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汚いことば

作者: 三笠佳

「感動ポルノ」がテーマです。

感動ポルノというのはざっくり言うと「障害者が何かをする姿に感動した」とかいうようなシーンのことです。

ちなみに感動ポルノでは身体障害者ばかりをクローズアップして、発達障害者・精神障害者のことは無視しがちな傾向にあります。

 僕は敷地が広いだけのオンボロの公立大学へ通っていた。

 伝統のある学校と言えば聞こえは良いけれど、実際のところ敷地内には古いだけで陰気な汚さが目立つ建物が多い。それに正門を入ってすぐの銀杏並木の道は、実が落下する季節になると、あの人糞みたいなにおいをまき散らしていて、気分が悪くなるくらいだ。また、進路に悩む高校生たちに配布する学校案内のパンフレットには一番新しく建てた清潔感のある建物の写真を表紙にしてみせたりと、見栄っ張りな学校でもあった。パンフレットの表紙にある建物以外には、そのほとんどに何だかじめじめとした不安定なものが漂っている。実際、建物の強度という点から観ても不安定さは明らかで、教員の一人はとある講義中に「大地震がきたらこの建物は倒壊するでしょうね」と冗談を言って僕たち学生を笑わせ、しっかりと心を掴んでいた。

 僕は面白みのない学生だった。学校の勉強のようにいったい何の役に立つのかさっぱり分からないことや、好きな小説の文章や、マンガの登場人物の誕生日であるとか、そういうことはすぐに覚えられるくせに、政治や経済といった社会の仕組みの話となるとチンプンカンプンで、何一つまともに理解できなかった。だから知恵のある学生たちが政治の腐敗や不景気を嘆く会話にはついて行けず、ただ知ったかぶってフンフンと首をふるくらいしか出来ない。

 たとえ複雑な社会の仕組みを理解していなくても、バンド活動をしていたり、ファッションへ並々ならぬ情熱を注いでいたり、野球やサッカーが得意だとか、お酒にめっぽう強いとかそういう一芸に秀でたところがあればまだいいのだろうけれど、僕には取り柄というのはただの一つも無かった。当然女の子たちは僕に憧れて好意を示してくるようなことなど皆無で、大学生になっても相変わらず童貞のままだった。童貞であることが嫌なら夜の店にでも行けばいいと勧めてくる人もいたけれど、初対面のそれも全く好きでもなんでもない女の人の体を一生懸命撫でまわす気にはなれなかった。

 おまけに頭の回転はとにかく鈍く、人の言葉を字面通りに受け止めて、冗談や皮肉にはちっとも気が付かなかい。気まぐれでみんなを笑わせようと自分から冗談を言ってみても、誰ひとりクスリともせず、そんな僕を見て「うわあ、すべったあ」とか「お前ほんまに面白くないわあ」とツッコミを入れた同級生に皆の笑いを独り占めされてばかりだった。

 

 僕は昔からずっと、真面目な人として振る舞うことを期待されていた。周りの人はみんな、「君は真面目なところが長所だ」とか、「真面目にがんばっていれば必ずいいことがあるよ」とかいい加減な占い師みたいな言葉ばかり並べ立てて僕を評価しようと必死になっていた。何一つ特技も無く、そのうえ不器用で何をやっても碌な結果を出せない人間は、せめて真面目にがんばることだけが唯一の美徳だとみんなは信じているように感じた。そういう周囲の態度は僕の人生にはまるで楽しいことが無いと決めつけているみたいだし、僕が真面目で努力家でなければ「お前には価値は無いんだよ」と言っているように感じた。だけどそんなふうに決め付けられたからといって積極的に反対するだけの情熱も無くて、ただ頭の中で「ああそうですか」とつぶやいてみるだけである。

 

 アルバイト先でもやはり真面目な店員であることだけがバツグンに評価されていた。毎日のようにレジを打ち間違えるとか注文を受けたメニューの調理手順を間違えるとか同じようなヘマばかりやらかしたって、花火大会やクリスマスや成人式の日だってシフトに穴を空けず、毎回長時間働いている僕は優良な店員ということになっていた。それが家の経済的事情の為に働く以外の選択肢がない故だということには誰も気をとめたりはしなかった。実際、僕は面倒臭がりだし常に眠気を感じていて、可能な限りの睡眠時間を確保することだけに腐心するようなナマケモノであるのに、そんな実態とはおよそかけ離れた評価ばかりを受け続ける。真面目だと言われる原因は、考えることが面倒で言われたことには反抗もせず「はい」と返事をするせいであるかもしれない。結果的にみんなの期待通りの人だと誤解されることばかりしている。


