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Re Start

「———ル! ———ッ!」


 暗闇に沈む私の周囲で響く音。酷く耳障りだ。静かにしてほしい。やれるだけのことはやったよね?


「———ツル! ———ツルッ!!」


 けれど騒音は止むことは無い。むしろ大きくなってきたようだ。いや、これは人の声か?


「ミツル! ミツル!!」


 ミツル? だれだそれは? とにかく私には関係ない。よそでやってくれ。


 本当に知らない? ミツル……なんだか聞き覚えがあるような?


「美鶴! いい加減に起きなさい! 美鶴!!」


 ついには振動が加わる。まるで揺り起こされてでもいるような。仕方ない。白旗を揚げてうっすらと目を開く。少しずつ広がる視界に写るのは知らない女の顔。


 半覚醒状態でフラフラしていた意識に、咄嗟にスイッチが入る。地面を蹴り後方へ跳ぶ。同時に片手を着いて身を起こそうとして。


 力なくべしゃりと倒れた。


「!?」


 何が起きた!?


 自分が思い描いた内容と結果が全く一致せず混乱する。蹴り足が踏みしめた地面が柔らかく、思った以上に力が伝わらなかった。さらに込められた力自体もとても小さく結果としてほとんど跳躍できなかった。これはまあいい。直前の記憶ではアサルトライフルの銃撃を浴びたはず。その負傷のせいかもしれない。それ以上に問題なのは身を起こせなかったことだ。腕に力が入っていない。これもいい。不可解なのは掌が掴んだ面積があまりに小さく、体を支えることさえできなかったことだ。


「やっと起きた……と思ったら美鶴。あんた何してんの?」


 目の前の女が目を丸くしている。襲ってくる様子はない。どうやら敵対者ではないらしい。なら体の状況を確認する方が先だ。慎重に身を起こす。特に痛むところはない。けれど力はあまり入らない。そしてやはり手での支えが不安定な気がする。急に掌が小さくなったような。そう思いながら手を前に持ってきて。


「!?」


 小さい。小さい女性の手、なんてレベルじゃない。まるで紅葉のような。


 全く理解が追いつかない。ともかく思考停止したまま視線を動かしていく。腕、細い。足、小さい。脚、細い短い。胸、真っ平ら。僅かなりともあったはずなのに。結論、私スケールダウンしてる。なんじゃそりゃ。


「ねぇ、美鶴。あんた本当どうかしたの?」


 ミツルって誰だ? 私のこと?


 そう言えば遠い昔、そんなふうに呼ばれていた気がする。黒鶴ではなく。ミツル。美鶴。久しく呼ばれることがなかった日本人としての私の名。自分でも忘れていたような名前をなぜこの女は知っている?


 目の前の女の顔を見つめる。知らない。知らない人間のはずだ。けれど不思議と見覚えがある気もする。それにどことなく、いつも鏡越しに見ている自分の顔に似ている? 少し茶色がかったふわふわとした髪。それに大粒の瞳。パーツの一部が私と似通っているようなのだ。


「お前、誰?」


 けれども結局分からず疑問を口に出した。目の前の女はポカンと口を開ける。


 何か驚くようなことを言ったか? 私は。


 次に表情は怒りをはらんだしかめっ面に変化した。そしてこちらに手を伸ばしてくる。不調故か、殺気がなかったからか反応することはできなかった。


「あ痛ッ」


 デコピン。痛くは無かったけど反射的に口を突く。


「めッ。お母さんに向かってお前とはなんですか」


 幼児に言い聞かせるようにそう言ってくる。子供染みた言動をする女だ。いや。そんなことはどうでもいい。今こいつはなんと言った?お母さん? 母親だと? こいつが? 私の?


 目の前の女の歳はおそらく30いくかいかないかくらい。あの銃撃に倒れた母が仮に奇跡的に生きていたのだとしても、18歳の私と親子などと全く勘定が合わない。


「誰が母親だ。冗談もほどほどに、むぎゅ」

「ど・こ・で、そんな口の利き方を覚えたのかなー?」

「いひゃい。やめぇりょ」


 何が不満だったのか、今度は両頬を摘まんで引っ張ってくる。


「ご・め・ん・な・さ・い・は?」

「ふじゃけりゅな」


 無視して睨み付ける。そのまま数秒間。私の意思の堅さを思い知ったのか、溜息をついて手を離す女。

 けれど諦めたわけではなかったらしい。今度は首根っこを掴んで私を持ち上げると部屋の中に置かれていた鏡台に向かう。人一人を片腕で。どんな怪力だ。


「これでどう? よく似てる親子って評判なんだから」

「……………………」


 絶句した。私と女がよく似ているからではない。


 先ほど自分の手足を見て、スケールダウンしてると思ったのは間違いではなかった。鏡の中には猫のように笑う女と猫のようにぶら下げられる猫っぽい幼児が写っていた。一縷の望みを込めて手を振ってみる。鏡の中の幼児が手を振り返してくれた。


