第3章 好敵手、現る!? ~その1~
……今から1年ほど前。
和馬は中学校へは行かず、大手予備校の一室を借り切って指導が行われているフリースクールに通っていた。
その帰り道のことだ。
真っ直ぐ上杉の道場に帰宅するのが何となく気乗りしなかったので、街をあてどなくフラフラしていた。小銭は所持していたので、ファーストフードを買い食いしながら。
ふと、人気の少ない路地から声が聞こえた。近い。数歩先の距離で、言い争いから取っ組み合いに発展しそうな雰囲気だった。
「元気な連中だ」
あざけりながら、和馬は狭い路地の様子を窺う。案の定、複数の男達が1組の男女にインネンを付けていた。
「ん? あのバカ……」
そう、あのバカだった。勇敢にも複数の男達から、まるで、いや実際かばうように女子を背にしていた。正義の味方ごっこが好きな奴だ。
馬鹿馬鹿しい。
「一条!」
あのバカが素通りしようとした和馬を呼び止めた。
和馬は片頬を歪めた凄絶な笑みを浮かべながら、右手の人差し指であのバカを指差す。その圧倒的な凄みに、この場がなんとも形容しがたい重苦しさに襲われる。
「なんだテメェは。こいつの仲間か?」
圧力に耐えかねたのか、男達の1人が和馬に突っかかってきた。
ぴき。和馬のこめかみがひきつる。
「がっ……」
一瞬の後、盛大に吹っ飛んで伸びている1人の男が出来上がっていた。
「俺が、そこのバカの仲間だあ? 寝言は寝てから言え」
和馬の瞳が酷薄なものへと変化している。その場にいた誰もが色を失っていた。
始業式の翌日。
つまり和馬が大演習場で大立ち回りを演じた翌日でもある。
授業中、れなちゃんの英語のリスニングを聞いているときに、和馬は昔のちょっと嫌なことを思い出してしまった。
柄にもなく慣れない学校での授業で緊張しているのだろうか?
あと少しで昼ごはんだ!
それでどうにか気を取り直し、れなちゃんの授業に傾注した。
「一条君。ちょっといいかな?」
そして昼休みに入ると、ほぼノータイムで泉に声をかけられた。
「なに?」
「ついてきて」
別に断る理由がなかったので、和馬は泉のケツを追いかける。いや、本当に尻を眺めているわけではない。
教室を出てすぐの廊下が目的の場所だったらしい。
「あかね、連れてきたわよ」
「あ、うん……。ありがとう」
もじもじしながら見知らぬ女子生徒が待っていたのである。
「えっと、あの、その……」
その女子は何故か赤面し、チラチラ和馬の顔を窺いつつ手に持っている箱状の物体を差し出そうとしていた。
「一条君、昼は学食?」
見かねた泉が助け船を出す。
「の、予定だけど」
「じゃあ、これを食べなさい」
泉は女子生徒が手にしている箱状の物体を指し示した。
その箱状の物体が弁当なのは和馬でもわかるが、あかねと呼ばれた女子生徒がどうして自分に弁当をくれるのかが、わからない。
「き、昨日は助けてくれて、ありがとうございました」
「ど、どういたしまして……??」
助けた?
ますます謎は深まる。
緩やかにウェーブがかかった長い髪に、つぶらな瞳。明らかにマリアより胸があり、スタイルも良さそうだ。なにより柔らかそうな物腰で大人しそうなのがいい。
こんなに可愛い子なら、ひと目見たら絶対に忘れないと思うのだが和馬には全く覚えがなかった。
それなのに弁当をを作って待っているというのは、どういうことだ?
何かの陰謀というのでも無さそうだし。そもそも和馬をハメても何も出てこない。
「檜山あかねと言います。ふ、ふつつか者ですが、どうかよろしくお願いします!」
「え? あ、うん。檜山さんね。こちらこそ、よろしく」
名前を聞いても、やっぱり和馬には思い出せない。
「じゃ、私は学食に行くから席使ってもいいわよ」
ごゆっくり、と泉は微妙に頬を緩ませながら去りゆく。
廊下で突っ立ていても仕方がないので、教室のドアをくぐり和馬は自分の席へ、檜山は隣の泉の席へそれぞれ座る。
「わ、わたしが作ったから口に合うかどうか、わからないけど……」
緊張の面持ちで、そっと檜山はお弁当を和馬の机の上に置く。
同学年女子の手作り弁当を一緒に食べるというのは、和馬の胸のうちを波立たせる。まさか、自分がこういうイベントに出会うとは思ってもみなかった。別世界の出来事ではないかと、疑ってしまう。
「うん、美味いよ」
故にありきたりな事しか言えない。
「よかったあ」
ほっとした、物柔らかな笑みを檜山は浮かべる。和馬はうっかり目を奪われてしまった。それほど可憐だったのだ。
「こういうの、久し振りだなぁ」
照れ隠しではないが、和馬は猛然と弁当を平らげる。食事は基本的に外食かインスタントで済ませるため、こういうのは本当にありがたい。
「はい、どうぞ」
そっと檜山が水筒から紅茶を注いでくれた。この気配りがまた、ぐっとくる。どこぞの暴君とはエライ違いだ。
「ごちそうさまでした」
ご機嫌で和馬は両手を合わせて、檜山に軽く会釈する。お腹も心も満腹だ。
「もしよかったら、明日からも作ってこようか?」
遠慮がちに檜山が提案する。
「そりゃあ嬉しいけど、何で?」
そこまで親切にされるほど、檜山に何かしただろうか?
