不穏な影
ティファレトに凱旋した四人を待っていたのは、どう言う訳かこちらに構う余裕の無く慌ただしく動くハンター達の姿だった。
ヒメラトゥムの襲撃があったのかとも思った。しかし戦闘があった様子も見受けられない。
「皆さん!」
真っ先に気づいて駆け寄ってきてくれたのはフォールミドだった。
「よくご無事で!とにかく今は支部長の所に行ってください!」
「一体何があったの?」
「都市長が殺されたんです!」
青天の霹靂とはまさにこの事を言うのだろう。一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「どう言う事だよ!?何があったんだ!?」
「ケン。・・・分かったわ。すぐに向かう」
ここでフォールミドを問い詰めても意味などない。詳しい事情を知る為にも早急に支部長の元に向かうべきだ。
外と異なり協会内は比較的静かだった。それでも職員達が各都市に連絡を入れ慌ただしく資料を確かめていて落ち着きは無い。
「あなた達は休んでいて。私が話しを聞いてくるわ」
「・・・いや、僕達も行く。きっと無関係じゃない」
三人共この緊急事態と違和感にとっくに気付いていた。ルージュはそれ以上何も言わない。止めたところで身体を引きずってでも付いてくるだろう。
支部長室に入るとパンハイムもいた。険しい面持ちの支部長に対し、パンハイムは顔がぐしゃぐしゃになる程泣きはらしていた。
「おお、戻ったか」
四人の姿を確かめて支部長はいくらか表情を柔らかくした。
「こちらの報告もあるけど、まずは何が起きたのか説明してくれる?」
嗚咽を漏らしているパンハイムに「お前も話すんだ」とタオルを手渡した。痛い程強く顔を拭くも、やはり涙も悲しみに揺れる心も収まらない。
「お前達がティファレトでてしばらくした後、突然電話が鳴ってな。都市長に仕えている使用人が、都市長が殺されたと告げてきた。
遺体は袈裟斬りで叩き切られていた。切り口は荒かったから切れ味の悪い剣類だろう。どう言う訳か首には牙のようなもので噛みつかれた痕があった。窓は一か所だけ割られていた、その音を不審に思った使用人が部屋に入った時には血の海だった。時間にすれば一分程度の犯行だったそうだ」
「惨いものよ・・・。わしは昔から付き合ってきたが、このような救いのない最後を迎えるとは・・・」
確かに、惨い。会った事は無いが、ティファレトの有様、そして異獣を野放しに士ハンター協会を好き勝手に弄ぶ様から決して好印象は抱いていなかった。だからと言ってそんな死に方をして良い訳がない。
「都市長が死んで、一体誰が喜ぶの?」
「・・・近隣の村や町は、異獣ハンターが仕事をするようになるから喜ぶだろう。それぐらいしか考えられんし、絶対にありえん。都市長の館は並みの異獣程度なら倒せる腕利きが守っている。素人の暗殺を許すようなヘマはしないだろう」
「パンハイム。あなたに心当たりは?」
「無い。あったら言っておるわ」
「あの、これからティファレトはどうなるんですか?」
リンダが恐る恐る尋ねる。
「次の都市長が決まるまではわしが治めよう。幸いこいつの栄養剤のお陰ですこぶる体調もいいからな」
「長くは持たんぞ。一年程だ」
「充分だ。
では、そちらの報告を聞かせてもらおうか」
「ええ」
ルージュはリンダの力の事は上手く伏せて事の顛末を語った。
「それは確かにおかしいな」
支部長は眉間に皴を寄せ首を捻った。