 大学にはいろいろな人がいた。およそ関わることもなさそうな小麦色に焼けた筋肉質の腕を半そでシャツの袖から出して、大声で笑いながら行動しているような男子学生の集団や、化粧品か何かの甘い匂いを振りまく女子学生の集団。そういう人たちと話してみたいとは思わなかったけれど、どういうものに対してもただ眺めているということは好きで、ぼーっと眺めていることは良くあった。それがもしも羨望の眼差しに見えていたのだとしたら、随分と滑稽なことだ。

 そんな中でも僕にはとても気になる人がいた。学年不明の片腕の無い学生だ。みんなは彼の腕が無いことに驚いて、そこを一瞥する、それから何か見てはいけないものを見てしまったかのように慌てて視線を移動させる。どうしたって腕が無いことに注意がいってしまうのは仕方がないことだと思うのに、なぜみんなはそれを気にしてしまったことに対して申し訳ないような態度を取るのだろう。そういう態度はまるで、腕が無くたって私たちはあなたを劣っているとは思いませんよ、あなたには他に素敵なところがたくさんありますよ、と求めてもいない無理やりな励ましを押しつけているように見えて、退屈な気分になった。

 テレビや本やインターネットの世界には、いわゆる障害者が障害を乗り越える物語はたくさんあって、みんなはそれに感動する。障害者は清く正しく努力家で、どんな困難もひた向きに乗り越えようとする立派な人であることが理想であるみたいだ。でも障害を持つ人たちはそのイメージの押し付けに困っているんじゃないかと思うことがある。そして片腕の学生もこれまでの人生でそういう押し付けにたくさん困らされてきたんじゃないかと考えてみる。ずっと心に蓋をして、無理やりに聖人を演じ続けてきたんじゃないだろうかと。

 もちろん僕は片腕の学生と話したこともなければ、名前すら知らない。だから彼が何を思っているのかは分らない。そんな勝手な同情を寄せる僕も結局は他のみんなと何も変わらないような気もする。

どちらにしたって、僕とあの学生には何の関係もありはしない。


 ある時、偶然同じ講義室内にあの片腕の学生を見かけた。受講している講義は障害者に関連するものだった、それが彼にとってどれだけの意味を持つものなのかは分らない。講義の特徴として、二週間毎に講師が代わるリレー方式という形で行われていた。交代していく講師は様々で、やけに眠気を誘う話し方をする人、やたらと学生に質問をぶっつけてくる人など。前者は学生にとっては都合がよくて、ほとんどの学生は免罪符を得たかのような堂々たる態度で居眠りや講義に無関係な作業をしていた。後者は学生にとっては都合が悪く、授業を聞かずにぼーっとしている最中に突然質問されてしまうと、大勢の人が見つめる中でもごもごと口を動かした挙句、「わかりません」と答えさせられることになる。講義を受講する学生にとってその日の講師がどんな人であるかは極めて重要なことだった。

 授業開始の時間より比較的早く講義室の真ん中あたりに席を取り、待機する。するとあの片腕の学生を含むグループの話す声が聞こえてきた。やはり僕はぼんやりとそんな彼らの様子を眺めていた。

「今日の先生って誰や」

「あれやん、あのやたら質問してくる人」

 すると今日の講師が誰であるかを理解した片腕の学生が声を上げた。

「あー、あのクソババアか!」

 片腕の学生は汚いことばを口にした。

談笑は続いた。

 当然のことだけれど、彼はごくふつうの学生でしかなかった。清廉潔白でもなければ、講義に一生懸命取り組む講師を笑いものにしているほどだ。到底聖人とは呼べるような人柄でもなさそうだ。

 だけど僕はその汚いことばに不思議な安らぎを覚えた。彼に寄せていた同情は全くの勘違いであることが分かると同時に、自分の体に長い年月纏わりついてきた嫌なものを、思い切り撥ね退けてやりたい気分が湧き上がってきた。 


念のためですが、登場人物のモデルとなった人を批判する意図は全くございません。どちらかというと私もサボりたがりの不真面目な学生でしたので。

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