第4章 暗雲、垂れ込めて ~その1~
生きている以上、人はみな様々な事情を抱えている。
それは新葉市の住人においても同様、あるいは通常以上に厄介な事情である場合が多い。仕方なしに新葉市で生活している、というのが本音だろう。
宇宙怪獣との戦闘で、常に命を落とす危険を孕んでいる。
それを考えれば無理もない話だった。例え交通事故で死ぬ確率より低いとしてもだ。
また新葉市の人口比率として学園の生徒を除けば、20代の若者が大半を占めていた。
新葉市または稲葉重工に雇用された若者達だ。
新葉市の仕事は全て正社員待遇である。コンビニの店員でさえ例外ではない。
薄給ではあるが寮(ほぼマンション同様の建物)の家賃、および水道光熱費は全て無料という破格の条件が付帯した。普通の生活を営むには何の過不足もない。
そのような条件で求人を出したら、全国から応募が殺到したのだ。
応募者の内訳は非正規職員やネットカフェ難民、マック難民が圧倒的多数を占めた。そして、それらは大半が若者だったのである。
自衛隊のイラク派兵の際、士長以下の隊員の希望が多かったと聞く。これと同様の理由が考えられた。自衛隊と一口に言っても士長以下はバイト扱いだ。
どちらのケースも正社員という安定を得るために、多少の不審には目を瞑っている。
食い詰めた若者達が群れを成して、新葉市に駆け込んできたのだった。
人並みの生活を得るための対価が『命』では、あまりに悲しいではないか。
路上生活を経験したことのある和馬だからこそ、その事実に胸を痛めるのだ……。
戦いを終えて新葉市に帰還した和馬を、思いがけない人物が迎えてくれた。
「和馬君、今日も1体撃破かい? これで撃破数が通算5体だから、もはやエースだね」
ビシッとアルマーニのスーツを着こなした紳士。
そう形容するの相応しい男性が和馬に手を振っている。
「稲葉さん! どうしたんですか? こんなところで」
和馬でも丁寧な口調を心がける相手はいる。
「どうしたもこうしたも、新葉市の整備を担当しているのは僕の……、おっと父の会社だよ?」
稲葉重工の副社長である稲葉准が大人の落ち着いた笑みを見せた。
稲葉重工は日本では馴染みが薄いが、海外では大手といえる規模の軍需産業だ。つまりは戦争で使用する兵器を生産している。
「差し詰め、死の商人といったところだよ」
会う度に、稲葉はそう言って自嘲気味に笑う。
だが和馬は知っていた。
新葉市の整備・補充などの面倒をどこの企業が担当するのか決める際に、日本の大手有名企業は全て辞退した。
戦場のど真ん中が仕事場になるという点に、右へ倣えで難色を示したのである。
各方面(ウェハース家など)から資金援助がなされるとはいえ、戦いに巻き込まれて従業員に死なれたら、それこそ致命的なダメージになり兼ねない。確かそんな理由だったハズだ。
つまりは、びびったのである。
そこで日本ではマイナーだが、世界的にはメジャーな企業である稲葉重工に白羽の矢が立った。兵器メーカーであるという点を鑑みても都合が良かった。
稲葉重工側も日本に拠点を作りたかったという事情があったにせよ、稲葉親子は他の企業が避けた面倒を快く承諾したのである。
都市1つ世話をするというのは、並大抵のことではない。
和馬は心底そう思う。
だから稲葉のことを和馬にとっては非常に稀有なことに、尊敬しているし数少ない信頼できる大人の1人として見ていた。
「和馬君なら戦力になると思っていたけど、ここまでやるとはね。正直驚いたよ」
「いや、そんな」
稲葉に褒められ、和馬は少し気持ちが弾んだ。確かに褒められて嬉しいと思える相手はいる。
「大河君の姿が見えないようだが、どうかしたのかい……?」
「あ~、あいつは」
バカだから生徒会に入ったことを、キレイさっぱり忘れている。戦闘にも参加していない。
当然、和馬は二階堂に教えてやる義務はないし、新刻も何も言わないから問題ないのだろう。
その旨を伝えると、
「はっはっは! いかにも大河君らしいね」
これは痛快! とばかりに稲葉は相好を崩した。
「一条は稲葉さんと知り合いなのか?」
一緒に出撃していたマリアが、さも不思議そうな顔で駆け寄ってきた。
「そんな怪しい顔すんなや」
ちっと舌打ちして、和馬はそっぽを向く。
「和馬君。女の子にそういう態度は感心しないな。まあ、親友のお弟子さんだからね。色々と接点は合ったよ」
そう、こんなに立派な大人の稲葉が、どういうわけか駄目な大人の典型である上杉と親友なのである。
「ふうん。稲葉さんの親友にして一条の師匠か。その上杉という人に1度会ってみたいな」
「やめた方がいい! マリア先輩の思っているような人じゃない!!」
「そうなのか?」
「ああ。特にマリア先輩のような人は危険だ。身の安全を保障できない」
二階堂と同じく上杉もマリアは物凄く好みのタイプであろうことは、和馬には容易に予想できた。故に力説する。
「自分の師匠に対して、ひどい言い様だね」
