虫の異獣
パンハイムが孤児院に戻ってきた頃にはすっかり夜になっていた。
「どうだった?」
「駄目だった・・・」
とても悲しそうにしている。
「気を落とさないでくれ。そうやって骨を折ってくれるだけ俺達は嬉しいよ」
「・・・すまんの」
それだけでは無い事に気づいたのはルージュだけだ。何か、とてもショックな事が起きたのだろう。あえて何も訊かずに「お疲れ様」と声を掛けた。
一先ずは世話になった礼と言う事で孤児院に泊まる事になった。何もせずに世話になるなど到底できず、ケンとリンダは手伝いを買って出た。
「お兄ちゃん大きいね!」
「どう?」
「たかーい!」
ヒュームは大きな身体を生かして子供達と遊んでいた。太い両腕に子供達をぶら下げてグルグルと回っている。
大きな身体は注目の的で人気者の秘訣だ。ヒュームは特大の遊具みたいになっている。
「ネルケ。それはこっちにお願い」
「はい!」
ネルケは年長者と言う事でルーシアに頼んで孤児院の手伝いをしていた。自分がこうして働く事でどうにか子供達をここに住まわせてもらいたい故だ。
その気持ちを察してロナルドも拭き掃除をしていた。
「人がいるって言うのは良いな。賑やかでとても楽しいよ」
「人手はいくらあっても足りんからの。こうして沢山の人がおれば、家は温かくなるものだ」
家は人が暮らすからこそ火が灯るのだ。
「お主は手伝わんのか?」
「私が手を貸したら誰が武器と鎧の手入れをするの?」
ルージュは手慣れた手付きで銃をバラバラにして一つ一つの部品をつぶさに調べていた。何か小さな傷や歪があるだけで命取りになりかねない。そうして問題なかったら元に組み直す。その手際の良さにミゲールは感嘆の声を漏らした。
「俺が現役の頃でも銃をそこまで知り尽くした奴はいなかったな。流石は銃使いのルージュだな」
「まあね」
銃の扱いに関してだけは誇りがある。褒められると素直に嬉しいものだ。
「しかし、異獣ハンターで近接用の武器を扱うなんて大したもんだな」
部屋の中には物々しい武器が並べられている。対異獣用の武器ではあるが、仮にこれを人に対して振るったら虫を潰すような感覚で容易く殺せてしまうだろう。分かっていてもゾッとしてしまう。
「そんなに怖い?」
「見た事が無いんでな」
異獣ハンターで近接戦をするなんて相当の手練れでなければならない。ヒュームのような例外を除けば好んで扱うなど奇人も同然なのだ。
「まあ、私も扱ってるのはベンを除けばヒュームとケンぐらいしか周りにいないからね。武器研ぎぐらいしか出来ないけど、刃こぼれとかしないかしら?」
「そんな軟な武器な訳なかろうて」
「それはそうだけどね」
慣れていない事はどうしても不安になってしまうものだ。
「それで、今後はどうするの?」
「お主達が協会で騒ぎを起こしてしまったしのお。それをダシに都市長もティファレトから異獣に関する要素を徹底的に排除しようとするだろうの」
「旧知の仲でも止められない?」
「あやつは異獣のせいで心に深い傷を負っておる。そのせいであのような有様になってしまったんじゃ」
「・・・ねえ、どうしてそんな人が都市長になれたの?世襲制でも変じゃない?」
会った事は無いがこれまでの話しで相当問題のある人物である事は容易に想像がつく。都市を守り、人を守り暮らしを守る。それが都市長の役目だ。
「そこのところは俺達もよく知らないんだが」
「都市長の家計は古くより続く王族の末裔で、ティファレトの前身となる国を治めていたのだ。故にティファレトでは「美しき国の建国者」としてその血を継ぐ者を都市長へと任命しているのだ」
「・・・今の都市長って幾つなの?」
「確か三十二歳だったか」
「両親は?」
「両親が歳を取ってから出来た子供が今の都市長じゃ。十年前に他界してしまったよ」
(十年前って、支部長はその時は七十歳じゃない。普通ならとっくに引退してるわ。それなのに支部長を続けているなんて、昔からティファレトは今の有様だったの?
