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第5章 それぞれの決意 ~その2~

「言いたくない」

「そうか。やはりフラれたのだな」

「傷付くよ! あんた、そういう部分がズレてんだよ!!」

 口角泡を飛ばして和馬は両手で、バンとテーブルを叩く。それに、やはりって何だ!

「すまない。告白されてフッたことはあっても、フラれた試しがないから私にはその気持ちがわからないんだ」

「なんじゃ、そら! 自慢かよ」

「事実を述べたまでだ」

 その割にマリアは得意げな表情を浮かべているのは、何故だろう?

「確かに、いろいろズレてるよ」

 堪りかねて和馬は席を立つ。

「一条!」

 マリアはそのあとを追う。狭い部屋だ。ゆっくりとした足取りで和馬に近づいた。

「いい加減にしろ」

 タイミングを見計らっていたのか、さっと和馬はマリアの手首を掴み、そのか細い躰をベッドに押し倒した。そして、上に跨り抑え込む。

「のこのこ男の部屋に来るから、こうなる」

 マリアの服を強引に脱がそうと、和馬は手を胸元へと伸ばした。

「好きにすればいいさ。別に初めてというわけでもないしな」

 別段マリアは抵抗しない。体に力を込めたりもしない。

「だが、さすがにこの年齢トシで子供は欲しくないな。腰のポケットにコ〇ドームがあるから、それを付けろよ?」

 その台詞で、和馬の方が興醒めしてしまった。それに……。

「こうなることを、覚悟の上で来たのか?」

 和馬の予測のはるか上を行く、マリアの行動だった。わざわざ避妊具を持参するというのは、つまり、そういうことだ。

「私が一条にしてやれるのは、これくらいだからな」

「! そんな、簡単に……」

「好きにしていい、と言っているんだぞ?」

「う、うう~ん」

 悩みぬいた末に、和馬はマリアから離れた。

「意気地なしめ。それに、私に恥をかかせて。ここまでお膳立てしてやったというのに」

「普通に、話を聞いてくれるだけでいい」

「そうか」

 マリアは上半身を起こして、ベッドに座り込んだ。

「一条が女子に執着するのは、意外だったよ」

「恋人同士のような空気に、舞い上がってしまったのかもな」

「恋に恋していたのか。乙女だな」

「乙女とか言うな」

「一条は、その手のことはからきしなんだな。可愛いぞ?」

 マリアの口元が思い切り緩んでいた。

「意識しないことだな。檜山さんと会っても、普通にしていればいい」

「頭では、わかっているんだが」

「もしくは、そういう相手がいるだけ、幸せだと思え」

 至言だった。マリアの恋人は世を去っているのだ。

 和馬はその台詞をマリアに言わせてしまったことを、激しく悔やんだ。

「一条でも、そういう顔をするのか」

「どんな顔だ?」

「相手の気持ちを思いやるような顔。一条は私を守ってくれたし、本当は優しいんだな」

「……違う。優しいんじゃない」

 自分の中で何かが弾ける、と自覚しながら、和馬は目を閉じて次の言葉を絞りだした。

「臆病なんだよ。これ以上、親しい人に、拒絶されたくないよ……」

「拒絶? まさか檜山さんが? そんな!」

 息を呑むマリアの気配が、はっきりと伝わる。気が付けば和馬の頬を涙がつたっていた。


 いつものことだから。


 だからといって、決して慣れたりはしない。

「一条がここへ来た理由を、檜山さんは知らなかったのか……」

 その理由を和馬が告げて、檜山が耐えられなくなった。大方そんなところだろうと、マリアは察しがついた。

 和馬の沈黙が、そのことを何よりも雄弁に物語っていた。

「なあ、一条。どうせ今日は暇だろう?」

「?」

「夕方6時に神社の入り口に集合な。喜べ! 私はデートに誘われることはあっても、デートに誘うのは始めてだ。光栄に思え」

 マリアは悠然と腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。

 暇だと決めつけられ、この後のスケジュールも勝手に組み込まれてしまい和馬は茫然自失の体だ。

 しかし、マリアは自分を励まそうとしているのだけはわかった。

「全く、暴君だなあ」

「暴君! 今、暴君と言ったか?」

 碧い眼を大きく見開き、マリアはその整った顔を間近まで和馬の顔に迫らせた。

「ええっ! そんなに驚くところか? やっぱズレてんなあ……」

 思わずのけぞってしまうが、和馬は神社での待ち合わせに対しては素直に頷いた。




「遅い! 私を待たせるとは、いい度胸だ!!」

「はあ? 今、15分前だろう?」

 和馬は携帯で時間を確認する。間違いない。現在17時45分だ。

「一条を待っている間中、ひっきりなしに知らない男達から声をかけられた」

「どんだけ早く来てるんだ」

「約束の一時間前……」

「そんなのマリア先輩が悪いんじゃないか!」

「う、うるさい! それより、何か言うことがあるんじゃないのか?」

 見てくれ! と言わんばかりにマリアは両腕を広げて、己の恰好をアピールする。

「はいはい。よく似合ってますよ」

 その、おざなりな返事にマリアは機嫌を損ねる。

 本当は最初から気付いていた。マリアの姿を確認するや和馬の目は奪われてしまったからだ。

 濃紺の布地にべにだいだいの色をした金魚をあしらった浴衣を、完璧に着こなしたマリアは天井知らずのつやっぽさを醸し出していた。うなじから背中のラインなどを見ていると、ちょっと前に全裸を目撃したにも関わらず、気が狂いそうになる。

