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異獣ハンター  作者: 港川レイジ
21/35

港町ガンコウ

 「暑う!」

 「眩しい・・・」

 航海船から降りたケンとヒュームの第一声がこれだった。

 全身を包み込むムワっとした熱気。強烈に差し込まれる日差しは人も地面もじりじりと焼く。息をするだけで身体が熱を持ち全身から汗が噴き出してくる。

 「これは、噂以上に強烈ね・・・」

 航海船の中は比較的過ごしやすい温度に保たれていただけに強烈な環境の変化に身体が悲鳴を上げている。

 「そうですか?確かに暑いですけど」

 リンダだけは暑さを余り感じていなかった。日差しこそ眩しいが、芯から熱がこもる感覚で気分は良かった。

 「よーしお上りさん達。ここがガンコウだ。どうだ?活気があるだろう」

 港では航海船を渡って来た商人と船乗り相手に町の人達が名産品や土産物を高らかな声を上げて商売していた。

 踊り子の衣装、艶やかに光る貝のアクセサリー、真珠のネックレス、色とりどりの石を繋げたブレスレット、不気味だが独特の意匠で心惹き付ける仮面、そして見た事も無い奇抜な食べ物たち。

 魅力がありすぎて目移りしてしまう。暑さに参っていなければふらふらと足が動いていただろう。

 「グレッグよ。まずは宿に行かんか?このままでは皆煮えてしまうぞ」

 「それもそうだな。

 ほら歩け!早くしないと俺みたいに真っ黒になっちまうぞ!」

 暑さなど二人には障害にならない。慣れとは恐ろしいものだ。

 「これは、少し時間が掛かりそうね」

 そう言いつつ、ルージュは内心ほくそ笑んだ。

 「慣れるまで大変だよな・・・」

 ヒュームは全身から滝の如く汗が流れ落ちていた。

 「ヒューム、大丈夫?」

 「早く、休みたい・・・」

 へばるヒュームの背中をケンとリンダが押してガンコウの町へと入った。

 凄い活気に満ち溢れている。暑いのに人の熱気が更に暑くしている。しかしエネルギッシュに溢れた暑さは逆に力を漲らせ暑さに参っていた身体を真っ直ぐに立たせた。

 「今日は祭りなのか?」

 「いいや。ガンコウはこれが日常だよ。暑さに負けないぐらい熱くある町、それがガンコウだ。ここに来た奴は毎日が祭りみたいだって必ず言うんだぜ」

 「とっても楽しい雰囲気ですね!」

 「かっかっかっ!どんな人間もここに来れば元気になる!薬みたいな町じゃわい!」

 明るくなれば身体に力が湧く。笑っていれば健康になる。楽しければ前向きになる。些細な悩みなんて吹き飛んでしまう。

 「ここ、良い町」

 さっきまで暑さでへばっていたのに、ヒュームは元気を取り戻していた。

 「良いわね。ネツクとは違う。ここは全力で生きる事を楽しんでいるわ」

 「人生は楽しまないと損だからの!」

 (・・・いいなあ。この雰囲気、好きだ)

