決意と再会と
「壮観だね」
夏休みも終わりに近づく8月23日。東京の西の外れにあるヴィヴァルディスタジアム。イタリアの音楽家にあやかり、優雅なゲーム展開を是とするとあるJクラブの練習グラウンド。そこに立ち、私は色とりどりのユニフォームを眺めていた。
「だな」
相槌を打ったのはチームメイトの石田だ。グラウンドにひしめいているユニフォームはどれもJクラブの下部や有力な街クラブのものだ。そしてそれだけではない。海外のクラブのものも多数あった。その中にあって特に注目を集めているのは赤地に白袖のユニフォーム。そして何より青と臙脂のストライプのユニフォームだ。
「やっぱ、バルサは強いんだろうね」
「そりゃそうだろ。この大会最多優勝かつ三連覇中のクラブだからな。間違いなく優勝候補だ。それに育成上手で有名なクラブでもあるし。あの中にも将来トップチーム入りして、クラシコとかCLで活躍する選手がいるかも知れないぜ」
「だといいな。だとしたら相手にとって不足なし、だね」
そんな私の発言を呆れた顔で聞いている雅。
「……お前ほんと強気な。その自信を分けて欲しいよ。まったく」
「雅は自信ないの? ジュニアユースでも頑張ってるらしいじゃん。U-14チームとかU-15チームの練習にも何度か呼ばれてるって聞いてるけど」
実際、春から僅か数ヶ月の間にも石田はかなり精悍さを増しているように思う。存在感を増しているというか何というか。ほんの一歳差とはいえ小学生組とは明確に雰囲気が違う。
「先輩達にかなり揉まれてはいるけどな。……お陰様で俺の自信は、数年前に誰かさんに一度木っ端微塵にされてるからな。とても余裕なんてないさ」
「……?」
去年・一昨年ともに全少優勝チームの一員として活躍していた石田の自信を喪失させた相手。いったい誰なんだろうか? 堂高とか? バンガ大阪のジュニアユースに進んだとは聞いたけれど。
考え込む私に、なぜか石田の表情は呆れを深めていた。気になって問いかける。
「どうかした?」
「……いいや。なんでも」
けれど、石田は目線を逸らして否定すると有耶無耶にしようとしてしまう。
「なにか含むところがありそうだけど」
「なんでもないって。それよりそっちこそどうなんだよ?」
「どうって?」
「東海大会、JFAアカデミーに派手にやられたらしいじゃん」
「ああ、それ」
石田が出してきた話題に思わず顔をしかめる私。おそらく苦虫をかみつぶしたような表情になっていただろう。けれど。
「まあね。運動量でも技術でもチーム全体で上を行かれて完封されたし、私自身三人がかりで抑え込まれたけど……借りは返すよ。必ず」
「へぇ?」
私の宣言に石田は如何にも面白そうというような顔をする。
「古林監督……あんな見た目だけど結構な策士だね」
「……秘策ありって感じか」
「今いろいろやってるよ。前の試合そのものが監督にとっては布石だったみたい。全国で勝つための」
このところの練習時間は全て、新フォーメーション、新戦術の習得に費やされていた。全ては東海大会での借りを返すため。全国を制するために。
「この間の試合は捨て石だったって?」
「そういうことだね。私たちには全力で行くように指示されてたから、個々の選手としては全力だったけどね……監督にはてこ入れする余地があったみたい」
ここまでの説明に石田は納得いかないという顔。
「雅は、古林監督のやり方は気に入らない?」
「……ああ。投げる試合を作るってのはどうもな。一戦一戦全力で取り組むべきだろ」
「意外だね。雅はクレバーな試合運びとか肯定するタイプだと思ってた」
「一試合の中でならな。試合に勝つために抜く時間を作らないといけないっていうなら理解するさ。だけど一試合丸々を投げるのは違うだろ。むしろ俺の方が意外だよ。美鶴こそ全試合勝たないと気が済まないタイプだろ」
私のことよく分かってるじゃん。
「よく私のこと見てるね」
と思ったら実際に口に出してた。石田はなぜか慌てた様子を見せた後、
「仲田時代にエスパーダに負けたときボロボロ泣いてただろ」
なるほど。
納得いったところで話を続ける。
「そうだね。あの時にそこまでにならなかったのは、全国での再戦があらかじめ決まってたからかな」
「ああ。確かに。あの時点で全国進出が決まってたか」
「実際にやってみて分かった。確かにあの相手はジュピアを数段上回ってたよ。負けること前提の策だったのは気にくわないけど……それは、相手を圧倒していると監督に思わせられなかった私たち自身が悪い。東海大会と全国大会どちらか一方しか勝てないとしたら全国を選ぶよ。誰だって」
「…………そうか」
「だから次に当たるときは必ず勝つし、今後は例えチーム全体が劣っていたとしても私がいれば勝てると思わせられる選手になる。監督が消極策を取る気がなくなるような選手に」
「美鶴……」
「雅の言うとおり、私は全部勝たないと気が済まない性格だからね」
それこそプロの世界に飛び込めばリーグ戦とカップ戦、それに国際大会と並行していくつもの試合をこなしていくことになる。その中ではターンオーバーは当然のこと、カップ戦の切り捨てみたいなことも起こってくるのだろうけど。それでも。
「まあ、今日の所は勝つしかない大会だ。分かりやすくていいだろ?」
「うん。日本の強豪と世界相手。楽しみだね!」
開会式の始まりを告げる音が鳴る。エスパーダの集合場所に向けて石田と二人駆けだした。
◇
