優勝候補(後半戦)
後半も前半と大きく変わらない展開が続いた。
相も変わらず、敵は私の裏を狙って攻め込んでくる。これを放置できないので私もディフェンスに力を割かざるを得ない。また、前半はフェイントで綺麗に抜くことにこだわっていたCFがフィジカルゴリ押しで強引に突破を図ってくるようになった。全身のバネをフルに使い、力のかけ方を工夫することで全てはじき返しているが負担は増した。
HTでの修正。ボールを奪ってからの展開がスローダウンしたことで、私も攻撃に関与できるようになった。けれどやはり私が前線にいる間は二枚のマークが付く。これで私にはパスが来なくなった。仕方ない部分はある。敵の右SHが張り付くようにチェックに付いているし、その裏のスペースは右SBが埋めている。オフ・ザ・ボールの動きを工夫してもフリーで飛び込むは難しい。それくらいなら無理して私に入れなくても数的有利になっている部分が他にあるんだ。そちらを選択するというのはごく自然だろう。
けれど敵は数的不利な状況でも連携してしっかりと攻撃を止め、再び私の背後を突きに来る。味方SBが必死にディレイをかけている間になんとかカバーに入り縦を切る。強引に来る。重心を崩してボールを奪う。青葉に預けて前線へ上がる。結果的にマークを引きつける役目に終始する。
この繰り返しのまま時間だけが進んでいった。攻め上がる負担は減ったものの防御にはより体力を使うようになった。消耗のペースは前半とそう変わらないように思う。HTの休息で回復した分のスタミナなどとうに使い切った。
そして後半も3分の2が過ぎた頃、ボールズの動きが変わった。いや。正確に言うなら気付いた時には全てが終わっていた。
辰巳が久しぶりにフィニッシュまでいけた。GK正面で簡単にキャッチはされたけれど。そこで一瞬安堵というか、緩みの様なものが仲田の間を流れた。
GKはスローで辰巳の頭を飛び越しCBに預ける。CBはドリブルでためを作りながら持ち上がる。青葉がワンテンポ遅れてプレスに行った。
敵のCFが左サイドへ開いていく。これまでと同様に。その背中を私が追う。味方の左SBが飛び出して詰めに行く。その背後のスペースを安藤がフォローする。私が引き継ぐまでの応急処置。
敵CBは青葉のプレスを躱して縦パスを入れる。CHへ。CHは前を向くとすぐさまパスの体勢に入る。ボールは左サイドへ。敵側から見て左サイド。私たちにとっての右サイド。
瞬間、仲田のDF陣の動きが凍った。これまで前後半合わせて30分以上も付き合わされた攻撃に対処が知らず知らずのうちにルーチン化していた。それを突然裏切られ思考停止に陥ったのだ。
ただでさえ左サイドへ寄っていた守備陣形。さらに一瞬の停滞。結果、右サイドを深々と抉られることになった。ディフェンシブサードを越えた敵左SHはなおフリー。
敵CFもいつの間にか内を絞る動きに変えている。タッチライン際の突破を警戒し、縦を切りにいった味方SBは完全に釣り出された格好。私も追いつかない。仕方なく安藤がファーサイドに留まり、敵CFの抑えに回る。
一方の右サイド。サイドを抉られ、たまらず右SBが飛び出す。結果ニアサイドから中央に掛けてゴール前に大きなスペースが口を開けた。敵CHがそのスペースへ飛び込んでくる。グラウンダーのボールがその足下に入る。ワントラップ。そしてキックフェイント。味方GKが跳んだのを見届け、その様を嘲笑うように逆側に緩いボールを蹴って見せた。
ホイッスルが鳴る。逆転を告げるホイッスルが。
仲田のキックオフからのリスタート。けれどなかなかキックしない。審判に促されようやく蹴った。ボールを受けた辰巳は前を向く。敵からのプレスはない。残り5分少々とAT。敵は引いて待ち構えている。