和馬には全く覚えがない、というよりも面識すらないハズなのだが……。
「わたし隣のクラスの、クラス委員をやっているんだけど」
ぽつり、ぽつりと檜山が話をし始めた。
1年C組のクラス委員であること。
クラス委員は訓練が半ば義務づけられていること。
いつも岡崎グループが憂さ晴らしをするかのごとく、生徒会や斑鳩のパイロット以外の生徒に暴力を振るっていたこと。
……そして、それを誰も止めようとしなかったこと。
「だから昨日、一条君が止めに入ってわたしを助けてくれたとき、すごく嬉しかったし感動したの!」
その豊満な胸の前で手を組んで、檜山はうっとりとしながら和馬を見つめる。その朱に染まった表情にどぎまぎしつつ、和馬は頭の中の記憶を前日の大演習場まで巻き戻した。
どうやらその時間に、その場所で檜山に出会ったみたいだからだ。
「……? ~っ!」
稲妻のごとく和馬の脳裏に閃光が走った。
あのとき岡崎達に絡まれていた女子生徒か!
それなら確かに檜山を助けた。そういう話になってしまう。
つぶらな瞳をキラキラ輝かせている檜山を見て、和馬はズシンと気が重くなった。おかわりの紅茶を一息に飲み干す。
別に檜山を助けようとして岡崎を始末したのではない。振りかかる火の粉を払っただけである。それで明日からも弁当を作ってもらうというのは、いかに和馬といえども心苦しい。
しかし無邪気に浮かれている檜山を見ていると、とても真実を伝える気にはなれなかった。
それに……、
「こんなに美味しい弁当を、毎日食べられるのか!」
和馬にとっても心躍る提案だったのだ。
その日の帰りのこと。
1年D組の帰りのホームルームが終わりを告げると同時に、1人の女子生徒が教室に飛び込んできた。
「一条くん、一緒に帰ろう!」
檜山が和馬の腕にガッチリとしがみつく。
腕に当たる2つの柔らかな感触の正体に気付いたとき、和馬はのぼせた。
「あ、ああ。帰ろう帰ろう!」
ホームルームの最中に手早く教科書やノートをしまい込んだカバンを、和馬は空いた方の手にひっかける。
何か忘れている気がしないでもないが、すぐに思い出せなかったので大した用件ではないと和馬は結論付けた。
そもそも檜山のような可愛い女子生徒と2人きりで下校する。それ以上に大事な用などありはしないのだ。
2人は腕を組んだまま教室を出た。和馬と檜山は2人の世界に突入していたため、他の生徒の目や冷やかしは完全に蚊帳の外だ。
だから、しおらしく教室の外で和馬のことを待っていたマリアの前を、何ら気に留めることなく素通りした。
マリアの方も昨日の今日で、一条が女子と親密な関係を構築するなどと予想だにしておらず、
「ずいぶんと楽しそうだな……」
すぐ目の前を通過した、まさに青春を謳歌している風情のカップルの男子が待ち人の一条であるとは思わなかった。
私も、あんな風に思い切り先輩の腕にしがみついておけばよかったな……。
楽しそうにしているカップルの後ろ姿を見送りながら、マリアはそんなことを考え出す始末だ。
そのあと、待てど暮らせど一条は現れない。さすがに不審に思い、まだ教室に残っていた生徒に質問してみる。
「一条君なら、真っ先に帰りましたよ?」
あんなに堂々とイチャイチャして、見ているこっちがドキドキしましたよ。
と、照れ臭そうに教えてくれた。
「……! あれが一条だったのか!?」
マリアは礼を言って下駄箱へ急行する。
まさか、と思った。とても良好な人間関係を構築するのが得意には見えないのに、早くも女子と一緒に下校するというシチュエーションに持ち込んでいるのか!
「手が早いのは、喧嘩だけではないのだな」
マリアは以前付き合っていた先輩のことを、今でも愛している。これは間違いない。だから新しい彼氏を作らないのだ。
しかし、ここまで自分が無視されるのも面白くなかった。容姿には自信を持っているし、キスもした。
なにより、
「私の想いを、打ち明けたじゃないか……」
それを知りながら、相手にしない。何を考えているのだ?
やるせない気持ちがマリアの胸から溢れてくる。
下駄箱の手前で2人の姿を視界に捉えた。
「ま、待って、くれ」
かすれた声で背中から呼びかけるも、2人の耳には届かない。やむなく前に回り込む。息を切らせて前かがみになりながらも、マリアは一条を留めることに成功した。
「マリア先輩、どうしたの?」
一条はぽわんとした目をする。
「どうしたの? じゃない!」
掴みかからんばかりの勢いで、マリアはどやしつけた。
「稽古を付けてくれると約束しただろう!」
「ああ、それ中止」
「なっ……」
半ば上の空である一条の切り返しに、マリアは言葉を失った。




