けてはくれるが流石にそこまでの面倒は見られない。
「ほら、あの穴を見ろよ」
中央の建物に連なる崖には等間隔にパイプが通っている。
「ここは元々オアシスに作られた国でな。奴らはオアシスを独占して俺達から水を奪った。機嫌を損ねたら一ヶ月水が排出されない時もあったからな」
「そんなの、殺すようなものじゃない」
「虫が死んでもお上の奴らは気にも留めないんだろ」
地下へと降りると意外にも活気はあった。辛い境遇に立たされつつも笑い合っている。
「皆さん、元気そうですね」
「そう見えるか?」
アントニオはせせら笑った。
「笑ってなきゃやってられないんだよ」
「それは・・・」
ある程度回復したアントニオはケンの肩からどいて自らの脚で歩き出した。
「ついて来いよ」
冷めた言葉がリンダの胸に刺さった。
「リンダは間違ってない」
「けど」
「本当のどん底は笑う事すら出来ない」
底の底まで落ちた精神はあらゆる感情を奪い去る。
「行こうぜ。自給自足の国の真実を目にしようか」
砂漠は不毛の大地だ。そして過酷な世界だ。輸送車が使えず、移動は歩きかフェルーガのみ。ネツクなどとは比べ物にならない程物資の行き来が困難だ。更に言えば魚や肉などの生物は腐るから運搬不可能だ。
商人達に頼っていては飢えるのは確実。足りない分は自分達で賄うしかない。
その自分達とは、逆らわず逆らえない者達だ。
下層の半分を占める巨大な農場では沢山の人達が働かされていた。全員汗だくで
今にも倒れそうな程ふらついている。実際限界なのか動くは重く遅い。
「さっさと動け!」
銃声が響き顔色を変えて限界の身体に鞭打って手早く動く。
見張り役は、鎧に身を包んだ異獣ハンターだった。
「あいつら、何をしてるんだ?」
人を守る異獣ハンターが、人を苦しめている。
現実を受け入れられず視界が遠くなる。
「あいつらは正規の異獣ハンターだよ。上の奴らのお守りで、ああやって農場と牧場の見張りをしているんだ」
「正規だって?」
「上層民ハンターとも呼んでいるな。俺達とは違って正規の武装もある。それに実力もある。どうやっても敵わないな。
俺達は上層の奴らの奴隷みたいなもんなんだよ」
同じ異獣ハンターとして許せない。こんなのは見過ごせない。
だが、ここで騒ぎを起こしては無用な犠牲者が出てしまう。何よりパンハイムに迷惑も掛かってしまう。
(感情を抑えるって言うのは・・・きついんだよな)
爆発しそうな火山に無理矢理蓋をするようなものだ。感情が力となって何かしていないと落ち着かなくなる。
「ん?」
一人のハンターがこちらに気づいて近づいてきた。
「お前、見張りはどうした?それにこいつらは何だ?」
「ハンターのお客さんだよ」
怒りと呆れの眼差し向けられても上層ハンターは意に返していない。
「ここにはここのやり方がある。口出しはしないでもらおうか」
「生きる為か?」
「全てはフレイマ様のお心のままだ」
上層ハンターは仕事に戻っていった。
「これがホドだ。笑わなきゃやっていられないんだよ。
現実から目を背けないと、やっていられないんだよ」
「僕にはそう見えないけどな。
誰も諦めているようには見えなかった。そんな事を言い訳にしていたら出来る事が何も出来なくなる」
希望を持つとは想像を遥かに超えて重荷となり苦痛となる。希望は力となり脚を立たせる光となるが、希望の燃料で動く身体と心には相当な負荷が掛かる。
それでも希望を掴めれば幸福を得られる。だから人は希望を求める。
希望が無ければ人は心身共に死んで何もかもが投げやりになってしまう。それは楽だが光も無い。
「ここの人達は目が死んでいない。そんな風に投げやりになるなよ」
来たばかりの余所者の自分が言えた義理ではない。それでも言わずにはいられなかった。
アントニオは可笑しそうに笑う。
「まるでベンさんみたいな事を言うんだな」
「ベンを知っているのか?」
「よく知っているよ。俺達みたいな非正規ハンターに戦い方と技術を教えてくれたんだ。それに大勢の商人の護衛までして俺達の為に色んな物を配ってくれたんだ。
