吟遊詩人はフェアリーをうたう
青年は吟遊詩人だ。といってもしがない吟遊詩人だ。
歌はろくに聴いてもらえず、毎日ギリギリの生活を送っていた。
青年は後悔とともに、失意の念も抱き始めていた。
現実は甘くない。歌を聴いてもらえなければ意味が無い。
意味のない日常に、青年は呆然としながら森を歩いていた。
そんな時だった。ぼんやりと月を眺めていると、どこからか歌声が聞こええてきた。
美しいという一言では表現できない。透き通ったような、強く記憶に残るような、不思議な歌声だった。
その不思議な歌声に青年は無意識に引き寄せられていた。
夢中になって歩いた青年は、いつの間にかとある場所に来ていた。
ちょうど月光が差し込む場所だった。
青年はひっそりと近づき、その場所を覗き込んだ。
……そこにいたのはフェアリーだった。
月光に照らされ、羽を輝かせているフェアリーがそこにはいた。
ひときわ輝く銀髪をなびかせ、青い瞳はまっすぐと月をみつめている。
発する歌声はやはり不思議な引力を放っていた。
ガサッ
しかし青年は夢中になりすぎてしまい、物音を立ててしまった。
「!」
フェアリーがそれを聞き逃すはずもなく、急いで森の奥へと逃げ出した。
「ま、待ってくれ!」
だがそれを止めたのは青年の声だった。
「邪魔をしてしまってすまなかった。しかし、君の歌声は言葉にできないほど美しかった。お願いだ。まだいなくならないでくれ!」
自分で言っておいて勝手な願いだと青年は思った。彼女の歌を邪魔しておきながら言った言葉だ。しかし、この言葉を発せずにはいられなかった。
――彼女が、ここから消えてほしくなかったのだ。
少しの間固まっていたフェアリーだったが、月の方向へ体を向き直すと、目を閉じてまた歌い始めた。
青年はフェアリーが願いを聞き入れてくれたことに少し驚きつつも、歌声に耳を傾き続けた。
それから青年は毎晩森へ行くようになった。
月光が差し込むあの場所で、彼女の歌を聴き続けた。
……しだいに青年は彼女の詩歌を作るようになった。
ある晩、青年は震えながらも彼女に言った。
「君のために作った歌があるんだ。よかったら聞いてくれないだろうか」
青年はこれまた勝手な願いだと思ったが、フェアリーはうなづき、静かにその場に座った。
まだ震えていた青年だったが、深呼吸をして、彼女のほうを向いて座った。
そして青年は歌い始めた。あの時初めて出会った時のことを。透き通っていて、しかし奥には強い芯がある歌声を。
――歌い終わった青年はギターに落としていた目線を、おそるおそる彼女のほうへ向けた。
しかし、そこにあったのは青年が予想だにしていなかった表情だった。
――美しい微笑み。彼女は暖かく笑っていた。
その笑顔を見た瞬間、青年は思い出した。なぜ自分が吟遊詩人になったのかを。
笑顔だ。幼い頃、両親の前で歌った後に両親が見せてくれた笑顔。村で歌った後、村人たちが見せてくれた笑顔。あの暖かい笑顔が見たくて青年は吟遊詩人になったのだ。
青年は気づけば微笑み返していた。フェアリーはそれを見ると、ある言葉を残して森の奥へと消えていった。
『ありがとう』
青年の耳に言葉が響く。ありがとう。青年にとってこれ以上ない喜びだった。
その後、とある地域ではある吟遊詩人が有名になっていた。
フェアリーをうたう、吟遊詩人として。