 なんでさ。


「鶫ー。美鶴は起きたかい? って何やってるの? 二人とも」


 混乱する私をよそに事態は進展する。部屋に男性が入ってきた。私たちを不思議そうに見ている。30過ぎくらいの日本人。短めに刈り込んだ黒髪。筋肉質というわけではないが太っているわけでもない。特徴に欠ける地味な男。けれど強烈な既視感が私を襲った。


「健一さん。酷く寝ぼけてるのよ、この子ったら。健一さんが夜更かしさせたせいよ」

「あはは。いやーサッカー中継がいい展開だったからさ。二人して盛り上がっちゃって」

「もう、止めてよね。この子すぐ健一さんの真似するんだから」

「ごめんごめん。気をつけるよ」


 健一。その名前。


「お父さんッ!」

「ん? どうした、美鶴?」


 優しく笑い返してくる男性。お父さん。


 彼の膝の上に座りながらサッカーの試合を見るのがお気に入りの時間だった。TVの中の選手達がスーパープレイを披露する度に興奮し、いかにすごいプレイだったのかを説明してくれていた。当時の私は全く理解できていなかったけど、いっしょに盛り上がっているだけでとても楽しかったことを覚えている。


 けれどそんな私の反応が女には面白くなかったらしい。私をぶら下げながら空いている手で再度頬をつねってくる。


「あれれー? 何で寝ぼけてお母さんのことは分からなかったのに、お父さんのことはすぐ分かったのかなー?」


 この男性がお父さんであることは間違いない。そして幼児になった自分。ということはこの私に似ている女も確かにお母さんなんだろう。素直に謝る。


「…………ごめんなひゃい。おかあひゃん」

「よろしい」


 母も私の謝罪を受け入れてつねる指を離し、地面に降ろした。


 さて、この男女が何者なのか分かったのは良い。おそらくすぐ危険が降りかかるような状況でもないだろう。けれど何がどうなってこうなっているのかはさっぱり分からない。


 今判明している事実を一つ一つ列挙していこう。


 1.黄の罠にかかり、私は銃弾に倒れた

 2.目が覚めると18歳だったはずの私は幼児になっていた

 3.死んだはずの両親がなぜか生きている


 ここから推定できることはなんだ?


 A.兇手としての18歳までの私は全て幼児の私が見ていた夢である

 B.あの時死んだ私は幼児の自分にタイムリープした


 ……Aか? BはいくらなんでもSFが入り過ぎな気がする。どっちも大概だが。情報が足りない。今ある情報だけでは特定できないし、これ以上は今考えても仕方が無いか。


 そうすると別のことが気になってくる。


「……何やってるの? お母さん」


 私が思考に沈んで無反応なのをいいことに母はなぜか私の来ていた服を脱がし、別の服を着せていた。リボンやレースがたくさん施されたデコレーション過剰な服装だ。断じて私の趣味ではない。


「お着替えよ」

「それはいいんだけど……なんでこんなにフリフリ?」

「かわいいでしょ。お出かけするからおしゃれしないとね」


 この悪趣味な服をおしゃれの一言で片付けられる母とは決してわかり合えることはない気がする。


「お出かけ?」

「そうよ。ランチに行くの。中華よ。本場の高級中華!」


 なるほど。今が何時か知らないけれど確かに空腹だ。ランチに中華というのもいい選択だろう。けれど何かが引っかかった。


「本場?」

「そうよー。せっかく上海に来たんだもの。まずは中華料理を食べないと」


 ここは上海+おそらく来たばかり+中華料理店で外食=銃撃戦=両親の死


「待って!!」

「わ!? びっくりした。何よ美鶴。急におっきな声を出して」

「今日のお昼ご飯、中華料理を食べに行くの?」

「そうよ。健一さんが高級中華のお店を予約してくれたんだから。」

「中華は止めよう!」

「え? なんでよ?」


 この記憶が夢なのか、あるいは実体験なのかは分からない。けれどもし万が一タイムリープが正なのだとしたら、おそらく両親が死ぬ。避けられるなら避けた方が良いだろう。たかがご飯のために危険な橋を渡る必要は無い。後はどうやって止めるかだけど、考えをそのまま伝えても狂人扱いされるのは目に見えている。それなら。