大恩人だよ。俺も含めてベンさんのお陰で生きられた奴も多いんだ」
「そうだったのか・・・」
偉大な師の功績に敬慕する。大きく、そして越えられない背中が目の前にある。
「どうして勝手にハンターになろうとしたんですか?」
「生きる為だよ。異石は高値で売れるからな。上層民に金を渡せばある程度は楽を許してくれるし、水だってより多く流してくれる」
「これで、楽?」
「暴力が振るわれていないだろ?」
たったそれだけ。それだけでも大きい。暴行は身も心も壊してしまう。
「さてと、そろそろ俺達の集まり場に行くか。パンハイムさんとの待ち合わせ場所だしな。見目は悪いけど、まだ暮らせる場所だから一応は安心してくれ」
ぼろぼろの板を打ち付けた小屋は隙間風が通り昼間は暑く夜は寒いと身体に悪すぎる作りだ。精々日差ししか防げない。それでも家で暮らしている人達は恵まれているだろう。路上で生活している人は熱波と寒風をその身に受け続けなければならないのだから。
下層ハンター達は大きなロッジ風の家で過ごしている。拙い作りだが隙間は少なく寒暖差や風から身を守る事が出来る。
「これでも下層じゃ一番立派な建物だ。我慢してくれよ」
「文句なんて、言う訳ないでしょ」
何の権利があって他人の生活環境に文句を付けられるだろうか。恵まれた目線からの指摘など何も出来ないのならただの我儘でしかない。
扉を開けて中に入ると疲れた顔をした人達が壁に背を預けて、床の上に寝転んで眠っていた。
「ああ・・・悪いな。皆疲れてるんだ」
「さっきもそうだったが、どうしてこんなに働かされているんだ?」
アントニオは唯一空いていた椅子に座ると深くもたれ掛かった。
「ティファレトの都市長が殺されただろ?その話しを聞いたフレイマ都市長は大層怯えてな。「異獣を近づけるな!」って俺達に昼夜問わずホドの防衛をさせているんだ。
外じゃ休む間なんてないし、全員でホドの周囲を見張るから交代も出来ない。この一か月間近く本当に地獄だったよ。
まあ限界がきてこうやってぶっ倒れてるんだけどな。はっきり言って戦う力を削いでるだけだよな」
「防衛って、弓矢でなんて無茶よ。異獣は銃でも一撃じゃ倒せないのよ」
アントニオを含め下層のハンター達の装備は弓だ。それしかない。
「一応これは異獣にも通用する矢なんだけどな。パンハイムさんが大量に用意してくれたんだ。・・・皆で寄ってたかって攻撃すれば、パキィメキぐらいなら倒せるよ」
「上層のハンターは戦わないのか?」
「奴らの役目は上層民とフレイマ都市長を守る事だよ。守るのは農場と牧場だな」
下層の人達を如何にぞんざいに扱っているのかが透けて見える。例え誰が死んでも意に返さない。異獣が侵入しても自分達が無事ならばそれで良いのだ。
「パンハイムさんはどうして銃や鎧を持ってこないんだ?」
「良いんだよ、これで」
アントニオの瞳に黒い炎が宿る。
「確かに命の危険はある。けど、もし俺達が銃や鎧を手にしたら、きっと自分達を抑えきれない」
怒りも鬱憤も積もりに積もっている。力を得れば容易に抑えている堰は崩壊してしまう。
「上層の奴らはクソッたれだ。けど・・・何も知らない子供もいる。それに、そんな手段に出たら最悪ホドが崩壊しかねない。
俺達が生きて行くにはホドが無いと駄目なんだ。だから、これで良いんだ」
力は行使すれば他人を征服して支配できる。力を振るえばどんな悪事でも出来るし、例え自分を裁こうとしても抵抗できるし容易く逃れる事も出来てしまう。
力には責任が伴う。力は自分を救い、周囲に有益をもたらすが、逆もまた然りなのだ。
「けど、それじゃあどうするんですか?このままじゃ何も変わりませんよ」
「どうにかしたい。どうにかしたいさ」
(ベンやパンハイムもきっと色々と手を尽くしてくれているんだ。けど、都市を変えるなんて簡単に出来る事じゃない。
何とかしたいけど、何とも出来ないよな)
やるせない。異獣が原因ならば倒せば済む。しかし人間が原因となると自分達は余りにも無力だ。
