9話:駄目
「くそっ………」
自分の精神の弱さとひねくれた態度。その両方に腹が立っていた。
『どうして素直に生きていけないのか』それは俺がまだ中学生のころ、父に言われたことがある。
『俺の息子ならば、しっかり生きろ』そんなことも言われていたような気がする。
父は医者で、すごい医療技術を持っているらしい。そんな父を俺は尊敬し、また憧れていた。
医者になろう、そう思うのは簡単だ。でもそれを叶えられるほど現実は甘くない。
そんなにもやさしく作られていない。容赦なく願いを踏み潰してくる。
所詮は選ばれた人間だけの世界。学力が足りないことを思い知って、俺はおかしくなったのかもしれない。思えば大きな夢を見たその瞬間からもう間違っていたのかもしれない。この考え方もまさにそれだ。ひねくれている。理由をつけて逃げている。どうせ無理だから、ああ、そうだ。無理だ。
そう考えているうちに、自宅マンションについていた。ボタンを押して、エレベーターを待つ。
ちーん、とエレベーターが下りてきた。そこには見覚えのある女性が乗っていた。
「莉瑚の………母さん?」
「あら、玲夜君じゃないの。久しぶりねぇ? 最近全然遊びに来てくれないんだもの、お菓子を振舞う機会がなくて退屈してたのよ?」
「あ、はぁ…………お久しぶりです」
「莉瑚とは一緒じゃないのね? もう、ほとんど家族同然なんだから………莉瑚も難しい年なのかな?」
莉瑚の家には中学のときまでよく遊びに行っていた。俺の部屋のある上の階、このマンションの4階にある。
昔は、このマンションに俺と父と姉で住んでいたのだけれど、父は海外に行ったまま帰ってきていない。
どうやら海外の医療チームにスカウトされたとか。そんな話はどうでもいい。
よく家を留守にする父だったので、俺は莉瑚の家に行っていたのだ。
学校から帰って、すぐに遊ぶ。そして夜になったら一人の家に戻る。そんな生活をしていたのだ。
でも高校に入るに当たって、そんなことはなくなった。
俺はもう一人で炊事、洗濯、掃除は完璧に出来るようになっていたから。
そして告白したのは高1の冬ぐらいのことだったかな………。
莉瑚の家に行かなくなったのは、そんな感情を抱いていたからかもしれない。
「それにしても、最近莉瑚の調子がおかしくてね、心配しているのよ。ほら、今日が提出日だったんじゃないの? 進路希望調査票?あの子ったらの机の上に置きっぱなしだったのよ」
そういって莉瑚の母さんは、ため息をついてみせた。
「あの子が忘れ物をするなんてね」
どうやらそこは同じ考えらしい。
「玲夜君、何か知らないかしら?」
「………僕は何も知りません。すいません、力になれなくて」
「いいのよ。それより、たまには遊びに来てね。莉瑚も暇してると思うし」
「はい……」
本当にそうだろうか? 俺には分からない。
家のドアを開け、中に入る。ただいまーと言うがおかえりー、という声は返ってくるはずもなく。
あの少女はいったい何をしているのか。
「おい、怜那? 何してんだ」
テレビはついているのだが、人の気配がしない。
リビングに入ると、よりテレビの音が鮮明に聞こえる。
「んだよ………また寝てるのかよ」
ソファーには小さく丸まった玲那が横になって眠っていた。家の鍵も開けたままでなんて無防備な
奴なんだ。
スカートは、際どいところでぎりぎり防衛ラインを作っていた。
無心を突き通し、毛布をかけてやる。春だからって油断していたら風邪を引く。
そうなったら面倒見るのは俺になるだろう。そんなことをするのは正直面倒だ。
「やだ」
「は?」
玲那が唐突に喋り始めた。寝ていたんじゃなかったのか?
顔をのぞいてみるが、起きた気配はない。寝言のようだ。というか寝言って本当にあるんだな。
「やだっ………ぇりたぁく………なぃ」
これはこれで流石に不気味になってきた。こいつは何を言っているんだ?
