夢見た世界のその先は
お読み下さり、ありがとうございます!
冒頭から曲のスタートです。
──音楽が流れ出す。
竦むな、私の足!
今にも膝が笑い出しそうなくらい、緊張していた。あのカーテンの向こうには、ずっと憧れていた世界があるのだ。
ドキドキと高鳴る心臓を落ち着かせようと、大きく深呼吸する。
「では先生、よろしいでしょうか?」
インカムを装着しているスタッフは、上手からの動線を案内し始める。
私はそれについて、壇上へ続く階段前に立つ。
震える手を胸に押し当て、少しだけ瞑目する。目を開き、チラリと腰に下げた道具を確認すると、頷いた。
「はい、大丈夫です」
『それでは! 本日の素晴らしいステージ、ラストを飾りますのは── 』
ステージ上から、私を紹介する魅力的な声が響いてくる。
全てが言い終わる前に……
「3・2・1……どうぞっ」
とバックステージのカーテンが開かれた。
眩しいライティングの中、自分達で選曲したミュージックに合わせ、私は歩き出す。
メインステージには、先に仕上がったモデルが並び、その前を通って、ゆっくりとセンターステージに向かう。
歓声が静まりかえり、私の耳に届くのは音楽と鼓動だけ。
目の前にスポットライトが当たり、モデルの元へ辿り着いた。
ステージの下は暗くて見えない。
ここだけが別空間──
そう。それは、私達の憧れた世界。
今そこに、私は立っている。
薬指にかけたシザーとコームを握り、小さく息を吐いた。
シアー感たっぷりの、美しいカラーに染まったモデルの髪を、軽やかに持ち上げては動かしていく。
耳には、優しい音楽が流れ続け、それに合わせてシザーを細かく開閉させる。
ライトを浴びてキラキラと舞っては落ちる髪。
空気をまとわせれば、ふんわり輝く。
さあ、創り出せ。煌めく美の世界を!
◇◇◇◇◇
──10年前。
「なあ、雅ちゃ〜ん。美容の専門来てるくせに、地味じゃね? せめて、コンタクトにしたら?」
隣の席の、ど派手な金髪のチャラ男が言った。
「は? 地味で何が悪いの? 言っとくけど、そのギラギラした金髪はダサいよ」
ムッとした私は、可愛さゼロの顰めっ面で反撃する。本当は、もっと違う事を言いたいのに。地味という図星を指され、恥ずかしさを隠すのが精一杯だった。
「うわ、ひでぇ。俺、泣いちゃうよ?」
「勝手に泣けば」
更に冷たい言葉を重ねてしまう。
けれど、この金髪の吉沢海斗は気にもせず、ゲラゲラ笑って他の席の友人と喋っている。
──どうして私は、素直になれないんだろう。
本当は……コンタクトだってしてみたいのに、目に異物を入れるのが痛そうで怖いだけ。臆病な自分が嫌になる。
高校を卒業して、美容の専門学校に通いだした。
勉強も好きじゃなかったし、特にやりたり事も無かったから……そんな理由で、進路を決めたのだ。
親が美容室を経営していたし、無難な選択だったのだと思う。
そこそこ有名な学校だったが、敢えて同じ高校の子が通わない場所を選んだ。なのに……。
「じゃあさ〜。今度、雅ちゃんちで染めてもらおっかなぁ?」
金髪の前髪を弄りながら、吉沢は言う。
「は、何で!? 他の美容室行きなよ」
「だって、高校から一緒の仲じゃん。俺んちからそんな遠くないでしょ?」
そうなのだ。
入学式当日に、高校の同級生の吉沢もここを選んだと知った。
てっきり……良い大学に入って、楽しいキャンパスライフを送るんじゃないかと思っていた。勉強も出来たし、サッカー部のエースでかなりモテていたから。
それがどうして、艶々だった黒髪を金髪に染め、私の隣に座っているのか。陽キャな彼と陰キャな私。接点なんて無かったのに。
下の名前で呼ばれる度に、鼓動の音がうるさくなっていった。
◇◇
「俺はね、一流の美容師になりたいわけさ」
それが彼の口癖だった。
美容師って一見華やかな職業に見えるが、実はかなりハードな裏方仕事。親を見てきたから、嫌と言うほどわかっている。
まあ、それを知りつつ……同じ職種を選んだ私はどうなんだって話だけれど。吉沢とは温度というか、熱量が違う気がした。
「だって! 人を綺麗にして、ありがとうって言われて、お金まで貰えるんだぜ?」
「え、バカなの? そんな職業、他にもいっぱいあるじゃない」
「ん〜。つか、好きなんだよ美容! いつか自分の店を持つのが夢! 絶対に叶えてみせるっ」
拳を突き上げ、うんうんと自分で頷いている。
まあ、本人がそう思うならいいのだろうと、それ以上は突っ込まなかった。
