大砂漠
見渡す限り赤褐色の砂の世界が広がっている。植物は草も生えておらず、大地に鎮座する岩すらも存在しない。
辛うじて存在する植物は細く乾いたサボテンだけだ。鋭く鋭利な棘に覆われていて好奇心から手を伸ばしたリンダは指先に微かに触れただけで鋭い痛みを感じて「痛ッ」と指を擦った。
「それがマートゥスじゃよ。今はご覧の有様だけどの。雨期になれば水を蓄えて絶品の御馳走となるんじゃ」
「本当に、これ以外何にもないんだな・・・」
壮大な眺めだ。大海原とは異なる絶景だ。心奪われ、四人は立ち尽くしていた。
「ほら、さっさとしないと茹で上がっちまうぞ」
グレッグは巨大な亀の上から活を入れた。亀の上には荷物が積まれている。輸送車と比較しても見劣りしない巨躯だ。
「俺と、同じぐらい、大きい」
「こいつがフェルーガだ。砂漠じゃ車は走れないからな。商人はこいつに乗って移動するんだ」
「けど、そんな遅い動きじゃ異獣に襲われるだろ?」
「こいつの甲羅は岩みたいに固いんだ。滅多な事じゃやられねえよ。それに危険を察知する能力もある。異獣が近づいてきたら中に引っ込んで教えてくれるのさ」
グレッグが降りて、パンハイムとルージュが上に乗った。
「ホドまで十日は掛かるからの。早く出発するぞ」
「休んでいる間に環境には大分慣れたし、砂漠の過ごし方も学んだわ」
「この服、良い」
全員リンダと同じく砂漠用の服を着こんでいる。これでなければとてもではないが身体が持たない。
「気を付けろよ。鎧が着れないんだからな」
「私が見張り台になるから安心しなさい」
「あたしも気配に気を配ります」
「頼むぞリンダよ」
鎧が着れない以上攻撃は絶対にくらえない。リンダの能力は絶対に必要だ。
(グレッグ。これを見越していたのね)
一行は砂漠を歩みだした。
「砂漠には何も目印は無い。だがそれだと遭難してしまうから杭を打ち込んで目印にしておるのだ」
少し先に青く塗られた杭が砂の大地に刺さっていた。
「あの色なら見落とす事は無いですね」
「普通はの。しかし砂嵐で視界を閉ざされれば目立つ色も目視出来んし、時には砂に埋まってしまう事もある。
あればかりを当てにせず道を覚えるのが重要なんじゃ」
「いくら何でも無理があるだろ」
砂漠に指針となる物など存在しない。風景は風と共に変化し、その姿を常に変えている。
「安心せいわしがおる。わしにとってこの砂漠は庭みたいなもんじゃ」
「頼りにしてます」
「爺さんがいてくれて助かるよ。俺も覚えちゃられねえからな」
暑い。殺人的な暑さだ。町も暑かったが砂漠はそれ以上だ。砂の大地は熱を蓄え靴越しに足の裏を焼いてくる。
視界が歪む。暑さで景色が揺れているのだ。
「あれが蜃気楼なのね」
揺れる景色の先に水辺があるように映る。
「慣れていない者はあれに向かい、命を落としてしまう。乾いていれば尚更だの」
ここはただいるだけで体力が蝕まれる。全身から流れ出る汗はこの暑さですぐに蒸発してしまう。
「水分補給を怠るなよ。温くても我慢しろよ」
「うん」
「けど、塩水が一番良いなんて知らなかったな」
「汗と共に身体の塩も流れ出てしまうからの。塩分補給も大切じゃ」
水はヒュームが背負っている。鞄の中には大量の水筒が仕舞われている。
砂漠は静かだ。風の吹く音と砂が流れる音以外何もしない。
美しい雄大な景色だが、リンダは寂寞とした寂しさを感じた。
「何もいないんですね」
「いるぞ。見えないだけだ」
グレッグは落ちていた小石を投げる。砂の上に落ちると大きく砂が舞い中から子牛程のトカゲが現れた。
「なんだあのトカゲ!?」
「お前らも肉を食っただろ?あれがシャーイーだよ。通称砂トカゲ。ああやって身を潜めて獲物が来るのを待ってるんだ」
