初登校
小学校というものに生まれて初めて行く。前世では学業とはとんと縁が無かった。けれど今世では、普通の子供よろしく小学校へと通うわけだ。
今日がその小学校の入学式だ。仲田小学校という普通の市立学校。静岡駅から15分も南に歩いたところにある私たち家族の新住居。そのマンションから程近くにある学校である。
はあー。同年代の子供がいっぱいだ。
入学式の列に並びながら私は素直に感心していた。一学年約120人。これでも昔よりかなり児童が減ってしまったらしいけれど、これまでこんな多数の子供に囲まれる経験はしたことがない。まるで異空間だなとそう思った。なんというか居づらいというか。いつか慣れる日が来るのだろうか?
入学式が終わればクラスに別れてホームルームの時間だ。クラスは一組から四組まで。私は一年三組に配置された。担任教師の佐伯という中年女性の指示で順に自己紹介を行う。前の席の子が終わり、私の番がやってきた。
「東雲美鶴と言います。お父さんの仕事の関係で三歳から三年間上海にいました。日本へは先月帰ってきたところです。あと……趣味はサッカーです。静岡はサッカーが盛んだと聞いてとても楽しみにしています。これから一年間よろしくお願いします」
まあこんなところだろうか。適当に頭を下げて席に着く。同時に周囲から拍手が送られた。これも様式美か。
ホームルームが終わると10分間の休憩時間。担任が教室を出て行くとガヤガヤとみんな席を立ち出す。そして。
おい。なんで私のところに集まる。
一番前にいたリボンで髪をまとめている活発そうな子が話しかけてきた。
「ねーねー。東雲さん?」
「うん? 私に何か用? えっと山下さんだっけ」
「エリカでいいよー。えっと東雲さんのこともミツルちゃんって呼んで良いかな?」
ち、ちゃん?
「う、うん。もちろん。好きに呼んで」
「ありがとう。ミツルちゃんがこの前までいたって言ってた上海って中国のことー?」
「うん。そうだよ。中国の上海って街」
「わー! やっぱりー! ミツルちゃん外国に行ってたんだー!!」
「「キャー!」」
「「スゲー!」」
「私知ってる。そういうの帰国子女って言うんだよー」
ワーワーキャーキャー。
途端に私の周囲は騒音で満ちる。
何かまずいことを言っただろうか。
「ミツルちゃんミツルちゃん! 中国語話せるの?」
「話せるよ。向こうの子たちとは普通に話してたし」
「すごーい。ねぇねぇ何か話してみせてー」
「え、ええェ?」
「ね。いいでしょー。お願ーい」
「う、うん。それじゃあ。……安静一点」
ワーワーキャーキャー。
「すごいすごーい! ねぇなんて言ったの?」
「あはは……みんなに会えて嬉しいなって」
「私もー。ねぇミツルちゃん、エリカとお友達になろー」
「うん。私でよければ喜んで……」
「「私も私もー」」
ワーワーキャーキャー。
……もう勘弁して。
小学生女児というもののエネルギーを甘くみていた。私も小学生女児だけど。中身が20歳オーバーの年寄りにこのノリは疲れる。
休憩時間という名の精神的疲労時間を終えると担任が戻ってきた。そして教科書類を配り出す。最後に授業のカリキュラムを配って、当面の予定の連絡があって、今日の小学校は早仕舞いだ。全員で挨拶をすると解散となった。
さあ、私も帰ろうか。校門のところで母が待っているはずだ。外食をして帰ろうと言っていた。早速築いた奥様コミュニティから近くに美味しいお蕎麦屋さんがあることを聞き出したらしい。堅苦しくないカジュアルなお店らしいから幼児を連れて行っても大丈夫と言っていた。鴇子もいっしょだろう。
「東雲ッ!」
今度は何だ。
帰り支度をしている私の背中にかけられる声。振り向くと目の前にいたのは男子の一団だった。
その中の坊主頭くんが話しかけてくる。確か清宮だったか。海沫となんか被るな。
「何?」
「お前、サッカーやるんだろう?」
「うん」
「じゃあ、お前も仲田サッカー少年団に入るのか?」
「何それ?」
「この学校を拠点にしたジュニアクラブだよ。ってお前サッカーやるんじゃねーのかよ。何で知らねーんだよ」
「いや私引っ越してきたばっかしだし。この辺りのジュニアクラブのこと知らないんだよ」
「あー。まあそらそうか」
「この学校の子たちはみんなその仲田少年団に入るの?」
