雨
「僕はきっと、君のことを愛していたよ」
そう言って、笑う彼。
彼の名前は、晴れ男。一度も、私に本名を明かさない、太陽みたいな晴れ男。
公園の芝生、綺麗に手入れされた、小ぢんまりとした緑の絨毯に彼は横たわる。
私の足を膝枕に、とても静かに眠りについた彼。
私の髪と同じ色に染められた、向日葵みたいな髪の毛を、そっと梳きながら。
私は、横たわる彼が握っている盃にそっと手を伸ばす。
トクトクトクと、手に持った盃に、赤い瓢箪のような形をした土瓶から、透明な液体を注いでいく。
時刻は、もう夕刻が近い。
液面に映る太陽は、その姿を紅色に赤らめて、西の空から世界を照らしていた。
もう一度、慈しみを込めて、彼の頭を撫でてから。
私は一人、盃を煽った。
私の名前は、雨女。
決して、晴れ男とは相容れない、悲しき性を背負った雨女。
私が、彼に出会ったのは、同じ公園で、数ヶ月前のことだった。
朝の天気予報をやっていたテレビを消してから、傘をさし、雨合羽を羽織って、いつも私は家を出る。
シトシトシト。
私が歩けば雨が降り、私が走れば豪雨が振る。
そんなそんな、いつもどおりの光景を眺めながら、私は、いつの間にか、その公園の中に立っていた。
目の前には芝生、小さな小さな緑の絨毯。
そこで、眠りこける一人の男を前にして、私は立ち尽くしていた。
「おおう、目を開けると、目の前に濡れ合羽の美女が!」
よくわからない、文句を吐きながら、彼は驚いたように目を開けた。
「あなた?なぜ、雨が降らないの?」
私には、心底不思議でならない。
雨女、生まれた時からそう呼ばれてきた私。
イベントごとに出席すればことごとく雨天中止。
部屋を借りれば、上の階の水道管が破裂する。
海を渡れば、砂漠の民に感謝されるのでは?と、海を渡れば、大シケで船が沈むような私の前で。
彼は、なぜか雲の合間を切り開く、一条のスポットライトに当てられながら、当然のように笑っているのだから。
「雨が降らない?
当たり前じゃないか、そんなの。僕は、晴れ男だもん!」
どこが、子供じみた冗談を交えながら、彼は空を見上げて笑う。
いつの間にか、雨は止み、私の周りには、潤いを得た緑の芝生だけが残された。
傘はいつの間にか、日傘へと、その役目をバトンタッチし、羽織った雨合羽は、私があまり好きではない、自分の髪色を隠すためだけの存在へと成り果てた。
「晴れ男…。そう、私は雨女。
年中無休の人工降雨機とまで呼ばれた私の雨を止ませるなんて、あなた相当の晴れ男みたいね」
「君こそ、こんな天気のいい日に、傘合羽の完全装備、相当な雨女だね」
相変わらず傘を畳もうとしない私を眺めながら、晴れ男は、すっと私の手元を指差した。
「それは君の名前かい?雨女さん」
その指の先には、私の握る傘の柄、そこに刻まれた文字があった。
―Sponsa vulpes―
「ええと、読めないよ?英語は苦手なんだ…」
少し困ったように晴れ男は、頬を掻きながら首をかしげた。
そんな彼を眺めながら、私は傘を閉じ、雨合羽のフードをそっと取る。バサリと、フードに収められていた黄金色の長髪が背中に流れ落ち、私の素顔を顕にする。
私は、邪魔な髪をかき上げ、耳にかけるようにしてから、私の顔を見ながら、呆然とする彼に向かって口を開いた。
「残念ね…、英語じゃないわラテン語よ、意味は雨女、私にぴったりでしょ?」
そう言って、笑いかけた私、彼は暫く呆然と私の顔を凝視しているのだった。
それが私と彼の出会い。
雨女と晴れ男がであった、とある日。
「ふふ、天気予報も、なかなか当たるものね…」
―――『雨時々晴れ、ところによっては、ふとした出会いがあるでしょう』
私の実家は、旧日本家屋、でっかい武家屋敷だ。
彼と出会って数ヶ月、なぜか彼は、よく私の家に入り浸るようになった。
相変わらず、晴れ男以外の呼び方は知らない。
今日は、二人で酒を飲んだ、家の婆が悲鳴を上げるくらい、蔵にしまったあった酒を二人で飲んで飲んで飲みまくった。
日本酒、ワインに焼酎。
ある限りの樽を開け、撒き散らすように飲み干していく。
「これは、開けないのか?」
そんな時、彼が、蔵の奥の方から、封印のしてある赤い土瓶を持ち出してきた。
「それはダメよ、流石にそれを飲んだら、婆様が発狂して死んでしまうわ」
私は、そう嘯きながら、髪をかき上げる仕草とともに、耳に髪をかけ、彼から有無を言わさず赤い土瓶を奪い取る。
そして、それをそっと奥の棚へと戻した。
そんな、私を彼はじっと眺めていた。
彼はよく笑う、まるで太陽の様に。そして、時たま突拍子もないことをする。
私が自分の髪の色が嫌いだと言った次の日。
彼は、髪を私と同じ黄金色に染めてきた。
そして、いつのもの笑を浮かべるのだ。
「俺も同じだ、これなら嫌いにならないだろう?」
「何言ってるの?目障りだから、さっさと元に戻しなさい…」
とても彼は落ち込んでいた。
ただ、そんな彼の姿に、私の心は少しづつ晴れていく。
曇天の空が、少しづつ暖かい太陽の光に割開かれ、少しづつすこしづつ、私は彼に変えられていった。
彼のことが、好きになっていった。
しかし、そんな日々も唐突に終を告げる。
婆様の無情な一言で。
「お前も、我が家の大切な一人娘なら、それなりの格式を持った男性と結婚していただきます!