家族揃って異獣によって深い傷を負わされておかしくなったの?・・・あり得なくはないけど、そうよね)
それ以外考えられない。しかし何故か納得できない。何かが間違っている気がしてならない。しかしそれが何なのかはっきりとしない。
「それはともかく、まずいよな。このままじゃ、ハンターの暴動も起きそうだ」
「まさに今日反旗を翻したのだからの。溜まり積もっていた鬱憤が爆発した今、ハンター達は縄の切られた暴れ牛じゃ。
ここでもし都市長が協会駆逐に動こうものならもう暴走は止まらん。そうなればわしらにも止められん」
「だったら、そうなる前にハンター達を止めれば良いのよ」
磨かれたジャマダハルを掲げると蝋燭の明かりに照らされて滑らかに光った。
「私達の武器は異獣に向ける物。人に向けたら異獣ハンターではないわ」
「そうだな。そんな事はあったらいけない」
人を守り世界を守る。明確な理由も無しに人に武器を向け、世界に混迷と動乱をもたらしてはならないのだ。
明日一番にハンター達の説得に赴く。そう話しは纏まった頃に手入れも終わり、ルージュは一息ついた。
「あれこれ考えても予想でしかないんだし、明日になってから頑張りましょう」
今日はここに来るまでに異獣と連戦したのだ。如何に熟練のハイハンターであっても疲れを抱く。
大きく身体を伸ばし欠伸をした。
「部屋は用意してあるから休んでくれ。そろそろあいつらも寝かさないとな」
扉を開けようとした時、リンダが慌てた様子で部屋に駆け込んできた。
「何があったの?」
息も絶え絶えで切迫している。これはただ事ではない。
「異獣が、異獣が来ます!」
「なんだって!?」
「リンダよ。それは本当なのか?」
リンダは何かを言おうとして咄嗟に口を噤んだ。
「ケン。ヒューム。後ろにいないで早く準備しなさい」
「ああ」
「うん」
「ミゲール。ここに電話はある?」
「ああ。俺の部屋にあるぞ。協会に伝えるんだな」
「頼んだわ。パンハイム、あなたは子供達に身を守る物を渡してあげて。お金なら後で私が払うから」
「いらんよ。人助けは無償が信念じゃ」
二人は駆け足で部屋を出ていった。
矢継ぎ早に指示を出し危機感をあおる事でリンダへの関心を逸らした。
「それで、何で気づけたの?」
四人だけになったので小声で尋ねた。
「何か、感じたんです。物凄く、嫌な感情を。今まで異獣と戦ってきた時に感じていた嫌な感情を感じたんです」
「嫌な感情・・・」
(確かに、異獣は不快な気を纏っている。傍にいるだけで鬱々しくなる。けど、それを探知できる人なんていないし、今までだってそんな事は無かった)
見た目の変化は何も無い。
「何か変わった?」
「・・・自分でも分かりません」
「そう」
*
協会前ではハンター達が完全武装で集まっていた。本来は宿に泊まっているハンター達を集めるのには時間が掛かるのだが、ここでは協会住まいなのでその手間は省けた。
四人が合流するとハンター達は一様に困り果てた表情を浮かべていた。
「市民の避難は?」
「駄目です。誰も、耳を貸してくれません」
ルージュは頭が痛くなった。確かに突然で信じられないかもしれないが、異獣が襲ってくると言われれば一分一秒でも早く避難するのが常識だ。現に孤児院の皆は駆け足で協会に避難していく。
「避難するのに防御用の上着なんて必要なんですか?」
「万が一もあるからね」
ハンター達は慄いた。テンレイドの襲撃事件は既に伝わっているのだ。
「それより、ハイハンター達は?」
ハンター達はパジャマ姿で眠そうに欠伸している集団に視線を向けた。こうして集まるだけマシではあるが、あれでは足手纏いにしかならない。
「集まってくれて良かったわ。来ないかと思ってた」
「帰っていいかしら?もう満足でしょう?」
「眠い・・・」
「まあ・・・話しくらいは聞いてあげよう」
フォールミドの顔にはシップが貼られ大袈裟なぐらい包帯が巻かれてある。
「今すぐ鎧を着て武器を持ってきなさい!あなた達にしか出来ない事があるから!」
「異獣も来てないのに無駄な事を」
「早く!」
雷鳴の如く檄を飛ばされお貴族ハンター達は竦み上がった。
