第四話 血の系譜《ブラッドノート》
「俺から質問させてもらうぜ」
「好きにすればいい。満足したら出ていくのならな」
リーリスは玉座に座ったまま、こちらの方に目を向けることもなくそう言った。俺はといやぁ……座るための椅子なんて残ってないから、地べたに胡坐をかくことにする。
「なぁ、アイツらはなんだ? 機石生物なんて、そうウロウロしているようなもんじゃないだろ。明らかにアンタを狙ってるみたいだったしな」
俺が燭台で突っついた奴らは、もちろん俺の方へと向かってきたが、殆どはリーリスに向かって飛び掛かっているように見えた。いくら廃城といったって、目的も無しにマキナが入り込んでくるだなんて聞いたこともないぜ。
「……あいつらは、十年前から私を追い続けている。マキナだけじゃない。機石人形という奴らにもだ。お前も知ってるだろう?」
「そりゃあ、知ってるけどよ」
機石人形――人族と魔族との戦争が終わった後に、世界のあちこちに出没し始めた人形どもの総称だ。ヒトそっくりの身体の中には、マキナと同じような魔力機石が埋め込まれていて、そこからの魔力が動力源になっている。
戦をするなら、まずは敵のことを知るべし。
騎士団にいた頃に、耳にタコができるぐらい聞かされたさ。
「それぐらいは知っていたか」
「……俺の世代はド真ン中だったからな。魔族との戦争は、騎士団に入る前に終わっちまったけど、新しい人類の脅威が出て来た。それがグランディールだってのは知ってる。……数年前から急激に数が減り始めたって話だけどな」
リーリスの言う『十年前』が、ちょうどその出現時期と重なっている。身体は鋼鉄ほどじゃないが恐ろしく硬質的で、力も早さも並外れてる。出会ったら最後、ヒトも亜人も見境なしに攻撃を仕掛けてくるやつらだ。騎士団の中でも危険視されている存在だった
負傷に怯むことも、疲労することもない。どんな環境でも動き続けることができる。厄介な人形――それが機石人形。唯一の救いは、数が少ないってことぐらいだ。
「――って、十年前? ……いま何歳?」
「……失礼な奴だな」
だ、だってよ。外見からして十歳から二、三年ぐらいって感じだし。
流石に二歳の頃から追われてるなんて、そんなわけはないだろうし。
「……二百かそこらだ。この世界に来たのは、七十年ほど前のことだが」
「はぁ!? 俺が産まれる前からいるってことじゃないかそれ!」
七十年前というと、自分が生まれるよりもさらに五十年程昔の話。
俺の母が産まれるよりも少し前、ばあちゃんの時代だぜ、それ。
……つまりは、リーリスは少なくともそれ以上の年齢ってわけだよな?
どこからどう見ても可憐な少女とのズレに、些か居心地が悪くなる。それと同時に、リーリスの話している内容の一つ一つに引っかかるものがあって。
「……んん?『この世界に来たのは』っていうと……どういうことだ?」
そう尋ねると、『……お前、歴史の勉強はしたことがないのか?』と呆れた口調で言われてしまった。
「魔族との戦争があったことは知っているくせに」
「悪いが、ガキの頃から勉強はまったくだ。別にそんなのできなくたって、誰かを守ることはできるからな!」
「知識を蔑ろにする奴に、ろくな奴はいない」
……一蹴されちまった。
はっきり言ってくれるんだもんなぁ。まいったぜ、ほんと。――ただ、リーリスの言っていることは至極真っ当。これといって反論もできやしない。
「俺がデカくなる前に終わっちまったんだから仕方ないだろ……」
「そういう問題じゃあないんだがな。……まぁ、いい。――もともと私たち魔族は、“こことは別の世界”で暮らしていた。ここよりもずっと大気中の魔力が多く、力の強いものが跋扈するような世界だ。私も世界を支配するものの一人だった。それなのに――突然、こちら側に喚び出されてしまった」
魔界――この世界とは別の、魔素の濃度が殊更に多い世界のことを、昔の人たちがそう呼んでいたらしい。リーリスたち魔族も、面倒だからそのまま呼ぶことにしたそうだ。どうやらその魔界から、リーリスたちを喚び出した奴がいるらしい。
「……喚び出されたって誰に?」
というか、どうやって?