 ケンは町の雰囲気に惹かれていた。ふらふらとした足取りで町に飲まれそうになるのでリンダがしっかりと手を握った。

 「それにしても、なんで家が土で出来てるの?」

 「この辺りは砂地だからの。樹木は貴重品じゃ。それに土は冷えていて家の中を日差しと暑さから守り、夜は寒気から身を守ってくれる。

 土地ごとに暮らしの知恵は違うのだよ」

 「へえ。そう言うの、なんか良いわね」

 ルージュは今、心から充実していた。自信の望みだった旅、それを満喫している。

 宿は土の城と言った風貌だ。どうやって盛り立てたのか、四階建て荘厳な様相だ。宿の前には澄んだ水が張った池があり人が衣服のまま水浴びをしていた。

 「お上りさんはそこで汗を洗い流しな。じゃないと宿に入れてもらえないぞ。

 俺とパンハイムが部屋を取ってくるからよ」

 「服のまま入るのか?」

 「すぐに乾くから気にするな」

 確かにそうだろうが、色々と豪快と言うか細かい事に拘らないと言うか。

 ここではつまらない礼儀や作法を意識するのは無粋のようだ。

 ケンとヒュームは躊躇いなく池の中に入った。意外と深くケンは胸辺りまで沈んだ。

 「すっげえ気持ちいい・・・」

 茹で上がった身体が芯から冷える快感は最高だ。

 当然ヒュームには浅いので湯船のように胡坐をかく姿となった。心の底から蕩けた顔で空を見上げている。

 「郷に入っては郷に従えとはよく言ったものね」

 「ルージュさんも入りましょうよ」

 「軽くね」

 頭まで水に浸かり外に出ると十分も経たない内に水は蒸発してしまった。

 「おお。さっぱりしたな。それじゃあ部屋に来いよ」

 「ついでに名産の食物も用意してあるぞ」

 「本当!?皆、行こう!」

 ヒュームは荷物を持って一番に宿に駆けていく。

 「全く、食い物になると元気になるんだからな」

 「良いじゃない。好きなものあるのは」

 宿はヒュームがギリギリ歩ける広さがあった。外壁は土だが流石に内部の作りには木材が使用されている。

 男四人の大部屋へとまずは入った。

 「女性の部屋はここの右隣です。お間違えなく」

 「間違えないわよ」

 「それでは、軽く今後の予定を述べようかの」

 「ああ。俺は詰め所の方に顔を出すからもう帰るぞ」

 「グレッグ。色々とありがとう」

 ケンの差し出した手を力強く握り返した。

 「グレッグさん。あたし達、頑張りますね」

 「どうせ何日か留まるんだろ?お別れの雰囲気はそれからだろ」

 ついうっかりこれで別れるのかと思ってしまっていた。

 くすくすと笑うヒュームを見て、二人は恥ずかしくてそっぽを向いた。

 「まあ、後でね」

 軽く手を振ってグレッグは出ていった。

 「それで今後の予定なのだが、お主達の武器と防具の修理が終わるまでは足止めかの」

 「特に鎧の損傷が大きいからね。四日はみないといけないわね」

 「武器、傷はあったけど、そこまで、酷くなかった」

 「正直・・・今も生きているのが不思議になるな」

 あんなとんでもない化け物を相手にしたのだ。本当に生きた心地がしなかった。こうして生きているはずなのに、それに疑問を抱いてしまう。それ程死が目の前に迫っていた。

 「新人が必ず通る道ね。何だか懐かしいわ」

 異獣ハンターとして数多の異獣と戦っていた。肉の花に及ばずとも人の幼稚な想像など及ばない化け物と幾度となく渡り合ってきた。

 生きた心地がしないのは最初だけ。慣れれば大きな達成感と充実感を得られる。

 「それで、どうするんですか?」

 「とりあえずは環境に身体を馴染ませるのと、情報収集ね」

 「あの、名産は?」

 ヒュームはもう待ちきれないと言った様子だ。

 「おおすまんすまん。これじゃよ」

 差し出されたのは丸いサボテンを真っ二つに切ったものだ。中には白い果肉がパンパンに詰まっており果汁が溢れて滴っている。

 「マートゥスと言うこの辺りに生えているサボテンでの。普段は細く固いが雨季には水を一気に蓄えてこのように丸々とした姿になるんじゃ。

 スプーンで果肉を抉って食べてみい」

 白い果肉からほんのりと甘い匂いが漂ってくる。口に入れるとあっさりとした甘味と仄かな苦みが伝わる。食感はメロンに近いだろうか。

 「美味いな」

 「美味しい!」

 「とっても美味しいです」

 「少し・・・癖があるけどね」

 ルージュだけは苦笑いを浮かべた。

 

                         *

 

 船旅の疲れを取る為に今日は町を散策しつつ休む事になった。急いては事を仕損じる。目的を達成するには休むのも大切だ。

 「マルクトで武器や鎧を作って、それぞれの都市や町は修理をするんだよね」

 「ああ。製作はマルクトだけがしている。他所で出来るのは修理だけだ。一昔前は鎧が壊れたらマルクトに送って直していたそうだけど、そんなの手間も時間も掛かるだろ?だから技術者を送ってその場所で直せるようにしたんだ。

 今でもマルクトに送る奴はいるけどな。完璧に直せるし、性能の向上を求めるならそうしないといけないからな」

 そんな会話を挟みつつ町を歩く。

 相変わらず暑い。身体から汗が噴き出す。

 そのお陰だろう。道行く人達は実に健康的な身体付きで無駄のない筋肉が付いている。

 「これ、何の肉?」

 「お兄さんお目が高いね!これはこの辺りの名物シャーイーの串焼きだよ!ぷりぷりの肉は柔らかくて肉汁たっぷり!味付けは塩だけで素材の味が生きてるよ!一本どうだい!?」

 「五本!」

 「良いねぇ!良し!一本はタダにしてやる!」

 串に刺さった肉は大振りだがヒュームは一口で半分を食らう。

 肉汁が口の中で弾ける。水のようにあっさりとしていてさらりと喉に流れていく。

 「あいつは食べる事に忙しそうだな」

 「あたし達も何か買おう!」

 リンダは腕を引っ張って雑貨屋の中に入った。

 「今更だけど、ここの服って派手で大きいよな」

 鳥のような装飾が付いているのは文化によるものだろう。身体全身をゆったりと覆うに出来た衣服は着込むと暑くならないのだろうか?

