第1章 宇宙怪獣の降る都市 ~その3~
仕方ないのでリーフを、ちょんと指でつついてみた。
「エッチ!」
どうやら尻をつついてしまったらしい。言うまでもなく、なんの感触もないが。
「ちょ」
和馬は何か納得がいかない。
「……一条君。悪い報せよ」
それまでとは打って変わってリーフが神妙な面持ちとなる。
「来たばかりだというのに、楽しませてくれるねえ」
「宇宙怪獣の幼虫が数匹、対空砲火をすり抜けて街の中に落ちてくるわ」
「ふ~ん」
「いや、ふ~んて」
「全く実感が湧かないから。それに宇宙怪獣の幼虫が落ちてきても、俺にはどうしようもない」
和馬にとっては完全に他人事である。
「そ、そこまで開き直る人も珍しいわね……」
「どうやら、そんなことも言ってられなくなったみたいだ」
空を見上げながら、和馬は表情を引き締める。
「ここへ直撃はしないから、瓦礫の下敷きになる心配はしなくて済みそうだ」
「わかるの?」
「なんとなく、だが」
そう、リーフと繋がっているメインコンピューターも和馬と同じような予測をしていた。ここから動く方が却って危険である。
和馬は何故それがわかるのだろう?
かつて日本には大空のサムライと謳われた坂井三郎という零戦のパイロットがいた。そのパイロットは視力が2.5を突破し、昼間でも星が見えたという。
だが和馬の予測は視力が良いとか、そういうレベルの話ではない。
「マリアさん、伏せて!」
岡崎を介護しているマリアに向かって和馬は叫んだ。あれしきの事で、まだ目を覚まさないのか。そう内心で毒づきながらも身を伏せる。
マリアも慌てて岡崎をかばうようにして、頭を低くする。
はたして、大地に衝撃が走った。思いの外、近い場所だったのか揺れが激しく腹に力を込めて耐える。
「げほっ! あ~、煙たい……」
すっくと和馬が立ち上がると、腰の辺りまで砂埃が充満していた。
「一条君、うしろうしろ」
昔のコントさながらリーフに言われるまでもない。背後から地面を擦るような、普段聞きなれない不審な音が迫っているのを和馬は勘付いていた。
「デカい芋虫だなぁ。ん? カブトムシの幼虫か」
全高が人の身長と変わらないほど大きければ、いずれにせよ気持ち悪い。
だからといって別段、和馬は苦にするでもなく大型カブトムシの幼虫をじっと見つめていた。
「何をしている! さっさと逃げろ!!」
険のこもった声が和馬の耳を打つ。マリアは岡崎を担いでここから離脱しようとしていた。
「はあ?」
ずいぶんと不可解なこと言うものだ。こいつらを始末するのが、新葉市及び新葉学園の仕事ではないのか? それを逃げろだと?
「いくらなんでも1対1じゃ勝てないわよ。殺されちゃうわ」
リーフも及び腰だった。
「やってみなけりゃ、わからん」
おもむろに和馬は舗装されたアスファルトを蹴り、大型カブトムシの幼虫に肉薄する。本人は気付かなかった。リーフにはわかった。
アスファルトを蹴ったあとの移動スピードが尋常ではない、ということを。
「かったあ・・・」
素早く側面に回り込んだ和馬は、その無防備な横腹を蹴り飛ばした。その結果、自分の足の方がダメージを負ってしまう。非常に柔らかそうなのに、思いがけない堅固さだった。
「なっ……」
なんと言ってよいか、マリアは言葉が出なかった。いくら幼虫とはいえ素手で立ち向かうなど有り得ない。いや自殺行為としか思えない。
それなのに和馬は触覚や口から放たれる攻撃を全て躱しては、反撃を試みている。今のところ、なんの成果も得られていないみたいだが。
「ちょっと何してるの!? さっきのグリップを使って」
「グリップ……。ああ、アレか」
嗅覚が鋭敏な和馬はピンときて、リーフの言う通りにした。グリップを両手で握り締め、身構える。手中にあるグリップが形態を変え、和馬の手にジャストフィットした。
バシュン!
