8 お前のたくらみはズボッと根こそぎお見通しだ!
「か、勘弁してくださいよ〜。ノクト様って王太子殿下ですよね。そんな目的とか分かるわけありませんよ。」
一瞬目の奥で光ったものが見間違えだったかのように、ヘルボはへらへらと応答する。
「そっか。やっぱりそうだよね。そうかなとは思ったんだ。」
イリーザも表情を緩め、ヘルボの目から視線を外して椅子の横に移動する。
「殿下の目的は分からなくても、陰謀っていうのが何のことかは知ってるんだよね?」
歯を噛み締めたのか、耳が少し動く。
「……何のことだか分かりませんね。」
(ふざけた口調が少しトーンダウンしたみたい。マジで当たりか……。ちょっと知ったかぶりすれば深読みしてくれるんじゃないかとは思ってたけど。)
どうせ流されると高をくくっていたイリーザは、まだ覚悟ができておらず内心うろたえる。
(まさか私に分かるようなリアクションをしてくれるとまでは思わなかった。……ん、これってワザと? 自分がノクト様のスパイだって、私に気付かせたいってこと? 何で?)
自分自身が深読みしすぎなのかと迷いのあるイリーザは、少しふざけた口調で続ける。
「あなたは私のぼっち仲間にはなりたくないってことなのね。」
(悪役令嬢まっしぐらすぎて、誰も近寄らなかった私に、この半年でやっとできた友達だった、ってことは事実なんだけどな。あの日、夕食を食べたくないって言った時に握ってくれた手は、私を心配する気持ちが確かにこもってた気がする。)
「……一人は友達じゃなくて姉妹になっちゃったから、もはやヘルボが唯一の友達なんだけどな。」
「……ソルトたちは?」
「あいつらは今の所、舎弟であって友達じゃないわ。……ヘルボは下町には一緒に行ったこと、なかったはずだけど。」
「そりゃ、お嬢一人でミエラとして行く時は、影ながらお供してましたよ。」
(はい、気付いてませんでした〜。カシラの名は返上して、師匠と呼ばせていただきます。)
イリーザはなんとか無表情を維持して話を続ける。
「つまりノクト様は、私が殺されたり拐われたりするのは望んでないってことか……」
「あたりまえでしょ!」
「どうして? 新しい婚約者を迎えるのが簡単になるじゃない。」
「……お父上が言ってたことですね。あれは側近と婚約者が一つの家から出ることへの言い訳じゃないんですか?」
(王太子妃と王太子の側近が一つの家から出たらマズいってこと? その考えは今までなかったな。でもそんなのよくあることだよね。)
「……ヘルボはあの日エントランスにはいなかったのに、それを知っているのね。」
「婚約者が誘拐や死を望んでるなんて勘違いしているお嬢をほっとけないだけですよ。」
ヘラヘラを止めて真っ直ぐ顔を向けるヘルボに、イリーザは一瞬息を止めた。
「ふ〜……あなたって本当にいい人ね。監視しやすく側に置いてあげた甲斐があったわね。」
次に息を止めるのはへルボの番だった。
「……いつから気付いてたんですか?」
(マジで当たりだった! っていうか側に置いたのは気に入ったからだけど。隠密と怪しんでても、嫌なやつを近くに居させるなんて無理だし。)
「ん〜割と最初から? 何となくだけど。チエラの監視と報告が、学がなくて下男やってる人にしては出来過ぎてた気がしたし。それにヘルボっていえば普通、隠密のことでしょ。」
「はぁ? そんな普通、聞いたことありませんよ?! 草って緑だからですか? 緑のことをご存知で?」
(あれ? 草=隠密って前世の記憶だっけ。)
「まあ女のカンよね。13才でも女は女よ。あ、もしかして……ヘルボの秘密を暴いたから、私消されちゃう?」
「……。お嬢本当に13才ですか? それに消しませんよ。」
「じゃあまさか……秘密を漏らしたあなたが消されちゃうの??」
(どうしよう、そこまで考えてなかった! どこかの名探偵が、推理で追い詰めて死なせたら探偵失格だって言ってた気がする……)
「お嬢が黙っててくれるなら……」
イリーザが始めて見る、苦り切った複雑な顔をしながらヘルボが声を絞り出す。
「それはもちろんよ! ……だけど私たちの、この隠密ごっこはどういう報告になってるの?」
「お嬢が影の暗殺者の物語にハマッて、ごっこ遊びに付き合ってることになってます。」
「ほぼ真実ね。……もしかしてアリバイの本も用意してある?」
「アリ? 暗殺者の出てくる本は部屋にあります。」
「読むわ。じゃあ他には何も問題ないわね? 今まで通り、飼い主に適宜報告もしていいわ。……そのかわり学園に付いてきて!」
驚いた顔でヘルボがイリーザに問う。
「僕がいると筒抜けになっちゃいますよ?」
「背に腹は変えられないわ。ノクト様の思惑が全くわからないから怖いのはあるけど……。チエラが義妹ってこともバレてるのよね?」
「それは王家の方は昔からご存知です。お父上が庶子で届け出をしてますので。」
「うーわっ…… ずっとお母様は知らなかったんでしょ? きっと修羅場ってるわね。ヘルボはチエラに害が及ばないようにしてくれる?」
「害、というのが生命の危機、ということでしたらそれは大丈夫ですが……」
「あなたにもノクト様の目的は分からないの?」
「申し訳ありません。」
(分からないのか言えないのか。どっちにしてもノクト様への恐怖は増える一方だわ。スパイまで確定しちゃったし。)
「私はね、ノクト様とお約束した、貴族を監視したり罵ったりっていうのにちょっと疲れちゃったの。婚約者不適格を目指して通った下町で、平民の楽しさも知ってしまったし。将来王妃なんてもう無理ってね。……そんな時に、何もしなくても近々婚約解消できるって聞いちゃったからさ。何だかよく分からなくなっちゃったのよ。」
「お嬢……本当に13才ですか? それにとんでもない理由で下町に行ってたんですね。これは報告できません……怖ろしくて。」
(やっぱ怖いよね? ノクト様が怖ろしいのは私だけじゃないよね?)