 「ハンターのお兄さん。これはね暑い日差しから身を守る為にゆったりと身体を覆うように出来ているんだよ」

 同じような服を着た店員のおばさんが笑顔で説明する。

 「通気性が良くて昼は涼しい。夜は身体を覆って寒気から身を守ってくれる。ここじゃあ普通の服なんて暑くて着ていられないよ!」

 けらけらと愛嬌良く笑う。何だか楽しくてつられてしまう。

 「これが異文化って奴か」

 感動的だった。この危険な世の中、異なる文化に触れあえるなど夢のまた夢だ。子供達は商人の話しに心躍らせ異郷に地に思いを馳せるのだ。

 (なんだか子供の頃を思い出すな。村にやって来た商人の話しを心から楽しんで聞いてたっけ)

 もう後を引かない。鎖は伸びてこない。

 「お兄さん。ここは男を見せたらどうだい?」

 おばさんはにやけた顔で肘で突いてくる。

 「なんだよそれ?」

 おばさんは呆れ顔で溜め息を吐いた。

 「鈍いねえ。こういう時は黙って彼女に買ってやるもんだよ」

 「彼女!?」

 ケンは動転し、リンダは一気に顔が赤くなった。

 「違うのかい?」

 「いや、それは、えっと・・・」

 なんて言えばいいのか分からない。頭の中がグルグルと渦巻いて何にも言葉が出てこない。

 二人共何とも言えない微妙な顔付きで顔を見合わせる。

 「・・・好きなの、買ってやるよ」

 「良いの?」

 「まあ、その・・・今まで何か買ってやったりした事無かったし」

 「・・・ありがとう」

 物凄くむず痒い。今すぐ叫び声を上げて走り出したい。

 リンダは沢山の服を自分の目で見て選んでいる。

 「あなたはサイズ的にこの辺りね」

 「装飾とか、服によって違うんですね」

 「海もあれば森もある。服の形も千差万別さ」

 おばさんはアドバイスはしてもおすすめを勧めたりはしなかった。

 自分の意思で選んで決める。それが一番後悔の無い買い方だ。特に今は。

 「ねえ。ケンも一緒に選んでくれる?」

 「僕も?」

 「うん」

 二人で決めたかった。特別な思い出にしたかった。

 ケンは恥ずかしそうにしながらも隣に立って一緒に選び出した。

 (あっ)

 ケンの目に留まったのは花の装飾が施された服だった。色とりどりの花が小さく散りばめられ、可愛らしく揺れている。

 派手過ぎない意匠は愛らしく可愛らしい。まるで服に咲いた花畑だ。

 「ケンはそれが良いの?」

 「可愛いと、思ってな」

 「妹さんが好きだったんだね」

 ケンは少しだけ悪そうにする。

 「良いんだよ。良い物は良いんだって。ケンも好きなんでしょ?」

 「ああ」

 先程昔を思い出したからだろう。過ぎ去った思い出が顔を覗かせた。

 花畑の中で寝転ぶ自分とヒューム。そんな自分達に花の冠を載せてくる妹のリンダ。

 「可愛いね」

 「そうだな」

 「あたし、これにするよ」

 「良いのか?」

 ケンは気が咎めた。自分に気を使わせてしまったのではないだろうか?

 「あたし、花ってほとんど見た事が無いけど、とっても綺麗なんだよね」

 「小さくて、可憐で、風に揺れている様はとても可愛いんだ」

 「何時か、花畑をこの目で見た時、もっと感動したいから。

 ケンと一緒に、見たいから。だから、これが良い」

 (性格、悪いかな。ケンの中に、あたしをもっと印象付けたいって)

