06 竜に乗った魔法使い
「なんだか……妙に浮かない顔をしているね」
なんと、私が居た寮の屋上に居るとんがり屋根に竜は爪を立てて留まり、竜に乗っていた男性は颯爽と飛び降りた。
黒いローブは長くて、まるでマントのように風で翻った。
「……こんばんは」
ここで自分が何を言うべきかと考えた時に、一番無難な時間帯に合った挨拶を口にしてしまった。他に何か名案ある人は、どうか提案して欲しい。
「こんばんは。もしかして、何か悩み事でもあるの? たった一人で……こんな場所で」
深い森の中にある大きな城館の中、アクィラ魔法学園の高等部の女子寮は、張り出した東館の奥まった場所にある。
私はあまり人が来ることのない屋上に居た。
この場所のひと気のなさなのなら、学園一番と言えると思う。
「……貴方は、誰なんですか?」
私が今非常に悩んでいることは、かなりセンシティブと言えて、多くの人の命を左右してしまう問題なのだ。
初対面の人がそれを知るわけもないけど、強い警戒心を込めてそう言えば、彼はにこにこと安心させるような笑顔で言った。
「偶然にここを通りがかった、旅の者だよ。あれは、俺の使い魔のレライエ。君が俺らについて、何か言っていると言い出したのは、あいつだ。誰かに狙われることを防ぐため、自分たちに関する会話は、ある程度の距離の範囲は聞こえるようになっている」
そう言って、彼はこちらに視線を向けている夜の黒に浮き上がる白竜を指差した。
……やっぱり、竜を使い魔に出来るなんて、私と変わらないくらい若く見えるのにすごい。
それに、竜に私のさっきの呟き声が聞こえた?
彼らは高く上空を飛んでいて、ここに居る私とはかなりの距離が離れていたのに……魔力が強い竜ほどの使い魔だと、こんなことも簡単に出来てしまうんだわ。
そんな経緯でやって来た彼をまじまじと見ると、さらりとした真っ直ぐな黒髪を、夜風になびかせた美青年だった。目は珍しい紫色で、それは興味津々できらきらと輝く好奇心に満ち溢れていた。
単なる旅人と言うには、かなり良い身なりをしているように見える。けど、竜を使い魔に出来るほどに魔力が強い魔法使いならば、良い職にだって就いているだろうし、とてもお金持ちなのかもしれない。
……竜に乗って、世界を旅して、回っているのかな……きっと美味しい物も食べ放題だよね。すごく羨ましい。
もう二度と会うこともない人なのなら、別にここで変な女だと思われても構わないかもしれない。魔法界って日本での距離感で言うと、信じられないほどに本当に広いし、偶然にここに来ただけだと言うのなら、変な妄想癖の女によくわからない相談受けたって思うだけかもしれない。
「あの……このままだと、魔法界が終わってしまうの」
私だって、変なことを言っている自覚はあった。
どうせ、こんな事を言っても信じないだろうって思ったし、何か変なことを言い出したぞと、ここでくるりと振り返り、名前も知らない彼は無言で行ってしまうかもしれないなって想像していた。
「へえ……それは、放っておけない。由々しき大問題だね。良かったら、僕に詳しく聞かせてよ」
彼は興味津々で呟き私へ近づくと、座ったままの私の隣へ、するりと軽い動作で腰掛けた。覗き込んだ顔が初対面の人とは思えずとても近いので、私は慌てて後ろへと身体がのけぞらせた。
「近い。近いですっ……もう少し、離れて」
「ごめんごめん! 君の話が、本当に興味深くてさ。ついつい……で、どうして、世界が終わってしまうの?」
「私は本気なんです。もしかして、揶揄っています?」
あまりにも食いつきの良すぎる彼の対応に、なんだか心の奥から不信感がむくむくと押し寄せて来た。
「そんな事はない。誤解だよ」
っていうか……この事態を、完全に面白がってる? 私の話は前世のこともあって何もかもは明かせないけれど、全部本当のことなのに。
「私一人だけが、とある教師の犯罪行為を知っているんだけど……それを、防ぐ解決法がわからないの。自然と解決するはずだった道も、今では訳あって閉ざされてしまった。けど、ほんの少しの情報しか知らない私は……これから、どうすれば良いかわからなくて」
随分とふんわりした事情説明になったけど、これ以上話すと、前世がどうの乙女ゲームがどうのという話になるし話せない。
「うーん。そうだね。ここはひとつ魔法警察に、通報する?」
人差し指を上げて提案した彼だって、どうしようと悩んでいた私と同じように、それが当然だろうと思ったみたいだ。私は首を横に振って、それは出来ないと否定を示した。
「それは駄目。犯人はとても警戒心が強いし、彼が計画を実行するタイミングがわからない。もし、捕縛するのに証拠が足りず一度失敗してしまえば、もっと用心深くなってしまう。そうなってしまえば、もう何の手も打てなくなってしまう」
「……その教師の名前は、僕には教えられる? 君がやりづらいというのなら、僕が代わろう。犯人の名前とどんな犯罪をしているか、それを教えてくれたなら、君はもうこれからは心配もせす何も考えなくて良い」
すべて自分に任せろと言わんばかりに、私をじっと見つめる彼の綺麗な目は、真剣だった。もしかしたら、自分で調べてくれようとしてくれている?