「とにかく、今はパンハイムが帰ってくるのを待つしかない。静かに過ごして待とうぜ」
自分達に出来る事は今は何も無い。ここでいくら言葉を交わしても実りなどは無い。言葉が躍るだけで何も進まない。
何をするでもなくただ待った。砂漠の旅疲れもあって何だか眠くなってくる。
「力が無いのに、何とかしたいって思うのは傲慢なのかな?」
ふと、リンダが疑問を口にした。
「誰だってそう思ってる。僕もヒュームも、皆もそうだ」
「傲慢、違う。皆出来ないから、言わない。言葉にするの、大事だよ」
「・・・そうだよね」
言いづらい事と言うのは言葉にならない。しかし言葉にしないと強く意識できない。それが正しい事ならば、躊躇う事無く言葉にするべきだ。
「そうやって言葉にすれば、していけば、何かが変わるかもしれないからな」
一滴の水滴でも滴り続ければ染み渡る。
特にする事が無いルージュは暇潰しがてら部屋の中を見て周っていた。
壁には下層ハンター達の集合絵が掛けられている。やはりと言うべきか入れ替わりが激しいのか絵ごとにメンバーの半数以上が変わっている。
(成人前の子供が多い。一体、何人の人が死んでいるの)
鎧も無い。武器も貧弱。ベンからノウハウを教わったとしてもこれでは異獣を相手に死にに行くようなものだ。
「ベンさん。本当は正規のハンターを俺達の為に連れてきた事があるんだ。けど、そんなの上層の連中からしたら望ましくない。教えるならまだしも、抵抗出来る戦力が僅かでも存在する事になるんだからな。
来て数日、油断したところをリンチに遭ってガンコウに送り返されたんだ」
ルージュの心中の察したのかアントニオは疲れた声で説明した。
「俺の知り合いもその内の一人だな。助けてやりたいが、もうごめんだって言ってたよ。歯が半分以上無くなって、無残な顔になってたな」
「本当に最低ね、上の連中は」
自分達の優位性、そして安寧な生活を保つ為なら何でもやる。その為なら信じられないぐらい難しい事もやり遂げてしまう。守る為に発揮する力とは往々にして凄まじいものだ。
対面した時、手が出ないように自分を抑えるのに苦慮しそうだ。
そうして絵を見て周ると、一人の人物が目に入った。
成人前、おそらく十二歳か十三歳程の少女だ。黒髪を短く切り揃えている。異獣との戦いによるものか左目が潰れている。
「これ・・・もしかしてあの軍人?アントニオ。ちょっといい?」
半ば眠りかけていたアントニオは迷惑そうな顔をしつつ起き上がった。
「この女の子、エターナ軍の軍人じゃない?」
「スミレの事か?ルージュ、スミレを知ってるのか?」
「一度会った事があるのよ。皆も見て」
全員絵の前に集まった。
「間違いない。あの時の軍人だ」
「うん」
「ホドの出身だったんだ」
「ああ。スミレは一言で言うと天才でな。とにかく身体能力が異常に高かったんだ。俺達は弓で戦わないといけないんだが、スミレだけは近接で戦えた。
ほら、この鉤爪。パンハイムさんがスミレの為に作らせた物なんだ」
自身のトレードマークのように鉤爪を装備している。絵からも気に入っているのが伝わってくる。
「凄い奴だよ。上層のハンターといざこざになっても、スミレがいればあいつらは引き下がるんだ。スミレの鉤爪、ハンターの鎧も切り裂けるからな」
「そいつは凄いな」
ハンターの鎧は即ち命綱。ルージュの機関銃やグレッグの単発銃のような特別破壊力と攻撃力を秘めた武器でなければ破壊不可能だ。一般の銃では傷を付ける事すら出来ない。
「スミレは俺達の為に色々と助けてくれたんだ。上層ハンターもそうだし、実力で稼いだ異石で水や食料の融通を図ってくれたり、奴らの無理難題を抑えつけたり。
ベンさんやパンハイムさんも何時もいる訳じゃない。スミレがいてくれた時は本当に良かったよ」
「それが何でエターナ軍に入ったんだ?」
「七年前、エターナ軍がホドに異獣の調査でホドにやって来たんだ。その時にスミレは軍人に声を掛けられて、そのまま出ていった。
俺達は残っていてほしかったけど、スミレの意思は変わらなかったよ」
「なんで、出ていったんだろう」