シャーイーはこちらを向くと一目散に逃げだした。砂漠だと言うのに物凄く足が速い。あっという間に見えなくなった。
「フェルーガはこの砂漠じゃ天敵はいないからな。普段は穏やかだが、怒らせると手に負えないぞ」
「だから逃げたんですね」
「そんなフェルーガが敵に反応出来るようになったのは異獣が現れたからだ。マートゥスでも異獣には敵わない」
それは、程なくして起きた。
フェルーガが途端に首を振って怯えた声で鳴き出した。そして足と首を引っ込めて動かなくなってしまった。
「南西から来ます!」
「視界には何もいない!砂の中ね!」
ルージュが一発銃を撃つと燃炎弾が砂の中で燃え上がった。
耳障りな甲高い鳥の鳴き声が上がると異獣が砂中から姿を現した。
鶏の頭。蛇の胴体。サソリの鋏に脚と尾。奇怪なキマイラだ。
「あれがバジリスクか」
異獣は何処にでも出現する。しかし環境に合わせて適応した異獣も多い。バジリスクもその一体だ。基本砂漠にしか出現しない。
「他に気配は!?」
「ありません!」
「よし!リンダはパンハイムとフェルーガを守りつつ援護しろ!ヒュームも後ろに下がるんだ!」
「分かった!」
「分かりました!」
「さーて。俺が陸でも強い事を証明するとするか」
グレッグは単発銃を脳天を狙って撃った。丸わかりな狙いは読まれ避けられてしまう。
直後バジリスクの身体は吹き飛んだ。もう片方の手に握られた単発銃から硝煙が上がっている。
「こいつは特注でな。音の出ない銃だ」
吹き飛んだバジリスクに遠方からヒュームがハルバードを投げつける。だが鋏で掴まれて防がれた。
「良い援護だ!」
気が逸れた隙にグレッグは胴体に銛を突き刺し射出した。銛は胴体を貫通し、バジリスクは金切り声を上げた。
振り下ろされる鋏をルージュの援護射撃で弾いた。
「無理して接近戦仕掛けるんじゃないわよ!」
「近接なら僕に任せろよ!」
「まだまだ仕掛けがあるんだよ」
銛には鉄製のワイヤーが繋がっている。ワイヤーを巻くと銛は再びバジリスクの身体へと刺さる。
「少しえげつないけどな!」
なんと銛が高速で回転しバジリスクの身体を抉っていく。痛みでバジリスクはのた打ち回り口から紫色の煙を吐き出した。
「気を付けろよ。あれを吸ったら即死するぞ」
「それは知ってるけど、凄い仕掛けだな」
「中でバネを巻いてるのさ。巻き直すのに少し時間を取られるのが玉に瑕だけどな」
バジリスクが憎悪のこもった眼光を向け顔を大きく上げる。
「リンダ!」
「はい!」
砂地から肉膜が上がり全員を包み込んだ。
それと同時にバジリスクが強烈な叫び声を上げた。空気を震わす叫声はソニックウェーブを放ち周囲一帯の砂を吹き飛ばし窪地にしてしまう。肉膜は僅かにたわんだが叫声を塞ぎ切った。
「こんなに小さくなっても、耳ががんがんするんだな」
グレッグは顔をしかめた。
金タライを耳元でがんがんぶっ叩かれているのに近い音だ。
「強烈ね。確か、まともに浴びたら頭の中がミンチになるんだっけ?」
「破裂して死んだ奴もいるよ」
「リンダがいなかったら終わってた」
グレッグは手を上げて感謝の意を示した。リンダは笑みを浮かべて頷く。
(バジリスクはまず喉を潰すのがセオリーだ。口から吐く毒も尾の毒針もあれに比べたらどうって事無い。
この至近距離でここまで防ぐとは、相当力が上がっているな)
漂流船での戦いと比べれば肉の質量、堅牢さが明らかに向上している。
叫声が終わると肉膜は仕舞われた。
その隙を狙っていたかのようにバジリスクは尾を振るい毒液を飛ばしてくる。
「予測済みよ!」
