第五話:特別な日のサプライズ ~未来への小さな一歩~
初めての喧嘩と、雨の中での仲直りを経て、俺と弥生さんの関係は、以前にも増して深まったように感じられた。互いの弱い部分や、不安な気持ちをさらけ出し、それでも受け止め合えたことで、二人の間の絆は、より強く、そして確かなものになったのだ。
季節は秋本番。大学のキャンパスも、赤や黄色に色づいた木々で彩られ、どこかセンチメンタルな雰囲気が漂っている。そんな中で迎える、特別な日。それは、弥生さんの誕生日だった。
俺の、大切な、年上の彼女の、誕生日。
絶対に、最高のサプライズを用意して、彼女を喜ばせたい。そして、日頃の感謝の気持ちを、ちゃんと伝えたい。俺は、かなり前から、その計画を練り始めていた。
問題は、予算だ。大学生の俺にできることは限られている。高級レストランや、高価なプレゼントは、今の俺には無理だ。でも、だからこそ、お金では買えない、心のこもったサプライズをしたいと思った。
俺が考えたのは、彼女の部屋で、俺の手料理と、手作りのケーキでお祝いする、というプランだった。
料理に関しては、弥生さんに教えてもらいながら、少しずつ練習していた。カレーはもう得意料理(?)だし、簡単なパスタくらいなら作れる。問題は、ケーキだ。お菓子作りなんて、全く経験がない。でも、彼女を驚かせたい一心で、俺はネットのレシピとにらめっこしながら、密かに練習を重ねていた。何度か失敗して、キッチンを粉まみれにしながらも、なんとか、見栄えはともかく、味はそこそこのショートケーキが作れるようになった。
プレゼントも、悩みに悩んだ。彼女は社会人だし、俺が買えるようなものは、あまり喜んでもらえないかもしれない。それでも、何か、俺からの気持ちが伝わるものを贈りたかった。
色々と考えた末、俺が選んだのは、一冊のノートだった。
それは、ただのノートではない。表紙には、俺が下手なりに描いた、弥生さんの好きな猫のイラスト。そして、中には……俺がこれから書く、新しい小説の、最初の数ページが、手書きで綴られているのだ。まだ誰にも見せていない、弥生さんのためだけに書いた、特別なプロローグ。
(……喜んでくれるかな……?)
自信はなかった。でも、これが、今の俺にできる、精一杯の贈り物だった。
誕生日当日。俺は、朝からそわそわと落ち着かなかった。弥生さんには、「今夜は俺に任せてください!」とだけ伝え、彼女が仕事から帰ってくる時間に合わせて、彼女の部屋へと向かった。合鍵は、少し前に彼女から「いつでも来ていいから」と渡されていたのだ。それが、なんだかすごく嬉しくて、そして同時に、責任のようなものも感じていた。
彼女の部屋に入り、買ってきた食材で料理の準備を始める。メニューは、彼女が以前「美味しい」と言ってくれた、俺特製の(と言っても、レシピ通りだが)煮込みハンバーグと、サラダ、そして、秘密兵器の手作りケーキだ。ケーキは、冷蔵庫に隠しておく。
慣れないキッチンで、少しだけあたふたしながらも、なんとか料理を完成させ、テーブルセッティングをする。買ってきた小さなブーケを飾り、キャンドルに火を灯す。部屋の照明を少し落とすと、なんだかいい雰囲気だ。
(……よし。完璧……なはず!)