本当の本気には意も文句も挟む余地も無い力が宿っている。
「ああ・・・来る・・・もうすぐ・・・!」
「何処から来るんだ!?」
「城壁を越えて、あっちこっちから!」
「飛行能力があるの!?急いで!」
空を飛べる異獣は危険だ。平原などの平地なら問題ないが、遮蔽物の多い場所では死角から不意打ちされる危険がある。何より人がまだ避難しきれていないのだ。
最悪な事になる。
「ルージュさん。俺達はどうすれば良い?」
彼らもまた歴戦のハンターだ。しかしティファレトに来てからはお貴族の召使と化しほとんど異獣退治に赴く事が無くなってしまった。経験と感覚が錆びついてしまった、足手纏いにならない為にもルージュに指示を仰ぐしかない。
その為に十年経っても経験不足でハイハンターになれていない人もいる。
「ここで固まって、派手な音を立てるのよ。奴らを惹き付けて、倒す!」
「都市の守りにはいかないんですか?」
「散開すれば個々で潰される。こういった入り組んだ場所で異獣と戦う時はね、広く自分に有利な場所で待ち構えるのよ。相手が人ならまだしも、敵は襲う事しか出来ないんだから」
静かな闇に耳障りな羽音が鳴り始めた。虫の羽音だ。大きく、激しい音だ。蜂の羽音を耳元で聴いたらこんな感じかもしれない。
「これは、ヒメラトゥム!」
その名を聞いた時、ケンの中で何かが切れた。
城壁を越えて都市の中に入り込んだ異獣をルージュは瞬間で撃ち抜いた。胴体をぶち抜かれ身体が地面に散らばって落ちる。
トンボの複眼と羽、カマキリの口と鎌、蜂の毒針から滴る毒液は石畳の上で泡立っている。
「全員撃ち続けて!攻撃しながら協会前から移動するのよ!」
闇夜に舞うヒメラトゥム達は銃声を聞きつけて一斉にハンターの陣に襲い掛かった。
しかし闇に紛れた黒い異獣を撃ち抜けるのはルージュとリンダぐらいだ。弾幕をすり抜けたヒメラトゥムがハンターに鎌を振るう。
「ぬう!」
ヒュームはハルバートで薙ぎ払いヒメラトゥムの身体を薙ぎ払った。
「死ね!」
ケンはジャマダハルをヒメラトゥムの身体に突き刺し地面に叩きつけ、何度も何度も突き刺した。
「ケン!撃ちなさい!」
しかしケンは突き刺すのをやめない。ヒメラトゥムが溶けて消えると、ケンは腹の底から絶叫した。
ハンター達は驚くも決して意識をヒメラトゥムから逸らさなかった。ブランクがあっても異獣から目を離せば死ぬ事ぐらい身体に染み付いて忘れる事は無い。
「ケン!戦う!」
ヒュームに鎧越しに殴られてケンはどうにか我を保つ。
(急にどうしたの?ヒメラトゥム・・・何かあったのね)
その疑問は脇に置いておく。
ヒメラトゥム達はド派手な音を立てている協会前に群がるも、奴らは誘蛾灯に群がる虫ではない。
異獣は理由なく人を襲い、殺す。それ以外に理由はない。しかし、全てがそうであると誰が言った?
こちらの警告を無視した市民達もド派手な戦闘が起きれば異常事態に気づく。そして我が身の危機を抱き血相を変えて逃げ出す。協会へ向かって我先へと逃げだす。そこが避難場所だから。
それをヒメラトゥム達が見逃すはずが無かった。鎌が振るわれ身体を捕えるとナイフのように鋭利な口で首に喰らいつく。血飛沫が飛び、抵抗が無くなると毒針を身体に突き刺した。毒液が身体に送り込まれると身体が二倍へと膨れ上がり内側からどろどろに溶けていく。ヒメラトゥムは口と鎌を器用に動かして肉団子へと丸めていく。
「まずい。あいつらはまだなの!?」
そうこうしている内にようやくお貴族ハンター達が鎧を着こんで協会から出てきた。重そうにしている。普段から着慣れていない感が丸出しだ。
「ここはあなた達に任せる!ケン!リンダ!私と一緒に協会前の防衛に来なさい!」
「はい!」
ケンは返事をしなかったが黒く燃え滾る炎の瞳を宿して付いてきた。
「なんだよこの異獣!?」
「気持ち悪い!」
「お、おい助けてくれよ!」
涙が出る程情けない。異獣ハンターを志す子供の方が肝が据わっている。
「この騒ぎで都市の人達が勝手に協会に避難してくる!あなた達はその人達を護衛してここまで連れてきなさい!