鈍い音と共にグリップから刀身が現れ、青白い輝きが迸る。
「日本刀とはね」
残念ながら今なお語り継がれる壮大なスペースオペラで使用されている武器とは異なり、刀身が逸れていた。
「それほど完成された状態になるなんて……」
リーフの心は、といっても人間ではないが穏やかではいられなかった。
……強すぎる力を持つ者は、その力によって殺される。
先ほどから和馬に宿る銀河の力が、異常な高まりを見せている。銀河の力に対する『耐性』には個体差があるのだから、さほど憂慮すべきことではなにのかもしれない。
それでもリーフは本体のメインコンピューターへデータを転送する。一条和馬という少年には今後、監視が必要なようだ。
和馬は正面から大型カブトムシの幼虫と対峙した。幼虫はその大きく開いた下顎で食い殺さんと和馬に迫り来る。並大抵の人間ならば、その凶悪な姿に腰を抜かしてしまっても不思議ではない。
翻って、和馬は青白く輝く日本刀を大上段に構えた。まるで気負うことなどなく、いつもの見慣れた光景だと言わんばかりに。
両者の距離が次第に狭まっていく。大型カブトムシの幼虫が和馬を口に取り込もうとした、そのとき。
和馬は振り下ろした。
わずか一閃。
それだけで十分だった。体の半ばまで真っ二つに裂けた大型カブトムシの幼虫は、ゆっくりと地面に横たわった。即死である。
「……さすがに、ここまで考えていなかったな」
緑の体液を浴びて、和馬はどろどろになった。かなり気持ち悪い。今着ているフレッドペリーのポロシャツを脱ぎ捨て、飲みかけのボルビックを頭から浴びる。
「あ~あ。お気に入り且つ、なけなしの一張羅が・・・」
無残にもおしゃかである。
リーフとマリアは宇宙怪獣の幼虫を倒して喜ぶよりも、服が駄目になって萎んでいる和馬をぽかんと眺めていた。
「おかしな人ね」
くすり、とリーフは笑った。
「自分でも、そう思うよ」
和馬はわずかばかり自嘲の意味を込めた笑みを浮かべながら、カバンから適当なTシャツを引っ張り出して着替える。妙に場馴れしているのを感じさせる。
「引き締まった良い体してるわね」
しっかりとリーフは見ていたらしい。
「スケベ」
先ほどの意趣返しだったのだが、リーフはぽっと赤くなってしまう。おいおい。
「貴様は一体何者なのだ? 何故グリップを使いこなせる? 宇宙怪獣が怖くないのか? それに……」
横からマリアが矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。
「先ほどから、誰と話をしているのだ?」
しまった……。マリア(と岡崎)の存在をすっかり失念していた。うっかりリーフと普通に会話してしまっていたのだ。これでは、さすがにバレる。
「……リーフっていう、妖精の姿をした端末と」
観念して、歯切れは悪いが和馬は真実を述べた。信じる、信じないはマリアの自由だ。
「何故その名を知っている? リーフというのは新葉市全体を制御しているスーパーコンピューターの名称だぞ!」
「そうなんだ」
和馬がリーフに疑惑の目を向けると、てへっ! と可愛く誤魔化された。
てへっ! じゃねえよ。端末ではなくコンピューターそのものの名前だったのか。
「どこを見ている。……そこにいるのか?」
和馬の視線の先をマリアは目で追った。しかし、やはりというべきか見えていないようだ。
「今、ここら辺にいる」
すっと和馬は右手を伸ばし人差し指でリーフの位置を指し示した。
「一条君。人を指で指すのはよくないわよ?」
リーフのその言葉に和馬はくらっとした。
「なぜ……、なぜ私には見えない?」
「俺の言う事を、信じるのか?」
「貴様のことを見ていたら、信じるしかあるまい」
グリップのこと。リーフのこと。そして宇宙怪獣の落下地点、時間予測のこと。
リーフの名を冠した端末がサポートしているなら全てに説明がつく。最後の予測はマリアの勘違いなのだが。
「意外だな。頭が固そうに見えたんだが。さらに言えば、かなり上から目線で偉そうにしているのに」
「そう、なんだろうな……」
「まあ、前向きに」
案外、マリアは本気で落ち込んでいるのかもしれなかった。だが和馬はフォローしたりなどしない。
「そういえば岡崎の姿が見えないんだけど?」
その代わりに話題を変える。和馬はこのまま放っておいて新葉学園まで行こうかと思わないでもないが、さすがにそれは気が引けた。
「手近なシェルターに避難させた。あれでは戦えないからな」
「へいへい。すんませんね」
「別に、そういう意味で言ったわけでは、ない」
マリアは和馬から視線をぷいと逸らした。
「一条君。お取込み中に悪いんだけど」
リーフが申し訳なさそうにしている。何でだ?
「別に取り込んでない」
和馬の返事は素っ気ない。マリアの相手が面倒になってきていたところだったからだ。それを取り込んでいるなどと言われても。
「宇宙怪獣が2体。さっきの門へ向かっているわ」
さっきの門、というのは和馬が新葉市に入るために通った門のことだ。
「成虫、の方か?」
「成獣、の方よ」
「ああ、宇宙怪獣だからか」
成獣という呼び方は。
「でも、まあそうなんだ。としか言いようがない」
今度ばかりは和馬に出来ることなどないハズだ。
「成獣が、どうした?」
耳聡く聞いていたらしいマリアが軽い気持ちで割り込む。
「2体ほど、あの門へ向かっているそうだ」
「なに!?」
マリアの目の色が変え、和馬が示した門の方へ向き直る。
「斑鳩は全てやられてしまったのか?」
マリアは和馬に対し問い詰めた。
「5体のうち2体が戦線を突破して、新葉市に向かっているの! 斑鳩が倒されたんじゃないわ」
だが、答えるのはリーフである。
「……どうしろと?」
和馬以外にリーフは見えていないのである。この設定、どうにかならないかなと和馬は深い溜め息を吐いた。