「ねえ、ノクト様には妃にしたい意中の方がいらっしゃるの? それなら私を悪役に仕立てて婚約破棄なんてしなくても、今すぐにでもしてさしあげるのに。」
「それ……絶対本人には言わないでくださいね。」
ヘルボの個人情報は得られなかったが、ノクトと同じく今年16才になるということは教えてもらえた。だがそれ以上のことは一切教えてくれなかった。ノクトの気持ちも、縄抜けも。しかたがないのでヘルボの拘束を解いてやり、今度は自分を縛って欲しいと頼んだが却下された。
ヘルボからもらった小説は、まるで忍者の話だった。忍者が殺しにいった姫に絆されて主を裏切り、別の暗殺者の襲撃を防いで命を落とす悲恋だった。
(ヘルボさん、重いよ。……いや、むしろこの小説のせいで懐かれて困ってる、という筋書きかな。なるほど。)
入学までの少しの日々を、クナイみたいな短剣を使った護身術を習いながら過ごした。
イリーザは自分の勉強は積極的にしなかった。王太子の婚約者不適格になりたいので、自然体で挑むことにしたのだ。テンプレでは無双できそうな魔法についても、予習はせず、学校で習うまで手を付けない。これは決して怠慢ではない。保身だ。
(それより、貴族じゃなくなった時のために家事を習いたいな。またミエラになって、食材持ってチエラママに習ってこよう! どうせへルボも付いてくるんだろうから、好きな食べものでも聞いてみようかな。)
急遽二人分の入学準備になったために、イリーザの部屋にもまたメイドが入ってくるようになった。チエラと一緒に寝られない夜は長い。イリーザはバルコニーに出て、ノクトの髪色の様な月を見る。
ヘルボが下町のことを知っていたということは、噂になる前からノクトにも筒抜けだったということだ。ミエラとしてソルトたちと会っていたことも。
それでもノクトは咎めてこない。今までなら、令嬢ばかりのお茶会で険悪にならずに一日楽しく過ごしただけで、その日のうちにお叱りの手紙が来ていたのに。
そう考えると、昭和の不良ならぬ下町のお嬢化で素行を悪くする作戦には、お許しが出たということだろうか。それとも平民が相手の場合は関知しないということだろうか。
(そういえば、なんでノクト様はお茶会の様子をその日のうちに知れたんだろう? メイドの中にも隠密がいたのかな。それともどこかから魔法で覗いてた??)
イリーザは急に寒気がして、室内に戻った。春とはいえ、夜はまだ寒い。
結局、イリーザは入学ぎりぎりまでチエラの母とヘルボと過ごした。
チエラの母には、最後に自分がミエラではなく伯爵令嬢イリーザであることを明かした。親の決定はともかく、イリーザとしてはチエラとは主従ではなく姉妹としてやっていくつもりであること、一緒に学園に入学することを話すと、泣いて喜ばれた。
(どさくさに紛れてママを抱き締めちゃった。貴族の親子はこういうのないからな。前世では純日本人なのにアメリカンに抱き合う家族だったから、なんだか懐かしい。)
チエラの母の温もりに溶かし出されるように、前世の記憶が浮かび上がっていく。
(父と母もベタベタしてたし。結構格好いい自慢の兄貴ともふざけてハグしたり。家族間でお休みのほぺチュウは毎日してたな。名前とか、死因は思い出せないけど、チエラママのお陰で温かい思い出がちょっと戻ってきた……)
チエラの実家からの帰り道、いつも刺繍ハンカチを売っている雑貨屋さんにしばらくは売りに来られないことを伝えた。
興味本位でどんな人が買いに来ていたのかを聞いてみると、いつもイリーザが帰った後すぐに、上等なメイド服を着た人がまとめ買いしていっていたらしい。
(なんだか……ゾクッとした。)
2021.7.15