そんな彼は、何故かちょいちょい私に絡んできた。手先は器用だが、地味でクラスに浮いてる私に。
一緒に作品撮りしたり、国家試験の課題のタイムを競ったり。シャンプー練習も相モデルで。
吉沢のおかげで、美容が段々と楽しくなってきていた。
──そんな、ある日。
「あのさ、一緒に組まないか」
「組むって何を?」
「メーカー主催のコンテストで学生の部があるじゃん? 俺がヘアーで、雅ちゃんがメイク! どう?」
嬉しいが、吉沢には友達が多い。なのに、私をパートナーにだなんて。変な期待をしてしまう。
「何で私に?」
ドキドキしながら聞いてみた。
「え? 普通に上手いじゃん、メイク」
「……ありがとう」
見事に期待は打ち砕かれたが、褒められたのは嬉しくはあった。次の一言がなければ。
「自分にはサッパリなのに、他人には上手いよホント」
かなりのダメージだったが反論できない。
「優勝したら、一緒にステージに登れるしな! スポットライトあびようぜっ」
ニカッと屈託のない笑顔に、完全にやられてしまった。
で、結局。書類に2人の名前を書いて、申し込みを済ませた。
──なのに、あんな事が起こるなんて。
◇◇
その日の朝、愛用していたコップが割れた。
テンションだだ下がりで学校へ行くと、更なる追い討ちが……。
「ねえ、聞いた? 海斗君、事故に巻き込まれたって」
「かなり酷い怪我らしいよ」
教室で、そんな会話が耳に入ってきたのだ。
頭が真っ白になり、目の前が暗くなる。立っているのがやっとだった。
教室から離れ、震える手で携帯にかけるが繋がらない。メッセージを送っても既読がつかない。
なんで、なんで、なんで?
他に連絡手段が見つからず、担任に確かめるため職員室へ走った。脳裏に浮かんでくる、嫌な予感を振り払いながら──。
担任からは、詳しい話はできないと言われた。
けれど、コンテストのパートナーという理由で食い下がり、状況が分かり次第連絡をもらえる事になった。
当然、その後の授業は頭に入るわけもなく、一日が過ぎた。
数日が経った頃──。
やっと吉沢の親御さんから、見舞いが許可されたからと、担任が入院先を教えてくれた。
『吉沢海斗』
病室の前までやって来ると、ドア横に貼られてある名前を確認する。
今回のコンテストは無理だろうけど、まだこれから先だってあるんだから。そんな励ましの言葉を沢山考えてきた。
笑顔をつくる練習をしてから、ドアを引く。
けれど──。
包帯ぐるぐる巻きの、吉沢を見たら何も言葉が出てこない。込み上げる感情を必死で抑えた。
「……あ、雅ちゃん」
薄っすらと目を開いた吉沢は、痛々しい笑顔で私に声をかける。いつものチャラさがどこにも無い。
「ごめんな……コンテスト無理みたいだ。俺がさそったのに……」
ぶんぶんっと首を横に振る。
謝らないでほしかった。だって、吉沢は何も悪くない。事故に巻き込まれた被害者なのだから。
不純な動機がちょっとだけあった私に、気遣いなんかいらない。
「また、良くなったら一緒に出よう! 2人でスポットライト浴びよう、ね」
そう伝えるだけで精一杯だった。口を開こうとすると、涙が溢れてしまいそうで。一番辛いのは、紛れもなく彼なのに。
その日の面会は、それだけで終えた。
後日。
吉沢は、しなければならない手術があるそうで、暫く面会は行かないようにと担任に言われた。
それから、私は吉沢と会うことはなかった。
彼は夏休みの間に、学校を辞め引っ越していたのだ。
利き手の神経が麻痺し、二度と鋏は持てなくなったと噂だけが流れていた。
私はというと……
何かに集中する事で、自分を保っていた。
吉沢の分も美容に明け暮れ、徐々にその魅力に取り憑かれていった。いつしか彼の夢が、私の目標になる程に。
◇◇◇◇◇
フィナーレと写真撮影を終えると、観客とモデルを送り出し、漸く一息ついた。
「お疲れ様でした〜!」と片付けをしながら、会場の外へ出て行くスタッフ達。
ステージの解体は30分後。
……少しだけ。
余韻に浸りながら、誰も居なくなったステージに立った。
「あいつと一緒に立ちたかったな……」
ガランとした客席をボーっと眺める。
「あいつって誰のことですか?」
ビクッと、体が強張る。
まさか、まだスタッフが残っていると思わなかった。
「誰でもないわ。ただの独りご、と……え? どなたでしょうか?」
ステージの下から私を見上げる男性がひとり。
ピシッと上品なスーツを着こなし、艶やかにきっちり整えられた髪。手には花束を持っている。
大会社の御曹司といった風貌だった。
こんなゲストっていたかしら?