「大きな戦で劣勢に陥った亜人どもさ。お前の知っている『魔族との戦争』ってのやつの前は、ヒトと亜人が争っていたんだろう? どこの世界でも同じだ。人と人、魔族と魔族、国と国――どこかで流した血の量を争っている」
「…………嫌な話だ」
「世界の理だよ。誰もが争っていないと生きいくことはできないんだ」
『流した血の量を争っている』。その血は誰のものなのか。そいつは自らが望んで流したわけじゃないだろうに。誰かがどこかで折り合いをつけられないから、そういうことが起きてしまう。結果的にどうなれば正しいのかは分からねぇが、なんとも馬鹿な話だと思うんだ。
「――話を戻そう。亜人たちは、私たちを戦力として扱うつもりだったらしい。私たちにとっては、完全にとばっちり以外のなにものでもない。こんなことをされれば、誰だって不機嫌にだってなるだろう」
「実に馬鹿なことだ。まずは自らが犠牲になるとは、露ほども考えていなかっただろう。幸か不幸か、《血の系譜》の全員が揃っていたので、半壊にまで追い込んでやったが」
「ぶらっどのーと?」
「……そこまで話す必要があるか?」
「どうせだったら全部話してくれよ。もしかして――さっき言ってた【茨皇女】ってのも関係してるんだよな? このことは書かないからさ、頼むよ」
「……魔族の中でも特別な――吸血鬼であり、更に上位個体と呼ばれる七人だ」
「そのうちの一人ってことかよ。凄いじゃないか!」
本当に感心したんだぜ。魔族だってことは、身体の特徴からして承知済みだ。リーリスの話の細かさまらして、実際に体験したのだという説得力を伴っている。二百歳ってのも、七十年前からこの世界にいるってのも信じよう。
魔族の中でも実力者だってのも、まぁ信じるしかない。
ただ――リーリスはそんな俺を、じっとりとした目つきで睨んでくる。
「お前の危機感の無さはなんなんだろうな」
「いいからいいから! で、他の六人ってどんな奴なんだ?」
ぶっちゃけ、リーリスの正体が何であろうと、恐怖心より好奇心の方が勝っていた。
俺が『書かないから』と言っていたことも忘れて、夢中でメモしていても、『別にアイツらの情報がヒトの手に渡っても、私は困らない』と、見逃してくれた。
――トレト・アークレント
「《血の系譜》の中でも、一際若いクソガキだった。一時期は大暴れしていたみたいだが、今では話を聞くことはない。恐らく狩られたんだろうな、当然の報いだ」
――オルヴァレン・ツェリテア
「臆病者という名が相応しい。立ち回りが上手いだけの無欲な男だった。……この世界に来るまではな。さっさと姿を消してしまったが、今もどこかで生き延びているだろう。コイツだけは見つけ出して殺さなければならない」
「おいおい、怖いことを言うなよ……」
――ミゼリエ・ヴラストーン
「掴みどころのない女だった。他人にあまり興味を持たない奴だったが、敵に回すのはあまり賢い選択ではない」
――ヴァネッタ・ローワット
「こいつも似たようなものだ。正体を隠すのも得意だし、絡め手も得意。他人を利用することに長けた、性質の悪い女だった」
「ロクな奴がいないように聞こえるんだが」
「実質そんなものさ」
「あとは……一応は、私たちを纏めていた長ということになるのだろう。力と権力を誰よりも欲した男――」
――ウルグリアー・ベリルリード
「ウル……グリアー……」
知ってるぞ、その名前は。
「その顔……流石のお前でも、その名は聞いたことはあるらしいな」
もちろん知っているさ。戦争のことを知っている奴は、誰だって知っている。
「奴は既に亡き者となっている。まぁ、当然の話だな。あいつが死んだのだから、戦争が終結した。形式上とはいえ、私たち魔族の筆頭となって戦争を主導した男だ」
最凶、最悪と名高い男。魔族の頂点。
滅ぼされた街、国は二桁にも及ぶという。
もちろん、その《血の系譜》全員を合わせたときの数は更に膨れ上がるんだろう。とにかく、それぐらい酷い戦争だった。
「――馬鹿は多いが、決して無能ではなかった。トップを失ってまだ十年かそこらだ。中には復権を狙っている奴もいるだろう。これが――私を含めた上位個体の七人、《血の系譜》だ」
ん…………?