思いがけず知り得た敵の過去。彼女は一体ここで何を思い、どのような心境で出ていったのだろうか。
*
「中佐。本日の見回りは完了しました」
「ご苦労」
スミレと三人の部下は商人に扮してホドに潜伏していた。
ホドに入り込んで一ヶ月以上。何も起きないが「決して正体を知られてはならない」とビカースから厳命されている為想像よりも神経をすり減らす。
最も軍人がこんな事で泣き言を言っていたら務まらないのだが。
「しかし、我々は何の為にホドに潜伏しているのでしょうか?調査と言う名目ですが、これでは何もしていないのと変わりません」
「私達は軍人として任務を忠実にこなす。それだけだ」
「・・・了解しました」
スミレも部下と同じ疑問は抱いていた。しかしそんなものは決して表に出したりはしない。上官として部下に軍のトップに不信感を抱かせてはならないからだ。
「しかし、ここは何も変わらない」
スミレは橋の上から氷のように冷めた眼差しを向けた。
(苦しい状況なのに、自分達からどうにかしようと行動を起こさない。優れた人がいれば集まって足を引っ張って頼るだけ。砂漠が過酷だから?城壁が壊れたらいけないから?人を殺したくない?そんなのを言い訳に現状に甘えているだけよ)
眼帯に手を当てて強く力を込めた。
(この左目は、お前達に潰された。水を求める、食べ物を求めるお前達の為に私は身体を傷つけたんだ。
自分が抑えられなくなる?弱い。弱すぎる。生きる為の術も、足掻く為の手段も望めば手に入ったのにそれを自分から放棄するなんて、愚かすぎる。
私がどれだけ辛かったか、何度死ぬ思いをしたのかお前達は理解しているの?ただ感謝すれば帳尻が合うと思っているの?
・・・私も弱かった。何時でも抜け出せたのに、優しさのせいでお前達に縛られてた)
毎日異獣と戦い、揉め事に顔を出し仲裁して、心身共に限界だった時、とうとう糸が切れて端から身投げをしようとした。
頭から落ちる寸前で手を掴んで助けてくれたのはコウだった。
『何故命を手放そうとする?』
『これは私の命じゃないから。私は人に縋られて良いように扱われるだけだから。もう疲れたから、手を離してよ。楽にさせて』
『お前の命は紛れもなく、お前のものだ』
コウは力を込めてスミレを引き上げた。
『有能な者がこんな形で命を落としてはならない。お前はもっと大きく咲き誇れる。
私がお前に生きる場所を与えてやろう。自分の命を生きるんだ』
『あなたは・・・誰?』
『エターナ軍の軍人、コウだ』
大きく、そして温かい笑みにスミレは生まれて初めて頼りたい気持ちが生まれた。
今まで頼れる人など誰もいなかった。優れていた自分に頼る、弱い人ばかりだった。
コウはまるで、地下の日陰で枯れかけていた花を照らした太陽のようだった。
気が付けば、無意識の内にスミレはコウに抱き着いていた。
『もう大丈夫だ。もう、頑張らなくて良いんだ』
スミレは泣いた。子供のように大声で泣いた。
(もう二度と戻ってくる事は無いと思っていた。
・・・何に希望を見出しているのかしらね。何かが出来るとは思えないけど)
最早期待などしていない。例え希望を抱き今日を必死に生きて明日を歩けるようになったとしても、もう信じられない。
どんなにやる気を見せつけられても冷めるだけだ。
潜伏活動を続けていたある日、リンダと仲間達がホドに現れた。
「中佐!リンダです!リンダがやってきました!」
「落ち着きなさい」
「まさか、将軍はこれを予期して我々をホドに潜伏させていたのでしょうか?」
部下達は期待とやる気に満ち溢れるがスミレは冷静だった。
(将軍の知人、パンハイムと共に行動をしていると連絡は入っている。行動パターンを推測すればホドに立ち寄る可能性は十分あり得る。
けど、ならば砂漠で待ち伏せすれば良い。わざわざホドの中でリンダを狙っても無駄に騒ぎを大きくするだけ)
合理的ではない。この状況、安易に納得は出来ない。
「もう少し様子を窺う」
「何かあるんですか?」
「きっと、何かがある」
*
一体どんな作りになっているのだろうか?
