記憶
あれはまだ少し寒い夜中だった。
最近、米軍が日本中で焼夷弾という街を簡単に燃やしてしまう爆弾を落としていると騒ぎになっていた。それもあって爆撃機の飛行音には敏感になっていた。
私は目覚めて今度は何処を爆撃するのかと先に起きていた両親と話した。
すると空襲警報が鳴り出す。
父が私に弟を起こすように言うと外の様子を見に出ていく。
私は急いでまだ眠いとぐずる弟を起こして母と逃げる支度を済ませる。
父が帰って来る頃には外は騒がしく、街の人々が逃げていた。
弟の手を引いて両親と共に逃げ出す。
目指すのは川の向こう岸。
隅田川を目指してみんな逃げていた。
周りでは助けを求める断末魔。
空から降った火の粉で燃える人。
肉が焼ける臭い。
家屋が灰と瓦礫になっていく。
悲鳴が爆撃音が鼓膜をつんざく。
火から逃れようとした人が橋から落ちる。
親と離れ離れになってしまった幼い子が泣いている。
弟の手はまだ握れている。
両親の背中も見失っていない。
橋を渡り、向こう岸までもう少し。
目の前で炎があがる。
誰かの大八車が燃えたのだ。父が私を突き飛ばす。
痛みに堪えて起き上がった私が見たのは炎に包まれる両親。
それが私の目に痛いほどに焼き付いた。
燃える母が逃げてと言った。
橋が炎の壁を作ってしまった。
もう渡ることはできない。
私は弟の手を握り直して踵返す。
橋が駄目なら直接川を渡ろうと思ったのだ。
だが、川は凍えるほど冷たかった。
服がどんどん水を吸って重たくなっていく。
足が重い。
水が腰まで来た。
そこで私は気付いた。
隅田川は到底人が渡れる川ではないと。
弟を叱るようにして岸に戻した。
水の冷たさと炎の熱さでふらついてくる。
あれ、目の前が眩しくなっていく。
次に見た景色は炎と瓦礫のない世界だった。