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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

荒廃した世界で、救いを願う

作者: 一条さくら
掲載日:2016/08/09

 ―――ああ、この世界はなんて残酷なのだろう。

 目の前で血飛沫を上げながら倒れていく父の姿を前にして、暮羽は地面に座り込みながら、懸命にその手を伸ばした。

 ああ、父が死んでしまう。そう思った次の瞬間、暮羽の視界は暗転していた。


「暮羽、見ちゃダメっ!」


 すっぽりと暮羽の頭を覆うように抱きかかえた母の腕は痛いほど強く暮羽の体を拘束し、目の前に広がっていた惨劇から暮羽の視界を遮断した。

 それでも、つい一瞬前まで視認していた光景が瞼の裏に焼き付いている。

 父が倒れる瞬間も、タナトスの持つ剣が父の首を掠めて胸から腹に掛けて斜めに斬り捨てた光景も、すべて。


「おかあ、さん。おとうさんが、」


 母はがっしりと暮羽を抱えると、渾身の力で立ち上がり、数メートル先で倒れた父の体を見ることなく、大きく破壊されたコンクリートの建物に滑り込んだ。

 建物の中はコンクリートがむき出しとなった床と、恐らくは窓として機能していたのだろう、幾つかの枠が等間隔で並んでいる。そこここに何か壊された後のように破片がちらほらと散らばっているものの、身を隠せそうな場所は何処にもない。

 母の体は折れそうな程ほっそりとした華奢な体躯だというのに、暮羽を抱く腕の力が弱まることはなく、暮羽はぎゅっと母の服を掴んで唇を真一文字に引き結んだ。

 必死の形相で隠れられそうな場所を探した母は、壁と壁の間にある、元は何かの収納スペースだったであろう、瓦礫が折り重なった小さな隙間に暮羽を押し込んだ。


 小さな体の暮羽でも、体を折り曲げなければ入れないスペースだ。

 当然、母はここに隠れることは出来ない。

 母は不自然にならない程度の瓦礫を暮羽の前に幾つか重ね、

「そこでじっとしていなさい。何があっても声を上げちゃだめ、いいわね」

 と静かに暮羽を諭した。


 声を上げようと口を開けた暮羽に、母は瓦礫の隙間から腕を伸ばし、ゆっくりと暮羽の頭を撫で、「静かにしていなさい。いい子ね」と微笑んで、母は暮羽の視界から出ていった。

 母の足音が聞こえなくなると、暮羽はぎゅうっと自分の両手を握って、爆発音が響き渡る建物の入り口付近をじっと見つめた。

 父を襲った何かが近付いてくる気配がして、暮羽は身を固くして目を瞑った。


 数分、数十分経った頃だろうか。鳴り響いていた音が消え、暮羽はそうっと恐る恐る瓦礫を退けて隙間から這い出た。

 瓦礫を踏まないように歩いていくと、建物の入り口にぐしゃりと潰れた何かが横たわっていた。それは、真っ赤な血だまりの中で息絶え、黒髪を散らした―――ああ、そうだ、あの服は、母が着ていた……。


 暮羽はうっと吐き気を催し、ぐっと唇を噛んで胃液がせり上がってくるのを堪えた。

 母は…いや、母だったその生き物は、顔も判別できない程に潰れ、暮羽の視界いっぱいに赤い血と薄いピンク色の何かを散らしていた。


「あ、ああ、あっ……っぐうっ」


 いよいよ堪えきれず、暮羽はその場で盛大に胃液をまき散らした。

 それは絶えず嗚咽感をもたらし、暮羽の胃はぶるぶると痙攣しているようだった。…いや、胃だけではない、全身が震えて立っていられなくなり、暮羽はその場に蹲った。


 これが夢であったら良いのにと、何度も思った。

 けれど、これが現実だ。暮羽が生きている世界そのものなのだ。


 ―――この世界は、なんて残酷なのだろう。

 その日暮羽は両親という家族を失った。それは寒い冬の日、暮羽が九歳の時のことだった。




 暮羽は、耳元で鳴る小さな振動音で目を覚ました。

 幼い頃の夢など、本当に久しぶりに見る。いつもの癖でぐるりと視線を部屋中に向け、自嘲気味に上半身を起こした。

 起き上がって寝間着からいつもの軍服に着替えると、暮羽は腰に刀を差して部屋を出て行った。

 暮羽はこの都衛地区の副司令などというものを賜っている。そのお陰でこうして、貴重な一人部屋を悠々と占領している訳だが、基本的に部屋には生活に必要な家具以外には何の装飾品も置いてはいないから、常にがらんとした空虚な印象を与える。