絶対にバラバラにならず纏まって動くのよ!」
「嘘だろ!?なんでそんな事」
「ハンターでしょうが!!」
まるで雷が轟いたと錯覚する程の怒号がお貴族ハンター達の耳に反響する。周囲の銃声も叫び声も聴こえず、異様な静けさの中に立っていた。
「これ以上犠牲が出る前に、動く!」
お貴族達にはもう返す言葉が無かった。自分達はハンターなのだ。その事実を今改めて実感した。鎧の重さは、人を守り助ける事への責任だ。
お貴族ハンター達は拙い動きで避難して来る人達を守る為に動き出す。ルージュとリンダが遠距離狙撃で援護しつつ協会に避難して来る人を狙ったヒメラトゥムを撃ち落す。そして暗闇から至近距離まで迫って来たヒメラトゥムはケンのジャマダハルで薙ぎ払われる。
やがて半数が倒されるとヒメラトゥム達は一斉に逃げ出した。時間にしてみれば三十分も経っていないが、体感では何時間も戦った気がした。
「終わったみたいね」
「ケン・・・」
ケンはまだ生きているヒメラトゥムの頭をジャマダハルで突き刺した。その瞳には暗い憎しみが宿っている。
「リンダ、ケンに付いていてあげて。私は状況を確認するから」
「はい」
*
死者五十八名。やはり避難をせずに家に留まり、騒動に気づき勝手に避難しようとした事で殺されてしまった市民が多数だ。
だが、中には家を破壊されて襲われた人もいた。ヒメラトゥムは人間を襲う為に、何処にいるのか理解しているのだ。
「何やっているんだこの役立たず!」
「異獣から私達を守るのが仕事でしょう!?」
「貴様達など即刻ここから出ていて!見ているだけで不愉快だ!」
生き残った人々は口々に協会とハンター達を非難する。
「避難しなかったのはあなた達だ!」
「ハンター達は伝えたはずよ!わたくし達を非難する筋合いはありませんわ!」
だがお貴族ハンター達が彼らを論破した。
守れなかったのはこちらの責任だが、通告を無視して避難しなかったのはそちらの責任だ。何もかもをハンターのせいにするのはお門違いだ。
声量は下がるも市民は非難と文句を言うのをやめない。死んでいたかもしれなかった、また襲われるかもしれない、不安と恐怖の捌け口を求めないと平静さを保てないのだ。
「彼ら、変わったわね」
「ルージュの激、心に響いた」
「自覚が出てくれたのなら嬉しいわ」
協会内ではハンター達が武器と鎧の手入れをしていた。傷ついたのもあるが、これからの為に万全な状態にしなければならないのだ。
「ケン。一体どうしたの?」
リンダは隣に座るケンに寄り添っていた。ケンは怖い顔で何も喋らず無言のままだった。
「ルージュさん。支部長がお呼びです」
「分かったわ。彼らも良い?」
「構いませんよ」
支部長室に入るとかなり苦しそうにしていた。傍の道具からは何か緊張感と危機感を煽る音が出ている。
「ヒメラトゥム襲撃の際、無理をして指揮を取ろうとして興奮され過ぎまして」
「そう・・・」
支部長としての役目を果たそうとしたのだ。自分の立場と身体を鑑みれば決して褒められた行動ではないが、責任が彼を動かそうとしたのだろう。
「みっともない姿を見せたな・・・」
声も小さく傍に寄らないと聞こえない。
「ヒメラトゥムの襲撃。犠牲者は五十八人よ」
「お前達には感謝する。わしらだけだったら、もっと犠牲者が出ていただろう。
しかし、どうやって事前に気づけたんだ?」
本来なら城壁に見張りのハンターが立ち異獣が襲ってこないかを見張っている。しかしティファレトでは景観が損なわれると言う理由で見張りを立てていない。
リンダは少しだけ後ろに下がる。
「丁度外に出ていたこの子が羽音を聞いたのよ」
「かなり遠方でも聞こえるのか?」
「耳の良さはかなりのものよ。才能だからね」