 僅かに俯いた。何故かは分からない。ただ、ケンの中に自分をもっと深い存在にしたいと言う念が強く宿っていた。

 「分かった。何時か、それを着て花畑を一緒に見ような」

 「ケン・・・」

 「リンダは悪くない。僕が悪いよ」

 「ううん。あたしも悪い」

 鎖は伸びずとも、染みついた香りは時として人を惑わし沼へと引きづり込む。

 リンダはケンに服を手渡した。

 「何時か、大きな花畑を作ろうね。皆の花畑を」

 「そうだね。・・・リンダ、ありがとう」

 思い出は毒ではない。思い出は人を縛る鎖ではない。

 思い出は宝だ。人の心を温める灯だ。

 おばさんは半額で売ってくれた。「頑張りな」と言葉を添えて。

 「早速、着てみて良い?」

 「良いけど、何処で着替えるんだ?」

 「試着室は店の奥だよ」

 おばさんに手招きされてリンダは店の奥へと消えた。

 一人残されたケンはどうにも落ち着かなくて熊みたいに店内を歩き回った。

 「ケン!こんな所に、いた」

 「ヒューム」

 その手には沢山の食べ物が抱えられている。

 「よく食べるなあ」

 「美味しい物、沢山!二人の分も、ある」

 差し出されたのは炎のように赤い果実を焼いてパンに挟んだものだ。

 「あー悪い。今は、遠慮する」

 「そう?・・・リンダ、着替えてる?」

 (黙って待っていてくれ)そう目線で訴えてきてヒュームはそれ以上は口を噤んだ。

 そうしてリンダが出てきた姿に、ケンは腕がだらりと垂れ下がり開いた口が塞がらなかった。

 奥ゆかしく、それでいて花がある。派手ではないが、だからこそ静かな魅力がある。

 「どうかな?」

 恥ずかし気にするリンダを前にして意識が飛んでいた。ヒュームに軽く小突かれて我に返った。

 「似合ってるよ」

 もうそんな月並みなセリフしか出てこない。

 「ありがとう」

 「リンダ、綺麗。花の、妖精みたい」

 「ヒューム。買い過ぎだよ」

 「二人の分も、あるよ」

 「食べながら、歩こうか」

 「そうだな」

 町の雑踏の賑やかさも、道行く人達も、全て溶けて消えてしまった。

 今、二人は互いの存在しか意識していない。

 (リンダ、おかしくなさそう。良かった。俺、少し離れて、付いていく。

 そう言えば、ルージュ、どこ行ったんだろう?)


                       *


 「こいつは特注の水着だよ。ヤムカエルって言う海に暮らすカエルの皮を一流の職人が女性向けに作った最高級品さ。

 どうだいこの肌触り。どんな敏感肌でも荒れたりは絶対にしないよ。着け心地も最高だよ」

 「そうね。これを貰うわ」

 ガンコウには海水浴場がある。海の異獣のせいで危険とは言え、余程沖合に出なければ異獣が襲ってきたりはしない。護衛の為のハンターはいるが、彼らも異獣が浜辺に現れたのは精々一回か二回程度しか経験がない。

 ルージュは三人から少しずつ距離を取って離れ、こっそり浜辺へと来ていたのだ。

 (海・・・海!ポルトとは違う!泳げる海!最高の浜辺に照りつく太陽!

 昔から絵本を読んで、常夏の国で思いっきり海を楽しみたいって願ってた!叶わないと思っていたけど、叶った!)

 更衣室で着替えて、人気のない林の中でルージュは声も無く飛び跳ねた。

 心の中で歓喜の声を上げつつ何度も飛び跳ねた。

 (やったやった!今少しだけ、全力で楽しんでやる!)

 そうして跳ねながら回っていると、呆然と佇むグレッグと視線があった。

 時が止まるとは、今のような状況を言うのだろう。

 空気が凍るとは、このような状況を指すのだろう。

 先程までは身を焼く程暑かったのに、今は互いに身体の芯から冷え切っている。

 ルージュは無言で早歩きで近づくとグレッグの襟首を掴み上げた。

 「今の、誰かに言ったら容赦しないから」

 素晴らしく良い笑顔。しかしグレッグは心の底から震えあがった。

 冷や汗が流れ出る。これは、初めて異獣と対峙して抱いた死の感覚と同じだ。

 「分かったから、離せ、な?」

 ルージュは笑顔のまま手を離した。

 グレッグは苦し気に首を擦った。

 「お前、意外と馬鹿力だな」

 「試してみる?」

 指をボキボキと鳴らされて縮み上がった。

 本当の殴り合いなら負けないが、これはそんな問題ではない。

 「勘弁してくれよ」

 今日ほど女が怖いと思った事はない。

 「それで、何でこんな所にいるのよ?」

 「ただの見回りだよ。浜辺を護衛するハンター」

 「仕事が終わったばかりなのにもう仕事なの?」

 「実質休暇みたいなものだからな。酒さえ飲まなきゃ寛いでいてもお咎め無しだからよ」

 「緩い護衛ね」

 「これでも仕事はこなしてるよ」

 ルージュは肩を竦めて浜辺へと行こうとする。先程までの興奮はすっかり冷めてしまったが、楽しまない選択肢は存在しない。

 「ちょっと待ちな。お詫びに、秘密の入り江に連れて行ってやるよ」

 「何よそれ?おとぎ話?」

 「俺って男はロマンの塊さ。信じてついて来れば最高のひと時をプレゼントするぜ」

 (相変わらず楽しい男ね)

