第二話 前触れと好奇心
一昨日。エルナト主門周辺の毒草の全抜去。
昨日。塗料用鉱石の採掘(1 kg〜成果報酬)。
本日。ヤドクヒメウサギの毒の採取(持続的な採取を目的として不殺にて実施すること)。
都市を囲む大壁の外での依頼に従事できるのは、国営ギルドに登録された冒険者のみと定められている。理由は単純明快。魔力によって変質した動物や植物によって、都市の外は非常に危険な土地となっているためだ。リリエリが冒険者という立場に齧りついている大きな理由の一つである。
とはいえ、C級冒険者に割り当てられる依頼は都市近郊周辺に留まる。より上級の冒険者とパーティを組めればもっと遠くまで行けるようになるわけだが、悲しきかな、リリエリにはそんな能力も人望もないのだ。
C級冒険者の仕事は得てして質より量である。一昨日も昨日も例外はなく、昼夜もなく。今日もひたすら採集採集採集。そのはずだったのだが。
「……ヤドクヒメウサギが全然いない」
都市近郊、小エルナト森林中腹。
リリエリは辺りを見回し、周囲に生き物の気配がないことを入念に確かめたうえで、付近の大木に背中を預け座り込んだ。歩行の補助のために持ち込んだ杖がモサッと草の海に沈む。
本日晴天、空は木の葉によってその大部分を隠されているものの、十分な量の木漏れ日が草花の生い茂る地面に差し込んでいる。時折強く吹く風に合わせてざわざわと木々が揺れ、遠くからは微かに火筒鳥の鳴く声が聞こえてくる。
何の変哲もない、のどかな時間だった。……ヤドクヒメウサギの姿が一切見られないことを除けば。
ヤドクヒメウサギだけではない。本来いるはずの小動物もまた軒並み姿を見せていない。
小エルナト森林は、依頼場所の制限されたC級冒険者リリエリにとっては庭と言ってもいいほどに親しんだ場所である。ヤドクヒメウサギの毒の採取だって、時間こそかかるもののそう難しくない依頼のはずだった。
それなのにどういうことだろう。森に立ち入って早一時間、たったの一度もヤドクヒメウサギを見ていないなんて。
ヤドクヒメウサギは成獣でも大人の手のひら程度の大きさしかない小型の野生動物である。身が小さく食用には不向きだが、爪部に有する弱毒は適切に希釈することで麻酔として応用することができるため、冒険者にも一般市民にも重宝されている。
魔力による生命の変質は軽微であり、この種を魔物に分類するか否かという話題は割と頻繁に人々の口に上る。ヤドクヒメウサギはそれほどまでにありふれた生き物であり、都市近郊を熟知しているリリエリにとってその捕獲なんて何の苦にもならないはずなのだ。
……はずなのだが。
もう森林の入口から中腹部を二度ほど行き来しているが、仕掛けた罠は空っぽのまま。巣穴らしき箇所にも姿はなく、少しばかり古い足跡や抜けた毛の痕跡を見るばかりだ。
「乱獲……された感じもないけどなぁ。何が原因なんだろう。森林火災の前触れ?」
煙の臭いは感じない。火災が起きているとは考えにくいが、なにか良くないことの前触れなんじゃないかという直感は不思議と振り払えない強さがあった。西方では昼鳴く火筒鳥は不幸を呼び込むなんていう言い伝えもあるというし、なんだか穏やかじゃない雰囲気だ。
依頼は全くこなせていないが、今日はもう引き上げたほうが良いのかもしれない。急ぎの依頼ではなかったはずだし、いないウサギはいないのだ。
さっさと戻って明日受注する依頼の吟味でもしよう。あるいは、一昨日の抜去依頼の際に回収しておいた毒草類の加工をしてもいいかもしれない。自分自身に戦う力がないリリエリにとって、毒草、魔石、薬果、その他なんだって生命線になり得るのだ。
このままヤドクヒメウサギを探し続けても時間と体力を浪費するだけだろう。
今日はもう帰って別の依頼をこなすべき。リリエリの頭の冷静な部分は、そう判断を下した。
「……じゃあ、探しにいくか。原因」
ただ、冒険者の頭の中は往々にして、冷静じゃない部分が過半数を占めていたりもする。
危険に挑まずして何が冒険者か。
溢れ出る好奇心に従うまま、リリエリは小エルナト森林の奥地へと杖を踏み出した。