「異獣は感情を持たん。人に揺さぶりをかけるのは勿論、笑う事も絶対に無い。歴史上のヒメラトゥムにそのような行動を起こした個体は一体もいないぞ」
「それに時期をずらした活動。・・・馬鹿らしいけど、誰かの仕業としか思えないわ」
「・・・考えたところで始まらんか。とにかく、良く生きて帰ってきてくれた。壊れた武器と鎧はこちらの方で修復しよう。
まずは身体を休めてくれ」
「そうさせてもらうわ」
全員、激しい戦いを潜り抜けて疲れ切っていた。今なら眠りに入るまで数秒も掛からないだろう。
「ところで、リンダ」
「はい?」
「・・・気のせいか少し縮んでいないか?」
ホッと一息つこうとしたところに全身に冷水を掛けられた。
「何言っておるんじゃ。お主、耄碌しとるのではないか?」
「・・・いや、すまん。歳のせいか目が悪くなっていたようだな」
「お主がしっかりせんと・・・ティファレトはままならんぞ・・・」
どれだけ泣いても涙が溢れて止まらない。
四人は静かに頭を下げて部屋を出た。
「異獣を操れる奴なんて、いると思うか?」
ケンは人に聞かれないように小声で言った。
「そんなのは、考えられない。けど、それは事実だった。事実だとして、話しに全く繋がりが見えない。
一体、何が起きているの?」
目に見えない脅威、敵が潜んでいる。
脅威は去った。そして新たな、強大な脅威が闇から姿を現しつつある。
*
「ヒメラトゥムだと?」
四人を尾行させている軍人からの連絡が入り、コウは部下から報告を受けていた。
「前の活動は六年前のはずだ。早すぎる」
「はい。しかしティファレトは襲撃され、犠牲者が出た模様です」
「モントとノマックの間の海域に出現した異獣と言い、一体世界で何が起きているのだ?」
異常事態に次ぐ異常事態。エターナも各地に軍人を派遣し始めているが、ビナーを除けば各都市は問題を抱えており受け入れを拒否されている。ネツクもあの一件でエターナ軍から距離を取るようになり、ティファレトも都市長が受け入れを拒んでいた。
後手になっている間に異変は発生し続けて人々の暮らしを破壊し乱している。
情けなかった。謹慎されている自分が、余りにも不甲斐なかった。だが、自分が軍の規律を乱しては部下に対して示しがつかない。
「大佐、そう気に病まないでください。これは明らかに将軍がおかしいんです。大佐を謹慎させるなんて、指示系統が纏まらなくて現場は本当に大変で」
「そこまでだ。それ以上は部下と言えば、看過できんぞ」
共感は出来るが、組織として、上官として、トップの不平不満を見過ごす訳にはいかない。
「申し訳ありません」
部下は震える声で謝った。
「ではティファレトに応援を送らねばな。こうなっても都市長も受け入れざるを得ないだろう」
「いえ、ヒメラトゥムは討伐されました。あの、監視していた四人の手によって」
「なんだと?たった四人でか?」
「はい。どうやら時期がずれていたので個体数が少なったのが要因らしいです。それと、やはりリンダの力が大きいと思われます」
「だろうな。戦闘中の様子を知れないのは残念だ」
一体どのように戦い、どのように能力を扱ったのか非常に興味がある。ひいては、何故父がリンダを求めているのか?その答えへと繋がる切っ掛けが得られるかもしれない。
「ところで、スミレはどうしている?共に重装備行軍訓練を行ったのだ。身体に不調は無いか?」
半ば冗談を交えつつスミレの様子を尋ねた。今更その程度の訓練で身体が動けなくなる程軟ではない。
