第2章 生徒会の副会長 ~その2~
「駄目」
学生食堂で席に着いた和馬の開口一番が、これだった。
「なっ……。駄目とはなんだ? そもそもまだ内容も言っていないではないか!」
憤怒のあまりマリアはポークのソテーにフォークを突き立てた。
「どうせロクでもない頼みなのが、ミエミエだ」
頼みがある。そうマリアが口にした途端、和馬は脊髄反射で断りを入れたのだ。
「そんなことはない!」
「特訓に付き合えとかいうなら無理だぞ」
和馬も上杉やあのバカに毒されているようだと自己嫌悪に陥った。
「……それに近いな。私に稽古をつけて欲しいのだ」
「俺、あんたより年下なんだけど」
「だが、私よりずっと強い」
「それなりに修羅場をくぐってきたからな」
「例えば、どんな?」
マリアが興味津々で目を輝かす。
「この年齢で路上生活して飢え死にしそうになったり、組の怖い人とやり合ったり。拳銃が出てきたときは、さすがに危なかったよ」
何でもない事のように言い、和馬はトッピング全盛りのラーメンをすする。
事務所に殴り込みをかければ、ピストルの1つや2つも出てこようというものだ。上杉の仕事の手伝いなのだが、滅茶苦茶だ。あのバカも含めて、こちらはたったの3人だったのだし。
「それは、スゴイな。ますます一条に稽古をつけてもらいたくなった」
頼む! と両手を合わせて、まるで拝むようにマリアは頭を下げた。
「私は強くなりたい。いや、強くならないといけないんだ!」
「気持ちは、わからんでもないが……」
マリアの決意は固そうだ。それでも和馬は返事を渋る。
「どうしても?」
「どうしてもだ!」
「強くなくても生きていける方が、幸せだよ?」
和馬はどこか遠い目をした。暗に好きで強くなったのではないことを匂わせる。
「私はもう、あんな思いをしたくないんだ……」
マリアの碧い瞳に寂しげな色が宿る。その切なげな面持ちに、和馬の心は揺れた。いつの間にか見蕩れてしまっている自分に気付く。よくわからないが、これは危ない。
「わかった! 稽古をつければいいんだな?」
根負けしてしまったのか?
だが、これ以上こうしていると、和馬はおかしくなってしまいそうだったのだ。
「ありがとう、一条」
マリアの柔和で麗しい笑顔がこぼれた。ずるいよなあ。和馬は心の裡でぼやくのだった。
「さて、食事も済んだことだし善は急げという。すぐに始めるぞ」
少し早い昼食を食べ終え、マリアはやる気満々だった。
「げ! 今からかよ」
「ふふ。私にかかれば男なんてイチコロだ」
「まさか、騙したのか?」
「強くなりたい想いは本当だ」
マリアは真剣な目つきで一条を正視した。
2人は学生食堂を後にした。稽古をつけてもらうならば、訓練棟が適している。その名の通り、訓練を行うための建築物だ。
しかし、マリアは訓練棟へは向かわなかった。
「生徒会室?」
一条が小首をかしげている。
「行くぞ」
構わずマリアは生徒会室へ入ろうとした。
「別に行きたくないなあ」
わざとだ、とこちらに知らせるように大きな声で一条は思ったことを口にした。
マリアはむっとして、責めるような視線を送る。それなのに一条はそんなものどこ吹く風で首をコキコキと鳴らした。
2人揃って生徒会室へ入れば中にいた生徒達は驚いた顔で迎えるものの、マリアの姿を認めると一瞥するだけで作業に戻る。
マリアは棚から真新しい戦闘服を取り出した。例の黒いツナギだ。
「先に訓練棟へ行って、待っているように!」
「これに着替えて待っていろと?」
「察しがいいな。その通りだ。私もこの仕事が片付いたら、すぐに向かう」
そう告げるとマリアは自分の席に着き、生徒会の仕事に取り掛かった。一条は戦闘服に見入っていた。
……ん?
