24 てめぇら、許さんぜよ!
「チエラ嬢、チエラ嬢! 大丈夫?」
「あ……グラツィーオ様? ここは?」
なぜかそばにあった無印ながらも上等な馬車に、イリーザとグラツィーオが乗り込んですぐに出発した。これは軌道馬車ではないためガタガタと揺れる。その振動でイリーザは我に返ったのだった。
「ごめん、本来は同乗すべきじゃないんだけど、チエラ嬢があまりにも衝撃を受けてるみたいだったからさ。大丈夫かい? 怪我は?」
グラツィーオは相手が平民のチエラだと思っているので、丁寧ながらも砕けた口調で話していた。そのどこか安心感のある声を聞くうちに、茫然自失だったイリーザも徐々に落ち着いていった。
「怪我は……ないようです。この馬車は? それにさっきのベールの人は?」
ハキハキとしゃべるイリーザに、一瞬面食らったような顔をしたグラツィーオは、すぐに複雑な顔になった。
「それが同乗させてもらった理由の一つでもあるんだけど……」
「モモコ様、ですか?」
「え?! ああ、そうなんだよ……。神殿から急に走り出したと思ったら、騎士たちを振り切る勢いでどんどん町を突き進んで。やっと追いついた時にはちょうど君を突き飛ばした所だったんだ。」
図星を指されてうろたえたグラツィーオは観念して説明しだした。町の人たちの証言は聞こえていなかったイリーザだったが、倒れ込む時に視界にベールの翻ったモモコの憤怒の顔が見えたのだ。
「私、そこまでに嫌われてたんだ……」
「いや、そうじゃない! っていうか多分……鬱憤が溜まっていただけじゃないかと。」
「それじゃ通り魔じゃん! 無差別にこんなことをしたってことですか?」
「いや、その……チエラちゃんの自由な姿を見たから、とか……」
「自由って……。あの人好きで側妃になったんじゃないんですか?」
「本人は正妃になりたかったみたいだけど……」
「え?! それで鬱憤って、じゃあチエラは、のお姉さまは? イリーザ様は王宮で大丈夫なの??」
焦って危うく自分がチエラ役だと言うことを忘れそうになったイリーザだったが、グラツィーオは姉のことが心配過ぎて言葉が乱れたとでも思ったのか、優しい顔で答えた。
「彼女は大丈夫。側妃様はイリーザ様がお住まいの区画には出入りできないから。」
「あ……後宮ってやつですか?」
(確かにモモコが好き勝手出歩いてたら逆ハー狙って大変そうかも。)
イリーザが尋ねると、グラツィーオは目を泳がせた。
「い、いや……後宮っていう建物はないよ。ただ……ノクト様がその、独占欲的なものが強くて、その…‥」
「閉じ込めてるってこと? それじゃあお姉様も結婚したら閉じ込められちゃうってこと??」
「いやいや、閉じ込めてはないよ。……今の所。今日も神殿に行ってたわけだし。ただ……あー、平民みたいには好きに出歩けないよね。監視なしに人にも会えないよ。家族は別だけどね。」
「まあそれは仕方ないですかね……。お子様の問題もありますし。」
(学園でも男子を侍らせてたモモコのことはみんな知ってるわけだし。転移者に家族はいないから、神殿くらい行かせてくれってことなのかな。)
「だからって他者を傷つけていいわけではないよね。今日のことはきちんと王太子殿下に報告するから。……怖い思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。」
そう言ってグラツィーオは馬車の対面の席で、氷河のような薄青の頭を深々と下げた。
「頭を上げてください。私のことはもういいです。でもお姉さまに危害が加えられないように、ちゃんと監視してください。」
顔を上げたグラツィーオはまた優しい顔で答えた。
「さすが双子と言われるだけあるね。イリーザ様もいつも君のことを心配しているよ。……僕がイリーザ様付きになれるよう、殿下に頼んでみるね。」
(グラツィーオ様はモモコの誘惑抵抗値が高そうだし、そばにいてくれれば安心かな。)
「はい、よろしくお願いします。」