すると部下は何か言い難そうに口ごもる。
「どうした?まさか、本当に身体を壊したのか?」
「いえ、中佐はご健康です。ですが・・・」
部下は意を決したように顔を上げた。
「将軍の指示で、各都市の偵察部隊に組み込まれました。中佐はホドの偵察に赴いています」
「なんだと!?そんな話しは聞いていないぞ!?」
「お、落ち着いてください。大佐は今謹慎中です。謹慎の者には知らせる必要が無いと将軍がおっしゃられまして」
「馬鹿な・・・」
確かに謹慎中だが、何か問題が起きればエターナ軍№2の自分が動く事になるのは必定だ。最高司令官のビカースは無論優れた指導者だが、補佐役である自分無しでは完璧に指示系統を機能させるのは困難だ。
(スミレは私直属の部下なのだぞ。かつての父ならば必ず私に伝えていたはずだ。謹慎など関係ない)
信じられない。開いた口が塞がらず片手で口を覆った。
「自分も、信じられません。ですが、将軍の指示に逆らえる者は誰もおりませんので」
「分かっている。お前達を責めたりはしない。
しかし、偵察だと?我々が注視すべきはケセドとリンダのみではないのか?それとも未だ見つかっていない四つ目の赤い星を見つける為か?」
「それは分かりかねます」
(あるいは、偵察そのものがブラフである可能性もあるか・・・)
あれこれ考えていても時間の無駄だ。
「私の隊を秘密裏に動かせ。偵察隊、特にスミレを監視するのだ。私に伝えず彼女を動かす程の目的があるのだろう」
「了解しました。では、そのように仲間に伝えます」
部下は一礼して退室した。
ビカースの語った秩序は誰にも話していない。下手に話しを広めては兵士達の動揺し士気に関わる。特に立場上、父の発言が余程問題でなければ軽率に浅慮な行動は出来ない。父の変化を探る為にも慎重に事を行わなければならない。
(父を探れるのは、私だけだ。父を最も理解し傍にいられるのも私だけだ。不敬や失望を買うような動きは抑えなければならん。事は慎重に運ばねばならないが・・・)
「私がこのように動く事も予測済みなのだろうな」
コウは窓からマルクトを、世界を眺めた。
「世界の脅威、異獣の掃討。世界から異獣を消し去り、人の世を取り戻す。かつての世界のように、安寧と平穏に満ちた人の世とする。それが、我々の理念だ。
父上。あなたの秩序は、理念を逸脱してはおりませんよね」
父と対面した兵士によれば、自身の行い、行動に一切の迷いが無く、絶対の自信を有しているとの事だ。元からそのような人ではあった。しかし指示の中身を明かさずに曖昧なまま兵士を動かす事は今まで無かった。
「報告によれば、リンダは決して人に害を及ぼす存在ではない。しかし、全ての赤い星がそうであるとも限らない。
リンダ。彼女がいれば、父の変化の要因が判明するかもしれんな」
父は父ではない。それが、今判明している唯一の事実だ。
*
薄暗い部屋には肌に纏わりつく湿気に満たされている。
荒い息遣いが聞こえてくる。汗と共に血が滴り、鎖で吊るされた男がやすりが巻かれたこん棒で代わる代わる殴られている。男性は悲鳴を上げる体力も無いのか呻き声を上げるだけだ。
その様子を黒い法衣に身を包んだ男が眺めていた。顔は黒い頭巾で覆われており、長く生えた髭だけが覗いていた。
「そうですか。ティファレトの都市長が死にましたか」
法衣の男は配下から報告を受けていた。
「天誅でございますね」