横パスばかりで縦にボールが出ない。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」
短く切れる自分の息が他人事のように苛立たしい。私を苛つかせるのはそれだけじゃない。チームメイトの態度もだ。みんなどこか頭が下がっている。青葉や普段傲慢な辰巳すらも。まるで負けが確定したかのように。
なぜ? まだ私たちは負けていない。
動く手足があり、反撃を繰り出す機会がある。
私たちはまだ死んでなどいない。
だというのに。なぜ前を向かない。なぜ逆転の目を探さない。
これが潔い態度というヤツか? 冗談じゃない。私はこれまでそんな生き方をしてきていない。最後の一瞬まで生き足掻き、一寸の隙に相手の頸をへし折る。それが私だ。
私のなかをえも言われぬ感覚が這い回る。熱く熱く。まるで炎のように。そして噴き出し、咆哮した。
倒せと。
◇◇◇
「よこせッ!!」
響き渡る怒声。敵のCHを前にただボールをキープすることしかできずにいた私を打つ。咆哮のようなそれに肩を跳ねさせつつ声の方向を見やる。左前方には13番。小柄で愛らしいあの子。けれどその目がギラギラと鈍い光を湛え私を睨めつけている。その時こそ本当に私は猛獣と目を合わせたような筆舌に尽くしがたい寒気に襲われた。
急かされるようにボールを出す。待ち受ける美鶴ちゃん。
「あッ!?」
その背後に敵のSHが詰める。前を向いた瞬間にチャージをかけるつもりだ。警告の声をかけようとして、そして驚きに声を詰まらせた。
私からのパス。そのボールの底を斬るかのように脚を一閃。ボールは美鶴ちゃんの足の甲をカタパルトにして跳ね上がる。目の前を飛び越えていくボールをSHの視線が咄嗟に追う。その視線とは逆に美鶴ちゃん自身は身を沈めSHの視界から消失。地を這うような低い姿勢で振り向きながら飛び出した。
ボールも美鶴ちゃんもSHの背後へ。SHはなんの反応もできなかった。それはそうだ。全ては彼の死角で行われた。何が起きたのか全く分からなかっただろう。
飛び出した美鶴ちゃんは二歩目にして既にトップスピード。SHを置き去りにし、もう一枚のマーク、SBとの勝負に移行する。
スピードに乗ったまま縦に行く素振り。反応したSB。けれど右足のアウトサイドが優しく押し出したボールがその股を抜いた。通り過ぎるその背中へ最後の抵抗とばかりに手を伸ばす。シャツを引っ張ろうとしたその手。けれど背後が見えているかのように弧を描いた美鶴ちゃんの腕が手首を痛打。払いのけた。
ペナルティエリアに侵入。咄嗟にカバーに戻る動きをしていたCBが斜め後ろから迫る。トップスピードは向こうのほうが速い。美鶴ちゃんの前へ肩を入れようとする。美鶴ちゃんの細腕が必死に押さえようとする。体格の差は歴然。そんな抵抗でどうにかなるわけなく———なるわけないのになぜか次の瞬間よろめいたのはCBだった。二人の間に僅かな空間が開く。
振り上げられる細い脚。痩身がムチのようにしなる。そしてこれ以上ないというほど蓄えられた力は。次の瞬間決壊する。CBを背負ったまま豪快なインステップで放たれたシュートはGKに一切の反応を許すことなくゴールマウスに突き刺さった。
ピッチを取り巻いて爆発する歓声。これまで幾度の攻撃に揺らぐことのなかった優勝候補のディフェンスをたった一人の小さな女の子が引き裂いた。その衝撃に敵味方、どちらの応援で来ていたのかなど関係なく諸人みな魅せられる。
異様な興奮。けれどそれを創り出した張本人は、一顧だにすることなくボールを抱えて戻ってくる。その目が何より雄弁に言っていた。
もう一点奪うと。
◇◇◇
何だよ。何なんだよ。これ。
後半も残すところはATのみ。そんな時間帯に同点? 俺たちが? 仲田如きに?