 一緒にいると笑ってしまう。そして信じられる。だから付いていく事にした。

 浜辺の隅にある岸壁。そこに空いている小さな洞窟を通ると円形状に窪んだ砂浜へと出た。周囲を崖に囲まれて外からは決して見えないし声が漏れる事も無い。

 海水は透き通る程綺麗で砂が宝石の如く煌めいている。愛らしい小魚が海を泳ぎ小さなヤドカリがゆっくりと歩いていた。

 溜め息が漏れた。これはまさしく、おとぎ話の世界だ。

 「どうだいここは?子供達のプライベートビーチさ」

 「・・・は?」

 夢は途端に割れて崩れ去った。

 「こんな穴場スポット誰も利用しない訳ないだろ」

 「子供達の遊び場を大人が使って良いの?」

 「時間帯が決まってる。俺達が見守っているからな」

 「それで?誰もいない場所に連れてこられて私が子供みたいに遊ぶと思う?」

 グレッグは気が抜けた顔で力を抜いた。

 「少しは期待してたんだけどな」

 「だったら早く話しを終わらせましょうよ」

 人気のない場所に連れてきたのは詫びではなく人には聞かれたくない話しをするからだ。あれが無くともグレッグはルージュをここに連れてきていた。

 グレッグは腰から単発銃を抜いて空に向けて構えた。

 「赤い星が落ちたのは、後はケセドとマルクトだよな」

 「ええ」

 「お前ら、七つの鐘とやり合うのか?」

 「確定はしてないわ。ただ、その可能性は高いわね。

 けど私達は今パンハイムの護衛でもあるから、まずはホドに行く事になるわ」

 「もう放っておいても良いんじゃないか?」

 「渡りがあるそうなのよ。それに、一度引き受けた以上投げ出したらハンターの信頼に関わるわ」

 「そうだな」

 グレッグは単発銃を下げた。

 「あなた、七つの鐘と何かあったの?」

 「・・・俺の仲間は、もう何人も音信不通だ。ついこの間、最後の仲間からの連絡が途絶えた。あいつは最後、帰ってこない恋人をどうしたのかヘブンズに直接問い質すと言ってた」

 眉間に皴が寄り、銃を握る手に力が籠る。

 その手にルージュが手を添える。

 「馬鹿ね。感情任せに動くなんてあなたらしくないわよ」

 「・・・悪り」

 グレッグは上着を脱ぐと海の中に飛び込んだ。頭を冷やしたかった。

 ルージュも、一瞬躊躇いつつも後に続いた。

 海は冷たく、心地よかった。

 「最高だよな」

 「最高よ。海も、この暑さも、本当に楽園みたい」

 「その楽園が、あんな化け物に壊されようとしているんだよな」

 肉の花。あれ程恐ろしい異獣は、歴史上類を見ないだろう。もしあれが海ではなく陸地に上がって来ていたら?考えるまでもない地獄絵図が広がる。

 「ケンとリンダがいたからどうにかなった。俺達だけだったら、今頃異獣の腹の中だ。

 おまけに、あんな化け物が後二体もいるんだ。

 生きてる心地がしねえよ」

 怖すぎて、怖いた笑いが漏れ出す。

 「化け物に人が殺される。世界が壊される。そんなの、見過ごせる訳がねえだろ」

 「グレッグ。あなた」

 「俺も、お前達と一緒に行く。駄目だって言っても付いて行くからな」

 それは覚悟を決めた男の顔だった。

 人を守り、幸せを守る。それが、自分が目指した生き方だ。

 「航海船はいいの?」

 「船がぼろぼろだろ?しばらくは運航停止だ。それに、頼れる仲間がいる。あいつらなら大丈夫だ」

 「私達としては、あなたは頼りになるし一緒に来てくれるのはありがたいけど・・・」

 「言ったろ?俺は駄目って言ってもついていくぞ」

 出来る事なら大切な仲間に危険な目に遭ってほしくない。死んでほしくない。それは人として、友として当然の想いだ。

 だが、相手の覚悟を受けてそう抱くのは甘さなのだろう。

 「分かったわ。もう何も言わない。これからよろしくね」

 「おう!」

 二人は拳を合わせた。

 「しかし、リンダは問題なさそうで良かったな」

 「一時はどうなるかと思ったけど、後遺症は無さそうね。ただ、私達の理解が及ぶ範疇を越えているから安心は出来ないけどね」

 「力が増したって言ってたよな。どのぐらい強くなったんだ?」

 航海船では人目があるので確認は出来なかった。リンダ曰く「これまでよりも、自分が強くなったとしか言えません」と頼りなげに答えていた。

 リンダにとっても初めてなのだ。不安だし、分からない。

 「しかし、お前らパンハイムの爺さんにはリンダの事を話してないみたいだな」

 「それは、仕方ないでしょう」

 「そりゃあ人に話せる事じゃねえけどよ、これからも爺さんとは旅を続けるんだろ?何時までも秘密には出来ないだろ?

