第4章 暗雲、垂れ込めて ~その2~
体育の授業が終わり、教室に戻るや否や和馬は自分の机の上に大量の湿布をぶちまけた。
「こんの、バカタレがぁっ!!」
すぐ隣で同様のことをしている二階堂を怒鳴りつけた。
言い忘れていたが一番後ろの窓際から、二階堂、和馬、泉という席の並びだ。
この席順は、どうも和馬と二階堂を隅に追いやり問題をひとまとめにしてしまおうという、れなちゃんの魂胆が見え隠れしている。
「なんで体育のバスケで、あんなにムキになるんだよ!」
和馬は体中に出来たアザに湿布を貼っていく。
「タックルかましたり、肘打ち入れたり……、一体なに考えてんだ!」
「うるさい! うるさい! うるさい!」
「うるさい! のはお前だ、二階堂! あんなの一発退場だろ!?」
ディスクオリファイイングファウル。あまりに悪質なファウルは一発退場となる。
「挙句の果てにダンクと見せかけて、頭にボールを叩きつけるなんて信じられねえ」
おかげで和馬は頭に瘤は出来るは、首に違和感はあるわで散々だった。
「あ、あれは」
二階堂はこちらに背を向け、窓の外の青い空を見上げる。
「そういう技だと思ってたんだよ……」
誰にも聞こえないように呟く。そして再び和馬の方へ向き直った。
「一条だって試合のあとに殴り掛かってきただろうが!」
「そんなの当たり前だろう! あそこまでやられて、黙っていられるか!!」
ゲームに支障をきたさないよう気を回して、和馬は試合後に殴り掛かったのだ。
和馬と二階堂が湿布を貼りながら醜い言い争いを繰り広げている間に、1年D組の生徒達がちらほらと戻り始める。
2人は体育の授業が終了してすぐ保健室から湿布をかっさらい、教室へはいの一番に戻ってきた。湿布を貼るために、2人は短パン一丁という出で立ちだ。
「きゃああああああああああああああああっ!」
やぶから棒に、1人の女子生徒が悲鳴とも嬌声ともつかない金切声を上げた。
それを端緒に1年D組の女子生徒が2つのグループに別れる。1つは和馬と二階堂のことを敬遠するグループ。もう1つは、
「お、おい、一条……」
「あ、ああ。わかってる」
2人を取り囲んで観察しているグループだ。
珍しく、和馬は怖気づいた。
「どうしたの? って、あなた達ねえ」
何事かと駆けつけた泉が顔をしかめた。檜山もその背後にくっついていた。
「服を着なさい、服を!」
「もう少しだから」
「今すぐ着なさい!」
「な、なんだよ……」
泉の気迫に和馬はのけ反ってしまう。
「一条くんは、わたしが貼ってあげるわ」
檜山は机に置いてあった湿布を手に取り、患部へペタッと貼る。
「……ありがとう」
一応礼は言うものの、和馬はちょっと引く。熱にうなされたように檜山は赤くなり、つぶらな瞳が胡乱になっているからだ。
「二階堂君には、私達が貼ってあげるわ……」
2人は引き締まった良い身体をしているが、バカなくせにルックスは二階堂のが和馬より上だ。
また檜山の目もあるため、女子生徒は二階堂の方に群がる。
「檜山さん、もう大丈夫だから」
湿布は使い切ったが、檜山のつぶらな瞳は和馬の身体に釘付けだ。
「ちょ、檜山さん!」
檜山が人差し指で和馬の胸をつつきだしたのだ。
「うわ、うわあああああああああああああっ!」
隣から悲鳴が上がった。見れば二階堂の身体には複数の手が伸びていた。
男子が女子の身体が気になるのと同様、女子も男子の身体に興味津々なのである。この場合、不用意に教室で裸になっている2人が悪い。
「二階堂、逃げるぞ!」
「わかった!」
ジャージの上だけを何とか羽織って、2人は阿吽の呼吸で教室から姿を消した。
「あん、もうちょっと」
「あかね、あなた……」
「はっ! 有希、わたしは一体何を?」
呆れて物も言えないといった面持ちの泉に、檜山は首を竦めた。
ほとぼりが冷めてから、和馬は教室に戻った。
多少ぎくしゃくしたものの、普段通りに檜山と昼食を取ったその日の下校時間。
いつもならマリアが訪れるのを疎ましく思いながら待っているのだが、今日は稽古を付けるのがどうしようもなく面倒くさかった。
屋上での会話が尾を引いているのかもしれない。
だから、というわけでもないが携帯の電源をオフにして隣のクラスである1年C組の教室から、檜山が出てくるのを待った。
「檜山さん」
「……一条くん」
「今日、このあと暇かな?」
「これといって用事は無いけれど……」
「よし! じゃあ、行こう!!」
和馬は片手で自分と檜山のカバンを持つ。
「で、でも。マリア先輩は?」
「知らん知らん」
笑いながら和馬は空いた方の手で檜山の手を掴み、駆け出した。
黒板をキレイに清掃し、黒板消しをクリーナーにかける。
「ふうっ」
泉は大きく伸びをした。日直というのも存外手間がかかる。クラス委員の仕事もあるのだから免除してくれればいいのに、と思う。時間を吸い取られていく一方だ。
「あかねはデートなのに……」
誰にも聞こえない小声で呟く。
もちろん、檜山も自分と同じようにクラス委員の仕事をこなしている。文句を言う筋合いではないことは、わかっていた。
ただ、なんとなく不公平な感じがしただけだ。
もちろん、これは泉の自己憐憫だ。マリアほどでないにしても、泉も十分にモテる。言い寄ってくる男子を、すげなく相手にしない泉に問題があるのだ。
放課後の教室には男子4人と女子3人の2つのグループが居残って、他愛のないお喋りに興じていた。その当たり前の時間が、かけがえのない貴重な時間だったと彼・彼女らが気付くのは、ずっと先の未来ことである。
「一条、遅くなってすまない。今から急いで訓練棟に行って稽古を……」
勇んで飛び込んできたはいいが、目当ての生徒がいないことに気付いてマリアの台詞は尻すぼみとなつた。
こうしてマリアが1年D組の教室にズケズケと入ってくることが恒例となってしまっていた。1年D組の生徒が、そのことを快く思うハズがない。
今もチラチラと異物を見るような目線を送っていた。
「誰か、一条がどこへ行ったか知らないか?」
マリアのその質問に、居残っていた生徒は全員ぎくっとした。両グループ共、正にそれを話の肴にしていたのだ。
どうする?