仕舞った振りをして砂中に隠していたのだ。扇形にして大きく振るうと毒液を吹き飛ばし逆にバジリスクに浴びせかけた。
毒を浴びて身を焼かれバジリスクはのた打ち回った。
その隙にルージュが頭を撃ち抜いて止めを刺した。
「僕は何かをする必要も無かったな」
「ま、ここは新入りに活躍を譲ってくれよ」
「あんたみたいな新入りがいるかよ」
グレッグは「そりゃそうだ!」と笑うと異石の回収に向かった。
「リンダ。毒は平気か?」
あの時僅かに毒が肉にかかっていた。
「平気。毒の部分はすぐに切り離したから」
切り離された肉が砂の上で泡を上げて溶けている。
「いやはや、話しで聞くのと見るのとではまるで違う。凄まじい力だ」
パンハイムの声はこわごわとしていた。
「怖いですか?」
パンハイムは飛び降りるとリンダの手を握った。
「力に善悪は無い。それがどう転じるかは使う者次第じゃ。お主を怖がる理由が何処にある?」
リンダを信頼しているからこその言葉だ。僅かに目頭が熱くなった。
「ありがとう、ございます」
「パンハイムさん・・・」
「パンハイム、良い人。リンダ、良かったね」
「うん」
自分が異形なのは理解している。今までずっとパンハイムに黙っていた。もし知られた時恐れられて忌避されないだろうか?それが怖かった。
親しい人ほど、嫌われたくはないのだ。
(今確かに感じた。あたしは、前よりもずっと強くなっている。あの叫び声、前のままだったらあの程度じゃ防げなかった。
赤い星・・・肉の星・・・)
何かが見えそうな気がした。空の彼方に視線を送る。
「!」
チクリとした痛みが頭に走った。
『ヨクボウヲ・・・ヨクヲノゾメ・・・。ヨクニオボレロ・・・』
底知れない欲望を感じる。全てを望むかのような強烈な欲が流れ込んでくる。
リンダは顔を叩いて欲を振り払った。声はもう聴こえない。
「どうしたリンダ?顔色が悪いぞ」
「毒の影響かな?少しふらついたの」
「何かあったらすぐに言うんだぞ」
「うん」
そうすべきなのに、言えなかった。
これを伝える事が恐ろしくて口に出来なかった。
その脇で、パンハイムは険しい面持ちを浮かべていた。
*
サミガの群れに襲われ激しい戦闘になった。
猫程の大きさの蟻で口には鋭い狭角がある。体毛は微小の返しで覆われていて一度張り付けば決して引き剝がせないようになっている。鎧越しなら張り付けないが今は無防備なので絶対に近づけさせられない。
倒すだけなら銃を一発撃ち込むだけで済むが、問題はその後の腹部だ。
サミガは何処に銃弾が命中しても一撃で倒せるが、腹部は堅牢でルージュの機関銃かグレッグの単発銃でなければ粉砕できない。頭部から有翅体節は溶け、腹部に人間の顔が浮かび上がると赤ん坊のような泣き声を襲ってくる。
この時の腹部は相手に充分な距離まで近づくと自爆する。その威力は人の身体程度なら粉砕してしまう威力がある。鎧越しでも大ダメージは免れず、連続してくらえば当然命は無い。更に厄介な事に少しの衝撃で爆発する為に近づかれればそれだけ手出しが出来なくなる。
リンダが地面を巻き上げて空中に放り投げる。落下の衝撃で大爆発を起こししばらく耳が聞こえなくなった。
「本当に異獣って最悪」
砂まみれになったルージュははたきながら悪態をついた。
「砂ぐらい我慢しろよ。リンダのお陰で弾代も節約できた。普通なら近づかれる前に爆発させるからな」
「ここ、俺が相手できる、異獣いない」
「海を越えれば異獣も違うんだな」
砂漠の一角が突然窪んだ。巨大な蟻地獄が発生し中央には気持ち悪い程歯並びの良い口が歯を打ち鳴らして獲物が落ちてくるのを待ちわびている。