 遅かれ早かれ気づかれちまうのなら、今の内に説明して味方に付けておくべきだろう」

 それが正しい。パンハイムと行動を共にし続けるのならばそうすべきだ。

 それでもルージュは渋い顔をした。

 「パンハイムは良い人よ。それは信じてる。ただ・・・何故か信じきれないのよ。パンハイム・・・何か人じゃないみたいな気がして」

 そんな事はあり得ない。人に化ける異獣など存在しない。

 しかし長年異獣と戦い続けた勘がパンハイムの何かを察知して警告をしている。

 九十パーセント信じられる。残りの十パーセントがどうしても信じられない。

 「俺もそうだ」

 「グレッグも?」

 「それに、ハンター仲間も結構同じだって奴がいるぜ。

 はっきりと言葉には出来ないんだが、得体の知れない何かがあるんだよな。

 普通の人や歴の浅いハンターはそんな事無いみたいだが、言いようの無い不気味さって言うか・・・空気が違うんだよな」

 二人は決して口には出さなかったが、パンハイムに対して同じ感想を抱いていた。それは「人とは何かが違う」である。

 「けど、俺としては明かすべきだと思うぞ。有耶無耶のままじゃいざって時にリンダが動けないしな」

 「・・・そうね」

 そろそろ、決める頃合いだ。充分考える時間も、人となりを見れる機会もあった。

 「それじゃあ考え事をしつつ、少し泳ぎましょうか」

 「気負い過ぎても張り詰めすぎても上手くいくとは限らないからな。適度に気を抜く事が成功の秘訣だ」

 さっきみたいにはしゃげないが、海を楽しむ精神の余裕は残っている。

 「目にしみる!」

 「当たり前だろ・・・」

 

                      *

 

 久しぶりの休暇に全員気を休める事が出来た。航海船の中では肉の花の襲撃もあり気が休まらずに神経が摩耗していた。だから大して疲れていないのにとても眠くなっていた。

 「あ~・・・久しぶりねこんな感覚」

 ルージュは身体を伸ばして欠伸をした。

 「俺も。酒を飲んだ訳でもないのにこんなに眠てえのは久しぶりだな」

 グレッグは人目もはばからず大欠伸をした。

 宿に戻ると三人と合流した。ヒュームは眠たそうに目をしぱしぱさせている。

 「あらリンダ。可愛い服ね」

 「良いねぇ。思わず口説いちゃいそうになるね」

 「おい」

 ケンはじろりと睨みつける。

 「冗談だよ」

 「えっと、ありがとうございます」

 と言いつつ見せつけるようにリンダはくるりと回った。

 「ほほお。随分とめんこいのお」

 「パンハイムさん」

 「何処に行ってたんだ?」

 「わしも休暇じゃ。飲み歩き食べ歩きで久しぶりに楽しかったわい」

 口から吐かれる息は酒臭かった。随分飲んだのだろうかなりご機嫌だ。

 その割には意識はしっかりとしている。

 「二人はヒュームを部屋に連れて行ってあげて。このままじゃ立ったまま寝て倒れそうよ」

 「やべ。そうなったら最悪だ。

 おいヒューム。もう少し持てよ?」

 「・・・うん」

 ケンが手を引っ張り、リンダが背中を押して宿へと急ぎ足で向かって言った。

 「何か、話しがあるのか?」

 「察しが良くて助かる。お酒は入ってるみたいだけど、思考力はあるようね」

 「わしを酔い潰らせたいのなら樽酒を三つ用意してもらわんとな」

 「化け物かよ・・・」

 けらけらと笑う姿にグレッグは僅かに引きつった。

 「少し、人気のない所に行きましょうか」

 「それなら良い所を知ってるぜ」

 グレッグは通りを抜けて裏路地へと進んでいく。町の喧騒が遠のき妖しげな雰囲気が漂っている。怖いが、何処か蠱惑的だ。

 (異国情緒ってこういう事を言うのかしらね)