「……まあいい。遅れてきたのだから、あれを買ってくれ」

 マリアがビシッと指差したのは、りんご飴の屋台だった。

「別に時間には遅れてないだろう?」

 などと文句を垂れつつ、和馬は赤い方のりんご飴をマリアに買ってやる。ついでに他の屋台で縁日特有の飲み物トロピカルドリンク2つと、自分用にたこ焼き1パックを購入した。

 支払いは新葉市でのみ使用可能な電子マネーである。

 新葉学園の生徒全員に、毎週その電子マネーが一定量チャージされる。それは平凡な高校生には過ぎた額だと和馬は思う。もちろん支払いは自体は現金でも可能だ。新葉市で労働に従事している人間には、現金で給料が振り込まれている。

「こういうの、毎日やればいいのに」

 よほど縁日が気に入ったのか、はたまた物珍しいのか、マリアは何件もの屋台を物色して回っていた。

「さすがに毎日だと飽きる。たまにやるから、いいんだよ」

「そういうものなのか?」

 ひょいひょい、とマリアはたこ焼き2個を1度に口の中へ入れてしまう。

「ちょ。なんで食べちゃうの?」

「私のために買ってきてくれたのではないのか?」

「違うよ! さっきの酒のツマミみたいのじゃ、全然足りなかったんだよ!」

「そうか」

 またしても、マリアは胃袋へとたこ焼きを流し込んだ。

「あ~っ!」

「セコイことを言うな」

「彼氏作って、そいつと来いよ。マリア先輩なら、すぐに出来るだろうに!」

 やや涙目になりつつ、和馬は大慌てでたこ焼きを平らげた。

「彼氏作れ、か。ふむ。一理あるな」

 にまっと笑いながら、マリアは上目遣いで和馬の顔を覗き込む。

「学園内のイケメンというのか? ルックスの良い男子をチェックしたりするのだが、どうにもしっくりくる男がいないのだ。私だってデートやHは見栄えのいい相手としたいからな」

「見栄えが悪くて、わるうございました」

「妬くな妬くな」

「別に妬いてないし!」

「ムキになるところが、乙女だな」

「乙女言うな」

 それにしてもマリアが男子にチェックを入れたりすることが、和馬には意外に感じた。

「以前付き合っていた先輩が、いい男過ぎたのかもしれんな」

「知らないうちに、美化しているんじゃないのか?」

「乙女が、そういう鋭いことを言う?」

 がしっとマリアは和馬と腕を組む。

「やっぱり、そうなのかな? たった半年前のことなのに……」

 虚ろな瞳でマリアは和馬を視線に捉えて放さない。

 そして……。

「一条」

「ん……」

 欧米の人は、こんなに簡単にキスとかしてしまうものなのか?

「!?!?!?!?!?!?」

 しかも今回は生徒会室の場合と異なり、マリアは平気で舌を入れてくる。

「……ごほっ!」

 うまく呼吸出来ずに和馬は噎ぶ。つい、目を開けてしまった。

 マリアはどうも何かを確かめようとしている。そんな表情をしていた。

「ぷはっ」

 マリアが唇を離したため、和馬は呼吸を落ち着かせる。

「やはり違うな。一条とキスしても、先輩に抱いていたような感情がさっぱり湧かない」

 妙にスッキリした様子で、マリアは頭を振った。

「勝手に死んだ恋人と重ねられても、こっちはいい迷惑だ」

 半年ほど前に戦死した、マリアの恋人。

 極めて珍しいケースだったせいか、リーフの手を借りずとも和馬は情報は簡単に入手出来た。

「そうだな。人は決して誰かの代わりにはなれない。そんなことは、わかりきったことだ」

 マリアは大きな溜め息を漏らす。そして物思いに浸った顔で、こんなことを言うのだ。

「愛してるって、もっと、言っとけばよかったな……」

 和馬にその胸中は理解できようハズもなかった。他の何物にも代えがたい恋というものを、経験したことがないからだ。

「なあ、一条。聞いてもいいか?」

 こんなふうに遠慮されると、かえって気味が悪い。

「何を?」

「一条は、何のために戦っているのだ?」

 いきなりマリアが哲学を語り出す。それに対する和馬の答えは極めて即物的だった。

「金のため。生活のため。生きるため」

 そう告げることに、和馬は何ら躊躇を覚えない。

「私には、そういった理由で戦うのが悪いと言う資格はない。ひもじい思いというものを、したことがないからな」

 顔を上げて、マリアは夕焼けを眺める。そして、和馬の方へ真顔を向けた。

「もし私……、の家が学園の上位組織に働きかけて借金を帳消しにしてやると言ったら、普通の生活に戻れるとしたら、一条は新葉学園を出ていってしまうのか?」

 ふっ、とマリアが寂しげな眼をする。

 そんな人生設計は考えもしなかった、というより和馬は想像すら出来なかった。

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