影は神さえ見向きもしない
その日、国中、下手をすれば隣国まで、この国の王家婚約解消、婚約の報せが駆け抜けた。
次期王と名高い評判の王子と、七大貴族の中の一つであった公爵家の令嬢との婚約は、幼い頃から決められ、それが正式に発表された時、国中が祝福した。仲睦まじいとされていた二人の未来は、やがて王と王妃になるに違いないと、誰もが口にし、それを期待していた。それだけに解消は、何故、どうしてと、混乱と動揺をもたらした。しかし、理由を聞けば、誰もが納得をした。令嬢の父親である公爵が、汚職にまみれ、それに気付いた令嬢自らが家の取り潰しを願い出たのだ。そして自らも、そんな家の人間が王族になるのは相応しくないと、謝罪し、辞退の意思を示し、罰を受ける覚悟を告げたそうだ。王家はそれを認め、婚約は解消、無かった事とされたのである。そして王子は友人であった別の令嬢と婚約を発表した。その令嬢は元々庶子として生を受けたが、父親が七大貴族の一人であった事実と、何より彼女の人柄が最大に評価された。彼女は元々庶民であったが故、貴族に無い視点、思考を持っていた。更に貴族に負けない気位と、優しさ、思慮深さがある為、平民からの人気も高く、貴族ですら一目を置いている少女だったのである。元婚約者の令嬢も彼女であるならば大丈夫だろうと、特に何も揉める事なくスムーズに事は進み、晴れて王子は王太子と決定し、彼女も王妃に成る為の教育がなされる事となった。元婚約者の令嬢は、自身が身内の悪を暴いた功績により恩赦を受け、貴族の席は抜けたものの、彼女の希望する平民として生きる事となったのである。それだけなら、とても美談だと思う。でも、私は知っている。これが、元婚約者令嬢と元庶子令嬢の思惑だった、と。
私は、貴族位を金で買ったと言われる先々代商工貴族で伯爵家の孫である。代々貴族だった一部の人間からは貴族ではないと未だ後ろ指を指されるが、それは単純に無知をひけらかした愚か者だと、逆に蔑んでやる。現在の多くの他国との物流を確立したのは我が祖父であり、父はその中で流通を拡大した実績を持つ。この実績が他国との信頼関係並びにこの国の発展、更には民間の安定した供給に繋がったのは、貿易は商いに携わる人間であれば誰でも知っている事。それを知らず、賜った位を冒涜するのは、それを授けた王家を冒涜するのと同じ事と、祖父の代の王より賜った、直筆のサインと王家の印が入った書類が存在するくらいなのだ。そんな家に生まれた私は、幼少期から父の後を付いて回っていた。長子であった事、そしてもう一人生まれた子も女児であったこともあり、今後は女性も活躍出来るようにと考えた父が、私を跡継ぎにしようと何処に行くにも連れて歩いたせいもある。お陰で色んな国に色んな知り合いが出来たし、今話題の人達とも知り合いだったりする。特に私の妹が同世代である。
さて、何故こんな前置きをしたのか、そろそろ本題に入ろうと思う。
先程述べた通り、王子と二人の令嬢についてだが、知り合いである為どういう状況で今回の事に行きついたのか、他の人より知っている。信じ難い話だが、二人の令嬢にはそれぞれ前世なるものの記憶が存在し、それにより今回の婚約解消並びに婚約となったそうなのである。何でも結ばれる相手が複数名存在し、その中のどの相手と一緒になりたいかによって沢山の取捨選択をしなければいけない物語が、彼女達の世界には存在するのだそう。そしてその物語の中で、元婚約者令嬢は悪役、元庶子令嬢は主人公で、主人公を諌める役が悪役なのだそう。それ、悪いのか?と思いつつも話を聞いていくと、主人公がどの相手を選択しても、悪役は必ず現れ、二人の障害として立ちはだかり、困難を乗り越え他様々な諸問題を乗り越え、主人公とその相手は結ばれ幸せに暮らす。障害は家の人間が悪い事をしている為、自然の流れで罰せられ、厳しい規則のある修道院送りで生涯を終える、という話なのだとか。