第2章 生徒会の副会長 ~その3~
互いに竹刀を突合せ、合図もなしに対戦に入る。
……なっちゃいねえ。
岡崎の構えはまるで隙だらけなのである。その気になれば和馬はいつでも打ち込んで、叩きのめすことが出来た。それでも様子を見る。
あるいはそういう作戦か?
油断させておいて打ち込んできたところへ、カウンターを喰らわす。そういう意図でもあるのかもしれない。
しかし、それはどうやら和馬の考えすぎだったようだ。岡崎はその巨躯を生かして力任せに竹刀を振るう。そこに創意工夫は欠片も見当たらない。ただ、ごり押しの一手である。
そんな攻撃が命中するハズがなく、いい加減飽きてきた和馬は反撃することにした。昨日、岡崎の手首を潰したことを、しっかりと覚えていた。
そんな状態で竹刀を振り回せるのだから、そこは認めてやってもよい。
しかし。
ニヤリ。
和馬は陰険に口を歪めて笑う。遠慮する気など毛頭無かった。
岡崎がもう何度も試みている竹刀を上段から振り下ろす攻撃を、やはり造作もなく和馬は避ける。これまではこのあと互いに間合いを取り、再び岡崎が攻撃を繰り出すという反復だった。和馬は身を守るので精一杯に見えたのだろう。
温過ぎる。ここはいっちょう世間様の厳しさを叩きこむことにした。
竹刀を振り下ろした岡崎が後退しようする。そこを和馬は急接近した。今までと違う行動パターンに岡崎は反応出来ない。
「ぐあっ!」
ビシッ! と和馬は最小限かつ効率的な動きで小手を打つ。岡崎は痛みに耐えかね竹刀を手放した。これで終わりではない。
「うぐ……」
馬の蹴りをどてっ腹に喰らわせる。誇張ではなく岡崎の巨躯が宙を舞い、数メートル後方へと吹っ飛んだ。それでも和馬はこの場を囲んでいる生徒にぶつからないよう加減したのである。
「まだ意識はあるか?」
くつくつと和馬は喉を鳴らし、仰向けになったまま起き上がることの出来ない岡崎に1歩1歩近づいていく。
「そんなに弱いんじゃあ、マリア先輩の金魚のフンも務まらんぞ」
和馬は竹刀を逆手に持ち、その切っ先を岡崎の喉に押し付ける。
「でも安心しな。もう用済みだから」
じわじわと和馬は竹刀を持つ手に力を込める。
「さっきマリア先輩とキスした。お前らはいらないってさ」
「う、うぞだ……」
「後で聞いてみたら? 後があれば、だけど」
下手な芝居だと自覚しているため、和馬は笑いを噛み殺すのに必死だった。
岡崎はじたばたするが、蹴りを入れられ起き上がれないほど消耗している。その上、両手も損傷していた。逃れる手段は封じられている。
「そこで一体何をしている!」
つい最近どこかで聞いた、凛とした声が大演習場に響き渡った。
「通してくれ」
人垣を掻き分け、マリアは険しい顔つきで輪の中心へと向かう。
「一条、何をしている?」
マリアはその美しい眦を吊り上げた。
「そんな怖い顔しなさんな。せっかくの綺麗な顔が台無しだぞ?」
「私の顔のことなど、今はどうでもいい!」
「ええ~? そしたらマリア先輩の取り柄が無くなっちゃうじゃないか」
憤慨してマリアが怒鳴りつけても、一条は歯牙にも掛けずにへらへらしていた。
「話を逸らすな!」
「だってさあ……」
「自分に非があるから、言えないのか!?」
「な、何様のつもりだ? 生徒会の副会長というのは、そんなに偉いのか?」
「そうじゃないが。……いや、それでいい」
「おいおい」
「…………?」
一条の応対が妙なことに、遅まきながらマリアは気が付いた。誰かを庇っている、のか?