主審の笛の音が鳴る。試合終了の笛だ。
「お疲れさん」
「お疲れ」
駆け寄ってきた石田と拳を合わせてお互いをねぎらう。
大会二日目。予選リーググループCに編入された私たちエスパーダは三連勝を決めた。相手は東京の街クラブ、大阪の街クラブ。そして今対決した相手。中国の選抜チームだった。
これでリーグ一位だ。予選通過は確実となった。それはいいのだけれど……相手の中国選抜に知り合いの姿はなかった。まあそんなものなのかも知れない。たまたま幼少期に一緒にサッカーした相手が、U-12とはいえ国際試合に出てくるなんて、そんな。
ハーフウェーラインで整列して挨拶した後、エスパーダ側のベンチへと引き上げる。そんな中、傍にいたチームメイトが声を上げた。
「おい。何人か偵察に来てるぞ。どこの国のクラブかな?」
彼の指さす方向をなんとはなしに見た。そこにいたのは青いユニフォームの五人組。ソフトモヒカン頭の少年と170cmを超える堂々たる体躯の少年。それに線の細いどこか頼りなげな少年とサラサラヘアーをカチューシャで上げて額を出した少年。そして最後は短く刈り込んだ黒髪をツンツンと立たせた———
「おいッ。美鶴!?」
思わず彼らに向かって駆け寄った。石田の戸惑った呼びかけにも応じず彼らの顔を凝視する。決して短くない時間が過ぎ、彼ら自身も大きく成長しているけれど、その面影はあった。
彼らを見て固まる私に、ツンツンヘアーの少年がよッとばかりに手を上げて。
『久しぶりだな。美鶴。元気してるか……って聞くまでもないか』
『哲林!!』
哲林の裏表のない笑みに、上海で過ごしたあの日々が色鮮やかに蘇った。
『やっぱり哲林だ! それじゃあこっちは……』
視線を哲林から横へとずらしていく。隣にはカチューシャの少年。手をヒラヒラと小さく振っている。
『や。僕のこと覚えてるかな』
『もちろん! 明明』
そしてその隣の大きな少年は。
『それに江華!』
『うす』
言葉少なに、けれどしっかりと頷いてくれる。無口は相変わらずらしい。
『それから、悦!』
『久しぶり。美鶴』
離れていた月日の分だけ成長しているけれど、やはりどこか控えめな孫悦。そして最後は———
『それで後は……えっと……海沫…………?』
『おいッ! 何で俺だけ疑問系なんだよッ!?』
食ってかかってくるのはソフトモヒカンの少年だ。やはり海沫で合っていたらしい。
『えっと、だって坊主頭じゃなくなってるし』
『俺の特徴そこ!? 髪型くらいいくらでも変わるだろッ!』
『……なんでソフトモヒカン?』
『いんだよ。何でも』
オシャレに目覚めたのか、あるいは誰かプロサッカー選手にでも影響されたのだろうか。さすがに今更ベッキャムもないだろうけど。
ともかく。全員の確認が終わったところで本題に移る。
『それで、なんでみんなここにいるの? 中国選抜には出てなかったよね。ベンチ?』
もっとも気になっていたことを聞いてみた。なぜかみんな呆れ顔だが。
『勝手に補欠扱いにすんじゃねーよ。俺達は、選抜チームじゃなくてクラブチームとして参加してるんだよ。ほれ。ユニフォームも違うだろ』
哲林が示す青いユニフォームの胸には『園地集団』のロゴ。超級リーグの上海を拠点とするクラブの下部組織のものらしい。
『一足先に予選突破が決まったんでな。お前を見に来てたんだよ』
『そっか。私のプレーどうだった?』
『相変わらずエグいドリブルしやがって。自分よりデカい男に正面から突っかけるんじゃねーよ』
ニヤニヤしながら言う哲林にフフンと笑って返す。
『哲林たちのチームと当たったら存分に食い破って上げるよ』
『抜かせ。カットインしてきたらあっさり止めてやるぜ…………江華がな』
咄嗟にお前じゃないんかいとツッコミそうになるが。
『江華が? 江華はディフェンダーなんだ?』
『ああ。頼りになるCB様だぜ』
哲林の発言に、江華に目をやると、ただ黙して頷いた。
『いいよ。再会を祝して全員まとめてぶっ倒して上げる』
『ヘッ。俺達とトーナメント表で当たってたら、帰り支度をするんだな』
『『ふふふ……』』
互いに睨み合いながら、笑い声を上げる私と哲林。明明達はそれを呆れたような顔で眺めているが異論はないらしい。その時。
「おい美鶴。なんか親しそうにしてるけど知り合いか? それにお前が話してるの中国語?」
追いついてきていた石田が声をかけてきた。振り返ってそれに応える。
「ああ、うん。私が以前何年か上海にいたのは言ったっけ。その時のサッカー仲間。今は中国のクラブチームとしてこの大会に参加してるんだって」
「へぇー。それで何話してたんだ?」
「別に。彼らも予選を突破したって言うから、本戦で当たったら全力で行くって、それだけ」
「……ふーん」
哲林達に振り返って石田のことも話しておく。
『こっちは今のクラブのチームメイトだよ。石田雅』
『『……ふーん』』
お互いに向き合うみんなの表情はなんだか微妙だ。まあ初対面だし、明日にも戦う相手かもしれないしそんなものだろうか。互いに互いを観察する沈黙のまま時間が過ぎる。やがてエスパーダのコーチから集合するよう声がかかった。
『それじゃ行くね。次は試合で』
『おう。俺達と当たるまで負けるんじゃねーぞ』
『当たっても負けないよッ』
言うだけ言ってその場を離れた。
「雅。本戦も絶対に勝とうね!」
「ああ。もちろんだ」
今のみんながどんなプレーヤーになっているのか、楽しみで仕方なかった。