取引先やメーカーの主要人物は把握していたのに、この男性には見覚えがない。
いや違う、どこかで──……
「忘れちゃうとか……相変わらず酷いなぁ、雅ちゃんは」
「……っ!?」
急に砕けた口調で、その人は言葉とは裏腹に楽しそうに笑った。クシャッとした笑顔に見覚えがある。
「うそ……吉沢……くん?」
「思い出してくれたね。ああ、良かった」と、またしてもクスクス笑う。
「──ずっと」
感情が先走り、声が掠れる。
「え、なに?」と彼。
「ずっと……どこに行ってたのよぉっ! 連絡先だって、誰も教えてくれないし!」
言葉が口を突いて出ると同時に、堰を切ったように涙が溢れてきた。
ステージにひょいっと登ってきた吉沢海斗は、私の涙に困った顔をする。
「泣かせるために来たんじゃないよ」
花束を腕に持つと、動く方の手でそっと涙を拭ってくれた。優しい瞳が私を見下ろしている。
「じゃあ、何しに来たのよっ」
またしても、私は悪態をついてしまう。ちっとも大人になれていない自分が情けない。
「雅ちゃんと、一緒に夢を追いかけたくて」
「……何よ、それ!」
「え? カッコつけたかったんだけど、くさい?」
「うん。くさすぎ……」
「はは。雅ちゃんは綺麗になったね」
「もう、地味なんて言わせないわ」
他愛もないやり取りが懐かしい。
「相変わらず、冗談ばかり言って」
そんな風に言うと、彼は私をじっと見詰めた。
「そうだな、ちゃんと言うよ。俺、あれから結構頑張ったんだ」
私は「うん」と頷いた。
彼は、専門学校を中退し、必死で勉強し直して地方の大学へ入ったそうだ。
それは、新たな目標のため。鋏は持てないが、好きなカラーの方に、技術者ではなく開発する側として携わることを決めたのだと。
大手のメーカーに就職し、研究のため何度も海外へと足を運んだそうだ。
やはり、向こうの技術は凄いらしい。けれど、日本で扱うには色々と制限がかかり、染料ひとつにも苦労したのだとか。
「でも、やっと出来たんだ。出したかった色がさ」
「……良かったね」
彼の晴れ晴れとした顔が眩しくて、私は目を細めて言った。
日本人に合う新しいカラー剤が出来上がって、市場のトップに躍り出た……それを聞いた瞬間、私の胸は早鐘を打つ。
「もしかして──」
「そう! 今日、雅ちゃんのモデルが使っていたカラーだよ。なんかさ、一緒にステージに立てた気分だった!……ありがとう」
彼の顔が涙で歪んでしまう。
私は、ぶんぶんっと首を横に振る。
「私が……頑張れたのは、吉沢君のお陰だよ」
きっと彼の存在がなかったら、妥協と打算でこんな舞台は目指さなかった。
「だから、私の方こそありがとう!」
ポリポリと照れ臭そうに顔を掻いた彼は、スッと花束を差し出した。
「俺さ。高校の頃から、雅ちゃんが好きだった。だから、情けない姿は見せたくなかった」
「えっ?」
「やっと、会いに来れるところまできたんだ。これからは、雅ちゃんと一緒に夢を追いかけいたい。俺とっ……結婚して下さい!」
「はい。喜んで………!」
震える声で、初めて素直に答えた。
と突然
ワ──……ッ!!
周囲から大歓声が上がった。
ステージの下には撤収の為にやって来ていた作業員と、私を待ちくたびれたスタッフが会場に集まっていた。
ひえぇぇぇっ!! いつの間に!?
「ははは、参ったね」
と言いつつ、吉沢は満面の笑顔を私に向ける。
すると、誰かがあの曲をスマホで流し出したではないか。
調子に乗った彼は、真っ赤になった私の手を繋ぎ、高く掲げると舞台俳優のようにお辞儀する。
耳元で「好きだよ、雅ちゃん」と甘く囁き、皆んなの前で……なんとっ、唇を重ねてきた!
もう一度、大歓声。
吉沢は、恥ずかしさでフラついた私の腰をがっちりホールドすると、ステージ上を歩き出す。
素敵なBGMと拍手を背に、私達は退場した。
まるで、スポットライトを浴びているように。
◇◇◇
そして、私達はまさかの交際0日で結婚した。
今は、新しい店舗兼自宅を建てようと毎日奮闘中だ。お客様から、たくさんの笑顔とありがとうを頂くために。
まだ、夢は始まったばかり。
その先には、ただの平凡な日常があるだけかもしれない。
それもそれで悪くない。
愛する人と一緒なら、どこまでも──!
素晴らしい企画に参加させて頂き、ありがとうございました!
キラキラ輝く未来に向かう、そんな前向きさをこの曲から感じました。
コロナが流行し就職や進学、悩みの尽きない時代だと思います。どんな職種であっても、きっとそれは大切で、いつか誰かの笑顔に繋がるかもしれません。