23 気をつけよう 転生後にも 轢かれるよ
30話くらいで完結する予定です。
この国の成人である15才で受けたプロポーズのことは、イリーザの生みの親であるというファイロの母、男爵夫人には手紙で伝えた。
当然チエラの母とソルトの母にも喜んでもらえて、貴族のような手続きはないけれど、4人でささやかに婚約祝をした。
これで家族団欒に味をしめたイリーザは、以前より頻繁に二人の母の家を訪れるようになった。
そうして迎えた最終学年。
「ドルナさん、今年もよろしくね〜」
「嫌よ! あ……わ、わたくしは平民と馴れ合うのが嫌なのであって、あなたの姉の面倒はちゃんとみて差し上げるわ! 早く元通りの長さまで髪を伸ばしなさい!」
(ツンデレ様、ありがたや〜。でもやっぱチエラはヒロインなんだな。最初から勉強できる環境があったら、トップ狙えたんじゃない?)
チエラは伯爵令嬢イリーザとして、なんとAクラスになった。平民エラことイリーザと、それに合わせたソルトは、やっと中級貴族と成績優秀な平民の多いBクラスになれた。
よくある数学チートは、イリーザには使えなかった。学問が進んでいるこの国では、普通の中学生の学力では無双はできない。
(絶対に昔に来た地球人の仕業だ……)
学習面で2年までと違うことは、魔法の実技が増えたことだ。この国の魔法は呪文で発動する。そしてどう考えてもその呪文は地球の英語だった。
(多分昔に来た地球人のおかげだ!)
イリーザは勉強が得意ではないが、簡単な英語で発動する魔法だけはソルトより得意だった。この国の魔法の精度は高くないため、アニメによる魔法イメージチートは使えそうだった。
それに古語。無関心なイリーザは最近まで知らなかったが、日本でも宮沢賢治でおなじみのあの言語が、この国では古語として扱われているのだ。国の名もエスペラント。
転生者に翻訳チートはないはずだが、蜂蜜色の髪からミエラと自称したように、イリーザは古語科目に関しては無双だった。前世で勉強していたのかもしれない。
ソルトはハイスペックだ。だからモテる。しかし入学当初よりイリーザにべったりなので、もはやBクラスでも熟年夫婦扱いされるようになっていた。イリーザも黙っていれば人形のように整った顔をしている。しかし平民モードでしゃべり始めると残念がられるのだ。
Bクラスになり周囲に貴族が増えたので、当初は険悪な空気になることもあった。それでも貴族の庶子であるこの少女が、王太子の婚約者と双子のようにそっくりな姉妹であることは有名だったので、大事には至らなかった。
(入れ替わりがバレないなんて、Aクラスにいるチエラがよっぽど上手く振る舞ってくれてるんだろうな。……あ、それかチエラと結婚したいノクト様の貴族への圧力とか?)
イリーザが学園に入ったころから、完璧キラキラ王太子だったノクトの輝きには陰りが出ていた。
少年期を過ぎて大人の哀愁が出てきた、イリーザが入学してきて悪い影響を受けた、モモコに誑かされたなどと、貴族に好き勝手に噂されていた。それがある日突然ピッタリ止んだことがあったのだ。
(あの邪眼? 魔法なの? 噂好きな貴族を黙らせるのにも使えるのかな? ヘルボも逆らえない的なこと言ってたし。次期国王がそれで恐怖政治って、この国大丈夫なのかな……)
学園の3年生が身の振り方を考え始めたころ、先に生活に変化があったのは二人の母たちだ。
イリーザとソルトの婚約以来、二人の母たちはすっかり仲良くなって家を行き来していた。
それぞれ別の貴族の屋敷でメイドの仕事をしていたのだが、チエラと王太子の結婚で人手が大量募集され、二人ともに住み込みで王宮に務めることになったのだ。
母たちの送別会の日、イリーザとソルトは逆に鍵をプレゼントされた。チエラ母の家にソルト母の荷物を移したので、卒業後はソルトの家で結婚生活を送るようにと言ってくれたのだ。もちろん賃貸ではない。
実の子ではない、むしろチエラの母を不遇に陥れた元凶かもしれない、そんなイリーザに対しての優しさに、イリーザは泣きながら抱きついた。ソルトの母にも同様に、家を明け渡すなどという過ぎた献身を息子たちへ見せた姑を抱きしめた。