ちょうど学園の敷地に入ったのか、グラツィーオが外を見て早口でイリーザに問いかける。
「ところであのソルト君の母君は、王宮で働いてるの? 彼そっくりのメイドを見かけたんだけど。」
「うちのお母さんと一緒に王宮で働いてますよ。」
「やっぱそうか。一緒にいたうちの父が、見覚えがあるって……」
その時、馬車の扉が叩かれ、返事も待たずに開かれた。ソルトだった。
「ハニー! 遅かったじゃないか! 何で他の男と一緒に馬車に乗ってるんだよ。お前は俺の婚約者だろ?」
そう言ってイリーザを降りさせ、グラツィーオを睨みつけた。
「ごめん、ソルト。ちょっと色々あってさ。……家の手続きは済んだの?」
直前にソルトのことを勝手に話題にしていた気まずさで、誤魔化すようにイリーザが話をそらすと、それに気づいたソルトが怒り出す。
「何はぐらかしてるんだよ!」
「待って待って、ソルト君。僕は馬車に轢かれかけたチエラ嬢を送ってきただけだよ。」
「何だと?! お前の馬車が轢きかけたのか?」
「いやそうじゃなくて……」
イリーザそっちのけで揉め出した二人を、顔を引き攣らせながら止める。
「ねえ! 私、送ってもらわないと帰れないくらいショック受けたんだけど! 二人して轢くって言葉を連発しないでくれる?」
実際イリーザの顔色は悪かった。
無理もないことだ。轢死した前世の死因を思い出してしまったのだから。電車に轢かれるに至った経緯までは思い出していないのが、せめてもの救いだった。
「「ごめん!」」
そろって謝る二人は、同じ青系統の髪色だった。
秋になり、イリーザとソルトの引っ越し準備は着々と進んでいた。
(住むところさえあれば、後は食費と雑費を稼げばいいだけか。食堂の賄いもあるし、見習いの少ない給金でもなんとかなるんじゃない? それにしても前世を思い出してからもう6年か……)
たそがれるにはいささか悪すぎる天気の下、イリーザは新居の掃除で汚れた顔を洗おうと、白い陶器に水をためていた。青い水に映った灰色の空。それは、覗き込むイリーザの瞳の色と似通っていた。
廃棄予定のものを家の外に運び出してきたソルトに、イリーザが声を掛ける。
「なんだか雨が降りそうだね。」
「おお。ちょっと早いけど、降られる前に帰ろうぜ!」
通い馴れた学園までの道を二人で歩きながら、見習いとして引き続き雇ってもらう予定の食堂のメニューについて話し合っていた。
「こんな話してると腹へるな〜」
後ろを歩くソルトに「そうだね」とイリーザが返答しようとした時、急に腕が後ろに引かれて口に布を押し込まれた。
なんとか後ろに目をやると、ソルトが複数の男たちに押さえられ、頭と腹を殴られた所だった。
不自然に人気のない道を連れて行かれた先で、イリーザたちを待っていたのはいつかの暴漢5人組、喋り担当の男だった。
「やあ、神話好きのお嬢さん。こんな時間に一人でいると、俺の部屋にご招待しちゃうよ。」
「そんなこと、させるわけ、ないだろ!」
すでに何度も殴られ引きずられてきたソルトだが、男を睨みつけ反論する。しかし人質を取られて、両腕を拘束されていては反撃も出来ない。得意ではない魔法は、殴りつづけられる状態では集中できず呪文も唱えられない。抵抗の術はなかった。
「ううぅ〜」
「イ、イリーザ……イリーザを、離せ……」
「!?」
その時、男の一人が取り出した短剣をソルトの腹に刺し入れた。
「う゛〜!!」
ソルトが動かなくなると、男たちはイリーザを連れて行こうとする。降り出した雨がソルトの血をにじませていった。
大泣きするイリーザが、歩きだすのを拒否しても暴力は振るわれなかったが、拘束している男がイラつく雰囲気があった。そんなことにはお構いなしに、必死で抵抗したイリーザの口から布が落ちた。
「ヘルボ! ヘルボ〜!! ソルトを助けて!! おねがっ……」
大声に慌てた男に後頭部を殴られ、薄れゆくイリーザの意識の端に、暗い緑が流れたような気がした。
2021.7.26