「神の使いを汚らわしい存在と罵る愚か者。いずれ神罰が下ると思っておりましたよ」
実に愉快そうに嗤う。
「肉はどうですか?」
「未だ肉のままです」
法衣の男は髭を撫でた。
「待ちましょう。奴らはいずれケセドへと足を運びます。その時に、神の肉をお返し願うとしましょう。
あなたはもう下がりなさい。それと、監視を緩めてはいけませんよ」
「承知しました」
配下が引き下がると法衣の男は吊るされている男性に歩み寄った。
「我々の神殿に夜襲を仕掛けるとは、愚かな男だ。やはり神の使者に仇為すハンターは悪でしかないのだな」
男性は顔を上げて怒りの形相を向ける。
「彼女を・・・どうしたんだ・・・?」
「彼女?」
法衣の男はわざとらしくすっとぼけた態度を取った。
「協会の金を収めに・・・お前らの所に行った・・・女だ・・・!」
「ああ。彼女の事ですか。
彼女でしたら壮健であらせられますよ」
法衣の男は手を叩いた。扉が開き一人の女性が入って来るが、その姿を見たハンターは擦れた声で悲鳴を上げた。
「何を驚くのです?ほら、実に素晴らしい姿でしょう?」
女性は死んだ目をしている。黒い信者服を身に纏い虚ろな表情で虚空を見つめている。
しかし、男性が悲鳴を上げたのはそんな事ではない。女性の身体が赤い血管のようなもので覆われているからだ。
「お前・・・彼女に何をしたぁ!!?」
「寵愛を与えただけですよ。彼女は我々の信徒として生まれ変わったのです。
これは最上の幸福と呼べるでしょう。神の力、その一端を与えられたのですから。彼女は高次の存在へと生まれ変わったのです」
「クソが!イカレ教祖が!何が神だ・・・ヘブンズの糞野郎が!!」
頭巾に覆われた顔は見えない。ただ、ごみを見るような視線を下したのは男性も察した。
「我々は慈悲深い。どうですか?あなたも神の寵愛を受けるつもりはありませんか?さすれば彼女と共に永久の安らぎと幸福を得る事が出来ますよ」
それに対する返答は粘ついた痰だ。
「ごみが。貴様のような奴は野に還る資格もない。関節を砕いた後豚の餌にしろ」
拷問執行人は男性の顔と腹を殴ると鎖を外し運んでいった。
「最大の障害はマルクトのエターナ軍か。それにネツクのハンター、ベンも気掛かりだ。
だが恐れる事は無い。我々には神がおられるのだ。
だからこそ、神は我々が全て手に入れなければならない。救済の為に」
*
ティファレトに留まって三日が過ぎた。工房は全力で稼働して武器と鎧の修復を急いでいる。時間が掛かっているのは主にヒュームの物だ。近接用の武器など扱う人がほとんどいないから工房も手間取っている。
都市にはある程度の修理修復をする為の工房がある。少し破損で一々マルクトに送っていたら手間も時間も掛かってしまう。
本来ならそうすべきなのだが、それが出来ない事情を抱えているしそんな悠長に待ってはいられない。もし送ろうものなら最短でも二週間は掛かる。
支部長が口利きしてくれなかったら断られていただろう。恩人とは言え、戦鎚とクレイモアを一から作るなど初めてなのだ。下手な物を渡したくない、それが本音だ。
そんな訳で使い手のヒュームがあれこれ意見を述べながら手探りで作っている。
回収した異石のほとんどは都市の為、遺族の為に使ってもらう事に決めた。自分達には過ぎた金だ。
(大異石か・・・)
ヒメラトゥムの女王からは大異石が取れた。恐るべき相手だった。それでも異結晶には届かない。より強い異獣は、どれだけ恐るべき力を秘めているのだろうか?
