第二十話 望みを描く
シジエノでの滞在時間は不明だ。
ステラがレダを連れてここに戻るまで、とリリエリは聞かされている。
そもそもエルナトを離れなければいけなくなったのは、ヨシュアの呪いが進行してしまったためだ。ある日突然目覚めなくなったヨシュアは、数日のうちに腐敗の霧を巻き散らすようになった。ステラの介入により被害は一部屋の内に留まったが、あのまま放置していたらどうなっていただろうか。想像もしたくない。
今は一時的に進行を止めているが、それもいつまで持つか。
本当に不味い事態になったら転移結晶を使ってリリエリ一人でエルナトに戻れと、ステラからはそう言われている。つまり、そういう事態になる可能性は十分にあるということだ。……一応、しばらくは大丈夫のはずとも言われているけれど。
レダがシジエノに到着するのが先か、ヨシュアの呪いが悪化するのが先か。
いずれにせよ、今のリリエリは時が来るのを待つことしかできない。最低限の安全のみが確保された、この人気のない褪せた廃墟の中で。
要は。つまるところ。忌憚なく言うと。
結構暇なのである。特に今日みたいな、雨のすこぶる強い日は。
「昨日まで快晴だったのに、なんでいきなり大雨になるんでしょうねぇ……」
リリエリは一人盛大に愚痴っていた。今日は本当は南の方に冒険に行くつもりだったのだ。
前回来たときはシジエノの北側しか探索しなかったため、南側はほとんど未開拓。きっと面白いものがあるぞと大変楽しみにしていたのだが、生憎朝から大雨が降っており、リリエリは泣く泣く探索を断念していた。
いくら暇とは言えど、大雨の中壁外を出歩くリスクを許容できる状況ではないのだ。
そういうわけで、ある程度生活基盤を整えた古い診療所の中、昨日採取した草やら木の実やら鉱石やらの記録をとりながらリリエリはぶつぶつ文句を溢していたわけである。
「やることがあるなら、いいんじゃないか」
ちなみにヨシュアも部屋の隅にいる。じっとリリエリの作業を見ていたり窓の外を眺めたり、そういうことをしていた。何もしていないをしている、と言い換えてもいい。
「こういうのは夜にもできますから。昼にしかできないことをしないと、なんだかもったいないような気がしちゃうんですよね」
「そうか」
「ヨシュアさんは暇ではないですか? ステラさんが何冊か本を用意してくれていますよ。その辺の家を探せば無事な本が見つかるかもしれませんし」
「俺は文字が読めない」
この世界の識字率は比較的高い。人よりも物の方が転移結晶での輸送が容易であることや、紋章魔術という筆記を中心とした技術の興隆により、人々は記述による情報の伝達に重きを置く傾向にある。
それでも約二割の人間は未だに文字を読むことができないし、ましてやヨシュアの出自を思えば、彼が字を読めないことを推測するのは難しくなかったはずだ。
リリエリは迂闊な自分の発言を後悔した。幸い、ヨシュアに気を悪くした様子は見られなかったが。
なにかヨシュアが上手く暇を楽しめる方法はないものか。リリエリは何気なく手元に視線を落とした。そこには質の悪い紙と、筆記具代わりの炭が見える。……これがあるじゃないか。
「じゃあ、ヨシュアさんも描いてみます?」
「……絵を描いたことはない。紙が無駄にならないか」
「そうなったら木の皮を剥ぐなりその辺から古い木綿を見繕うなりするだけですよ。時間はあるんですから」
もちろんヨシュアさんには沢山働いてもらうことになりますけどね、とリリエリは冗談めいた口調で言った。
気負う必要はないのだ。無事にエルナトに戻れたら、また依頼に依頼を重ねる日々がやってくる。そうなったら、のんびり絵を描いていられる時間の方が貴重になるのだから。
ヨシュアは少し考えてから、それならと言ってリリエリに手を伸ばした。新たな趣味の可能性が、リリエリとしては喜ばしい限りだ。すぐに荷物から紙と炭を取り出していそいそとヨシュアに手渡した。
「なんでも気に入ったものを描いてください。その辺の物でもいいですし、風景でも」
ヨシュアはしばし無言で部屋の中に視線をやっていたが、お気に召すものはなかったらしい。探してくると言い残し、彼は外へと出ていった。
一体何を描いてくるのだろうか。今のリリエリには想像もつかないが、こうして彼との日々を重ねていけばいつかは当てられる日が来るのかもしれない。
そうなる日が来ることを、リリエリは強く望んでやまない。