 それが、およそ女性的な部屋ではないということくらい、暮羽も理解していた。


 あの日、九歳だったあの日に、暮羽という存在は一度死んだ。

 今生きている暮羽は、極力自分というものを出さず、何物にも興味を持たず、ただ生きている限り、その力を持ってタナトスを屠り続けることを自らに課した機械人形のようなものだ。

 だから、必要な物以外は何一つとして持たず、執着せず、その価値を見出さない。それが、暮羽という生き物だった。


 鏡を覗き込み簡単に髪を結う。両親を亡くしてからずっとアイスブルーに染めてきた髪は根元が少し金色になっている。暮羽はクウォーターだった。祖父が北欧の人だったことから、暮羽の髪は生来、白に近い金髪である。

 けれどその色はどうにも苦手で、この都衛地区に来てからというもの、アイスブルーの色へと染髪している。


 いずれ暮羽が死したとき、空や海に近い色でいれば、透明に消えて無くなるかもしれない。そんな幼い頃の思いからこの色を選んだけれど、実際、この色にして良かったと思っている。いつかは暮羽も存在ごと、透明に消える。

 それはとても魅力的な願いでもあった。


 朝食の時間は、決まって朝五時~八時の間のみ食堂で摂る決まりとなっている。食堂には人気がなく、今日もまた一番乗りかとそう思っていると、何処からともなく声が掛かった。


「暮羽、こっち空いてるよ!」


 きっちりと軍服を着こなしたその姿は、随分と幼い印象を持つ杏里という少女だった。杏里は暮羽の相棒で、同じ副司令という職についている。暮羽から見ても杏里はとても可愛らしい女性だった。

 それに片手を上げて近寄っていく。


 ―――ふと、杏里の瞳が空を見つめてきらりと輝き、そしてふっと鋭さを増したかと思うと、瞬きの間に剣呑さを帯びた視線が消え、にこにこと明るい笑みを暮羽に向けていた。

 恐らくは暮羽だけが捉えることの出来た一瞬の変化。それが何を意味しているのかは分からない。けれど悪いことの予兆であることだけは、確かだった。


 杏里と出会ってから四年が経つが、未だにはっとさせられることも多い。その容姿に似合わぬ老獪さを見せることもあれば、時に幼子の如き純粋な面を覗かせる。どれが本当の杏里であるのか、分からなくなってしまうこともある。

 けれどそれでも暮羽は杏里に絶対的な信頼を置いていた。

 いつだって二人で乗り越えて来たのだ。それは暮羽にとって初めて背中を預けられると感じた存在でもあった。


「おはよう、杏里」

「おはよー、暮羽。あっ、さっきね、司令が呼んでたよ。副司令に、って」

「そうか。ならば後で一緒に行こう」

「うん、そうだね」


 味が薄いスープに固いパンをちぎって浸し、手早く朝食を済ませた後、暮羽は杏里と共に司令室へと足を踏み入れた。

 ちらりと横を見れば、司令を苦手とする杏里を伺えば、その横顔はいつもと同じ、少しだけ笑みを浮かべた表情だった。

 それに安堵して、暮羽は司令の座る執務机へと近づいた。


 まだ早朝だというのに、司令室には静かな殺気が渦巻いている。それもその筈か。今日は二か月に一度行われている、移送者の選定日なのだから。

 司令は挨拶もそこそこに、淡々とした口調で書類を読み上げた。

 毎度のことながら暮羽の胸に苦いものが広がる。司令も杏里も常と表情はそう変わっていないのに、話している出来事はあまりにも残酷で無慈悲だ。


 胸糞の悪い事ではあるけれど、これは仕方の無い事だと理解している。何の益も生み出さない人間に出す飯など無い。都衛地区はいつだって食料が不足がちだ。

 このため、定期的に不要な人間を炙り出す必要がある。

 それはまるで、一部だけ歪みが出てしまった膿を出すかのように、切り捨てられるのだ。


「―――という以上の観点から鑑み、今回の天国の門ヘブンズゲート行きはこの六名よ。早急に移送し、強襲に備えなさい」

「了解致しました」


 手元の書類に視線を落としていた司令がそう結論付け、暮羽にその書類を投げ渡した。

 資料には幾つかの移送に伴う部屋割りや、移送理由等が書かれてあったが、それは最早同胞と呼ぶに値しない、無価値な存在への最終通告だった。


 どちらからともなく、杏里と連れ立って司令室を出ると、杏里がふうっと大きく息を吐いた。

 天国の門ヘブンズゲートと大仰な名前が付けられたその区画は、普段この都衛地区に住んでいる人々の中で、〝最も価値の無い人間〟が最終的に送られる場所である。最も価値の無い、というのは人類に対する貢献度が低い人間を意味している。