「ルージュさん。気合が入ってるね」
公園でハンター達を集めてルージュは指導をしていた。実践不足気味なハンターは気合が入っている。その中でも特にやる気と気合が入っているのはフォールミド達お貴族ハンターだ。
「武器の構えが遅い!瞬時の判断力が無ければ異獣を倒せないわよ!」
ルージュの激に威勢の良い返事が響く。普段は静かで落ち着いた公園が熱気に喧騒に包まれ、市民達は別世界に迷い込んだような心境を抱いた。
嫌な顔はするも、誰も文句を言ったりはしない。これが自分達の為に、助けになるのだと学んだからだ。
「やる気があるのは良い事だよ」
二人はベンチの上から特訓風景を眺めていた。
この三日間は筋力維持とスタミナ維持のトレーニング以外は何もしていない。する事が無いとも言える。パンハイムは支部長と共にティファレトの立て直しに協力している。護衛に関しては傍仕えのハンターがいるので大丈夫だそうだ。
「お主達は今しばらく休むと良いぞ。これからもっと忙しくなるからの」
忙しくなるとは旅の事だろう。だが、四人は別の意味合いとして捉えた。
エターナ軍。七つの鐘。そしてテンレイド。自分達はこれから先強大な敵と戦っていかなければならない。ヒメラトゥムとの戦いとは比較にならない程の敵が待ち構えている。
今は台風の目の中にいる。僅かな安らぎの間に、英気を養うのも大切だ。
最も、ルージュのみは指導の為に依頼に同行しているが。仮にも指導者、現場でフォローを入れなければ育つ前に刈り取られてしまう。
「リンダ。少し歩こうか」
「うん」
都市はもう前の生活に戻っていた。ただ、露骨に自分達を見下す視線や態度は無くなっている。異獣の襲撃でまだ精神が摩耗しているのもあるが、自分達が嫌っていた存在が命を懸けて助けてくれたからだ。
死人が出た事を責めた。だが、避難勧告を受け入れなかった自業自得でもある。脅威が無くなった事で頭が冷え、自分達の愚かさを思い知らされたのだ。
「身体、元に戻って良かったな」
「ご飯食べたからね」
「大きくはならないんだな」
「そうみたい。ヒュームみたいになれば、存分に力が使えたかもしれないのに」
「大変な事が多いぞ?ヒュームの苦労話は山とあるからな」
「家に入れなくなるのは、ちょっと嫌かな」
初めは他愛も無い世間話を交わした。
「仇、打てたね」
「ネツクに報告に行きたいよ。きっと、怒るだろうな」
「どうして?」
「危ない事はするなってよく言われててな。異獣ハンターになったら危ない事しかないのに無理な事言うよな」
「・・・その気持ち、あたし分かる」
「僕も分かるよ」
「怒っても、優しく怒るよ」
「そうだろうな」
やがて二人は集合墓地へとやって来た。犠牲者はヒメラトゥムに連れ去られ、巣の中には誰かも分からない僅かな肉片しか残っていなかった。肉片は全て回収した。原型を留めていなくても、誰かも分からなくても、一部だけでも帰って来た方が良いからだ。
集合墓地の前には献花が山と積まれている。遺族の中には一日中墓地の前で泣き続けていた人もいた。今はたまたま誰もおらず、静謐とした静けさに包まれていた。
二人は何も言わず、静かに祈りを捧げた。
(あたしが、あの時頑張っていれば・・・力を使っていれば助けれたのかな?)
狙われているから、人から恐れられ忌避され嫌忌され、異獣と同じ存在として扱われる。自分が人間にとって異質で恐ろしく見えてしまう存在なのはもう理解している。
それでも、それを押し殺して力を使っていれば助けられた人がいたかもしれない。どう思われたとしても、それで命を助けられたのなら構わない。
「過ぎた事を気にするなよ」
心を読まれてリンダは小さく笑った。
「これが、ケンと同じ気持ちなんだね」
「過ぎた事は変えられない。だから気にするな・・・なんて、口では簡単に言えるけど、当人からすれば簡単な事じゃないんだよな」
犯した過ち、起きてしまった惨劇、防げなかった悲劇、人生とは常にやり直したい事象で満ち溢れている。過去には戻れない、繰り返さないように前を向くしかない。そう頭では分かっていても、心がそれを拒絶する。