そしてその物語には別に、悪役が主人公となる話が存在し、それによれば、自分が罰せられる未来を知った悪役が、前主人公の邪魔をせず、更に修道院で過ごす事が無いよう動き、正規の物語に抗って最終的に幸せを掴む、んだとか。しかし別物語による前主人公は、かなり男好きで、複数の男性と関係を持ち、それでいて悪役が抗う運命を良しとしない、かなり自己中心的な存在として描かれ、前作品で相手役だった男性達も、ただの見目が良い、かなり頭の弱い存在になっているんだとか。そんな物語に需要が有るのか些か首を傾げたくなるが、そもそもその物語の記憶を持つ存在が現に二人も居る事が、異常事態であり、真実なのだろう。そして、その二人が、どちらの物語通りにもしたくない、なりたくないと結託し、今回の結果に導いたそうだ。お陰で相手役の男性達も愚かではないし、悪役の元婚約者令嬢も正規物語の主人公の元庶子令嬢も、無事、各々貴族の矜持を持った状態で円満に万事回避出来たわけである。
…物語の部分はね。
はっきり言おう、此処までも前置きだ。何せ、此処までの内容は全部私の話ではないからね。関わりが無いわけではない。彼女達が成りたくない未来を変えようと動いた事で、色んな事が本来の物語とは変わったのだとしても、私には全てが初めてで何が本来と違うかなんて知る由もない。だから正直なところ、そうですか、で終わる。でも、この話を聞いた時、私は無関心ではいられなかった。自分達の事に必死なのはしょうがない。嫌な事から逃れたいと思うのは、誰だって理解出来る。そして、その事で誰かが不幸になるなんて、誰だって分からない。物語を知っていても、そこで語られるのはその話に関係のある人だけ。それ以外の人が何の因果でどうなるかなんて、誰も想像すらしないし出来ない。だからしょうがない、とは思う。責任転嫁、逆恨みとされても仕方がないとは分かっている。でも。でも、だ。私は二人を決して許さない。
私には先の通り妹が居る。幼い頃から父の跡を継ぐ様教育されてきた私とは違い、将来この家を助け、様々な繋がりを強固にする為に育てられた妹は、貴族としても商工貴族としても優秀に育った。彼女は私の自慢だった。父の跡を継ぐ為そちらを優先した自分よりも、見目も華やかで貴族としての人脈も豊富な彼女は、本当に私の助けになったし、自身も誇りを持っていた。互いに自他共に認める仲の良い姉妹だし、誇れる家族。彼女のお陰で今までの前置き内容も知れた。だから、余計に腹が立つ。
妹の婚約者であった男は、我が家と家格は同等であったが、二代目の我が家とは違う、代々の貴族様だった。でも、我が家よりも貧しく、我が家の援助目当てと分かる内容での先方からの打診だった。しかも、三男。人柄を見る為に、父は一年間我が商会に入れ、扱き使った。それを見ていた妹は、男の態度や様子から婚約者にても構わないとして、父に婚約を受けるように言った。そしてその男は婚約者と成った。だが。それから三年後、前置きの事件が起きた。そして元婚約者令嬢が平民となった。そこまでは何度も言うように我々には何の関係も無い。しかし、彼女は商売を始めた。平民として生きる為には自身でお金を稼がなければならない、と。その精神は商売人として同意する。だが、商売をするなら我が家を無視する事はほぼ不可能な状態であるこの国で、自身のアイディアだと言うその商品やアイディアそのものを販売し始めた。王家を巻き込んで。王家にお友達がいらっしゃる彼女は、その人脈を使い、私の妹に接触をしてきた。父に会って話がしたい、と。どの口が言うのか、とその話を聞いた私は呆れてしまった。いくら王家にお友達がいらっしゃろうが、我が家は貴族であり、彼女は平民。妹に接触するだけでも愚かだと、元貴族令嬢なら何故気付かないのか、と。末端とは言え、我が家は祖父の代に王家より賜った書状が存在する家である。