遺言
「航一郎・・・・・こっちこい」
デカい祖父の屋敷、そのでかい日本間、和室・・・兎に角広い、ポツンと祖父が布団の上に寝ている。
介護をする、数人の女性たち、親戚だろうか?
よく、わからない。
「はい」
僕は母に促されて祖父の元へ緊張しながら行く。
「下がれ」
祖父は一言そう言う。祖父の介護をしていた3人の女性は頭を下げると何も言わずに部屋の外へと出て行った。
祖父はこの家の絶対権力者だ。
また、巨大な企業の会長をしているらしい。
兎に角、僕にはよく分からないが、すごい力を持つ怖い人間だという事だけは知っている。
僕は祖父に頭を下げると言った。
「航一郎来ました」
祖父は僕の顔を見つめると、コクリと頷き、手招きした。
「そこに座れ」
「はい」
僕は祖父の指し示した場所に正座する。正座なんてこの家に来る時くらいしかしない。
「何歳になった?」
「16歳です。高校2年になりました」
「そうか・・」
「・・・・・」
「ワシには沢山の孫がおる。無論息子も、認知してない子供も沢山おる。でな・・」
「はい」
「ワシは今までずっと孫たちを調べておった。ワシの後を継ぐに相応しい奴をな、分かるか?」
「いえ、すみません、お爺様、よく分かりません」
祖父はフッっと笑うと頷いた。
「ワシはもうすぐ死ぬ」
「・・・・・」
「何、人間は死ぬものだ、だがな、一つ心残りというか・・・、問題があってな」
「はい」
「ワシの後を継ぎ、誰がこの井上の家を守るかだ。そして・・・・」
「・・・はい」
「ワシはな、沢山の孫がいる、その中から、お前を選んだ。半ば直観だがな」
「・・・・」
「これは、呪いだ」
「・・・・・・・・・」
「見ろ」
祖父は左手に巻いた腕時計を僕に見せた。それは古そうだが、立派な時計だった。高そうだ。
「この時計はな、ワシの父、つまりお前の曽祖父が手に入れたものだ」
「はい」
「この時計には価値がある」
「はい・・」
「どの位の価値があるか分かるか?」
「えーーと、一億円とかですか?」
フンッっと祖父は鼻で笑った。
「まぁ想像も付くまいな、この時計の価値はな無限だよ」
「無限?」
「金なんかに換算は出来ん。使い方によっては世界も支配できる」
「・・・・」
「ボケて言ってるわけではないぞ、お前程度には分からん話だ」
「はい」
「だがな、ワシはもうすぐ死ぬ」
「はい」
祖父は手を伸ばして僕の手に触れた・・・そして、僕の右手を強く握る・・強く強く、死に行く人とは思えない力を込めて。
「いいか、この時計をお前に譲る」
「・・・・」
「絶対に人に渡してはならん」
「・・・・・」
「いいか、絶対にだ。そして、お前にはこの井上の家の支配権を与える」
「・・・・・」
「分からんか?株だ、土地だ、金だ、つまらんものだ」
「・・・・」
「その代わりにお前にはこの血族を守る義務を与える、拒否は許さん」
「・・・・」
「どうした、答えろ!」
「は、はい」
「ワシはな、苦労して苦労してこの家を守り、家を発展させてきた」
「はい」
「警察だろうが、国家だろうが、ワシには手を出せん、人だって何人も殺したよ」
「・・・・」
「わからんか?まぁ仕方ない、そのうち分かる。その腕時計さえあればな」
「・・・・」
「少し休む・・・・、側付きを呼んでくれ、いいか、航一郎、ワシの言ったことを考えて、そして、ワシに、いや、この家に、遺言に逆らうな。下がれ」
「はい」
僕は静かに心を出来るだけ落ち着けて立つよう念じるが上手く立ち上がれない。
頭が、何か、変だ、異物が、頭に、足が、ボーとする、どうしたんだろう、クラクラめまいが、なんか吐きそうだ、
父母に抱き留められて、
「大丈夫か?」
とか
「大丈夫?」
とか
言われて・・・・
何時間あれから経った?
起きたら夕暮れ時だった。
和室に布団に、
今まで寝てたのか・・・お爺ちゃんと会ったのはさっき?
何をしていたのか・・・・
腕時計?
価値が無限・・・?
お前に託す?
支配権?
一体なんなんだ・・・・・・。
分からない。
ヒグラシが泣いている。
僕の目からも涙が出ているのに気づいた。
そして、部屋の片隅に少女が居た。
「えっ」
「・・・・・」
「誰?君?」
「井上航一郎様、初めまして、私は遠縁に当たります、野上穂乃果と申します」
「は、はい、初めまして、よろしく」
「お爺様の遺言受けられましたね?」
「え・・・は、はぁ」
「受けられましたね?」
「は、はい」
少女はセーラー服姿で、色白、黒く長い髪をしていて綺麗だったが、存在感が薄かった。
「では、これから、私は貴方の付き人になりますので、宜しくお願いします」
「付き人?」
「ええ、これからの航一郎様の活動のサポートを致します」
「・・・・」
「何かご不明な点でも?」
「ごめん、よく分からない」
「左様ですか、これから、ゆっくりと理解して行けば良いかと」
「そうですか・・」
「では、失礼致します」
「はい・・」
野上穂乃果と名乗った少女は優雅に無駄ない動きでこの部屋を出て行った。
それからの記憶はあまりない。
慌ただしかった。
頭に残っている記憶を辿るなら、大広間で祖父の代理人を名乗る男の人?弁護士かなにか?から遺言で、この家の当主を僕にすると祖父が言ったと発表された。
それからは、知らない親戚、知っている親戚、企業の人?いろんな人が、僕に上座に座らされた僕に頭を下げて、笑顔・・・笑顔なのかなんなのか知らないが必死に媚びだした。
父母ですら、何か怖がっているような・・・。
野上穂乃果という少女は僕の斜め後ろに座り、皆を睥睨していた。
僕には全てが理解の範疇になかった。
そして、数時を待たずに祖父が亡くなった。
僕は指示された通りに動くだけ。
そして、腕時計を祖父の代理人から手渡された。
今、僕の左腕にその時計がある。
動いていない時針。
ゼンマイ式らしい。
嫌に重い。
この時計には本当に無限の価値があるのか?ボケた爺様の世迷言ではないのか?
誰か説明してくれる人はいないのか?
僕は、時計を守るように右手で左手首を握る。
今日が何日で何曜日なのか・・・分からない。
気付くと父の車で高速を走っていた。隣には野上穂乃果が載っている。
父も母も何も言わない。野上も言わない。
僕はため息をついた。
やっと自分の部屋に帰れる。
日常へと帰れる。