 商人が怪しげな小道具を売っている。香炉からは青や紫の煙が立ち上っている。

やがて艶めかしい女性達が出入りする店へと着いた。店内には如何にもなスケベ親父や待ちきれない様子で足踏みをしている男が椅子に座って順番待ちをしていた。

 始めて来たが、雰囲気で察した。ルージュは冷めた眼差しを向ける。

 「おいおい俺がそんな軽い男に見えるか?」

 「わざわざ話し合いにこんな場所を選ぶのに幻滅してるのよ」

 「理由はあるんだよ」

 パンハイムもやや呆れ顔だ。この歳ではもう女性に興味など無いのだろう。

 グレッグは受付の女性と言葉を交わすと奥への扉が開かれた。手招きするので仕方なく入って行く。

 「地下?」

 「ここはな、男と女が逢瀬を交わすだけの場所じゃねえのさ。店長に気にられた奴にだけ秘密の密会場が使えるのさ。

 前に仕事で店長を助けてな、それ以来ここを使わせてもらえるようになったんだ」

 地下に広がる空間には甘ったるい匂いが漂っていた。妖しく揺れる松明の炎にベッドとテーブルが置いてある。

 「結局同じじゃない」

 「それは仕方ないだろう。けど、ここなら誰にも聞かれる事はないぞ」

 機密性と言うならばうってつけだろう。もう文句は言わないが、それでも不満げに音を鳴らして椅子に座った。

 「それで、どんな話しがあるのかの?」

 二人は気を引き締め直す。

 「リンダの事なんだけど・・・あなたはどう思う?」

 「良い子じゃよ。色々と戸惑う事はあろうが人を想い人に尽くせる子じゃ。野に咲くに花のように可愛らしく温かい子じゃの」

 「ああ。俺も同感だ」

 「だがのお、歳の割に世の理を知らんのが気にかかるのお。まるで・・・年端も行かない幼子のようだの」

 それはそうだ。生まれてまだ、一か月程度の子供なのだ。

 「パンハイム。あなたは」

 手を上げてルージュの言葉を遮った。

 「回りくどい事はやめよ。薄々感づいておったわ。

 ヒメラトゥムの件。そして航海船を襲った巨大異獣。お主達の手に負える相手ではなかったのだろう?百歩譲ってヒメラトゥムは納得できるが、流石に肉の花に関しては無理があるぞ。

 何かあるのではないかと疑問だった。あの時、リンダが意識を失い倒れたのは肉の花にやられたと言っておったが、本当は違うのだろう?」

 (まさかここまで感づかれているとは、読みが甘かった)

 確かに疑問を抱くだろう。誰でも同じだ。疑問を抱いても、何かあるとはだれも思わない。異形な力や能力が関わっていると誰が想像する?

 パンハイムは優秀な商人だ。僅かな表情の動き、疑念で相手の腹を探る天才だ。

 想像は出来なくとも予測は出来るのだ。

 「今ので確信がいったわい。リンダであろう?」

 「・・・そうよ」

 ここまで見抜かれてはもう素直に認めるしかない。

 「黙っていてごめんなさい。ただ、不用意に人に話すものじゃないから」

 「分かっておる。わしとお主達は知り合って一か月程度。信頼関係などそう容易く築き上げれるものではないわ」

 普通なら怒っても、気分を害しても良いはずなのに全く気にしていない。

 「しかし、よく尋ねなかったな。俺だったら怪しいと思った時点で聞いているぞ」

 「深い事情に足など踏み込めるものか。人の領域を他人が土足で踏み荒らして良いものではないのだぞ。

 わしはお主達を信じておる。だから何を秘密にされても問題では無いわ」

 懐が大きい。そして器が大きい。人としては立派過ぎる。

 (だって言うのに、どうしてこうも違和感を感じるの?)

 水が違う。空気が違う。何かが歪んでいるような違和感がある。

 「ねえパンハイム。少し・・・触って良い?」

 「なんじゃお主?こんな爺が良いのか?」

 「違うわよ」

 頬を触れた感触は人そのものだ。乾いた肌質も皴の手触りも人だ。

 「馬鹿な事を聞いても良い?」

 「構わんぞ」

 「人・・・なのよね?」

 パンハイムは薄く眼を細めた。

 「人以外の何に見えるのかの?」

 「いえ・・・ごめんなさい。馬鹿な質問だったわ」

 (リンダは特別なのよ。ここまで人になれる存在なんていないわ)

 「爺さん。俺もこの旅に同行するが、構わないよな」

 「ああ、構わんぞ。あんな事もあったのだ。もう一人ぐらい護衛が入ればと思っておったのだ」

 「それ、私達だけじゃ不安って事?」

 「違うわ。全員が安全に生きられる為じゃよ」

 「でしょうね。あなたはそう言う人よ」

 拭いきれない違和感はある。それでも九十パーセントは信用できる。人となりももう充分承知している。

 「パンハイム。あなたは立派な人よ。ティファレトの孤児院だけでも、充分偉人と呼んでも差し支えないわ。

 私達はあなたを信用に足る人として、これから話しをするわ」

 「承知した」

 「言うまでもないが他言無用だ。俺も含めてな」

 ルージュはリンダの秘密を全て話した。パンハイムは口を挟まず黙って聞いていた。

 話し終えてルージュは一息吐いた。

 (嘘みたいな、酒場の酔っ払いが話す与太話みてえだな)

