30 虹色の妃と移りゆく幸色の王子
最終話
そこには静寂があった。
かつて悪役令嬢だったころの姿を彷彿とさせるイリーザの近寄りがたい気品と、それに見劣りしない王子然としたソルトの姿を、その場にいる人間が目の当たりにしたのだ。
イリーザは忘れてかけていた令嬢力と人形の仮面で、ソルトは少しの積み重ねと持ち前の器用さで、あたかも生まれてからずっと王族として育ったかのような立ち居振る舞いだった。
ここ最近の特訓の成果でもあるが、実際ソルトは庶子でも貴族子女であった母の躾や、幼少期に首領に連れ回された先での仕込み、学園でも最低限の教育は受けていたのだ。
ソルトは実は、ドンのことを父親なのではないかと疑っていた。立ち居振る舞いや、裏社会で上に立つものの心得(だと勘違いしていた帝王学)を仕込んでくるのだから無理もなかった。
妻子に命の危険があるから父親だと名乗り出られない。だから他人の振りで見守られている。ソルトのその認識は、父親が国王で見守り人が宰相だっただけで当たっていた。
王妃の今は亡き父親、裏に伝手がある某子爵にバレないように存在を秘匿されていたのだ。もしもソルトの素性がバレていたら、実際命の危険があったかもしれない。
だから下町で接触したイリーザのことも当然調べられていたし、その上で危険なしと容認されていたのだ。その話を聞かされた時のイリーザとソルトは、それぞれの事情で頭を抱えたのだった。
そんな事情を走馬灯のように思い返しながら、イリーザは突進してくるドルナ・セルペント子爵令嬢に焦点を合わせた。
「あの、あなたたちは、その、味変夫婦漫才とか呼ばれていた平民のエラとソルト、よね?」
ドルナが学園生を代表するかのように質問をした。それを会場中が固唾をのんで食い入るように注目している。折角の良い機会なので、イリーザは最近正式に付けたこの国では珍しいミドルネームを披露することにした。
「わたくしはイリーザ・ミエラ・ヴェテーロと申します。学園では家名を名乗らないルールだけど、最後だからもういいよね。」
前半で貴族らしい所作で礼をし、後半は下町っぽく蓮っ葉に話した。ソルトもニヤリと笑った顔を引き締め、同様に続ける。
「私はソルト・エスペラント。この衣装見ればカップルだって分かるよな? 俺たち子供のころからの仲だし、誰もイリーザに手ぇ出すんじゃねえぞ。」
「え! エスペラント!? じゃ、じゃあ、あなた、あなた様が新しい王子……?」
爆弾発言とドルナの大声で、会場が一気にざわめく。
「ちょ、あなたがイリーザなら、あっちは誰なのよ?!」
「え? 妹のチエラ・ヴェテーロだけど?」
「つまり大人しい方が庶子? わたくしのお友達が庶子? なんでなの?」
混乱するドルナにイリーザが厳しい声を出す。
「わたくし庶子という言葉は嫌いなの。聞かせないでくださる?」
昔取った杵柄で冷たく見据えると、ドルナはビクッとなって謝罪する。
「も、申し訳ありません。ですが、あの、大人しい方……チエラさんがイリーザ様として王宮にいたのは? それにイリーザ様はノクト様の婚約者じゃ?」
ドルナが意外に的確な指摘をしてきたので、イリーザとソルトは顔を見合わせてしまった。
「あ〜……兄貴とイリーザは“仮”の婚約者だって有名だっただろ? それに俺たちは子供のころからの仲だってさっき言ったはずだ。“俺たち”が下町にいたのは身を守るためだ。チエラには面倒な役を押し付けちまったが、おかげで“無事”成人と卒業を迎えることができたってわけだ。」
ひとつも嘘は言っていない。“俺たち”はソルトとその母だったり、“無事”はイリーザの貞操だったりするが、流れは本当のことだ。
ちなみに、“仮”だと有名だった婚約は、手続き上は正式な婚約だった。ヴェテーロ伯爵まで仮だと信じていたのは、ノクトにそう匂わされていたからだった。
ノクトは父親のように妻を独り占めしたかったが、王妃が表に出ない弊害は理解していた。だから悪役令嬢を理由に婚約破棄、からの影に調べさせたイリーザ出生の秘密を使っての愛妾化を狙っていたのだ。その意味からも仮の婚約者は嘘ではない。
「!? つまり庶、……大人しい方は影武者? だからわたくしに貴族令嬢としての振る舞いを教えるようにと指示されたのですか?」
(あ、うーん……チエラを捨て石として育ててたみたいな言われ方は嫌なんだけどな。)
イリーザが眉を下げてチエラを見ると、ファイロととともにチエラはうなずき、ソルトには肩に手を置かれた。
「……影武者など。そのようなこと、わたくしは一言も言っておりませんよ。」
「あ! 申し訳ありません。極秘の……いえ、そういうことだったのですね。なるほど! お役に立てて光栄ですわ。……それではノクト様は? やはり……」