 つまるところ、この都衛地区に於ける厄介者である。


 厄介者と一口に言っても、何も都衛地区の運営に関し、反抗的な人間などではない。そもそもそういった人間は、徒党を組んでこの都衛地区を出て、新天地を求めて出ていくのが常だ。

 だからここに厄介者として名を記された人間は、人類に何も生み出さず、戦わず、働きもしない人間だということだ。死期の近い人間はこの範囲に入らない。もしそういった人間が入っていたとするならば、都衛地区に居る人間すべてが、狂気の中で過ごさねばならなくなるだろう。


 多くの人間を従え、管理するということは、とても難しいことなのだ。

 暮羽がもし司令であったとするならば、恐らく同じ手段を取るだろう。


 天国の門ヘブンズゲートは、この都衛地区の中で最も水面に近い場所にある区画であり、分厚いアクリルガラス一枚を隔てただけの簡易的な箱庭だった。

 構造上、この都衛地区の中で最も警備が薄く、そしてタナトスが出現し、攻撃を受けた際には先ず一番に被害を受ける場所でもある。



「さぁて、さっさと移送してしまおうか」

「ああ、そうだな」


 暮羽はそっと返事を返し、書類に明記された六人の元へと向かった。




 天国の門ヘブンズゲート送りになった者の反応は二つ。ただそれに従うか、目の前に立つ少女のように反抗的に抗うのかのどちらかだ。


「なんで私がヘブンズゲート送りにならなきゃならないの?! やめてっ、放してよっ!!」


 めちゃくちゃに暴れて手を振り払おうとするが、杏里がその身に似合わぬ怪力でそれを許さず逆に片手を背中に捩じ上げて少女を連れて歩いた。その前方には、都衛地区の警備隊に守られるように歩く天国の門ヘブンズゲート送りとなった五名の男女の姿があった。

 彼等は自らの運命に従い、自らの足で歩いている。

 …殆どが精神的な障害を抱えた者達ばかり。生きる気力もなく、されど死ぬ気力も無い生きた屍。

 少女のように元気よく反抗出来る者は少ない。


「なんで、て分からない事がもう、自分の無能さを露呈しているわね」

「やだやだっ。もう、何なのよ、あんた達!」


 その叫び声が耳に痛くて、暮羽は顔を顰めてその少女を見つめた。

 可哀想だとは思わない。これは言わば少女が積み重ねて来たこれまでの結果なのだから。

 そうして少女を引きずりながら着いた先が、明るい光が差し込む天国の門ヘブンズゲートだった。見てくれはとても綺麗で、それでいて殺風景だ。水面に一番近い場所ということもあって、自然な採光が柔らかく天井から降りてきている。


「さあ、ここが天国の門ヘブンズゲートだよ」


 杏里がとても楽しそうな声でそう言い、少女を引きずって、少女に割り振られた部屋へと進んだ。


「なんで、なんでよ…なんで、私が」


 力が抜けたように部屋の前に座り込んだ少女は、先ほどの暴れっぷりが嘘のように絶望した表情で泣いていた。その涙にさえ、暮羽の心は動かなかった。

 杏里が少女の腕を放し、しくしくと泣き続ける少女の目の前に立った。少女を見下ろす杏里の視線は驚く程冷たい。それはまるで虫けらを見つめているような、そんな冷たい殺気を感じさせる瞳だった。


「あなたが人類に貢献していなかったから、だからここに連れて来られたのよ。それはあなたにも分かっている筈でしょー?」

「だって、私は、何もできな、」

「大きな口を叩くな、人間。お前は人類にとって最早無用な存在だということだ。それが理由なんだよ」


 ぴしゃりとそう言った杏里は、最早言葉も必要無いと口を閉ざした。

 しかし少女は、「だって、だって」と言葉を重ねながら泣き伏している。

 暮羽は二人の様子を見て取り、そっと口を開いた。


「お前がどう言おうと、抗おうと、最早人類にとって敵にも等しい。健康体であるにも関わらず何もしないということは、生きていることを止めたという意思表示だ。今までお前は何をしてきた? 都衛地区のために戦い、或いは後方で雑事に従事したのか?」