リンダが察知してくれたから落ちずに済んだ。こんなのはフェルーガぐらいしか気づけない上にその反応で異獣の存在に気付いても蟻地獄に吞まれてはどうしょうもない。
ケンがゴーツ・ジャマダハルで軽い突きを放つと砂の中に隠れた本体を打ち抜いた。
一瞬見えたそれは人の脚を生やした寸胴な魚だった。大きく胴体まで口からは異様に長い舌が伸びていた。
「パキィメキなんて普通なら厄介な相手なんだがな」
「これならもう少し早くホドに着くかの」
襲い来る異獣を倒しつつ砂漠を歩み、夕暮れになると共にキャンプの準備に取り掛かった。砂漠の夜は冷える。速やかに寝床と暖を確保しないと凍えてしまう。
「この辺りのハンターはどうやって異獣と戦っているんだ?」
「耐熱用の鎧を装備してるのさ。そうじゃないと蒸し風呂状態で戦えないからな」
「俺達、そうしない?」
「一ヶ月掛かりますがよろしいですか?」
「それは駄目」
和やかな空気は焚火の温かさもあって面白い。
「それにしても、ここの人達は移動が大変ですね。フェルーガも守らないといけないし、砂漠は迷いやすいですし」
「まあの。故にホドは大体の事を自給自足で賄っておるのだが・・・」
パンハイムは哀し気に溜め息を吐いた。
「金と欲に塗れた都市。噂だと階級制度で身分の差が激しいのよね」
「ああ。愚かな事だ」
「下の人間は家畜同然だからな。上の奴らに良いように弄ばれてる」
グレッグは腹立たし気に薪をへし折った。
この世界には身分制度など存在しない。目上の人に敬意を払い礼儀正しく接する、他の都市ではその程度だ。かつてのティファレトも人を見下してはいても奴隷のように人を扱ったりはしなかった。
「ホドも都市長が悪いのか?」
パンハイムは重々しそうに頷いた。
「人、同じ。別けるの変」
「そうだの。上下関係はあっても良いように弄んでいい序列などあってはならん」
「それは、欲望なんですか?」
リンダは恐る恐る尋ねた。怖い。身体が震える。
「欲望だの。欲望は、灯じゃ。この焚火のように温かく人を照らしてくれる。
しかし火は燃え広がれば大火となって全てを焼き尽くす。欲望もそれと同じなのだ」
「人間が生きるには欲の力が必要だが、付き合いが難しいんだよな」
少し目を向ければ世界には魅力的な物で溢れている。誘惑の果実が放つ香りは容易く人を魅了してしまう。齧れば齧るだけ、その甘味と美味に快楽に溺れ抜け出せなくなってしまう。
「欲望は悪くないですよね」
「悪くない。人が生きてゆくには欲の力が必要じゃ。それと上手く付き合わなければならんのが人の宿命だ」
「普通に考えれば、常識的に考えたら悪い事だって気づくだろうに。やっぱり見えなくなるんだな」
「脇目もふらないからな」
暗く重い話しに空気が鬱々しくなる。
「悪い話しはここまでにして、温かいスープを飲みましょう。温まって前向きにならないといけないわよ」
「嫌な気分のまま寝たらよく寝付けないからな」
ルージュの気配りが空気をほぐした。
「あたしも手伝います」
何かしたかった。じっとしていたらまた悪い事を考えてしまいそうだ。
「気分を明るくするなら、夜空を見上げるのが一番だぞ」
「夜空?」
今までキャンプの準備で忙しく空を見上げていなかった。
夜空に煌めく満天の星空。色とりどりに瞬くその光景はまさに宝石箱。澄んだ空気は人に最高の贈り物をプレゼントしてくれた。
「綺麗・・・」
先程までの重苦しい空気は星の明かりに照らされて消えてしまった。
「砂漠の旅は過酷だが、この星空だけは何度でも見たくなるんだよな」
「これを鑑賞しながら眠れたら最高でしょうね」
「風邪を引いてもいいのならな」
寝るまでの間、美しい星空を心行くまで満喫した。