 グレッグも詳しい話しを聞くのはこれが初めてだ。

 「成程のお。つまりお主達は赤い星の調査と共にリンダの正体も調べに往くのか」

 「ええ」

 「あい分かった。ならばこの老いぼれ、お主達に出来る限りの手助けをしようぞ」

 「それはありがたいけど、良いの?」

 「当然。それが世界の為になるのなら、何処に拒む理由があろう?」

 本当に、頭が上がらない。こんなに素晴らしい人を二人は見た事が無い。

 「何より、リンダの為だからの」

 「そうね」

 「ま、そうなるな」

 「パンハイム。黙っていてごめんなさい」

 「構わんよ。おいそれと話せる事ではなかろう」

 「あなたって、本当に掴めない人ね」

 それがパンハイムの評価だ。グレッグも同様だ。

 「商人が容易く腹の内を掴まれてはいかんだろうよ」

 「腹を割ってくれればこっちは楽なんだがな」

 「その内、話す時がくる。その時にの」

 

                      *

 

 ベッドの上にヒュームを寝かせて二人は椅子にもたれ掛かった。

 何も無ければこのまま寝てしまいそうだ。

 「ルージュさんとグレッグさん。パンハイムさんと一緒に何処に行ったのかな?」

 「話しでもしてるんじゃないか」

 ケンは大方の察しは付いていた。これ以上パンハイムに秘密にして共に旅を続けるのは無理がある。

 「なあ、リンダはパンハイムさんの事をどう思う?」

 「良い人だよ。とっても、優しくて親しみやすい人」

 「だよな・・・」

 ケンは頭を掻いた。

 (僕もヒュームと同じように見えていた。それなのに、最近は何か変だ。パンハイムさんが普通じゃないように見えてきて・・・)

 何かを感じ取っている。嗅覚が僅かな異臭を嗅ぎ取った時のように、不審な違和感を嗅ぎ取っていた。

 「大丈夫だよ。信用できるから。あたしを信じて」

 「リンダがそう言うなら信じるよ」

 

                        *

 

 ケン達がガンコウへと着く数日前、ネツクでは市民も落ち着きを取り戻し何時もの生活、何時もの日常を送れるようになった。

 「大分落ち着てきたな。ベン、もうネツクは大丈夫そうだ」

 「そうだな。確かに、ネツクは大丈夫だろう」

 ベンの表情は重々しい。

 「ティファレトの件だな。活動時期を早めたヒメラトゥム、身体を両断された都市長。まさかとは思うが・・・やはり無関係とは思えん」

 「テンレイドはもうあれからネツク周辺には姿を見せていない。それはネツクにとってありがたいが、状況としては悪い。

 奴は何処に消えた?何故姿を隠している?

 それがテンレイドの仕業なら、何故そんな回りくどい真似をする?」

 釈然としない。テンレイドならば何時でもリンダに襲撃を掛ける力があるはずだ。先のダメージがあったとしても、あれはそこまで深手ではない。行動に支障をきたすとは考えられない。

 「今四人はホド行きの航海船の中か。巨大異獣に襲われてなければいいが」

 それも勿論心配だが、ベンにはもう一つ懸念要素があった。

 (まさかパンハイムと共に行動しているとはな。信頼・・・出来るんだがしきれない。あの男には他人には無い違和感がある。人とは何かが違う。何かは分からないが、それだけは断言できる。

 しかし、性格や人格に問題は無い。信頼しきれなくても信用は出来る)

 大丈夫だと信じているが、どうにも不安が拭えない。

 「ベン。お前はこれからマルクトに向かうのだろう?一人で平気なのか?」

 「俺以外に行ける奴はいないだろう」

 ハンターは異獣と戦う為に存在する。対人戦など、酔っ払いや暴漢の相手ぐらいしか対応が出来ない。

 「すまないな。お前にばかり迷惑を掛ける」

 「今は俺だけじゃない。それが心強い」

 共に戦ってくれる仲間がいる。それだけでも大きな支えとなる。

 「ベン。私達も仲間だ。頼りないかもしれんが、遠慮なく頼ってくれ」

 「初めから遠慮なんてしない」

 その日の内にベンはマルクトに向けてネツクを発った。


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