さすがに16才にもなろうとする男子ソルトには真似できなかったらしい。羨ましそうに見られたイリーザは、久しぶりに悪役令嬢よろしく「いいでしょ?」とドヤった顔を見せる。
そんなイリーザをソルトは残念な子を見る目で眺め、母たちは温かい眼差しを向け、寮の門限ギリギリまで送別会を続けたのだった。
日々手をつないで下町を散歩するイリーザと、舎弟改め婚約者ソルト。もちろんソルトはデートのつもりだが、イリーザにとってこれは婚約破棄作戦の名残だった。
地回りと称して厳つい顔のクラージョや、入学後は舎弟を引き連れて下町のゴロツキに顔を売っていたのだ。なぜか売り物をつまみ食いさせてもらったりしていたが。
結果的には悪評判からの婚約破棄ではなく、予想外の婚約者交代となったが、縄張りとする下町を徘徊することはやめられなかった。
狂犬令嬢時代のようにすれ違う人に怯えて避けられることもなく、目があった人に難癖をつけることも持ち物を取り上げることもなく、楽しく周りを見回しながら歩き回れることの喜びを感じていたのだ。
実のところ「昭和の不良となって婚約破棄を狙う」作戦の前の方が、よりその姿に近かったという矛盾にはイリーザは気づいていなかった。
ある日の放課後、ここ最近では珍しいことに、イリーザが一人で下町に出た。ソルトが家の名義替え手続きで役所へ行っていたからだ。
ふとイリーザが遠方へ目を向けると、いつもの神殿にベールをかけた人物が入っていくのが見えた。
学園の噂によると、それはモモコだった。彼女は側妃というよりも異世界の聖女として、いつもは王宮内で祈りを捧げているとのことだ。時折ベールをつけて外部の神殿に出向く時以外、王宮に務める人間であってもほとんど姿を見ることはないらしい。
以前のモモコを知る者としては、まるで本物の聖職者のようなその敬虔なあり方には懐疑的だ。
(絶対そんな生活に耐えられるタイプじゃなかったはず。祈ってるんじゃなくてサボってるとか?)
とはいえ遠目に一瞬見えただけなので、イリーザはその疑問をとりあえず忘れて買い物を続けた。
夕方になり帰途を急ぐ。下町とはいえ、そこそこの広さのある立派な町だ。軌道馬車もあるが、“チエラ”として生活するイリーザには余分な現金はない。新生活準備のため、いつもより遠い店まで来ていたイリーザは足を早めた。
その時、イリーザの背をドンと強く押す者がいた。ここ数年で鍛えられた足で踏ん張り、それでも耐えきれずにバランスを崩して石畳に倒れ込んだ。その瞬間イリーザの目に飛び込んできたのは、たった今通過したばかりの軌道馬車の車体と、そこへ続くレールだった。
イリーザは衝撃を受けていた。突き飛ばされた事実、倒れた痛み、一歩間違えれば馬車に轢かれていたという恐怖。どれか一つでも十分な衝撃だが、気丈なイリーザが腰を抜かして震え上がり、見開いた目から黙って滂沱の涙を流す姿は、町の人々にとっても衝撃だった。
「大丈夫ですか!?」
周りの人間が座り込むイリーザに声を掛け、荷物を拾っているところに駆け寄ったのはグラツィーオだった。騎士服の彼に目撃者たちがまくしたてる。
「ベールの女が犯人だ!」
「あっちへ逃げたぞ!」
それを聞いた別の騎士数人が慌てて追いかけていく。そういった一連のやり取りにすら、一切反応を示さないイリーザを、下町の面々が心配そうに見つめていた。
「失礼します。」
イリーザを抱き上げたグラツィーオに人々が詰め寄る。
「おい、エラお嬢をどこへ連れて行く気だ?」
「俺たちが助けるから手を離せ!」
「貴族相手じゃマズい! チェーフォ様に連絡しろ!」
「待ってください。この子は僕の学園時代の後輩で、仕える主の義妹となる方です。それにあなたの言うチェーフォ様と同一人物かはわかりませんが、宰相は父の友人ですので連絡されても構いません。それよりも早くこの子を休ませたい。」
騎士服を着て冷静に話すグラツィーオに、下町のコワモテたちも道を開けた。イリーザの荷物をもう一人の騎士が持ち、足早に立ち去る後ろ姿に、町人の一人がつぶやく。
「何で下町にこんなにいっぱい騎士様がいるんだ?」
2021.7.26




