ちっちゃいっていわないで
「上杉、おまえ、オッパイちっちゃいな」
「そう」
僕は武田に平手をくらわした。武田は運が悪かった。
ウンガワルイ……言葉遊びをしたわけではないが、岸辺にいたのが悪かった。そのまま運河に落ちてしまったのだ。咄嗟に鞄を手放したのは、ニキビ面の男子同級生としては英断だ。背中から、ズボン、と水中に落ちてゆく。
ポンポン船が通り過ぎてゆく。
「おーい、大丈夫か?」
船員さんが、浮き輪を投げてくれた。
彼岸は過ぎたばかりで、水温もまあまあ高い。きゃつめが風邪をひくことはないだろう。
冗談だったのだろうが、僕にとっては問題発言だ。
高校三年生の秋。
十七歳である僕の胸はまだ、まな板に茶碗を載せた程度の大きさ。親友の麻里の隣を歩くときは周りを気にするようになった。なにせ彼女はバスト九十近くある。当の本人はそれを気にしているらしいが、マザコン男子どもの巨乳信仰は、縄文時代のご先祖様からつづいている。羨ましいことだ。
運河のある町だった。武田とは、日曜デート帰りの事件で、一気に気まずくなった。月曜日にむこうは謝ってきたのだが、絶対に許す気にはなれなかった。
そうこうしているうちに、僕は十月末に十八歳になり、父と弟の共同出資という形でブーツのプレゼントをもらった。家族以外の男の子を前にキャンドルの火を吹き消すのはいったいいつになるのだろう。
春、僕は志望である四年制大学に合格し上京。武田とは喧嘩別れのままだ。
学校の近道になる公園を横切って行こうとしたとき、歩道の角で、学生たちが数を数える機械を手に持って、ガチャガチャやっていた。その中の一人は見覚えがある。
「やあ、武田クン」
ニキビ面の男子学生がはにかんだ。
「上杉、相変わらず、オッパイちっちゃいな」
僕も成長したものだ。平手打ちなんて子供じみたことはもうしない。
エルボースマッシュ!
腕が宿敵の喉元を直撃する。
武田は後背にあった噴水の池に落ちた。
新必殺技を修得した僕も、勢い余って、落ちた。
水柱が二つあがる。
ずぶ濡れになった僕らは顔を見合わせて笑った。
通りを歩く人々は、思いがけない出来事に驚いて、どん引きしていたのだが……。
木葉が一枚水面に落ちる。
悪くない秋の気配だね。
END