やり直したい。やり直して、後悔の無い現実にしたい。それは虚しい妄想で、手の届かない幻想だ。それでも人は望んでしまう。
「弱いんだ。僕達は、人は、振り切れたりなんて出来ない。未練と後悔は何時までも残り続ける。
だけど、抜け出せた。親友がいて、仲間がいて、やっと抜け出せた。
時間が掛かってもいい。振り切る事が大切なんだ。
もう、リンダが妹のリンダには見えない。リンダをちゃんとリンダとして見れるよ」
妹の幻影はもう重ならない。ケンの目はリンダをしっかりと捉えていた。
「これから先も、きっと同じような事が起きるんだね」
「起きてほしくないよ。けど、そんな理想が叶う程甘くはないんだろうな」
「辛い事が起き続けるのが現実なら、それが起きるものとして覚悟を決めないといけないね。何時、何が起きるかなんて誰にも分からないし、予想なんて出来ないから」
物事とは突然起きる。前振りも無く、何の脈略も無く、唐突にやって来る。何時それが起きてもいいように心構えを持つ事が肝要だ。
「あの時、僕はリンダと心から繋がったのを感じた。きっと、僕がリンダを妹じゃなくてリンダとして意識できたからなんだ」
「あたしも、あの時ケンと繋がったのを感じたよ」
「あの力、これからも使っていく事になるんだよな。
リンダ、僕は戦う。戦って、間違いを正して、異獣を倒す」
「あたしはケンに何処までも付いていくよ」
反射的に頬を赤らめてしまう。リンダは微笑を浮かべてケンの手を握り締めた。
「これからはあたしの事を頼っても良いんだからね」
改めて、自分の存在を示した。遠慮なんてしなくて良い。自分を自分として見てくれるのなら、普通に頼れるはずだ。
「なら、頼らせてもらうよ。けど、リンダも頼ってくれよな」
「勿論。お互い様だね」
頼り頼られる。それが仲間と言うものだ。
二人の様子を、何時の間にかルージュとヒュームが物陰から見物していた。
「良いわね。私もあんな気持ちを味わってみたかったわ」
「味合わないの?」
「もうそんな甘い気分に浸れないわよ」
ルージュは哀愁を漂わせる。
「そんな事、無い」
純粋な励ましは半ば追い打ちでもあるが、まだ諦めるには早いと気付かされ「ありがとう」と返した。
(恋なんて一生縁が無いと思っていたけど、二人を見てると・・・。
大人になっても、人は変わるものね)
女性としての幸せなど捨て去ったはずなのに、それが恋しくて堪らない。ただ今は、そんな気持ちに振り回されている時ではない。
「ヒューム、身体はどう?」
「平気」
「・・・力は使える?」
「使えない」
どんなに力を込めても、ケンと同じように発現する事は無かった。
「特別な力か。特別な存在である事が関係してるのかしら・・・」
*
あくる日、パンハイムはティファレトの家々を巡り訪問販売を行っていた。商談に応じる人はほとんどいなかった。
「精が出るわね」
ルージュは冷ややかに告げた。
「これがわしの仕事での。働かざる者食うべからずじゃ」
「それは立派だけど、もう少し空気を読んだらどう?」
「そうだの。ただ、こうして行いで日常の感覚を少しでも思い出してくれたのなら、この上ない成果であると思わんか?」
「・・・悪かった」
「気にするでない。どっちみっち、商売なのは変わらんからの」
「ねえ、どうして誰も泣かなかったのかしら?」
ルージュは唐突に尋ねた。パンハイムは微かに身体を震わせた。
都市長ウェヌスの葬儀は盛大に行われたが、泣いている人は一人もいなかった。市民達も、使用人達も誰一人涙を流さなかった。ただ一人泣いていたのはパンハイムだけだった。
ティファレトの立て直しを優先し葬儀を後回しにする程人望が無かった・・・のではない。誰も彼も都市長の事を忘れていた。遺体を預かっていた使用人達もティファレトに尽力するばかりで誰も気に掛けていなかった。
支部長とパンハイムが声を上げなかったら葬儀をしないまま忘れ去られていただろう。