支部長は一応納得した様子だ。襲われたのは事実だし、そう言う才能も存在する。
部屋の扉がノックされた。傍仕えが開けるとパンハイムが入ってきた。
「ようやっと落ち着いたわ。全くあそこまで騒ぐとは元気なもんじゃ」
疲れ果てた様子で出されてある椅子にドカッと座った。
避難してきた市民は落ち着かなかった。泣き叫ぶわ怒鳴るわ口々に文句を言い散らすわで避難所は人の災害で大荒れになっていた。
「どうやって落ち着けたの?」
「ビナー産の精神を宥める紅茶を注いだのよ。効果てきめんじゃな」
話しつつパンハイムは小瓶を取り出した。黄金色に光る液が入っている。
「支部長。これはわしの知り合いから貰った特性の栄養剤じゃ。これを飲めば今しばらくは生きられるようになるぞ」
「胡散臭いな・・・」
「お主、気張りすぎたの。今日中に死ぬぞ」
ざわりと空気が震えた。
「パンハイムさん。あなたと言えど冗談が」
「いや、その通りだろうな・・・」
息をするのも辛そうにしている。元々エターナの医療道具で無理矢理延命していたのだ、何時灯が消えてもおかしくない。
パンハイムは支部長に耳打ちすると忌々しそうな笑みを浮かべた。
「強欲なジジイめ」
「じじいはお互い様じゃ。この商売、何もかもを慈善でやっていける程甘くなくての。ある所からは金を取らんとな」
「分かった。後で支払わせるから、わしが死なない内に飲ませてくれ」
小鬢の栓を取りゆっくりと飲ませた。
「支部長?大丈夫ですか?」
少しの沈黙の後、突然身体をピンと伸ばすとバネで跳ね飛ばされたような勢いで上体を起こした。
全員仰天して「ええ!?」と叫ぶ。
「支部長!?」
「なんだこりゃあ・・・?身体に力が漲るぞ・・・?」
昨日までは一人で歩く事すらままならず、人に支えられていてもそれだけで死にそうになっていた老人が背筋を真っ直ぐに伸ばし自らの足で立ち上がった。
道具の不愉快な音も消えている。赤色だったメーターが緑色に変わっている。
「これ程の効果を発揮したのを見たのは初めてだ」
「お前・・・これ、なんだ?」
こんな薬は存在しない。飲んですぐ全身に行き渡る栄養剤など存在しない。
「ビナーで暮らすわしの知り合いが作った物じゃよ。
本来なら栄養が全身に染み渡ってゆっくりと力を取り戻す物なのだが・・・お主にはまだまだ底力があるようじゃの」
問い質したい。聞きたい事がありすぎる。
しかし、今はそんな事をしている場合ではない。支部長は一度深呼吸をしてベッドに腰を下ろした。
「ヒメラトゥムか。だが、前に奴らが動いたのは六年前だろ?何故今動いたんだ?」
「おそらくだけど、赤い星が関係しているのかもしれないわ」
「ネツクの傍に落ちたあれか。だが、あれが異獣の行動に影響を与えているとは聞いていないぞ」
「可能性よ。今は情報が少なすぎるわ」
ルージュは傍仕えの方を向いた。
「例のハイハンター達を連れてきて。彼らにも関係ある話しだから」
「分かりました」
傍仕えが部屋を出るとルージュはパンハイムに視線を向ける。
「あなた、一体何者なの?」
「商人じゃよ」
「ただの商人がそんな物を取り扱うなんてね」
(間違いなく善人だけど、怪しすぎる)
信用が出来るが信用できない。それがルージュの評価だ。
程なくしてお貴族ハンター達が部屋へと入ってきた。彼らも支部長の容体は聞かされていたのでこうして起き上がり健康な姿になっている事実に言葉なく驚き何度も目をしばたいた。
「支部長は一時的に回復しただけだから。話しをするわよ」
返事は無かったがルージュは構わず言葉を続けた。
「今回ティファレトを襲ってきた異獣はヒメラトゥム。一応訊くけど、知ってる?」
「知らない。だから、教えてくれ」