勝手に良いように解釈しつつ、自分の功績を織り込んでくるのはさすがの手腕だ。周りに聞かせるように次々質問を繰り出すのは、まるでレポーターのようだった。
「それは公式に発表された通りだ。兄上は生まれつき持病をお持ちで、今は静養されている。さあ、もういいだろう? パーティを始めよう!」
ソルトが王子様モードで切り上げると、やっと演奏が始まった。
(ノクトの生まれつきの持病、それはヤンデレ転生者ってことだね。それにしてもドルナのナイスアシストで、明日には噂が広がりそう。入れ替わりとか下町とかの事情はいい感じに誤魔化せたかな。)
学生たちは我先にとイリーザたちを取り囲み、慣れない3人と俺様1人をうんざりさせた。
ソルトの愛妾の座を狙う女子は、ソルトの「俺は子供のころからこの先もイリーザ一筋」宣言で撃沈。チエラとファイロを狙った男女は二人の婚約を知り撃沈した。
その後、すっかり下町モードに切り替えたイリーザとソルトは、最後になるかもしれない平民の友人たちとの馬鹿騒ぎに移行し、学園最後の夜は賑やかに過ぎていった。
第二王子ソルトの立太子が発表されるのは2人の結婚式と同時に、長らく重体のままであったノクト王子が息を引き取ったという発表がされるのは、王太子夫妻に第二子が生まれてからのことになる。
卒業から半年後の結婚式当日。
王宮から神殿に行くための馬車が手配されていた。御者はヘルボだった。
「ヘルボ、よかった! 無事だったのね!」
「お嬢! ……じゃなかった。イリーザ様、ご心配お掛けしました。」
下働きでもなく、従者でもなく、影でもなくなったヘルボは、ソルトの侍従になる。
「ヘルボに会いたくても、どこにいるか分からなくて困っちゃったのよ。」
「修行のし直しと、ノクト様による暗示の解除に時間がかかりました。今後はすぐ会えますよ。旦那様が僕の飼い主ですから。」
「私のになって忍びの技を教えてくれればいいのに。」
「だめだ!」「だめです!」
ソルトとヘルボの声が重なった。
「なんで? ヘルボは友達でお兄ちゃんなのよ。」
「だからだ! イリーザはヘルボを好きすぎるから却下だ!」
「お妃様が影ごっこせずとも僕たちがいるからいいんです。」
馬車の前で言い争う、非常に残念なロイヤルカップル+侍従に、暗い緑の影が忍び寄る。
「ヘルボが兄なら私は姉ですね。殿下、イリーザ様は私がいただきます。」
「うわっ! どこから現れた? お前にもやらないぞ。……でもまあイリーザは危なっかしいからよく見張ってくれ。」
「見張り!? そうね……分かったわ。それじゃああなたが私に隠密の技を教えてね。そういえば名前は?」
「花と申します。では、いい加減馬車に乗りましょうね。」
残念な美男美女カップルは、すっかり漫才に馴れた護衛たちに生温かい目で見られながら馬車に押し込まれた。
「見て、お天気雨が止んできた。」
馬車に乗ってから急に降り始めた雨が止む。
「お、見ろ、虹だ!」
馬車の窓からでもくっきり大きく虹が見えた。
「そういえばソルト、初めてあった時に私に晴れときどき雨って言ったでしょ? あれはどういう意味だったの?」
「ああ。懐かしいな。太陽のような髪、雨色の瞳。あふれる笑顔に、時々影差す悲しみ。……そんなふうに見えたんだよ。」
セットされている髪には触らず、ソルトはイリーザの額からコメカミまでを指先でつーっと撫でた。
「雨色? 私の瞳は灰色でしょ?」
ソルトは両手でイリーザの頬を挟み、瞳を覗き込んだ。
「イリーザの色は灰青色だよ。しかもアースアイの。青空に雨雲が渦巻くみたいな複雑な色合いが、俺には雨のイメージだったんだ。」
そう言ってソルトは優しくイリーザの目元に口づけた。
「俺たち、色々あって悲しい目にもあったけど今は幸せだろ? 雨のち晴れだ。……雨が晴れたら虹が出る。これでやっと虹の妃のお披露目だな。」
「そう、色々、あったけどね……。ソルトの髪は気持ちのいい青空の色だしね。ソルトといればいつでも幸せだね!」
イリーザが笑顔でそう言うと、ソルトはたまりかねたように何度もイリーザに口づけた。
「なんでそんなに可愛い格好で可愛いこと言うんだよ。」
「だ、だってしょうがないでしょう。髪と目、青と金……それに雨色と晴色。同じ色と対の色を持ち合う私たちは、運命なんだから。」
神殿に到着した時、雨色の目を潤ませ口紅の落ちたイリーザとその色を移したソルトは、緑の姉弟と護衛たちに大いに呆れられたのだった。
2021.8.1
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