「だいたいそうだな。清水にJリーグ下部のエスパーダジュニアもあるけどあれは四年生からだしな」
「へー。Jリーグ下部のクラブもあるんだ」
「ああ。この辺でサッカーやる小学生にとっては憧れのクラブだな。だから上手いヤツは三年生まで地元のクラブで練習して、四年生でエスパーダジュニアのセレクションを受けるっていうパターンが結構ある」
「清宮もその狙い?」
「まあな。ってお前俺の名前覚えてたのか」
「まあね。じゃあ私も仲田少年団に入ろうかな。親に話してみるよ」
「おう。入団式は5月だから、それまでよかったら俺たちと自主練しようぜ。こっからちょっと歩いたところにある新河公園でいつもサッカーしてるんだ。今日もやってるぜ」
「わかった。今日この後、お母さんと昼ご飯食べに行くから、その後行けるようなら行くよ」
「ああ、期待せずに待ってるぜ」
言いたいことを言い終えたのか清宮少年は去って行く。後ろについていた子たちも「じゃあなー」と手を振りながら教室を出て行った。
さあ、私も母と合流しないと。
◇
「それでその仲田サッカー少年団? そのクラブに入るの?」
「うん。お母さんやお父さんが許可してくれるならそうしようかなって」
ちゅるちゅると蕎麦を手繰りながら母に答える。家から車で五分程度のところにあるこの蕎麦屋はその評判に違わず美味しい。静岡では有名なお店の二号店らしいけれど、これは本店にも連れて行ってもらわないと。
「もっと慎重に選ばなくていいの? いろいろなクラブを見学してみたら?」
「いいよ。どうせこの辺で一番のクラブは四年生からしか入れないらしいし、それなら家から近い方が練習の時間もとれるでしょ」
「ふーん。その強いチームに移籍するまでの腰掛けってわけ?」
「言い方に棘があるよ、お母さん。まあ、概ねあってるけど」
「まあ、あんたがそれでいいならお母さんはいいわよ。家から近い方がお母さんたちも楽だしね」
「……のわりには何? そのニヤニヤ笑い?」
「べっつにー? ただ四年生になったとき本当に簡単に辞められればいいけどねって思っただけ?」
「うん? 簡単にも何も、ただ辞めるだけでしょ?」
「そうね。そうだと良いわね。 ねー鴇子ー?」
母は変わらずニヤニヤ顔のまま、横に座ってフォークに蕎麦を巻き付けようと悪戦苦闘している鴇子に同意を求めた。「おー?」と鴇子は不思議そうに母を見返していた。
そうだよね。何言ってるのか分からないよね。
本当にその時の私は分かっていなかったのだ。義理や人情なんてものがこの世にはあるんだってことを。そしてそれらは時には力となり、けれど時には枷にもなるんだということも。
◇◇◇
「なー、清宮。あいつ誘って良かったのか?」
「あん? いいに決まってんだろ。俺らの代はただでさえ5人しか入団希望者がいないんだから。一人でも多く確保しないと」
「でもよー。あいつ女だぜ?」
「だからだよ。だから嶋田プリンセスとか清水SC女子の奴らに引っ張ってかれる前に押さえる必要があったんじゃねーか」
「それでもし下手だったら意味ないじゃんよ」
「下手なら下手でも良いよ。とにかく今は頭数だって。ほら。話はここまでだ。練習しようぜ」
仲間たちに広がれと追い散らす。不承不承離れていくやつら。
まったく。上手いか下手かなんて選り好みしてる場合かよ。このままじゃ俺らの代は半分近く下級生を加えないと試合もできなくなるんだぞ。あいつら分かってんのか? 俺はいずれエスパーダに行く男だからいいけど、残されたあいつらはそれでやっていけるのかよ。
それに小学生の間は男も女もそんなに身体的な差はでない。それより小学生は一年間で一気に体がデカくなるんだから、年下を入れないと行けなくなるとガタイで一気に不利になる。それくらいなら今下手でも一から鍛えた方が5年後には有利になってるはずだ。そんくらい理解してもらいたいんだけどな。
心の中で溜息をつく。
けれど、東雲の腕前に過剰な期待をしていない点では俺もみんなと同じだった。だから一時間ほどして現われた東雲には度肝を抜かれることになるのだった。
今日で連載開始より一週間となります。
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