フォールミドは躊躇う事無く無知を明かした。聞くのは一瞬の恥聞かぬは一生の恥、異獣の知識が無い事には呆れるも成長した内面に免じてルージュは怒ったりしなかった。それは支部長も同様だ。
「ヒメラトゥムは虫の異獣。見た目は虫の特徴を集めた複合昆虫よ。
通常、異獣は繁殖をしない。そもそも出来ない。異獣には生殖器官は無く、雌雄同体でもない。ある日突然その場所に現れる謎の存在よ。
けど、唯一自ら増える事が出来る異獣が存在する。それがヒメラトゥムよ。
奴らはまず女王となる個体がこの世界に現れて巣を造る。巣の中で卵を産み卵が孵化するまでは女王が獲物を捕え幼虫の世話をする。そして幼虫が成虫となり兵隊になると女王は卵を生み続けるように身体を変化させるわ。
ヒメラトゥム通常、自然界の動物を襲って餌としている。そしてある程度の繁殖と育成が終われば休眠期に入って十年間は何もしなくなるわ。
今回のヒメラトゥムは六年目に活動を再開した。その原因は不明だけど、六年ならヒメラトゥム達の餌もある程度増えている。動物さえいたのなら、今回の襲撃は起こり得なかった」
「それは、もしかしてこの近隣の異獣のせいなのか?」
「ええ。異獣は命を奪う。それは動物も同じように。
ヒメラトゥムを討伐していなかったのは私達もそうだしその責任はあるわ。けれど今度の襲撃、異獣さえ倒していれば起こり得なかったはずよ」
ハンターの仕事をこなし異獣を倒していれば起こり得なかった事態。それを招いたのは自分達だ。声を荒らげて責められた訳ではない。しかし、こうして自分自身で理解させるようなやり方は、怒られるよりもずっと辛い。
罪の十字架が重く圧し掛かる。心を深く暗く潰し死人の如く生気の無い顔へと落ちる。
「罪の意識を感じるのなら、自分達がどうするべきか分かる?」
「・・・私達は、異獣ハンター。異獣ハンターは異獣を倒す。それだけです」
フォールミドは決意の固まった男の顔になっていた。軟弱な貴族の顔は消え失せて確固たる意志を持つ男がそこにいる。
程度の差はあっても、全員が同じ気持ちだ。
「お前の激が堪えたようだな」
「腐ってもハンターと言う事ね」
「言い返せないな・・・」
何よりも彼らを変えたのは人の死を間近に見せられ、自分達がほとんど役に立たなかった事だ。ルージュの指示で助けに行っても、ほとんど武器で攻撃する事が出来なかった。援護がなければ間違いなく死んでいた。
「ヒメラトゥムは地面に穴を掘って巣を造る。カモフラージュの蓋で隠しているから目を凝らしても見逃す事がある。六年前はそうだった、けど今は違う」
ルージュは僅かにリンダに意識を向ける。
「討伐には私達四人で行くわ。残りはティファレトの防御に残って」
支部長は僅かばかりに不安そうな面持ちを浮かべた。
「どうしたの?」
「協会はな、都市長が許可を下さないと動けないのだ。無論、異獣ハンターも都市長の許可なしに勝手な事は出来ん。
情けないが、懐を握られてしまってはわしでもそれは変えられんのだ」
「ふざけるな!」
ケンの怒号を発して傍の椅子を蹴り倒した。
「人が死んで、まだそんな事を言うのか!」
それは都市長に向けた言葉でもあり、支部長に向けた言葉でもある。
大きな音を立ててケンは部屋を飛び出していった。
「ケン!」
「待って!」
後を追おうとした二人をルージュが静止した。
「情けない・・・自分を殴りたい・・・」
「そう思い詰めるのは良くは無いぞ。お主は立派に役目を果たしとる。
都市長にはわしが話そう。お主達は準備をしておいてくれ」
「ああ。・・・頼む」
支部長とフォールミド達は深く頭を下げた。
「分かったわ。
私達も少し席を外すわ。ヒューム、話してくれる?」
「うん」




