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それはミミズクのせいだよ

作者: 村崎羯諦

「私のことを好きになったって言うけどさ、多分それはあのミミズクのせいだよ」


 美奈は顔を上げ、近くの電柱の上を指さした。その方向へと目を向けると、電柱のてっぺんに一羽のミミズクが立ち止まり、こちらをじっと観察しているのが見える。羽毛は都会のくすんだ夕暮れに溶け込むような深い灰色をしていて、突き出た二本の羽角をピンと天に伸ばしている。そして、丸く不気味に明るい黄色の瞳はじっと俺たちを見据えていた。恨みがましい目で、あざ笑うような目で。


「私の家系は代々ミミズクに取り憑かれてるの。ミミズクは不思議な力を持っていてね、取り憑いた人間のことをまるでその人間がすごく魅力的な人間であるかのように見せかけることができるの。だから、きっとあなたが私のことを好きになるのも、きっとあのミミズクのせい。みんなあのミミズクに欺かれて私に近づいて、そして、そのうち私のもとから去っていく。その繰り返し」


 どういうことだと俺が尋ねると、美奈は少しだけうつむきながら答える。


「ミミズクは見せかけの魅力で近づいてきた人に対して、今度はどんどん取り憑いた先の人間がひどい人間であるかのように印象づけるの。そして、最初は素敵だと言って近づいてきた人を幻滅させ、そして最終的にその人から離れていってしまう」


 茜色に燃える夕焼けが分厚い青紫色の雲に隠れていく。ミミズクがホーっと鳴き、電柱の線に停まっていたカラスたちが一斉に飛び立っていく。けたたましい羽音が静寂な街に虚ろに反響した。


「私のことを好きになってくれた人は沢山いたけど、結局最後は私のことを嫌いになって、そして離れていくんだよね」

「俺は違う」

「そう言ってくれるのはとても嬉しいけど……ごめんね、やっぱりこれ以上傷つきたくないの」


 顔をそらした美奈の手を俺は取り、強く握りしめる。か細く、小さいその手は氷のように冷たかった。


「傷ついた過去も全部、受け止めてみせる。俺は本気なんだ。人生をかけて、君を愛してみせる」


 俺が美奈に詰め寄る。美奈はじっと俺の目を見て、そして、表情を変えないままこくりと頷いた。俺はまだ彼女の瞳の中に、俺に対する猜疑心が残っていることに気がついた。それでも、俺の心が揺らぐことはなく、むしろこれまで以上に、彼女に対する情熱が高ぶっていく。俺以外の一体誰が、彼女を救ってやることができるのか。俺は美奈を抱き寄せる。鼻を彼女の髪に埋めると熟れた桃のような匂いがした。視界の隅で、灰色のミミズクが翼を広げ、飛び立っていくのが見えた。


 美奈は素直に感情を見せるような性格ではなかった。今まで俺が付き合ってきた女性と比べても言葉少なだったし、正直何を考えているのかよくわからなかった。しかし、それがミミズクの呪いのせいだと俺は知っていた。だからこそ、俺はできる限りの誠意を持って、精一杯の愛情を美奈に伝えた。手を握り、目を見て、好きという言葉を囁いた。そのたびに美奈はからかうように俺の言葉をはぐらかして、斜に構えた言葉で俺をあしらう。それでもそれが彼女なりの照れであることはわかっていったし、俺が少しだけ顔をそらした一瞬だけ、少しだけ頬を緩ませているのを見るたびに、俺は彼女への愛しさでいっぱいになった。


 美奈に取り憑いているミミズクはというと、そんな俺達を邪魔することもなく、茶化すこともなく、ただただ俺の視界の隅っこで、じっと二つの黄色い瞳で俺たちを見つめているだけだった。ミミズクの存在は彼女の意識を否応なしに呪いという現実へと連れ戻す。向き合って話しているときも、ベッドで抱き合っているときも、美奈はふと俺から目を離し、電柱の上から、あるいは窓の外から、俺と美奈をじっと監視するミミズクへと視線を向ける。そのたびに彼女の表情に憂いの影が差す。俺はその表情を見るたびに心がかきむしられた。彼女が何かをしたわけでもないのに、どうして、彼女がこんな目に合わなければならないのか。俺はその理由をどうしても理解できなかった。


 付き合い初めて半年がたったある日。いつも俺から誘うばかりだったデートを、美奈が始めて自分から提案してくれた。車を一時間ほど走らせて着いた場所は、小高い丘の上に作られた自然公園だった。都会のけばけばしい街明かりや喧騒は息を潜め、空を見上げると澄んだ星空が広がっていた。他の人にはあんまり教えていないお気に入りの場所。美奈はそういった。誰もいない真っ暗な公園を散歩し、昨日の雨で少しだけ濡れている木製のベンチに腰掛けた。俺と美奈は何も言わずに星空を見上げた。美奈の頭が俺の肩にもたれかかる。滅多に見せることのない美奈の甘えた仕草に心が熱くなる。