外からは円形状の白い建物にしか見えないのに中に入れば天井は透けてさんさんと輝く日の光が降り注いでいる。
古代の遺跡を思わせるオリエンタルな住居が立ち並んでいる。その実内装はとても豪華で凝った装飾が為されたソファや絨毯は勿論、どの家も自分達だけのシャンデリアを吊るして見せつけるように飾っている。
棚の中にはこれ見よがしな宝石、指輪、ネックレスが仕舞われている。自分のコレクションを他人に自慢したくて仕方ないのだ。
それらで飾った人達はまさに歩く宝石箱。泥棒がいたら口から涎が溢れて止まらないだろう。
しかしここには他人の物を盗む卑しい人間はいない。何故なら、他人の物を盗むなどと言う危険を冒さずとも簡単に手に入れるだけの金を誰しもが持っているからだ。
「相変わらずここは変わらんな」
金持ちのお上品なオーラが全開だ。「私は凡人とは違うんです」と態度が語っている。
お上品にお茶を嗜む淑女。砂漠の都市で暴飲暴食に耽る男達。
(いかんのう。フレイマ・・・もう逃げてはおられんぞ)
憐れだった。ただ憐れだ。
「これはこれはパンハイム様。お久しぶりです」
入り口の上層ハンターが気持ち悪い程低い腰と態度で接してきた。媚びを売る気が透けて見える。
「フレイマに会いに来た。いるのだろう」
「都市長ならば邸宅におられます」
物欲しそうなにやついた期待した眼差しを向けられ、溜め息をついて金の入った袋を手渡した。
今、面倒事はごめんだ。
中央にはオアシスが湧いている。だがオアシスは分厚いガラスで塞がれていて入る事が出来なくなっている。ガラスの上に、まるで蓋をするように、独占するように一際大きな邸宅が建っている。周囲の建物は遺跡風だがこの邸宅だけは普通の木造作りだ。木材の入手が難しい砂漠で木材の家に住む事で自分の実力と力を周囲に示している。
「これはパンハイム様。お久しぶりです」
能面のように無表情の使用人が型にはまった挨拶をする。
「フレイマに会いに来た。荒れておるのだろう?」
「荒れる?都市を守るのは都市長として当然のお考えでしょう?」
パンハイムは首を横に振った。
「とにかく合わせてくれ。わしも奴に話しがある」
「・・・少々お待ちください」
使用人が邸宅へと入ると、パンハイムは上層の楽園を視線を向けた。
(失ったものは戻ってこないのだ。フレイマ・・・己の殻に閉じこもっても何も変わらんのだ)
遠い目の中には寂しさと悲しみが満ちていた。
「フレイマ様がお会いになるようです。ご案内します」
「うむ」
邸宅の中には巨大な噴水があり、麗しい乙女の彫像が手にした盃から噴き出していた。オアシスの水を贅沢に使い植物が生い茂っている。
邸宅の二階にある一際大きな扉の前へと案内された。
「フレイマ様。パンハイム様をお連れしました」
「通せ!」
震える声が返ってきた。パンハイムはノックもせずに扉を開けた。
ヒュームと謙遜ない大柄な男が過呼吸気味に荒い息をして立っていた。毛深い身体も相俟って熊のような男だ。ただしその身体は筋肉ではなく脂肪に覆われているが。
目は血走り隈がある。壁には穴が空き家具は一部が壊れて破片が床に散らばっている。
「パンハイム・・・」
縋るような声を出してフレイマは目の前で跪くと手を伸ばしてきた。