冗談じゃねぇ。冗談じゃねぇぞ。俺たち三人はエスパーダジュニア入りがほぼ内定してるんだ。そんな人間を三人も抱える優勝候補筆頭のうちがこのままPK戦だとか、そんなだせぇことできるわけないだろ。
「さっさとビルドアップするぞ!」
一度戻ってきたボールを再度縦に入れる。良文がキープ。周囲に上がるよう指示しながら出し所を探す。チーム全体が先ほどの失点の混乱から立ち直りかける。その時。
「良文! 来てるぞ!!」
気付いて咄嗟に声をかける。俺の声に良文はキョロキョロして。けれど何も見つけられず困惑する。
「違う! 下だッ!!」
けれどその時には既に遅かった。地を這うような低さで駆け寄った影はスライディングで良文の足下からボールをかきだしていった。良文が気付かないのも無理はない。あまりに低すぎた。ルックアップしている状態ではとても視界に入るまい。俺だって離れて見ていなければ気付かなかった。
くそッ。そもそも何であんな前傾姿勢で走れる。地面に前髪が触れんばかりの低さ。人というより四足獣に近いような走り方。前足のない人の身。普通に考えればそのまま転ぶだろ。
奪ったボールを新倉に預け、13番が飛び込んでくる。俺たちDF陣で止めるしかない。両隣のSBに目配せする。左SBが辰巳を警戒する位置へ。俺と右SBが二人がかりでゴール前を塞ぐ。
正面には13番。その足下へ新倉からボールが返る。
どうくる!?
俺たちの右を抜くか、左を抜くか。いずれにしても近い方が縦を切って、もう一人が横からチャージをかけてやる!
13番がボールを押さえた。そしてそいつの選択は。
んなッ!? バカな!?
13番の選択は中央突破。俺たち二人の間にボールを通し強引に体も入れてくる。
何考えてやがるこいつは。そんな無謀、すぐに両側から挟んで。ってちょっと待て。
脳裏に先ほどのゴールの直前。手押しであっさりと崩されたことが思い浮かぶ。こいつもしかして。フィジカルに不安なんてないんじゃ———
タックルに動き出した体は止められない。接触。けれど何の手応えもない。まるで布を押してるような。先に接触したSB、白石は逆にはじき飛ばされている。13番の肩の先に見えるその顔が驚愕に目を見開いていた。気持ちは分かる。俺にも何が起きてるのか分からないんだから。ただ一つわかるのはこいつがこれまでの試合で接触を避けてプレーしていたのは完全にブラフだったってことだけだ。
13番と一緒にゆっくりと倒れる。けれどもう立て直せない俺と違ってこいつはまだバランスを残していた。肩の感触がするりと消える。躱された。でも。
まだだ!!
右腕を後ろ手に目一杯伸ばす。シャツを掴んだ。悪いが俺と一緒に倒れてもらう。ぎりペナルティエリア外。ゴール正面の危険な位置でFKを献上してしまうことになるがこいつをGKと一対一にするより遙かにマシだ。
13番の体が後ろに傾ぐ。そりゃそうだ。体重が全く違うんだから。綱引きをすればそうなる。一瞬自分ごと引き摺られるのではないかと不安がよぎったが余計な心配だった。
倒れる13番の体の向こうに飛び出してきた味方GKの姿。悪い。何とかFKを止めてくれ。俺たちも壁として体を張るからさ。
その時。なぜかGKの目が泳ぐのがはっきりと見えた。なんだ?
GKの目玉がぐるりと上を向く。と同時にボールが下から視界に入ってきた。ふわりとそのままGKの頭上を飛び越えていく。飛び出しで前傾姿勢になっていたGKはそのボールに飛びつけない。
おいおい。嘘だろ? 13番は俺が引き摺り倒してるんだぞ。後ろ向きに。
それが何でシュートできてるんだよ。何でGKの頭を飛び越えてるんだよ。……なんでゴールに向かってるんだよ。おかしいだろ?
みなが信じられないという顔をしたまま見送る先でボールは転々とすると。そのままゴールラインを割った。
ホイッスルの音。観衆の爆発的な歓声が上がる。けれど。
ピッチの中の人間は誰も彼も何が起こっているのか理解できない。倒れながらも拳を握りしめていた、赤の13番以外は。