「珍しいじゃん」

「別に……」


 いつもと同じそっけない返事に苦笑いを浮かべながら、俺は美奈の肩を抱き寄せた。肌寒さに少しだけ震える華奢な美奈の身体を強く抱きしめながら、俺はそっと美奈の唇に口づけをする。いつもは少しだけ嫌がる美奈も今日だけはただなされるがままに俺のキスを受け入れた。これからもきっと美奈のことを愛し続けてみせる。ミミズクの呪いなんて関係ない。俺はもう一度空を見上げる。それと同時に、ミミズクが大きな翼をはためかせ、満天の空を横切るように飛んでいった。


 しかし、俺と美奈が付き合い始めてちょうど一年が経とうとしていた頃、音も立てず、そっと俺たちの日常に入り込んできた。始めは些細なことだった。美奈を後ろから抱きしめている時、白くて肌理の細かい彼女の項にぽつんと一つのほくろがあることに気がついた。何度も何度もこの態勢で彼女を抱きしめていたのに、どうして今まで気が付かなかったのか。別に気にするようなものではない。それでも俺は、彼女のその部分にこのようなほくろがあることになんだか奇妙な違和感を覚えた。そんな胸をちくりと差すような違和感の正体が、彼女に抱く小さな嫌悪感の始まりだとは夢にも思わなかった。


 美奈は相変わらず美しかったし、ぶっきらぼうであるがよく気も回るし、本当によくできた彼女だった。欠点のない人間なんて存在しないことは当然知っていたし、表情に乏しいとか、何考えているかわからないなんてことは個性の範囲内。そうとは思えなくても、十分に目を潰れるほどの些細な欠点でしかない。そうであるにもかかわらず、美奈の返事がぶっきらぼうであることとか、いつも俺からしかデートに誘わないこととか、今までは別に気に止めていなかったそういったことが、決して解毒されない毒のように、日に日に鬱憤として心の底に溜まっていった。そして、美奈への不満をぐっと飲み込むたびに、美奈に取り付くミミズクは、俺をあざ笑うように目を細め、鳴き声をあげるのだった。


 俺はミミズクの呪いのことを知っていたし、美奈が過去のトラウマからそういう性格になっているということを理解していた。だからこそ、美奈が煮え切らない返事をしても、自分から身を引いて俺の愛情を試すようなことをしてきても、俺は必死に彼女を引き止め続けた。俺の美奈への気持ちが試されている。俺は自分に何度も言い聞かせた。それでも、苛立ちや不満は自分のそんな意思とは無関係に蓄積していったし、それに従い、以前は全くしたことのなかった口喧嘩も増えていった。


「そんなに嫌ならいつでも別れていいからね。別に私から付き合ってって言ったわけじゃないしさ」


 付き合いたての頃は同情をもって受け止めることができていたそんな言葉が、俺達の関係を終わらせる引き金になった。その言葉を聞いた瞬間、俺だけが必死になっていることが馬鹿らしくなって、全身から力が抜けていくのを感じた。じゃあ、別れようか。俺は無意識のうちにそうつぶやいた。美奈は俺の目をちらりと見た後で、いつもと同じ、何を考えているかわからない表情のまま「そうだね」とだけつぶやいた。


「あなただったら、もっといい女の子と付き合えると思うよ」

「そうかな」

「私の部屋にある服とかはどうしたらいい?」

「取りに行くのも面倒だし、捨てといてくれ」


 美奈が頷く。出よっかと美奈がいい、席を立ち上がる。俺も伝票を持って席を立ち上がる。店の扉を開けたとき、看板に立ち止まっていたミミズクが何かを察したかのように飛び立つのが見えた。それから俺たちは無言のまま駅へと並んで歩いていった。別れ道でもう一度だけお互いに向き直り、美奈はじゃあね、とだけと言って自分の家の方へと歩いていった。さようならも言えずに、俺はその場に立ち尽くしたまま彼女の背中を見送ることしかできなかった。しかし、美奈は途中でおもむろに立ち止まり、俺の方へ振り返った。そして、じっと遠くにいる俺に視線を向けた。どこからともなくミミズクが舞い戻ってきて、いつものように電柱の上へとそっと停まった。


「嘘つきっっっ!!!!」


 初めて聞くような大声をあげたあと、美奈は両手で顔を覆い、その場で泣き崩れた。今まで見せたことのない美奈の感情にも、全く心動かされなかった。今まで傷つかないようにずっと予防線を張り続けていたくせに、俺の好意に甘えて自分からは絶対に自分の殻を破ろうとはしなかったくせに、まるで俺だけが悪いみたいな言い草はないだろ。俺は冷めた目で美奈を見つめながら、そんなことを考えた。遠く離れた場所から聞こえる電車の通過音に混じって、ミミズクの低い鳴き声が聞こえてくる。美奈はまだ泣き続けていた。可哀想だなという感情も罪悪感も、何も感じない。俺はむしろ頑張ったほうだと思う。だからこそ、美奈が俺との恋愛で傷ついたとしても、少なくともそれは俺のせいではないし、あえて何かのせいにするのだとすれば、多分それはあのミミズクのせいだよ。小さな声でそうつぶやいた後、俺は美奈に背中を向け、駅の方へとゆっくりと歩いていった。

 

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