時をかける鹿肉
「悪霊に憑かれたかローゼンっ!!」
タタンカは血走った目で幼馴染の巫女へ吠えかかった。
飢えた獣すら四方へ逃げ去ると噂される戦士長の一括は村中に響き渡るほどの怒声だったが
当のローゼンは落ち着きをはらった様子を崩すことなくタタンカを戒めた。
「あなたこそ悪霊に心を乱されているのではなくてタタンカ。
話がしたいならまずは心を落ち着けてちょうだい」
「これが落ち着いていられるかっ!!
お前は自分が何を言ったのか分かっているのか!?
よりにもよってあの盗人どもに俺たちの毛皮と食料を分け与えるだと!!」
タタンカの激怒も無理はない。
彼のいう盗人、10年前に上陸し急速に勢力を拡大しつつある白人の開拓者集団と部族は近年衝突が続いており
他の地域のように先住民と新参者の間で殺し合いが始まるのは時間の問題だと誰もが考えていた。
「やつらは大地を柵で囲い、それを自分たちのものだと主張する。
放っておけばいずれこの大陸の全てに柵を立て「開拓」するだろう。
ローゼン、お前ほど賢い女がどうしてそれをわからない!!
やつらは俺たちの敵だ。冬の寒さに凍えて飢えているというのなら好都合じゃないか。
夜の闇に紛れて奇襲を仕掛けよう。今ならば必ず勝てる」
「あなたの言う通り今ならば白人たちにも勝てるかもしれない。
でもねタタンカ、それはほんの一時の勝利に過ぎないのよ。
たとえ居住地を襲撃して開拓民を皆殺しにしたところで彼らは再びやってくるわ。
より多く、より強力な武器を用意してね。
私たちは力で白人たちに勝つことはできない。だから戦い方を変えるのよ」
「やつらに毛皮と食料を与えることが戦いだというのか」
「そうよ。攻めるのは白人の心。
私たちと彼らは文化も信じる神も違うけれど根本的な部分に違いはないわ。
自分の窮地を救ってくれた恩人を裏切り傷つけることには強い罪悪感を覚えるはず」
「白人はすぐに恩を忘れる。
10年前やつらが海を渡ってきた時だって俺たちは歓迎してやったじゃないか。
だがあいつらはそんなこと無かったかのようにこちらに銃を向ける。
騙されるなローゼン。あいつらに救う価値などない」
「ほとんどの白人は恩を忘れ仇を返しにくるかもしれない。
それでも私たちの善行は僅かであれども語り継がれていくはずよ。
そして私はそれが100年後、200年後の未来に白人たちに奪われた大地を部族の下へ取り戻す楔になると信じている」
「……簡単に食料を与えるというが俺たちだって余裕がある訳ではないんだぞ。
今の時期は獣たちも腹をすかせて気が立っている。
白人のために命がけの狩りをしろなど仲間たちに命じることは俺にはできない」
「お願いよタタンカ、どうかみんなを説得してちょうだい。
これは真実、部族の名誉と誇りを守るための戦いなの」
説得など出来るはずがない。
そう思っていたタタンカだったがローゼンの言葉を告げると戦士たちは反論することもなく狩りの準備を始めた。
「ど、どうしてだ。お前たちは白人を信じるというのか」
「は、馬鹿なことを言うなよタタンカ。白人どもは嘘つきで恩知らずの盗人だ。あんなやつらを信じるわけがない」
「だがローゼンの言葉なら信じられる。
あの子がどれだけお前を慕い夫婦となることを望んでいたか村中の人間が知っている。
しかし彼女は知恵の深さを先代のおばば様から見込まれ部族のためにその身を精霊に捧げることを選んだ」
「己が運命を捧げた巫女の託宣に俺たち戦士が応えなくてどうする。
山のように鹿の肉を積み上げて白人どもに返しきれない程の貸しを作ってやろうじゃないか」
かくしてローゼンの託宣により居住地には大量の食料と毛皮が届けられ白人たちは厳しい冬を乗り越えることが出来た。
食料の受け渡しが行われた村外れの森にはそこで感謝の宴が開かれたことを記した石碑が立てられたが
街が発展していくにつれ忘れられ半世紀の後にはローゼンとタタンカの生まれ育った村は開拓民の襲撃により壊滅。
部族の生き残りたちは白人たちの手が及ばぬ土地を求めて放浪の旅を余儀なくされる。
それから400年の時が過ぎた。
アメリカ内務省は差別的な要素を含む地名の変更手続きを行い新たな地名には先住民に由来する言葉が用いられるようになった。
南部では共和党の大物政治家が変更は開拓者の誇りを奪う行為だと過激な反対運動を扇動したが
考古学者がSNSに投稿した一枚の画像が世論の流れを変えた。
古ぼけた石碑にはこう記されていた。
子よ 孫よ 忘れるな
新しい友から贈られた 鹿の肉の味わいを 涙の味したあの肉を
子よ 孫よ 忘れたならば思い出せ
信じる神は違えども 盃交わした冬の日を 共に笑った冬の日を