第三十一話 おかえり
燃え落ちた小屋の中で動く影を、リリエリは緊張感を持って注視した。ヨシュアであればいい。だがあの影が魔物であった場合、リリエリには対処することができないのだ。
もうもうと上がる煙の中で、黒い塊はぐらぐらと揺れていた。
形が大きく変わることも、体積が増えるようなこともないように見えた。決定的だったのは、特に揺れている細い部位が、人間の腕の形をしていることであった。
気づくや否や、リリエリは駆けていた。無論リリエリ単独での移動速度はそう速くはないが、それでも可能な限りの速度で、つんのめりそうになりながらも人影に近づいた。
ヨシュアの再生。この瞬間を、リリエリはずっと待っていたのだ。
第一声は謝罪のつもりだった。魔物の欠片を焼きながら、何を伝えようかと考え込んで、幾度もたどり着いた結論だ。
けれどリリエリの口は違う言葉を紡いだ。急に心に浮かんだこの言葉が、この場に一番似つかわしいと思ったから。
「おかえりなさい、ヨシュアさん」
けぶる視界と焼け爛れた皮膚によって、慣れ親しんだヨシュアの姿はほとんど見えていない。
だけどリリエリには分かった。彼は確かにリリエリを見て、声を発する動きをした。
ただいまと、確かに彼は言ったのだ。
■ □ ■
燻るだけになった小屋を背に、リリエリは杖を抱えて座っていた。ヨシュアは損傷した自身を見られたくないと思っている節がある。いつか顔面をやられた時も、見ないでくれと言っていたわけだし。
無事再生していることを確認した今、リリエリがヨシュアをジロジロと眺めまわす理由はない。見た目の修復が完全に終わるまで、リリエリはヨシュアに背を向けながら待機することにした。
これはリリエリにとっても好都合だった。懺悔するなら顔を見ないほうがやりやすい。
「すみません。とうとうヨシュアさんを殺してしまいました」
燃え残った何かが辺りに黒い煙を吐き散らかしている。喋る度に気道に入り込んで酷く不快だが、それでも言わずにはいられなかった。
「貴方を殺したのは私です。ずっと覚えていて、許さないでくださいね」
言い終えて、リリエリは強く咳き込んだ。なんだか締まらないな、と苦笑した。
火はほとんど消えていたが、喉を焼くほどの熱だけは未だ辺りに取り残されている。背後からはミシミシと太い木の枝がしなるような音が聞こえていた。再生に伴う音、なのだろうか。
「私は、ずっと覚えておきますから」
座り込んだリリエリの左側に、すっかり炭になった一握りの木片が転がっている。リリエリはおもむろにそれを手に取り、握り締めた。
火が消えて間もない木片の熱が、リリエリの掌に焼き跡を残す。この痛みと共に、今をいつだって思い出せるように。
「俺も、覚えておく」
後ろから声が聞こえた。耳を澄ませないと聞こえない、掠れて不明瞭な声であった。
「でも、許さないの方は無理だ」
「人間は人間を殺さないんですよ、普通は」
「……アンタは俺の頼みを聞いただけだろう。気に病まないでほしい」
「難しいですねぇ。ヨシュアさんにだって、痛みはあるでしょう」
「レダに焼かれた時に比べれば、無いようなものだ」
これはレダには内緒にしてくれ、とヨシュアは言った。もしかしたら笑いどころのつもりなのかも知れない。笑った方がいいのか、リリエリはコンマ二秒ほど悩んで、笑わないことにした。ブラックジョークにも程がある。
始めは酷く聞き取りにくかったヨシュアの声も、会話の間にどんどん元の声色に近づきつつある。再生は問題なく進んでいるようだ。
リリエリは咳き込みながら、いくつかの事柄をヨシュアに伝えた。
替えの服がバックパックに入っていること。魔物の肉片は可能な限り焼却したこと。今回の件が明らかな異常事態であること、そしてそれが悪化の一途を辿っていること。
「今日みたいな事が何度も起こるなら、転移結晶での帰還も視野に入れないといけません」
「……そうか」
この状況は、あまりにも危険だ。
今回は真昼かつシジエノ廃村領域内で起きたことだ。でも時間帯や場所がほんの少しでも異なっていれば、事態はさらに悪くなっていたかもしれない。
幸い、火が効果的であることは分かっている。そしてリリエリの手元には、小さいながらも着火の手段がある。
戦闘の際にリリエリが同行すれば迅速に対処ができるだろう。だが足手まといになるリスクを思えば、ヨシュアに火の手段を持たせるのが最適だろうか。
できれば、ステラを待ちたい。
ここまでの労力を無にしたくない。解呪の可能性を、可能な限り待ちたい。
最良の行動は何か。ゆらゆらと昇る煙を見ながらリリエリが考え込んでいると、隣に立つ者があった。
ヨシュアだ。再生も身支度も済んだようで、今朝拠点を出たときとそう変わらない姿のヨシュアが座るリリエリを見おろしていた。
「治った。戻ろう」
「ですね」
ヨシュアの手がリリエリに伸ばされる。その手に触れた時、リリエリに小さな痛みがあった。先程掌につけた火傷が、リリエリに痛みを伝えたようだ。
いつか消える痛みだ。なればこそ、リリエリは強くヨシュアの手を握り込んだのであった。
■ □ ■
焦げ臭い墓場を抜けて、居住区へ帰る道すがら。もう十分もしない内に居住区に着く、そんな折であった。
ヨシュアが上方を見上げて、ふと足を止めた。リリエリもそちらに視線を向けると、遠く遠くに煙のようなものが上がっていた。
「なんでしょうか、火、事……ッ?」
言い切る直前、ヨシュアが急に足を速めた。いきなりのことで、リリエリはガクリと頭を強く揺らす羽目になった。
今まで歩いていたのかと思う程の速さであった。ヨシュアは今、リリエリのことを鑑みる余裕もなく全力で走り抜けている。
何が起きたのか、必死にヨシュアの背にしがみつくばかりのリリエリには問いかけることも難しい。
それに気づいたのか、ヨシュアはリリエリに応えた。その声には馴染みの薄い響きがあった。
「魔物が来ている」
一呼吸遅れて、リリエリは気がついた。ヨシュアの声に僅かに滲む感情。これは、……焦燥だ。
遥か彼方に見えた、煙のように広がる影。
幾体もの魔物の群れが、シジエノへと迫っている。