起こしてやるべきか? なんか結構うなされてる感じだな。起こしてやろう。
「おい、怜那──────」
「いやっ!」
目を開けたかと思うと、いきなり突き飛ばされた。中腰であったため、バランスが崩れ壁に激突する。
しかも後頭部を打ちつける。
「いっ………て」
「いやだっ………こっちにこないでっ!」
何か様子がおかしい。
「おーい? 怜那? どうかしたのか、おかしいぞ?」
部屋が暗いため怜那の現在地が分からない。立っているのか、座っているのか?あるいはどちらでも
ないのか。
電気をつけて、確認をする。何も壊れちゃいないだろうな。
「怜那? 大丈夫かお前?」
「………え、ぁぁ、うん。………大丈夫」
「何か恐い夢でも見たか?」
そこまで子供じゃないだろう。見た目はああだが。
「な、なんでもないっ………。じゃなくて変態っ!」
「なにがだっ!」
「し、し、少女の安らかな眠りを妨げて、あ、あ、あんなことや………」
「言動がおかしいぞ。というか言えないんなら言うな」
「い、言うことぐらい容易いわよ!………」
なにいってんだこいつは。
まぁ、いい。どうせ悪夢だろ。
「どうでもいいが、寝るときはテレビを消せ。電気代がもったいない」
「姑みたい………」
「お前知らんだろ。ま、俺は今日の夕食買ってくる、鍵は開けておくからな」
そういってマイバックを手に外へ出ようとするが………足が動かない。
足元を見ると、玲那がしがみついていた。だっこちゃんかこいつは。
「おい………何やってんだ。新しい呪いのかけ方か?」
「う、ぇ………そうよ! 呪うの! 」
「意味不明ってことは確かだな。とりあえず離せ。俺は買い物に行かないといけない」
ぐっ、っとさらに足が締め付けられた気がする。
「いや、だから何がしたい? 」
「わ、私も連れてってよぉ………」
潤んだ瞳での上目遣い。家に一人になるのが恐いのか。どこまでガキなんだこいつ。
よし、いつもの仕返しにいじめてやろうか。
俺は平然を保ちつつ言った。
「いや、お前にはこの家を守るっていう使命があるんだよ。というか居候だったら留守番ぐらいしろ」
「い、いやっ………私も行くの!」
「おいおい、自分勝手な行動は───────うおぁ!」
怜那は立ち上がって俺の腕に絡んできた。
町でよく見るカップルのあの組み方だ。流石に俺も動揺して、変な声を出してしまっていた。
「ねぇ…………連れてってよぉ」
さっきよりも顔が近い分余計に頭がくらくらする。このやろう………なんちゅうスキルを……。
残念ながらそれを振りほどく力は俺は持ち合わせていなかった。
ちょっと意地悪が過ぎたのかもしれない。
今思うと、さっきまでのイライラや憂鬱感がいつの間にか吹き飛んでいた。
まったく、都合のいい頭にできてるなぁ、と自分でも思い苦笑した。
というかこういうときは刀を使わないんだな。
俺のマンションから学校へ向かうようにして道を行くと、大きなスーパーがある。
先ほどの莉瑚の母さんもここに向かったのだろう。ただし、時間帯をずらしたため、会うことはない。
その前にこいつが俺の服の裾をずっとつかんでいるのは何でだろう。
どうしたってこれはカップルのソレだろう。正直止めてほしいが、何度言っても聞かない。
こんなところを誰かに見られたらもう弁解の余地がないような気がする。
俺は女たらしのレッテルを貼られたまま残りの高校生活を送ることになるかもしれない。
振られて、そしてすぐ新しい女を侍らせる男、と。
「………怜那。もうそろそろ本気で離してくれないか?」
「いや」
「何故俺につかまる? ………どんな夢を見たんだよ?」
あの怜那がこんな様子ってのがおかしい。何かあちらに関する夢か?
「言わない」
「なら離せ」
「いやだ」
「じゃあ言え」
「言わない」
「なら離せ」
「いやだっ!」
…………何だこれ。超馬鹿みたいだぞ。
「言わないっ! だけど離さない!」
だからこれの状況と態度が180度違えばそこらの二次元の再現になるってのに。
俺はどこか運が悪いのかもしれない。いや、こんなことに巻き込まれてる時点で運が悪いのかも。
っていうか、次元の壁という根本的な問題が解決できないため、二次元の再現にはならない。
「あれ? 玲夜じゃね?」
ふと進行方向を振り向くと、スナック菓子の袋を抱えた悠斗がそこにいた。いつも通りの髪型で、制服姿のままだった。
最悪だ。というかこれはもう回避不可能な死亡フラグだ。
「おやぁ? おやおや、玲夜くんは可愛い子を連れているねぇ?」
魔女にも勝りそうな不気味な笑みで、ふらふらと近づいてくる。
「前にも言ったがいとこだ!」
「ほう、それじゃあ何故そのいとこがそんなにもくっついているのかな?」
こ、こいつ………俺を破滅させる気か。俺の精神が弱いことぐらい知っているだろう!
「こんにちわ、おにーちゃんのお友達さん」
…………え?
今のは、怜那の声だっただろうか。それとも、俺の幻聴だろうか。
完璧に作り上げられた、まさに母が電話対応時に声色を変えるがごとく怜那は他人対応用の声で挨拶をした。
「お、おう………こんちわ」
それには悠斗も度肝を抜かれたらしく、反応に困っていた。
「今からお兄ちゃんとお買い物なの、今度またゆっくりお話しましょう? お兄ちゃん、行くよ」
「あ、あー?」
よく分からない覚醒をした怜那に手を引かれ、スーパーの中へと引きずられていた。
「………お兄ちゃん、だとっ………着ボイスにしてぇー!」
背後からは悠斗の理解不能な声が聞こえてきた気がした………。
「これで、おあいこ」
悠斗から少し離れた後に怜那はそれだけ言うと、俺の服の裾をつかみ直した。