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*9

 フルーエティは、三将にというよりもルーノに言い聞かせるようにして口を開く。


「まずは地上の――そうだな、旧ティエラ王国の王都へ連れていってやろう」


 ティエラ王国はソラール王国に攻め入られた。あれから長い歳月が経ったのだから、ルーノの知る故郷には程遠いだろう。もともと、王宮以外の場所に深い思い入れはないに等しいのだが。

 小さいながらに腕のよい職人も多く、美しい町並みをしていたような気がするのは、思い出が美化されただけだろうか。

 少し考え込んだルーノに、フルーエティは言う。


「ティエラ王国国王は豪胆な男であったから、民に贅沢を禁ずるようなこともしなかった。それでいて、自らは華美にこだわらず慎ましやかであった。そんな国王に民草は感謝の意を込め、町を美しく飾り、汚さぬよう互いが気を付け合ったらしいが」


 それはルーノの父のことであろうか。民衆からの支持が高かったことだけは覚えている。

 自国のことなのに、ルーノは案外何も知らない。

 フルーエティは無言のルーノにクスリと笑う。


「まあ、こんなことは俺が言うまでもないがな」


 本当に、嫌な悪魔だとルーノが顔をしかめると、マルティが元気に声を上げた。


「フルーエティ様、僕も地上に連れていってくださいますか? 久し振りすぎて胸が躍りますよっ。ああ、いつ振りだろ」


 楽しげなマルティに、フルーエティは冷めた目をしてつぶやく。


「いや、お前は留守番だ。今回は下見に過ぎぬ」

「えー!」


 マルティにとって、地上はそんなにも楽しいところなのだろうか。ガッカリとしたマルティの様子から、悪魔もたまには太陽の下が好きなのかと思えた。しかし、呆れた様子のリゴールの言葉で理解した。


「マルティ、お前は見境がなさすぎる。戦の前に、人と見たら狩るだろう」

「え? ダメ?」

「物には順序がある。お前がいきなりかき乱したら、フルーエティ様のご迷惑になる」


 暴れたい、殺したい、それだけの理由。

 マルティは陽気で、それでもやはり悪魔なのだ。

 胸の奥がうすら寒くなる。それを顔には出さないでルーノは彼らのそばにいた。


 リゴールはそんなマルティに比べると、まるで地位のある騎士のように清廉に感じられるが、悪魔であることに変わりはない。どこまで信じていいものか。

 フルーエティは不意にピュルサーに目を向けた。


「ピュルサー、お前が供をしろ」


 ピュルサーは名指しされてきょとんとした。その様子は本当に少年にしか見えない。


「はい。仰せの通りに」

「ずるい! 三将そろって留守番かと思ったら、ピュルサーだけ!」


 落ち着きのない悪魔だ。見た目も中身も氷のようなフルーエティの配下がこれとは。


「マルティ、うるさい」


 ピュルサーは眉間に皺を刻み、牙を剥いた。そう、獣の牙ほどではないにしろ、ピュルサーの歯は尖っていた。

 フルーエティは彼らの小競り合いなど慣れたものなのか、お構いなしに崖の縁へと歩んだ。そうして、風に長い髪をなびかせながら振り返る。


「ルシアノ、来い」


 名を、この悪魔に呼ばれたのは初めてだったかもしれない。

 ただ、何故だか不快ではなかった。


 ルーノはうなずいて歩き出す。その後ろにピュルサーが続いた。ビュウビュウと魔界の風が吹き荒ぶ。反り立った崖から見えるのは、赤紫の色を帯びた薄靄のかかった森。妖しく、それを綺麗だとほんの少し思った。その森に飛び込むかのようにして、フルーエティは崖を蹴って飛んだ。飛び降りた。