あとは、主役の登場を待つだけだ。
心臓が、期待と緊張で、ドキドキと鳴っている。
ガチャリ、と玄関のドアが開く音がした。
「ただいまー……って、あれ? 航くん?」
仕事で疲れた表情の弥生さんが、部屋の明かりがついていることに驚きながら、リビングに入ってきた。そして、テーブルの上に並べられた料理と、キャンドルの灯りを見て、さらに目を丸くしている。
「……え? なに、これ……?」
「……弥生さん、誕生日、おめでとうございます!」
俺は、少しだけ照れながら、笑顔で言った。そして、隠していた小さなブーケを差し出す。
「わ……!」
彼女は、驚きと、喜びと、そして感動がない混ぜになったような表情で、ブーケを受け取った。その瞳が、みるみるうちに潤んでいく。
「……航くん……! ありがとう……! すごく、嬉しい……!」
彼女は、涙声でそう言うと、俺の胸に、ぎゅっと顔をうずめてきた。その温かさと、甘い香りに、俺の心も、幸せでいっぱいになる。
その夜は、本当に特別な時間だった。
俺が作ったハンバーグを、「美味しい、美味しい」と、満面の笑みで食べてくれる彼女。俺が、下手くそな字で書いた小説のプロローグを、「宝物にするね」と、涙ぐみながら読んでくれる彼女。そして、俺が失敗を重ねながらも焼き上げた、少し形が歪んだケーキを、「世界で一番美味しいケーキだよ」と、最高の笑顔で言ってくれる彼女。
その一つ一つが、俺にとって、何よりも嬉しいプレゼントだった。
彼女を喜ばせることができた。彼女を、笑顔にすることができた。その事実だけで、俺は、天にも昇るような気持ちだった。
食事が終わり、ソファで寄り添いながら、買ってきたワインを少しだけ飲む(もちろん、弥生さんだけだ。俺はまだ未成年だから、ジュースだ)。グラスを傾ける彼女の横顔は、キャンドルの灯りに照らされて、いつも以上に美しく、そして色っぽく見えた。
「……本当に、ありがとうね、航くん。最高の誕生日だよ」
彼女が、うっとりとした表情で、俺の肩に頭を預けてくる。その重みと温もりが、愛おしい。
「……俺の方こそ、ありがとうございます。弥生さんが、生まれてきてくれて」
素直な気持ちが、口をついて出た。
彼女は、顔を上げて、驚いたように俺を見つめた。そして、ふわりと微笑むと、そっと、俺の唇に、自分の唇を重ねてきたのだ。
それは、今までで一番、甘くて、優しいキスだった。
ワインの香りと、彼女の香りが混じり合って、俺の頭をくらくらさせる。
もっと、彼女に触れたい。もっと、深く繋がりたい。
そんな、抗いがたい衝動が、俺の中で湧き上がってくる。
俺は、彼女の腰に腕を回し、自分の方へと引き寄せた。彼女も、驚いた様子だったが、抵抗はしなかった。むしろ、俺の首に、そっと腕を回してくる。
見つめ合う、ゼロ距離。互いの熱い吐息が感じられる。彼女の潤んだ瞳が、俺を誘っているように見えるのは、気のせいだろうか?
(……もう、我慢できないかもしれない……)
俺が、さらに顔を近づけようとした、その時。
彼女が、悪戯っぽく笑って、人差し指で、俺の唇をそっと押さえたのだ。
「……ふふ。……続きは、また今度、ね?」
その、小悪魔のような微笑みに、俺は完全に翻弄される。
彼女は、本当に、俺を焦らすのが上手い。
「……早く、大人になりたいです」
俺は、少しだけ拗ねたように、本音を漏らした。
「……うん。……待ってるよ、航くんが、大人になるのを」
彼女は、そう言って、もう一度、今度は俺の頬に、優しいキスを落とした。
その夜、俺たちは、また一つのベッドで眠った。
触れ合いたい衝動と、彼女を大切にしたいという気持ちの間で、俺は激しく葛藤したけれど。結局、彼女の穏やかな寝息を聞いているうちに、俺もいつの間にか眠りに落ちていた。
でも、それでよかったのだ。
焦る必要はない。俺たちの時間は、まだたくさんあるのだから。
いつか、俺がもっと大人になって、彼女を本当の意味で受け止められるようになった時、その時は……。
そんな、未来への、甘くて少しだけ切ない予感を胸に抱きながら、俺は、幸せな眠りについたのだった。
*
航くんが、私の誕生日に用意してくれたサプライズ。それは、私が今までもらった、どんなプレゼントよりも、心に残る、温かくて素敵なものだった。