とは言うものの、稲葉も口元を抑えて笑いを堪えていた。和馬の言わんとしていることがわかったのだろう。
マリアは小首を傾げて、きょとんとしていた。
「そうだ。生徒会長に用があるんだった」
先ほどの戦闘中、和馬の頭をかすめた疑惑が急速に浮かび上がった。
「生徒会長なら、まだ生徒会室にいるハズだ。私も行こう」
自分は副会長なのだから当然だろう。そんな面持ちでマリアは決めつけた。
「マリア先輩よりも、稲葉さんにご一緒してもらいたいんだが・・・」
「僕にかい? 別に構わないよ」
「助かります」
「高校って部外者は入れないだろう? だから楽しみだよ」
稲葉はにこりと微笑んだ。どうやらウキウキしているようだ。
こういう部分は師匠と相通ずるものがあるよなあ。和馬は妙に得心した。
生徒会室に入ると、やはり来たかという面持ちで新刻は3人を迎えた。ただ、稲葉まで同行していたのはさすがに意想外だったようだ。
「なぜ、稲葉さんが?」
「俺が頼んだんだ。これから話すことは、稲葉さんにも聞いてもらった方がいいと思ってな。それより……」
ここじゃちょっと、と和馬は生徒会室を見回した。まだ、他の生徒が残っているのだ。
「吹聴されると困る」
「ふむ。では屋上へ行こうか」
新刻は生徒会室の片隅にかけてあった鍵の束を手に取り、生徒会室を後にする。3人ともそれに続いた。
戦闘が終了し、すでに授業が始まっているため廊下に人影はない。稲葉がもの珍しそうに頭をキョロキョロさせているが、4人は無言で歩く。
そして階段を登り、錠前を開け屋上へ出た。
「おおよその察しは付くが、話とは?」
屋上の隅まで行き、新刻が口を開く。
「最近、宇宙怪獣の様子がおかしい」
和馬は誰もいないのに、それでも声を低く抑えた。
皆、その声で何か嫌な話がくるだろうと直感した。
「やはり一条君も気が付いたか。予想はしていたが……」
新刻の表情が曇ったものとなる。
「どういう事だ?」
2人のやりとりの意味がわからず、マリアが口を差し挟んだ。
「マリア先輩。さっき宇宙怪獣が逃げて行ったけど、こんなことは始めてなんじゃないか?」
「その通りだが、何か問題あるのか?」
「それだけじゃあない。どうもこちらの様子を窺っている感じだった」
それを和馬は鋭敏な嗅覚で洞察した。
今まで遮二無二新葉学園目指して突貫していた宇宙怪獣が、ここへきて新葉市を遠巻きにしてウロウロするなど違和感しか湧かない。
「それは、もしかすると威力偵察かもしれないね」
これまで、じっと聞き役に徹していた稲葉が解答を導き出す。
威力偵察とは簡単に言えば、敵と戦闘を交えることによって、敵状を探る行動のことである。
「戦いながら、こちらの戦力を計っているというわけだ。だとすると……」
あえて語尾を明瞭にせず、新刻は腕を組んで考え込む。
「そのうち、しかも近い将来、宇宙怪獣が大挙して押し寄せてくる可能性が高い。そういうことだな」
和馬の出した結論で、この場に沈黙の帳が下りた。みな、一様に表情が暗い。和馬と同じことを想像しているのだろう。
誰もいない場所を選んで正解だった。この話が外に漏れたら大変な混乱を引き起こすに違いない。
「……らしくない」
和馬はぼそぼそ呟きだした。
「こんなの、俺らしくないな」
「何がだ? 一条」
「来るか来ないか定かでない事に、ビビっている自分がさ」
いつになく晴れやかな表情で和馬は続けた。
「やれることを、全力でやるだけさ」
「私には、一条は行き当たりばったりで行動しているように見えるのだが……?」
「ひでえ。マリア先輩、あんまりだ」
「いつも好き放題やらかしているだろう?」
「おいおい。おいおいおい……」
少しばかり、和馬の目に涙が浮かぶ。
「でも和馬君の言う通りだね。やれることを全力でやる。じゃあ僕は現在開発中の新兵器を急ぐこととしよう」
早速、稲葉は携帯で連絡を取り始めた。わざわざ足を運んでもらった甲斐があったというものだ。
「いつ来るかわかれば、対処のしようもあるかもしれない。各天文台に通達しておこう」
生徒会長に話を持ちかけたのは、何らかの対策を講じられると期待してのことだ。
「支援がアテに出来るかわからないが、実家に連絡しておくか……」
思い惑いながら、マリアは呟く。
なんとなくマリアは実家を嫌っているように見えたので、やや意外だった。
「で、一条はどうするんだ?」
「別に? 普通に学園生活を楽しむだけさ」
「そこは訓練に励むとか、稽古を付ける時間を増やすとか、もっとこう、他にもあるだろう!」
「稽古を付けてやってるのに、全く成果が無い人に言われてもなあ」
「ぐ……。だから最近、手抜き稽古なのか」
「あ。さすがに手え抜いてるのはバレてたか」
さっと和馬は昇降口にダッシュした。あっかんべえ、をしながら。
「え……? ああ、そうなのか! 一条のヤツ……!」
カンカンになってマリアは後を追いかける。
「こら! 待て、一条!」
それは平和な風景だった。