「…………」

「この都衛地区で、働かない人間は石ころ以下の存在であることくらい、分かっていた筈だ。そうだろう?」


 暮羽は一度言葉を切り、ふっと息を吐いた。


「それに、何度か働くのかそれともこの都衛地区から出ていくのか選択肢を与えた筈だ。それを無視したのはお前の方だろう」


 この少女にしてみれば、杏里も暮羽も鬼のようなものかもしれない。でも、それ以前に何度も意思確認をしている。にも関わらず、この選択を選んだのだから、この少女の意思で現状を迎えているのだ。


「死にたくない、死にたくない、しにたくな、いっ…!!」


 蹲って叫ぶ少女の声が耳に木霊して、暮羽はため息を吐いた。この少女には、何の言葉も届かないのか、という落胆でもあったのかもしれない。

 その時、杏里が少女の頬を勢いよく叩いた。

 バチンっと音がする程のそれは少女の体を揺らし、蹲っていた少女は地面に這い蹲った。

 杏里の目が少女の涙に濡れた目を射抜く。少女はその眼差しの強さに怯え、びくりと肩を揺らした。


「死にたくないなら戦え。戦えないなら今この場で死ぬと良い。誰も止めない」

「うっ、うっ……」

「生きたいというのであれば、戦う手伝いをする。だがそれを拒むのであれば、生涯この天国のヘブンズゲートから出られないと思え」


 少女は泣きながら、けれど小刻みに頷いた。それ程までに、この天国のヘブンズゲートは少女にとって地獄にも等しい場所なのだ。

 杏里が少女の腕を取って引き上げるのを横目に、暮羽はそっと天井を振り仰いだ。

 日が傾き始めている。そろそろタナトスが現れる時間だろう。


「暮羽、もうそろそろ時間でしょう。このまま地上に出るよ。いい?」

「ああ、分かった」


 暮羽は少女を伴う杏里と共に、ゲートを通って地上へと出た。崩れ落ちたビルの屋上部分に乗った暮羽は、予備で持っていたナイフを少女に手渡した。


「得物はこれだけだ。倒せ、とは言わない。だが足手まといにだけはなるな」


 それだけ言うと、杏里がにやりと笑って「きたよ」と呟いた。

 ぶるぶると体を震わせながらナイフを大事そうに胸に抱いた少女を見て、杏里と暮羽はどちらからともなく微笑んだ。

 少女自身、本当は戦いたくなど無い筈だ。なんの訓練も受けてはいないのだから、それが当然の思いだろう。しかし、ここに来たからには戦って貰う。それが天国のヘブンズゲートから連れ出した二人の責任でもあった。


「先行は私。後方に暮羽、あなたは私の後ろにつきなさい。それじゃあ、いきましょうか」


 ぼとぼとと落ちて来たタナトス目がけて走り出した杏里の背を見つめ、暮羽は少女の肩をぐっと抱いた。

 少女はもう泣いてはいなかった。その変わりに、酷く怯えた表情でタナトスを見つめていた。

 それでも、逃げ出そうとはしなかった。

 それで良い。それでこそ、戦う人間だ。


「そのナイフはお前を傷つけるものじゃない。死に物狂いで生きろ」


 こくりと頷いた少女を見てとり、暮羽は足をもつれさせながら必死で走ろうとする少女の背を追って、暮羽も刀を抜いた。

 刀の剣先がきらりと輝く。


「さあ、生きるための戦いをしようか」


 何度も何度も繰り返してきた行為を、今日もまた暮羽は繰り返す。

 暮羽が死ぬのが先か、タナトスが全滅するのが先か。それはまだ分からない。

 けれど今日も生きるために戦う。一日でも長く、人類に貢献するためにこの命を燃やすのだ。


 死にたい訳じゃない。でも、これ以外に生きる術を知らないのだ。

 だから―――。


 暮羽はタナトスに向かって刀を振り下ろした。

 返り血を浴びても尚突き進む杏里の背を追って、そして新たに戦うことを決めた…いや、決めなければとナイフをめちゃくちゃに振るう少女の背を守りながら、暮羽は己の力を存分に振るった。


 人類は今日も戦い続ける。

 タナトスという未知の敵を倒すために。自分たちの命を守るために。

 死に抗い続けている。

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