「助けてくれ・・・俺は・・・死にたくない・・・」
パンハイムはその手を取り憐憫の面持ちを浮かべる。
「ウェヌスは死んだ。おそらく、殺された」
「どうして今になって・・・嫌だ・・・あんな恐ろしい思いをするのは嫌だ!どうしてこんな、どうしてあんな目に遭わないといけなかったんだ!?」
唾を飛ばす程大声で叫び、そして感情が決壊して泣き叫んだ。部屋が震える程の啼泣を受けてもパンハイムは決して顔を背けず真正面から向き合った。
「のうフレイマ。わしも同じだ。あの時、逃げられるのなら逃げたかった。何もかもから逃れて己の殻にこもりたかった。
しかし、人は生きておるのだ。こんな世界でも人は必死に生きておる。ならばこそ、わしらが逃げてはならんだろう。
辛いのは痛い程分かる。けれど、何時までも逃げてはおられん」
「そうな事はどうでも良い!ただ俺は、助けてほしいんだ!」
パンハイムの肩を掴んで激しく揺さぶる。
「助けてほしいのなら」
パンハイムは両腕を力を込めて握る。
「助けられる者となれ」
涙を流し救いを懇願する子供に対し己の悪行を叱責する親のようだ。
フレイマは一瞬だけ悪いものが抜けた面持ちを浮かべるが、すぐに恐怖に引きつった顔に戻り悲鳴を上げて床を殴りつけた。
「フレイマよ。どうなろうともわしはお主の友だ。だがわしにはお主を守る力は無い。
今、世界は大きな転機を迎えようとしておる。分かるな?動いたのだ。
ならばこそ、わしらもやらねばならん。出来る事は限られておっても、それがわしらの役目だ。
恐ろしい。嫌なのは・・・同じじゃ。けれど、現実から目を背けていてもいずれ現実に覆い尽くされて破滅してしまう。
本当に己の身を守りたいのならば、やるしかないぞ。守るばかりでは何も変わらん」
慰めの言葉ではなく、現実の言葉を説いた。
目を背ける事に必死になっているから。ひと時の幸せ、快楽、充実に浸かって必死に現実から逃げようとしているから。
厳しいが、現実を突き付けるしかない。
フレイマはパンハイムの首を掴むとそのまま壁に叩きつけた。
「俺は・・・娘を殺されたんだ。
目の前で溶けて消えていく娘を、泣きながら助けを乞う娘を、俺は見殺しにしか出来なかった!」
それは、自分自身に対する怒りの言葉だ。
「俺は・・・恐ろしくて動けなかった・・・」
「わしもだ。仲間達が溶かされていく中、逃げる事しか出来なかった」
「あんな悍ましいものに、恐ろしいものに・・・どうして抗えるんだ?」
「この世界に人が生きているからじゃ」
真っ直ぐな答えにフレイマは気が抜けた顔になる。
「それだけで・・・それだけなのか・・・?」
「それ以外の理由などない」
正直な言葉は柔らかかった。
フレイマは手を離すと糸が切れたようにその場に座り込んだ。
「今日一日、傍にいてくれるか?」
「構わんよ。ただ、わしには五人連れがおるんじゃ」
「ここで寝泊まりすれば良い」
パンハイムは僅かに驚くも嬉しそうに「そうか」と言った。
「では下層ハンター協会に行ってくる。すぐに戻るからの」
「なら、一つ伝言を頼めるか?」
「なんじゃ?」
「上層のハンターに警備をさせる。お前達は休めと」
「あい分かった」