「なっ!」


 思わず手を伸ばしたルーノだが、フルーエティを気にするどころではなくなった。耳元にマルティの声がする。


「じゃあね、ルシアノ。いってらっしゃい。ちゃんと僕に戦場を用意してよ?」


 ドン、と背を押された。普段のルーノなら背後を取られたりしない。気が逸れたのはフルーエティのせいだ。

 崖からルーノの体は転落する。魔界の風を切り、森が視界いっぱいに飛び込む。黒い糸杉に似た樹が幾千と立ち並ぶ森に落ち、ルーノは串刺しになって鳥に啄まれるのかと、そうした未来が頭をよぎった。


 けれど、ルーノの視界の端に何かが入った。かろうじて眼球を動かすと、それはピュルサーであった。猫のような目は、瞬くことなく下に向けられている。

 パッと下で何かが光った。何がかはもうよくわからなかった。赤光にルーノの意識もまた呑み込まれた。




 一瞬だけ気を失ったようだ。

 それでも、ルーノの足は地についていた。ルーノを支えていたのは、ルーノよりも小柄なピュルサーであった。見てくれよりもずっと力が強い。

 いつの間にか、ピュルサーは麻のフードを被っている。そのせいで尖った耳も猫のような金の瞳もよく見えない。


「……なんだ、これは」


 ルーノが思わずそう言ったのも無理はないだろう。

 魔界の崖から落ちたはずが、地面に足をつけ、立っている。それも、ルーノが立っている場所は魔界ではなかった。


 ここは地上だ。照りつける太陽がそれを物語る。熱い風が吹き、草木の揺れる音がする。今は人通りのない、けれど轍の跡のある道の端であった。


「お前の故郷へ連れていってやると言っただろう?」


 冷ややかなフルーエティの声がした。あの崖から飛び降りて地上へ行くなど誰が思うか。事前にひと言もなかったのは、明らかにわざとだ。


「あの程度で驚くとは思わなかったのでな。それは悪かったな」


 白々しい言葉を吐くフルーエティを、ルーノなりに鋭く睨んだつもりだった。ただ、それが瞬時にゆるんでしまったのは、フルーエティの格好のせいである。


 長い髪はいつもと違った艶を放ち、黒い瞳がルーノを映していた。髪も目も、まるで人間のように黒かった。そればかりではなく、いつもは青白い肌もどこか血の通った赤味がある。服もまた、いつもの黒尽くめではない。背筋よく伸びた長身がまとうのは、ルーノが着ているものとそう変わりのない衣服であった。ベージュのチュニックの開いた襟元から鎖骨が見える。耳も丸みを帯びていた。


 どこをどう取っても人間であった。言うなれば容姿が整いすぎていることくらいか。

 これがフルーエティなりの変装というのか、人に化けた姿なのだろう。


「……なあ、お前以外にも人間のフリした悪魔ってのは普通に町中を歩いてたりすんのか?」


 ふとそんなふうに思えた。フルーエティが人に見えるのならば、悪魔が歩いていても見分けはつかない。

 ルーノの問いに、フルーエティは小さく笑った。


「場合によってはな。人に化けるのが苦手な悪魔もいるが」


 と言って、フルーエティはちらりとピュルサーを見た。ピュルサーは目を側める。

 上級悪魔であるフルーエティの配下であるが、ピュルサーはまだ若いからということだろうか。年は関係なく、得手不得手というだけのことなのか。


「まあいい、このまま行けば旧ティエラ王国の首都ベレスだ。直接入ってもよかったのだが、せっかくだから自らの足で土を踏み締めて戻るがいい」


 故郷を取り戻さんとする気概の薄いルーノを奮い立たせたいのか、フルーエティはおかしなところに気を配る。それが悪魔らしからぬように思われてルーノは顔をしかめた。


「んなもん、今はソラール王国の支配下だろ。いきなり怪しい男三人組なんて入れんのかよ」


 王都ベレスは護りの堅い要塞都市であった。城下町を含めたすべてを幕壁が囲い込む。そんな場所なのだから、ただ入るにも容易ではない。

 悪態をついてみせるけれど、そんなものはフルーエティに通用するはずがなかった。

 きっと、入れるだろう。それをルーノは確信めいて感じた。


 故郷はすぐそこに。

 けれど、これを帰還と呼ぶのはどうしようもなく嫌だった。


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