けれど、私は首を横に振った。それはあまりにも、リスクが高すぎる気がして。
「……こうして会ったばかりで、貴方の名前も知らないのに、そこまで信用出来ない」
彼が私を助けてくれる存在なら、それで良いかもしれない。
……もし、逆の立場だったとしたら? それこそ、目も当てられない事態になってしまう。
「はは。それは、当然だなー……うーん。なんとなく感じるんだけど、君には覚悟が足りないみたいだ。自分で調べるにしても、誰かに助けを求めるにしても……それをどうにか防ぎたいと思っているけど、積極的に事を起こすための覚悟をまだ決めかねているように俺は思うよ」
きらきらとした光が灯る紫の目にはくもりなく、何の悪意も見えなくて、私はついつい何もかも打ち明けたくなってしまった。
……けど、まだこの彼を信用なんて、出来ない。今の時点でも、名前すら知らないのに。
「その通りよ。自分がそれをして、成功しているビジョンを、想像しづらいっていうか……とにかく今のところ、目に見える何もかもがマイナス要素ばかりだし、動くにしても……必死で闇雲にやるしかないもの」
「……手探りだとしてもやるしかないけど、君は自分で解決したいんだね?」
なんだかんだ言っても、そうだと思う。誰かの手を借りるとなったとしても、どうなったか気になって眠れないだろうし……それならば、自分が当事者であった方がまだましだろう。
「そうなの。けど、私には、全然勇気が足りなくて……とても嫌われている人に、また親しくなるように働きかけたり……周囲から見れば意味のわからない事をしないといけなくなるの。唯一、それを知っている私が、何かやらないといけないことはわかっている……けど、まだ勇気が出ない」
私自身がやるしかないんだけど、こうしてうじうじと二の足を踏んでいる。自分でもわかってはいるんだけど……一歩目がどうしても重くて。
「では、君が世界を救ってくれたら、俺が君の願いを叶えると約束するよ。何でも。報酬があればやる気も出やすいだろう」
え。今……何でもって、言った?
「じゃあ、あの竜に乗って世界中を旅したい! って言っても、叶えてくれるの?」
彼が「やっぱり止めた」と前言撤回をする前に言質を取らねばと、私は大人しくとんがり屋根に留まっている白竜を指差して慌てて言った。
前世旅行好きだった私には……もし、それが達成したご褒美になるなら、バンジージャンプも何度でも飛んじゃう! パラシュートさえあれば、雲が触れる場所からのスカイダイビングだって、大丈夫だと思う!
さっきまで浮かない顔で沈んだ様子だった私のあまりの食いつきの良さに驚いたのか、一瞬だけ目を見開き動きを止めた彼は、面白そうに笑い出した。
「ははは! 良いよ良いよ! それでは、これで約束だ。君が魔法界を救ってくれたら、世界中の美しい場所に連れて行こう! 必ず、そうすると誓うよ」
「約束?」
「約束するよ。誓約魔法でも、使おうか?」
絶対に彼の言葉を反古にされたくない私は、こくこくと何度も頷いた。この世界の誓約魔法は、言葉だけでの約束とは、全く異なるものだ。
乙女ゲーム内でも、使う時はとても慎重だった。
お互い同意の上で誓約魔法で契約されたことは、強制力を持って執行されてしまう。だから、よっぽどの正式な重要な契約の時以外は使わない。
「では、もし、君が世界を救ってくれれば、僕は君の願いを叶える事を誓約する………………」
彼が契約内容の後に低い声で呪文を唱えれば、青色の文字が私たちの周囲を取り巻き、誓約呪文が展開されたのだとわかった。
魔力の色は属性は決まっていても、人それぞれに濃淡があり違う。魔法で形作られたのは青色の文字だから、彼はどうやら青魔法使いみたい。
それに、正式な呪文ではなく、通常よりも多く魔力を消費する短くて済む圧縮呪文を使ったので、高位な魔法使いで多くの魔力を持っていることは間違いない様子。
……一体……この人は、誰なんだろう。
「頑張ります」
握り拳を、ぐっと握った。絶対絶対、空飛んで魔法界を美食ツアーする夢を叶えたい。そのために、世界救う。
私、頑張る。
「とても、良いね。僕がここに来たばかりの時の君の目とは、全然違うよ。良いことをしたと思えば、何だか嬉しいものだ」
そう私に言った彼は、ひらひらと手を振って竜の方へ歩いて行こうとしたので慌てて聞いた。
「あの……貴方、名前は?」
名前を聞くタイミングを完全に逸し、私はそう聞いた。もしかしたら、高名な魔法使いなのかもしれない。
彼は普通に名乗ろうとしたみたいだけど、何か思いついたようで、にっこり笑って言った。
「どうせ、君が頑張ってくれて世界を守り……誓約魔法が成立したなら、いずれ会えるよ。そうしたら、自己紹介して、共に世界一周しようか」
彼が乗りやすいように、さっと身を伏せた白竜に飛び乗り、呆気ないくらいにあっさり行ってしまった。
残された私は、すぐに見えなくなった彼らをまだ視線で追うように、ずっと星がきらめく空を見上げていた。