「ティファレトは都市長が自分の色に染め上げていた。市民達も同じ色に染まっていた。性格に難があっても、あそこまで人望が無いとは思えない。忘れ去られるのも変。
不自然よね。あなた、何か知ってる?」
「さて・・・見当もつかんのう」
「あれだけ気を掛けていたのに?」
「家族であっても、全てを知っておる者などおらんだろう」
それは確かにそうだが、それで納得が出来るものではない。
「深く気にするな。もう、終わったのだからな」
悲しそうに項垂れる背中を前にして、それ以上何も問えなかった。
「そうそう、明日には一旦港町リメーンに戻るからの。ここに来て日数も経ったし武器も鎧も直った。そろそろ海の異獣も倒されておるかもしれんからの」
「そうね。それは賛成だけど」
ルージュはパンハイムの鞄に視線を落とす。
「あなたの鞄、どうなってるの?どう考えても収まり切れない量の物が入ってない?」
「使い方を心得ておるだけじゃよ。長年の相棒故に、収納の仕方は心得ておる」
そうではないと思うが、また尋ねてもはぐらかされて終わりだろう。それ程気にしている訳でもないのでルージュは「じゃあ明日の事を伝えに行くわ」と去っていった。
翌日、四人の見送りにはハンター協会全員が集まった。市民達も集まっている。
「お前達には世話になったな。いずれ何かあった時はわしらは必ず借りを返す。この恩は生涯忘れんよ」
支部長は初めて柔和な顔を四人に見せた。それは多くの肩の荷が下りたからだ。
それでも暗い影が覗くのは都市長が死んで立て直せる事実だから。出来る事なら生きて和解を果たしたかった。
「ルージュさん。僕達は一からハンターを出直します。いずれ、あなたにも認められるハンターに必ずなってみせますよ」
フォールミドの顔は土で茶色く汚れていた。綺麗な手は皮がむけて擦り切れて悲惨な状態だ。巻かれた包帯から血が滲んでいる。それは異獣ハンターになる覚悟が本物の証だ。それはお貴族だったハンター達誰もが同様であった。
「優雅に、可憐なハンターになってみせますわ」
「英雄の如く素晴らしき異獣にハンターになる!」
「あなたに並ぶ銃の名手になってみせますよ」
「楽しみにしてるわ。生きて、また会いましょうね」
ハンターは異獣を倒さなければならない。しかし、敵わなければ、予想外の事態が起きれば身を引く判断力と冷静さも求められる。死ねば元も子もない。どのような嘲笑も後ろ指も生きてさえいればいくらでも払拭できる。勝つ為には逃げる覚悟も必要だ。
生きる為に逃げ、勝つ為に逃げる。ルージュはハンターとしてハンターの基本を彼らに叩き込んだ。同志が死なないように。
彼らはもう、立派な異獣ハンターだ。
「あっという間だったな。色々あったが、楽しかったぞ」
「ミゲールさん。お世話になりました」
傍には孤児院の子供達、ネルケとロナルド達もいた。
「皆、良かったね。孤児院、暮らせるようになった」
「皆さんのお陰です。あんなに沢山の異石を持ち帰りになられて、そのお陰で沢山のお金が入って、あたし達は孤児院で暮らせるようになったんですから」
「全部わしが買い取ったからの」
「あんた、凄い金持ちなんだな」
その金を何処に仕舞っているのか?ルージュの疑念の一つでもある。
「ケン!俺は工房で働く事に決めた!最高の武器を作って異獣ハンターを支えるんだ!」
「頑張れよロナルド。お前ならきっと出来るさ」
「そして何時かマルクトに行って、もっと人の役に立つ!」
皆は知らない。マルクトのエターナ軍が何かよからぬ事を企んでいるのを。
それでもマルクトとエターナ軍が世界の人々に最も貢献している事実は変わりない。
「頑張れよ」
子供の夢を壊したくはない。子供達の未来の為にも、自分達が頑張らないといけない。
「今回の件はネツクには伝えておいた。ヒメラトゥムの被害はわしらの問題だけではなかったからな」
「どう思うかしらね?」
喜ぶも、素直には受け取らないだろう。
沢山の人達に見送られて四人はティファレトを出た。
新しい歴史を紡ぎ出す。ゼロになり、再び積み上げてゆくのだ。
より良い都市へとする為に。