「私ハンバーグが食べたい」

「へ?」

「うん。ハンバーグ。絶対ハンバーグがいい。ハンバーグ以外は嫌」

「はぁ、ちょっと何わがまま言って———」

「ねぇお父さん。私ハンバーグが食べたい。中華はまた今度にしようよ」

「う、ううん? 美鶴はハンバーグがいいのかい?」

「そうなの! お父さん一生のお願い。今日のお昼はハンバーグにしよう!」

「……そうかー。それじゃあ予約はキャンセルして洋食屋に変えるか」

「ちょっと、健一さん! 何言ってるの!?」

「まあまあ鶫。いいじゃないか。美鶴がこんなに言ってるんだし」

「もう。健一さんはいっつも美鶴に甘いんだから」

「はは。ごめんごめん。でも上海には洋食屋も良い店があるらしいからさ」

「やったー。お父さん大好きー」


 これで良し。子供のわがままに見せかけるための演技で、私の大人としてのプライドが大いに損なわれたけれど危険を回避するための対価なら安いものだろう。




 ◇




 ランチが済んで家に帰ってきた。特に何事も無く。


 けれど気になっていることがある。両親は気付いてないけれど街中に妙に警察が多かった。それに武装警察まで混じっていたのだ。おまけに殺気立っていたようにも感じられた。おそらく何かあったんだ。



 母はお茶を準備している。お父さんは特に目当ての番組もなく、ぼーっとTVを見ていた。


「お父さん、TVのチャンネル変えてもいい?」

「うん? いいよ。美鶴は何か見たい番組があるのかい?」

「ちょっとねー」

「ニュース? ニュース番組が見たかったの? 珍しいね?」

「うん。せっかく来たんだから中国の事よく知りたくて」

「そうかそうか。美鶴は勉強熱心だなぁ」


 そう言って頭を撫でてくるお父さん。くすぐったい。


 気象情報が終わり、キャスターの姿が映し出される。そして開口一番目的の情報を話し出した。


「うえ!?」

「どうしたの? 健一さん。変な声だして」

「い、いや……このニュースなんだけど」

「なになに。中華飯店でマフィア同士の抗争? 死者多数? ……上海って物騒なのね。これから大丈夫かしら」

「それもそうなんだけどさ」

「?」

「この銃撃戦が起きたってお店。僕が予約してたとこなんだよ」

「え!?」

「ほら。この王宝和酒家。しかも予約してたのが13:00で銃撃戦が起きたのが13:30頃だって」

「それって……」

「美鶴がハンバーグがいいって言いだしてなければ……僕らも巻き込まれてたな」


 驚いたように両親がこちらを見てくる。


「うん? 美鶴えらい? えらい?」

「ああ。えらいぞ。美鶴のおかげでお父さんもお母さんも助かったよ」


 わしわしと頭を撫でてくるお父さん。無邪気な子供の演技は疲れる。精神的に。




 ◇




 夕食の後は恥辱の時間。他人に風呂に入れられて全身をまさぐられるという生き地獄を味わった。自分一人で入れるというのに母は一切聞く耳を持たなかった。3歳児の言うことだから仕方なくはあるのだけれど。髪の毛を洗われるくらいはOKだけどボディだけはなんとかしたい。可及的速やかに。


 それに朧気な記憶を辿るとこの頃の私は両親に交代交代で風呂に入れてもらっていた気がする。明日はお父さんの番か。何とかならないだろうか。いかに相手がお父さんだろうとこちとら中身は18歳なのだ。精神的につらい。とはいえいきなり娘からいっしょに風呂に入りたくないと言われるお父さんの気持ちを思うと……。


 やはりまずは何とか母に止めさせて、その後お父さんについてもフェードアウトするしかない。



 この上海でのマンション。2LDKの間取りで私の寝室は一人部屋だ。残りの一室は夫婦の寝室となる。精神的な疲労に押され早々にベッドに入る。今日たった一日でいろいろなことがありすぎた。思わず睡魔に身を委ねそうになるけれどもう少し我慢。今一度現状を整理しないといけない。



 中華料理屋での銃撃戦は起きた。私の記憶の通りに。一般人の死者は居合わせた人間の9割に達したという。ここに私たち家族が居合わせたら、おそらく両親は死んでいたのだろう。このことが指し示す可能性は。


 A.兇手としての18歳までの私は全て幼児の私が見ていた予知夢である

 B.あの時死んだ私は幼児の自分にタイムリープした


 ここまで来るともはやどちらも私にとっては変わらない。断定はできないしする必要もないけれど、18歳までの私が見てきた事象は起こりうるという前提で動かなければならない。その上で気になるのは、両親の死は本当に避けられたのかということだ。確かに私が記憶している形での死は避けた。けれどもし運命などというものがあるのなら、私の知らない別の形で再び危険が迫るのかもしれない。その警戒をしよう。


 幸いしばらく外食は見合わせようということになった。仕事に行くお父さんはどうしようもないが、母の食料品や日用品の買い出しの間くらいならなんとか。この身は非力だけれど気配察知については、どうやら18歳の時と遜色ない。危険を事前回避するくらいはできるはずだ。その上でまずは一ヶ月と期限を切る。



 当面の行動指針を決めて安心した私は睡眠欲に従い意識を手放した。


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