少なくとも、あんな録でなしな人間との付き合いを、これ以上認めるわけには行きません!」
それから、晴れ男は家に来なくなった。
門前払い。
いつの間にか、私にも彼にも婆様の監視の目がつき、隠れて会うこともできなくなった。
少しつづ、太陽は覆われて…、
また、雨が降り始めた。
―――『晴れのち曇り、ところによっては、雷雨に注意してください』
私の結婚式は、明日に迫っていた。
相手はよくわからない、顔も名前も覚えていない、興味もない。
ただ、シトシトと雨の振り続ける縁側で、無意味に時を浪費していく。
いつの間にか、雨が降り始めていた。
止むことなく。
振り続けていた。
彼の姿はない、唯一私に晴れた空を見せてくれた彼の姿は、もう二度と見れないかもしれない。
そう思うと、無性に腹がった。
こんな世界に、こんな体で生まれ落ちてしまった私に。
思いが募り、いつの間にか、監視の目をくぐり抜けるように体が動いていた。
台所で、盃を手に入れ、蔵に忍び込み赤い土瓶を持ち出す。
日々、縁側で黄昏ていたのにも理由がある、監視の入れ替わる時間は午後三時。おやつ時に入れ替わる。
彼と私を離れ離れにするならば、婆様に後悔させてやろう。
そう決めて、私は家から飛び出した。
格好は傘と雨合羽。
あの日彼とであった格好で、私は走る。豪雨が、私の姿を隠してくれた。
追ってきていた筈の監視の目はいつの間にかなく、私はあの場所に立っていた。
あの日と同じように、小さな芝生の絨毯で昼寝する晴れ男の前に。
「おお、目を開けたら目の間に、合羽姿の美女が!
僕の名前は晴れ男、お嬢さん、お名前を教えていただけてもいいですか?」
おどけた様に笑う彼。
私はいつも通り、髪をかき上げ耳にかけ、彼に答える。
「私の名前は雨女よ、晴れ男さん」
「くっくっく」
彼は、心底おかしそうに笑ってから口を開いた。
「確かに君だね、嘘が好きな雨女さん?」
「あら、どういうことかしら?」
嘘が好きなど侵害だ、私はあまり嘘が好きではない。
「気がついていなかったのかい?君は、嘘をつくとき、必ず髪を耳にかけるんだ。すぐわかったよ」
それは、癖だった。私の癖、彼はそれが私が嘘をつくときの仕草だという。
私はそれに答えない。
ただ無言を肯定の答えとしてから、私は、彼の前に赤い土瓶を差し出した。
「一緒に飲まない?これが独身生活最後の酒なのよ」
「それを飲むと、婆さんが困るんじゃないのかい?」
「だから飲むのよ。飲み干すの。そして、とことん困らしてやるの」
私の手から、土瓶を受け取りながら、彼は首をかしげ、私は彼に答えを示した。
これは私の最後の嘘、髪は耳にかけていない。
嘘の苦手な私の、最初で最後の本当の嘘。
「わかった、飲もう」
彼は、私を芝生に手招きしてから、自分の横に腰を下ろすようにと仕草で示す。
私は、彼のとなりまで歩き腰を下ろした。
雲の間から差し込むスポットライトに照らされながら、私は封を切り、彼の手にもつ盃に杯を注ぐ。
「コレを飲めば、君は救われるのかい」
盃を片手に、液面を眺めている彼は、何かに気がついてしまったようにとても寂しげな表情を浮かべていた。
「それは、わからない。でも、コレを飲まなかれば、終わらないの」
私はそう答え、ただその時を待った。
彼が杯を煽る、そのときを。
「わかった、なら僕は、君のためにコレを飲もう」
盃には透明な液体、どこまでも透き通った、水晶のように。彼の動きとともに波紋を揺らす一杯の杯。
彼は、躊躇なくそれを飲んだ。
小さな芝生の絨毯に、ひと組の男女が横たわる。
繋がれた手には、盃が握られており、彼らの傍らに赤い土瓶が寂しく転がっていた。
空は晴天、西の果てに紅色の太陽が沈む。
雲一つない赤い空。
二人の上には、シトシトと静かに雨が降っていた。
「ええ、私も。きっとあなたを愛していたわ」
少女が静かに言葉を紡ぐ。それを最後に、雨音だけが世界の音を支配した。
―――『曇りのち晴れ、所により天気雨が降るでしょう』
2020.5.18
ネタバレ&解説追加
テーマは狐の嫁入り。
これで、大体の説明がつくのだが、一応。
狐の嫁入りとは天気雨のことをいう、だから、彼女が外に出ると必ず雨が降る。
彼女の嘘であるSponsa vulpesはラテン語で狐の花嫁を指す。
彼女は妖怪彼は人。
妖怪用の三々九度は人が飲めない為、彼と彼女は結婚できないのだが、彼が死ぬことによって彼女は彼と結婚することが叶うというのが最後の光景である。