彼が、私のために、一生懸命作ってくれた手料理と、少し不格好な手作りケーキ。その味は、どんな高級レストランの料理よりも、ずっと美味しく感じられた。彼の愛情が、最高のスパイスになっていたからだろう。
そして、彼がくれた、特別なノート。下手くそだけど愛らしい猫のイラストが描かれた表紙を開くと、そこには、彼の、まだ誰にも見せていない、新しい小説のプロローグが、彼の丁寧な字で綴られていたのだ。『弥生へ』という、たった一言の献辞とともに。
それを読んだ瞬間、私は、もう涙を堪えることができなかった。私のために書かれた、私だけへの物語。それは、どんな高価な宝石よりも、輝いて見えた。
(……航くん、ありがとう……。本当に、ありがとう……)
彼の胸に顔をうずめながら、私は、心の中で何度も感謝の言葉を繰り返した。彼と出会えて、彼を好きになって、そして、彼に好きになってもらえて、本当に良かった、と。
ソファで寄り添い、ワインを飲みながら(彼には申し訳ないけれど、少しだけ)、他愛のない話をする。キャンドルの柔らかな光の中で見る彼の横顔は、いつもよりずっと大人びて見えて、ドキッとする。大学生になって、彼は確実に、男として成長しているのだ。
「……本当に、ありがとうね、航くん。最高の誕生日だよ」
私が、心からの気持ちを伝えると、彼は、少しだけ照れたように、「俺の方こそ、ありがとうございます。弥生さんが、生まれてきてくれて」なんて、殺し文句のようなことを言ってくる。もう、本当に、この子は……!
思わず、彼の唇に、自分の唇を重ねていた。
驚いたような彼の表情。そして、すぐに熱っぽく応えてくれる、彼のキス。
ワインのせいだろうか。いつもより、体が熱い。もっと、彼に触れたい。もっと、深く繋がりたい。そんな、今まで感じたことのないような、大胆な気持ちが湧き上がってくる。
彼が、私の腰を引き寄せ、さらに距離が縮まる。彼の腕の力強さ、胸板の硬さ、そして、すぐ近くで感じる、彼の熱い吐息。もう、どうにかなってしまいそうだ。
(……航くん……)
彼の名前を呼びそうになった、その時。ふと、理性が働いた。
ダメだ。ここで流されてはいけない。彼は、まだ大学生になったばかりなのだ。私が、年上として、ちゃんとブレーキをかけてあげなければ。
私は、悪戯っぽく笑って、人差し指で彼の唇をそっと押さえた。
「……ふふ。……続きは、また今度、ね?」
本当は、私も「今すぐ!」って言いたい気持ちでいっぱいだったけれど。そこは、ぐっと堪える。
彼は、少しだけ拗ねたような、子供っぽい顔をして、「……早く、大人になりたいです」と呟いた。その言葉が、なんだかすごく可愛くて、愛おしくて、私は思わず、彼の頬に、優しいキスを落とした。
「……うん。……待ってるよ、航くんが、大人になるのを。……ううん、待ってるだけじゃなくて、私も、一緒に、大人になっていくから」
そう、私たちは、これから一緒に、色々なことを経験して、学んで、そして成長していくのだ。年の差なんて、関係ない。互いを想い合う気持ちがあれば、きっと乗り越えていける。
その夜、私たちは、一つのベッドで眠った。
彼の腕の中で、彼の心臓の音を聞きながら。
触れ合いたい気持ちと、彼を大切にしたい気持ち。その両方を抱きしめながら、私は、深い安心感と、そして、未来への確かな希望を感じていた。
翌朝、彼が作ってくれた(と言っても、昨日のカレーの残りだけど)朝食を、二人で食べる。
「弥生さん、美味しいですか?」
心配そうに聞いてくる彼。
「うん、すごく美味しいよ。航くんが作ってくれたから、特別」
私がそう言うと、彼は、また子供のように、顔を真っ赤にして喜んでいた。
特別なことは何もない、穏やかな朝。
でも、この何気ない日常こそが、かけがえのない宝物なのだと、私は改めて感じていた。
私たちのラブコメは、まだ始まったばかり。
これから、どんな未来が待っているのだろうか。
楽しみな気持ちと、ほんの少しの不安。
でも、大丈夫。
この温かい気持ちと、繋いだ手の確かな感触がある限り。
私たちは、きっと、最高のハッピーエンドを、二人で紡いでいけるはずだから。