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第二十二話 空の鯨


 天気が急に悪くなるのなら、天気が急に良くなることもあるのだろう。

 昨日の豪雨はどこへやら、日の昇る頃には雨雲はきれいさっぱりと失せていた。なんて気まぐれな天気だ。晴れてくれたのは嬉しいが、ここシジエノは住みやすい土地というわけではないらしい。


 朝早くに起きだしたリリエリは一人診療所の外に出て、雨水を貯めるために出していたいくつかの瓶や壺を回収していた。天気は良いが地面はぬかるんでいて歩きにくい。こういう路面状況は杖の先端が沈み込んで大変不快だ。

 今日の探索は見送るべきだろうかと思案しながら作業していると、珍しく早起きしたらしいヨシュアが窓の向こうにいるのが目に入った。


「おはようございます、ヨシュアさん。今日は早いですね」

「おはよう。最近調子が良いんだ」


 思い返せば昨日も早めに起きていた気がする。調子が良いというのは本当なんだろう。まだちょっと眠そうな様子であるが。


「手伝う」


 重たい壺を何とか手押し車に乗せようと苦戦しているリリエリを見かねてか、ヨシュアが目を擦りながら表にやってきた。事実困っていたリリエリは、ありがたくその厚意を頂戴することにした。


「助かります。ではこの壺を……隣の建物の中にでも運んでもらえますか?」


 リリエリの指先が示した壺を、ヨシュアはひょいと綿の塊を持ち上げるみたいな調子で持ち上げた。雨水がぎりぎりまで溜まっている粘土の壺のはずだが、とてもそのようには見えない。いつもながら頼りになる剛腕である。


 リリエリ達が拠点に使っている廃診療所のすぐ隣には木造の建物がある。壁が大きく崩れ落ちていて風通しの良すぎる風貌であるが、倉庫代わりに使う分には十分だろう。

 そちらに向かって歩き出すヨシュアの背を追って、リリエリもまたいくつかの瓶を抱え上げた。


「晴れたな」

「ですね。昨日の雨が嘘みたい」

「西の方では、急に降って急に止む雨を空鯨と呼ぶんだ。昔の人間は、空を飛ぶ鯨が雨を降らせていると信じていた」

「鯨、って海にいる大きい魚ですよね」

「そうだ。とてもとても大きい魚が空を泳いでいたらしい」


 空鯨。エルナトでは聞かない言葉だ。

 ヨシュアはリリエリの前を歩きながら、西方に伝わるいくつかの伝承を話した。火を纏う巨大な鳥が太陽の代わりをしていただとか、その鳥が人々に与えた羽が夜空に浮かぶ星々になったとか、そういう話だった。


 益体のないただの雑談だ。知ったところで人生が変わるものではないし、知らなくて損をするようなこともない。

 だが、それをヨシュアが自ら話してくれたこと。この事実はリリエリにとって大きな大きな意味を持っている。



□ ■ □



 地面の状況を鑑みた結果、今日の探索も控えることとなった。

 ヨシュアは問題ないと言ったし、リリエリだってものすごく、それはもう大変外に出ていきたかった。でもよくよく現状を考えてみると、わざわざシジエノの外を探索する理由なんてリリエリたちにはないのだ。


 今ある食べ物だけでも十日分は保つはずだし、水も十分にある。周辺の探索は、今後の生活をより良くするために――という名目の、リリエリの極個人的な興味なのである。


 一応リリエリはその自覚を持っている。ので、今日の探索は泣く泣く断念したというわけだ。なんて理性的なんだろうとリリエリは自分で自分のことを褒めた。明日また大雨が降ったら理性がどうなるかはわからないけども。


「じゃあ今日は私はシジエノ内の探索をしてきますね。そうだ、ヨシュアさんが魔物の対処をしたのはどのあたりですか?」

「ここに入るときに見てきた、大きい農場跡の辺りだ。……その、ちゃんと殺してきたが」

「あっ、いえ、そういうのを疑っているわけではなく。素材だったり食料だったりにできないかなと思いまして」


 通常魔物は食用にしない。

 魔物と言うのは、既存の動植物が強い魔力によって変質したものの総称である。身の内に多くの魔力を有しているが、この魔力が人体にとっては毒なのだ。


 人間は経口で魔力を摂取することができない。これはレダのような優れた魔法使いであっても例外でない。作用機序は未だに解明されていないが、摂取しきれない魔力が人体に悪影響を及ぼしていると言われている。


 逆に言えば、魔力さえ抜けば問題ないのだ。捌いた肉を長時間天日に干して魔力抜きすれば、魔物だって食べられる。労力に見合わないため都市ではあまり流通していない、珍味中の珍味である。


 当然すべての魔物が食べられるわけではないが、この壁外生活においてたんぱく源は貴重だ。確認くらいはしておいた方がいいだろう。


「食べるのか」

「必要に応じて」


 そうか、とだけヨシュアは言った。その平坦な声の中に、ほんの少しだけ嫌そうな気配をリリエリは感じ取った。ヨシュアは魔物食に馴染みがないようだ。まぁリリエリだってないけども。

 だからこそ、的な。何事も経験と言うし。


「ではちょっと行ってきますね」

「……俺も行く」


 どうやらシジエノの中心からかなり離れたところで戦ってきたらしい。護衛を申し出たヨシュアと共に、リリエリはシジエノのはずれへと足を向けた。

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