おかしい。こういう場面で一条なら文句の1つも言ってくるハズだ。それが、大人しくしている。
「そうそう。別に寮に帰っても構わないぞ? 迎えにいってやるからな。ちゃんとスペアキーも入手してある」
したり顔でマリアは右手の人差し指と親指で鍵をつまんでみせた。
「げえ!」
こればかりは一条も目を白黒させていた。顔を近づけ確認している。
「ここまでの追い込みは久しぶりだ」
「私が部屋に行くことが、そんなに嫌なのか? 普通、女の子が自分の部屋に来たら嬉しいだろうに」
複雑な面持ちの一条を見ていたら、そんなことを口走っていた。
「こんなひでえ事しやがって……。見た目はともかく、中身が全然女の子らしくねえんだよ。嬉しいわけないだろう?」
「む。今のは聞き捨てならないな」
ガタッと席を立ち、一条の正面かつ至近距離でマリアは仁王立ちをした。
「要するに、私のことを女として見れないと言いたいのか?」
「そうだよ!」
「ふむ」
マリアは少しの間だけ思案する。だしぬけに白いたおやかな両腕を伸ばし一条の顔を捕らえた。
「サービスだ」
いたずらっぽい表情を浮かべ、マリアは一条の顔面を引き寄せる。そして、自分の唇と一条の唇を重ねた。
「んっ!」
一条は息が苦しくなるが、マリアはしばらく唇を離さなかった。
「ぷはっ」
はあはあ、と一条は勢いよく息を吸い込む。マリアはその様子を突き放したような目で眺めながら、口を開いた。
「キスくらい別段どうということはないが……。」
「な、なんだよ?」
「一条は下手くそだな」
余裕のある態度でマリアは断じた。マリアが唇を許した相手は一条で2人目だ。それでもこの年齢頃では経験しているか否かは大きな違いだ。
「へ……? って、おい! 何て事言いやがる!!」
それまで呆然としていた一条は、マリアの言葉の意味を理解して態度が急変した。
「もしかして、初めてだったとか?」
「……っ!」
「図星のようだな」
マリアはこれ以上ないくらい底意地の悪い笑みを浮かべる。
「よかったじゃないか。初めての相手が私の様な美人で」
「そういうことを大きな声で言うなよ!」
「じゃあ」
そっとマリアは一条の耳元で囁く。わざと耳に甘い吐息を吹きかけるように。
「これで私のことを、女として見てくれるのだろう?」
嫣然と微笑むマリアに対し、一条に為す術はなかった。
訓練棟へ向かう途中、和馬は右手の人差し指と中指で唇をさすった。
「…………………………」
マリアの顔を思い出し、戸惑う。あんな美人とキスをした。和馬にとって鮮烈な出来事だ。自分を見失いそうになってしまう。
「ねえねえ。マリアさんの唇のお味はどうだった?」
「また出やがった」
リーフが再び目の前を浮遊して和馬は嘆息する。それに、お味って。
「オッサンか、お前は」
キョロキョロと和馬は周囲に誰もいないことを確認する。
「つうか、やっぱり見てたのか」
「まあね。あんなキスシーン、滅多に見れないから」
「言ってろ」
「照れてる照れてる」
リーフが冷やかすのを、和馬は忌々しげに聞いていた。
そろそろ訓練棟である。ぱっと見で大きさがショッピングモールほどもあった。体育館みたいなもんだろうと高を括っていた和馬は認識を改める。
「案内板がハイビジョンテレビなのか」
本当、ここは非常識だった。その案内板を和馬は覗き込む。今日は始業式のせいか、開放されているフロアスペースは少ない。待ち合わせの場所を聞いていないが、恐らく大演習場にいれば問題ないだろう。
「さっさと来てくれるといいんだが」
「ファーストキスの相手だもんね!」
「そうじゃなくて!」
恥ずかしい言い方するなあ。和馬は語勢が強くなってしまう。
清潔ではあるが、どうしてもむさ苦しく感じてしまう男子更衣室で着替えを済ませて、和馬は大演習場へ足を運んだ。
「何を熱心にやってんだか」
大演習場は訓練をしている生徒でひしめき合っていた。始業式が終わったのなら、とっとと家に帰ればいいのに。みんなは何を好き好んで、こんなことやっているんだ。
と、和馬は全く熱が入らない様子で徘徊した。
無論、そこにはちゃんとした理由があるのだが和馬は知らない。リーフも教える気はない。
「へえ」
何とはなしに、うろついてたら隅のある一角が和馬の目に留まった。相好を崩しながら、のんびり忍び寄る。
「よお。岡崎君じゃないか! 楽しそうなことをしてるなあ」
和馬はパンパンと岡崎の肩を軽く叩いた。
「貴様っ……!」
「1人を寄ってたかって痛ぶるなんて、いい趣味してる。マリア先輩に嫌われちゃうぞ? ああ、もう嫌われているのか」
ゲラゲラ腹を抱えて和馬は爆笑した。岡崎の感情を焚き付けることに大成功だ。
「こいつが例の?」「一年のくせに……」「勝手に斑鳩に乗った奴か」「生意気そうなヤツだ」
岡崎の取り巻きの4人が口々に罵りながら、和馬を取り囲む。
「そう固いこと言うなよ。1つか2つしか違わないんだから、なあ?」
敵意をむき出しにした相手に包囲されても、和馬は微塵も怯えた様子はない。
10や20も年上の海千山千な連中と正面切ってやりあってきた和馬からすれば、学校における先輩後輩などという上下関係など性質の悪い冗談でしかなかった。
「舐めるなよ、糞ガキが!」
「舐めてないよ。馬鹿にしてるだけ。でも、そうだなあ。リベンジの機会をあげようか?」
岡崎達に散々痛い目に合されたであろう、すぐ傍でへたり込んでいた女子生徒(!)に和馬は優しく声をかけた。
「危ないから下がってて。ああ、これは借りるね」
女子生徒から竹刀を借り受け、再び岡崎達とにらみ合う。
「俺が代わりにお相手しよう」
「その度胸だけは褒めてやる」
「別に嬉しくない、がサービスで5人同時にかかってきていいぞ」
「ほざけ! 俺1人で十分だ。昨日は油断しただけだ」
「威勢がいいねえ。とても女の子をいじめていた奴の台詞とは思えないよ」
いつからか?
多くのギャラリーがこの一角を取り巻いていた。先ほどの女子生徒が、その輪の中で申し訳なさそうに俯いている。
和馬は気楽にギャラリーに向けて手を振った。
噂の転校生と風評のよろしくない岡崎グループのマッチアップは屈指の好カードなのか、大演習場の全ての生徒が集まっていた。
「どうしてマリア先輩は、あんたらみたいな連中をほったらかしにしておくんだろうな?」
軽く首を捻りながら、和馬は岡崎と対峙した。