「何があったのか、正直に話して欲しい」
マリアは丁寧な口調で説明を求めた。それでも一条は言いづらそうにしている。
「一条!」
真摯なマリアの碧い瞳に、一条は折れた。
「岡崎達が寄ってたかって女の子をイジメていたから、間に入ってボコボコにしてやった」
「……そうか」
「俺の事は非難する癖に、岡崎達には注意しないのか?」
一条の鋭い指摘にマリアは床に目を落とし、全身が硬直した。
この場を取り囲んでいる生徒達から、さざ波のように不平・不満の声が上がり始める。
「宇宙怪獣との戦いに、岡崎達の力が必要だから横暴を見過ごしてきたわけか。情けない話だな」
一条の尖った台詞が刺さり、マリアは胸がびっくりするほど痛んだ。
「あんたはそういう事をしないと思っていたのに、残念だよ」
マリアは返す言葉がなかった。
だから、一条が岡崎の心臓の辺りを勢いよく踏みつけ失神させても、どうすることも出来なかった。
ただ拳を握り締め、立ち尽くすだけである。
「さてと。まだ4人もいる。腕が鳴るなあ」
右腕をグルグル回し、一条は矛先を4人の先輩方へと向けた。
「いいぞ!」「やれやれ」「ぶっ殺せ!!」「頼んだぞ」「いい気味だ」「俺たちの気持ちを思い知れ」
ついに野次が飛び出す。マリアは涙目になりながら、周囲を見回す。
こんな事態を呼び込むために、自分は副会長になったのではないのだ。
「今まで散々自分達より弱い者を痛ぶってきて、それが自分の番になったら嫌だというのはスジが通らんだろう?」
一条が1歩迫ると、4人は1歩後退する。
「おら、行けよ」
だが人の輪から逃げるだすことは叶わない。生徒達に押し戻されてしまう。この場を取り囲んでいる生徒達の目が爛々としていた。みな熱にうなされている。楽しみにしているのだ。自分達に危害を加えた連中が処刑されるのを。
「待ってくれ、一条!」
いかに生徒会の副会長といえど、興奮の坩堝となりつつある中で制止するのは怖かった。それでも意を決してマリアは一条の前に立ち塞がる。
「正気かよ?」
せっかくマリアから鋭鋒を交わした一条の苦労が台無しだった。
「岡崎達に、他の生徒には絶対に手出しをさせない。横暴な振る舞いは私が止めてみせる。みんなにも約束する。だから……」
「全く当てにならん約束だな。それで仮に岡崎達が大人しくなったところで、これまで散々痛い目に合わされた連中は納得出来ないだろう?」
「迷惑をかけた者には1人1人に頭を下げて回る。だから、もうやめてくれ。頼む」
「こいつらに、マリア先輩がそこまでする価値があるとは思えないんだけど?」
「誰かが傷つくのを、これ以上、見たくない……」
もちろんマリア自身、矛盾した発言だと自覚していた。
「そんなに甘くないだろうに」
「覚悟の上だ!」
「ふむ。じゃ、その覚悟とやらを見せてもらおうか」
「……いいだろう」
無理難題を吹っかけられるのは火を見るよりも明らかだったが、マリアとしては呑むしかない。
「この場しのぎで、そう言っているだけかもしれないしな」
そう言って一条は懐から、刃の分厚いナイフを取り出す。
「こいつでマリア先輩の頬を切り裂く」
「なっ……!」
この提案にマリアは背筋が凍りついた。大演習場が水を打ったように静寂に包まれる。
「そいつらを止めるにはそれくらいの覚悟が必要だと思うし、これくらいやらないと他の連中も納得しないだろう」
あんな刃の分厚いナイフで切り裂かれたら激痛が走るし、一生顔に傷跡が残ってしまう。それなのに一条は顔色一つ変えない。
冗談で言っているのではないということがマリアにはわかった。胸が押し潰されたように苦しくなり、鼓動がめまぐるしい勢いで跳ねる。
それでも、
「わかった。確かにそれくらいの覚悟を示さないと駄目だろう」
声こそ震えているが、マリアはきっぱりと言い放った。
「見て見ぬフリをしてきた、当然の報いだ」
腹を括って奥歯を食いしばり、マリアは目を瞑る。顎に一条の左手が伸びてきて、顔がしっかりと掴まれた。
「じゃ、いくよ」
一条はまるで食事のあいさつでもするような気楽さだった。マリアの呼吸が不規則に荒れたものとなる。
今この場にはマリアに想いを寄せている男子や、女子でも憧憬を抱いている生徒が数多くいる。それらを含めた生徒全員が目の前で起きている、悪夢のような光景を固唾を飲んで見守っていた。
そんな中、一条は無造作にナイフを振り下ろした。
「うっ……」
痛い、が切られた痛さとは違う。頬を突いたモノは、尖ってはいるが柔らかかった。
マリアは恐る恐る目を開けた。見ればナイフの刃がΩ状にねじれている。まるで手品のスプーン曲げに使用されたスプーンのように。
「これ、刃の部分はゴムで出来てるんだよね」
にへらっと笑いながら、一条が人差し指でナイフの刃を弾く。
周囲から盛大な溜息がこぼれた。さぞかし心臓に悪いショーだっただろう。手垢にまみれた方法とはいえ、効果はあった。
「マリア先輩の想いは充分に伝わったよ」
「一条……」
感極まってマリアは碧い瞳を潤ませる。
だが、他の生徒は明らかに不満げな面持ちだった。
「考えてみれば、そこの4人に『俺』が何かされたわけじゃないしな」
俺、の部分を一条は強調してみせた。さらに近くの生徒達に目配せを送る。それでピンときたようだ。
岡崎達に肉体的にも精神的にも傷付けられた生徒達が、この結末を快く思っている道理はないのだ。
一条にはそれがよくわかる。マリアにはわからない。
「『俺』はもういいよ、『俺』はね」
マリアの手を取り、一条は生徒達の輪から抜け出す。押し戻されたりはしない。少し離れた所で、ふいに一条が背後に回り、マリアの腰に両腕を回して抱きしめた。
「一条! な、何の真似だ……?」
マリアは振りほどこうとするが、一条の力が強く身動きが取れない。
そして、
こくり
と一条が頷く。
それを合図に、一斉に生徒達が岡崎グループの4人に襲いかかった。
「なんだ……、これは……?」
マリアは愕然として、体の力が抜けていくのを感じた。