「……七人? 今の説明……リーリスを入れても六人じゃなかったか?」
「んん……? あと一人いたような気がするが……これで全員のはずだ」
おかしいな、と考え込むリーリス。
記憶を反芻して数えているようだが……やはり六人だったらしい。
「ま、一人増えたぐらいで何か変わるかといったら、何も変わらないだろうけどなぁ。とにかく、そいつらで前いた世界を牛耳っていた、と……」
「――いいや。あくまで、ある程度の領域を支配していただけで、他の勢力だってまだ大勢いた。“上位”というのは、あくまで他の種族に干渉を受けぬほどに、力を有しているだけのこと。後から召喚された、“同郷”の者と戦うことも、別段珍しいことではなかったよ」
……嫌だな、それって。
そんなの、戦争のための道具――ただの駒としてしか扱われていないってことだろう? もしかしたら、前の世界では仲間だった奴もいたのかもしれない。リーリスは、『そんな者はいなかった』って言っていたけど……。
「魔界には戻れなかったのか?」
「……あぁ。当然、戻ろうとした。だけど、帰るための道も、方法も分からない。目的なんて最初からなかった。事態を把握しようとする者、ただ流れに身を任せた者、混乱を隠そうともしない者――そんな面々の前で、仲間の一人が言ったのさ。『戻れる方法があるはずだ。探せば世界のどこかに必ず』と」
その提案は良かったのだろうか。それとも悪かったのだろうか。
前の世界を諦めたとしても、その吸血鬼たちが大人しくしているとも思えないが……。結局は、それによりまた多くの血が流れたんだろう。
「私は戻るために暴れるよりも、面倒を避けて隠れることを選んだが、その言葉に踊らされた奴らは侵略を始めた。暴れたいだけの奴もいたが、きっかけはそんなところだ。途中で戻れるなら戻っていただろうさ」
「……そいつは、なんというか……。やるせない話だな」
……初めて知ったことばかりだった。
自分が子供の頃に教わったのは魔族との戦争に関してだけだ。生まれたのはその戦争の真っただ中で、そして自分が十二歳の頃に突然終わった。
――突然現れた“英雄”が終わらせてくれた。ある日突然に、その魔族の長を殺したという情報が、世界中に広まったんだ。それも嘘なんかではなく、本当にそれからの戦争はヒトと亜人の優勢に傾き始めた。
英雄。……俺の憧れの存在だ。
つっても、話で聞いただけで、一度も見たことはないけどな。
「そうか……。で、それだけ強そうだったのに――」
「『強そう』じゃない。“強い”んだ」
細かいなぁ……。
まぁ、ちゃんと言い直すんだけどさ。
「――それだけ強かったのに、どうして機石人形に追われるまでに弱っていたんだ?」
その魔界の支配者サマなら、きっと機石人形だって返り討ちにできたはず。……まさか、そいつらが世界の一部でも支配できていた存在より強い、だなんてことはないだろうし。
「前の世界は『ここよりもずっと大気中の魔力が多い』と言っただろう。こちらの世界は、元いた世界よりも魔力が薄いんだ。こちらに来て直ぐの頃は良かったが、年月が経つごとに力が少しずつ失われているのが分かる。魔族は大気中の魔力ありきの種族だからな。もう限界が来ていたんだ。……それに私の場合は――」
「………?」
リーリスが少し言いよどんだのが分かった。少しずつ失われる魔族としての力。限界が近づくだけではなく、まだ問題があるという。どことなく、その様子から嫌なものを感じ取っていた。
「――五日前から、まともに奴らの相手をできる状況ではなくなってしまった。こっちの方が致命的な問題だ。私にとって今後に大きく関わることだ。元の世界に戻る方法を探している場合じゃなくなった」
「それって……どういう意味だ?」
そこまで話して、リーリスの赤い双眸が狭められる。
「……それをお前に話すつもりはない。これだけ話せば十分だろう。私がここにいることを誰にも知られない限りは、本にでも何にでも好きにしろ。さっさと帰れ」
流石に自身の弱みに繋がる部分は話してくれないか。
ひりついた空気。緩んでいた警戒が、二割増しで戻ってきたような気がした。
控えていた鎧が動き始めたので、そろそろ退散するとしようか。
……とは言っても、城の中に用意した自室にだけどな。
「つれないねぇ。こんだけ話をするぐらい仲良くなったんだからさ、邪険にすることはないじゃないの」
「……殆ど私が喋っていたがな」
呆れたように肩ひじを付いてため息を吐くリーリスに軽く手を振りながら、広間から降りる階段へと歩いていった。
「リーリスの話、悪くはなかったぜ。面白かったよ」