と、目で囁きあう。自然、助けを求めるような視線が泉に集中する。
泉は気が重くなった。
「一条君なら帰ったわよ」
仕方なしに、泉はつっけんどんな返事をマリアに寄越した。
「なに?」
厳しい表情でマリアは携帯に手を伸ばす。
「電源を切っているのか……。邪魔をしてすまなかった」
全くどこをほっつき歩いているんだ。マリアは口を尖らせ立ち去ろうとした。
「いい加減に、一条君を束縛するのはやめたらどうかしら!?」
泉の挑戦的な言葉で教室中に緊張が走った。マリアは返しかけた踵を止める。
「私が一条のことを縛り付けていると、そう言いたいのか?」
「違うのかしら?」
「違う。私が一条に頼んだんだ。稽古を付けて欲しいと」
「そうしたら、一条君が了承したの?」
「ああ、そうだ」
「無断で合鍵を作って、言う事を聞かなければ部屋へ押し掛ける。そう言われたら、断れるわけないでしょう?」
その指摘にマリアは反論の余地が無かった。泉はさらに追い打ちをかける。
「そういうのは脅迫って言うのよ! ま、貴族のお嬢様にはわからないでしょうけど」
泉の昂然と言い放つ揺るぎない声に対して、マリアは冷や水を浴びせられた気持になった。そして全て見抜かれていることにも動揺した。
「一条君は、あなたの奴隷じゃない。彼には彼の人生があるのよ?」
「……奴隷だなんて、思っていない」
そう言葉を絞り出すだけで、マリアは精一杯だった。周囲の目にはそんなふうに映っていたことが、正直かなり堪えた。
徐々にうなだれていくマリアを見ても、この場にいる誰も同情したりはしなかった。
毎日だ。毎日マリアはやってきて一条を訓練棟へと無理矢理引っ張っていってしまう。
それを見送る檜山の顔は、とてもではないが直視できない。なんともやりきれないものが、胸にせり上がってくる。
だからマリアが落ち込んでも、可哀相だとは思わなかった。檜山はもっと悲しい思いをしているのだから。
「そう。じゃあ、もう少し一条君のことを考えてあげて下さいね」
そう言って泉は一旦自分の席へ戻り、カバンから大きめの封筒を取り出す。
「あと、これ。もう必要なくなったから」
マリアの胸に、その封筒を押しつけた。
「これは?」
封筒の中には数枚の写真が入っていた。
マリアはその写真を見て、しばし棒立ちとなった。岡崎達が他の生徒に暴行を加えている場面を捉えたものだったのだ。
「あなた達が全くアテにならないから、その写真を上の方に送りつけようとしたんだけど、先を越されたみたいね」
新刻が同じ方法を用いて岡崎達を退学させたことを、泉は看破していた。
「遅かれ早かれ、生徒会に対する不満は爆発していたわ。よかったわね。マリア先輩は一条君に守ってもらえて」
「……どういう意味だ?」
「まさか気付いてないの? 本来なら生徒会の役員と斑鳩のパイロット全員が、その人達のようになっていたハズよ」
「な……、に……?」
「一条君が『あんな真似』をしたのは、あなたにまで類が及ばないための計らいなのよ」
泉の言う『あんな真似』とは、マリアの顔にナイフを突き立てようとした一連の芝居のことを指している。泉もあの場にいたのだ。
冷静に考えれば、一条が『あんな真似』をする必要性は全くない。さらにいえば岡崎達に襲いかかった生徒を止めようとしたマリアを、引き留める理由も無かった。
それこそ放っておけばいいのだ。
では一条は、どうしてそんな行動を取ったのか?
マリアのことを守るため。
他になにがある?
そのことに思い至り、マリアは愕然とした。