それを、王家も、その元令嬢も軽く見すぎではないだろうか。父は今、その長。次席は私、次いで母、妹となる。普通の商家でも、その組織の長に会うのに、そう易々と会えるものか。妹もそれを理解しているからこそ、眉を顰めて追い返した。何をするにも、順序と言うものがある。それを理解出来ていない愚かな者は信用ならない。そんな存在を我が長へ会わせる筈がないだろう、と。当然である。妹のした事は何も間違っていないし、私が妹の立場でも同じ事をする。だが、それに苦言を呈した輩がいた。彼女の婚約者の男だ。我が家が婚約者にしてやった男だ。王家と繋がりのある彼女を取り込めれば大きいバックが得られる。それに、信用も何も、自身の身内の悪事を暴いた彼女は素晴らしい人だし、信用に値する。そんな彼女を排除すると言う事は、暴かれるかもしれない腹が有ると思われる。とか何とか。我が家に王家との繋がりはそもそもあるし、商売をしている以上、探られて困ることだって大いにある。ノウハウや駆け引き、相手の弱み強み、それらを互いに探り探られる。それを上手くやってこそ交渉出来る場が有るし、お互いの利益に繋がるのか、自分がどうやって給金を貰っているのか、理解出来ていないからこその発言だ。よって、激怒した父により、婚約は解消された。事前金返納と併せて、貧乏貴族には中々厳しい賠償金額を叩きつけて。まあ、これも事前の契約書でしっかりと記載してあった内容だから、相手が異議申立を行ったところで誰も何も言えたものではない。しかし、それは王家の印により、異議申立が行われた。調べてみると、どうやら元婚約者の男は、元令嬢の元へ行き、自身を売り込み、我が家での経験を使い、彼女の助けとなる様動いたらしい。そこで新しい発想の彼女のアイディアを武器に、我が家に対抗しようとしていることが分かった。王家のお友達を巻き込んで。
いかに我が家が酷いかを彼女に訴え、自分も被害に遭ったとのたまった。そして、王家のお友達と彼女は、独占禁止法なる物を制定することになった。つまりは、実質我が家の領分だったものは、貴族、平民関係なく平等に。勿論他の分野でも同じだそうだが、お陰で沢山の苦情が我が家に来ることになった。新しく参加出来た者達は喜んだが、それにより今までの利益が減る者は、誰だってその原因である切っ掛けを作った我が家に怒りを向ける。それが例え理不尽であっても。気持ちが分かるだけに、我が家は何も言えなかった。華やかだった妹は自身のせいだと落ち込み、気を病んだ。父も信用を失い、沢山いた従業員も退職金を払えるだけ払い、全員解雇した。最後まで我が家で頑張りたいと言ってくれた人も居たが、今までの経験があればどこの商家に行こうとも活かせる筈だから自信を持ってと断った。これ以上、我が家に居たことで名誉を傷つけさせたくなかったのだ。
本当に早かった。金で買った貴族位は長続きしないと世間が思うようになるまでは。たった二代の栄華だった。父と母は自害した。妹も最後まで申し訳ないと悔いながら、弱り、果てた。私は、三代目になる事も、家族を守る事も、従業員や従事していた人間を守る事も出来ず、家を出た。手には家族の灰となった遺骨だけ。いっその事、一緒に死ねたらよかったのかもしれない。でも、私は当事者だ。例え逆恨みだと、自業自得と後ろ指を指されようと恨みを持って、結末を見届けなければならない。例えそれが、妹の元婚約者と元令嬢が結婚し、幸せな栄華を築いたとしても。王子と主人公が王と妃となって賢王、賢妃と言われるようになったとしても。我が家が忘れ去られ、知っていても愚かな代名詞であったとしても。
一人くらい、真実の物語通り行けば、もしかしたら没落しなかったかもしれないと思っている家の娘が恨んでいようが、痛くも痒くもないのでしょう。貴女達は神に祝福された。そして、私達は見向きもされなかった。ただ、それだけなのだから。