イエスとモハメッド
中身を見せたわけでもないのだけれど、先日私が書く小説の宗教について矛盾がないか性別の違う人間に設定の確認をしてもらった。とりあえず彼のことは相方と呼んでおく。
相方は読み専アカウント持ちで大雑把な設定でも割りと楽しめるタイプ。男性らしく歴史は好きだしエロゲも好きだしミリタリーも好きなので一般的な属性を巡回している。新規開拓が苦手でランキング表を毎日うろついてもいたので大雑把ラインの確認に向いていると思ったのだ。
そんな彼と宗教について話をしていたのだが最近が最近なので話がISへと移った。内容としては宗教戦争って何で起こすんだというもの。特定の宗教を贔屓も差別もしていない。しいていうなら日本八百万教感覚な二人は批判でもなく他宗教排斥思想が過激に表に出る理由は何か、それがファンタジー宗教に入るかどうかは気にすべき点であった。
「昔の政治家のコントロールの仕方が影響していると思うのよ」
「いや、昔の宗教はわかりやすく全部政治とズブズブだよ。だから生き残ってるんだし」
「ズブズブ具合じゃなくて運営の仕方。設定は政治と繋がってるのはわかるんだけどこの違いなんていったらいいか……例えばなんだけどね。私、キリスト教のイエスは存在しなかったけどイスラム教のモハメッドは存在したと思ってる」
「なんでなん?」
全く理解されなかったので説明を重ねることになる。
キリスト教のイエスさんは私が目にした聖書の翻訳が駄目なのか崇めたくなる要素が薄い。多分なのだが色々な話を繋いでこれがイエスだとしただけに見えるのだ。桃太郎と金太郎と浦島太郎を同じ主人公として一冊にしたら性格豹変しまくるが一応英雄譚は出来上がる。更に言うとそれにかぐや姫やシンデレラも混ぜてみよう。カオスなおとぎ話が長編として完成するのだ。そんな感じに日本語版の聖書は方向性が視点だけでは説明できない、ちょっと愛読書にするにはハードルが高い主人公である。旧約はファンタジーとして読めるのに新訳はジャンルカオス。私の認識が酷いだけかもしれないが最初にそう思う本を読んだので仕方ない。
対してモハメッドさんの逸話はそんなに知らないが彼の系譜は見えてくる。当時の王様かなんかの血族で体制として宗教学者に関連の血筋があるかないかで色違いのターバンをつける宗派があったり。すごい人がいたんだってよと言われるより空気として馴染んでいる。宗教分布の差もあるかもしれないが、発掘された遺物が誰のものか議論しているより本人に貰って代々受け継いでるという謂れのものの方が印象として本物ぽく感じてしまうのだ。残った伝統に存在が息づいていると思う。
そこで私が思ったのはイエスさんは会えなくてもいい人で、モハメッドさんは会えないといけない人として政治利用したんじゃないのかということ。
イエスさんの場合は「隣町で出たんだってよ!」で通じるし、リアル遭遇したら土地の権力者が消してしまいそう、というか処刑あり権力なし(ネタバレ)。地方権力者を煽るために上位存在がシナリオ書いたり、地元民がほら吹いたり。最初の一人が実在したとしてもスピンオフやら続編がでまくった都市伝説型の人物として残っちゃったのではないだろうか。
モハメッドさんの場合は権力者の親族だと残っているので(イエスさんは大工の息子)、権力者と歩いたり土地の軍人連れたりしていたのではないかと思っている。毎回偉いアピールをしてもいい効果がでないだろうし。途中どうなるかはわからないが少なくとも政治側がプロデュースする形でメジャーデビューしただろう。そうなると所在不明にはならないので都市伝説は増えない。聖書のイエスさんみたいに中身が違うような話は増えにくくなる。
以上のことから私はイエスさんは都市伝説型の発祥でモハメッドさんは政治屋シナリオライターがいたと思う。
「話は面白いと思う。それが宗教戦争の価値観にどう関わる?」
「戦争は何かしら利害が一致した集団でなければなりたたない。都市伝説型は他宗教を悪にも空気にも同一化も扇動できるし考えられる。負けた奴を異端とできるね。けどプロデュース型は設定固まってるので自由度が低い。一度言い残しちゃったら生きてるうちに修正できないとこうなる」
預言者は他宗教と戦い苦戦するが最終戦争でイスラムが勝ち残ると言っている。おそらく最終戦争を起こせば他宗教駆逐できるという奴がいて敵を量産するアホがいるんじゃなかろうか。
「じゃあちょもは何度も宗教戦争が起きる設定だとプロデュース聖人がいて、ドロドロなしファンタジーだと都市伝説がいると?」
「いや? 現代設定じゃないよくある中世風味だとどちらも大差ないでしょ」
「じゃあ世界観として今の話いらなかったんじゃ?」
二時間くらい四方山話をしていたみたい。