本文その3
「というわけで、自称救世主の皆様におかれては、御理解いただけましたでしょうか?」
「「「……ええ、どうにか」」」
若干自信なさげな表情のまま、遠慮がちに夢魔少女に向かってうなずき返す救世主たち。
「だったら、そろそろ出発していただきましょうか?」
「「「出発って、どこへ?」」」
「決まっているでしょう? あなた方が『かつてほっぽり出してしまった世界』ですわ。何せさっきも申し上げたように、いかなる多世界にでもアクセス自在な多世界の住人である私なら、あなたたち普通の人間を任意に、異世界転移だろうがタイムトラベルだろうが行わせることができるのですからね」
その言葉を聞くや慌てふためいて、自分が『かつてほっぽり出してしまった世界』が映し出されているスクリーンのほうを見直す、鏡先輩以外の救世主たち。
「いや、待ってくれ。僕ってまさにこの時、ヤンデレサブヒロインから脇腹を刺されているんですけど⁉」
「私なんか、シルベスター=スタローンの顔をした鶏たちに囲まれて、くちばし攻撃を受けているのよ⁉」
「こっちはそれどころじゃなく、悪魔少女による無差別光弾連射の雨あられで、世界そのものが崩壊寸前なんですよ⁉」
「大丈夫大丈夫。何と言っても皆さんは、かつて世界を救ったことのある救世主様ではありませんか。これくらいの修羅場なんて、どうってことないでしょう? それに私のような多世界の住人の行う異世界転移やタイムトラベルはそこらの三流SF小説とは違って、肉体そのものを物理的に転移させるものではなく、この夢の世界にお集まりいただいた皆様の精神体のみを他の世界へと転移させるという、あくまでも精神体型の異世界転移でありタイムトラベルなのですから、現実世界におられるL学園の生徒であられる皆様に危害が及ぶことは一切ございませんので」
「それじゃここにいる、あくまでも精神体としての僕らはどうなるんだよ?」
「あちらの世界の御自身の多世界同位体──いわゆる『もう一人の自分』と憑依一体化することで、完全にあちらの世界の人間としての人生をまっとうしていただきます」
「ちょっ。人生をまっとうしろって、現時点ですでに死にかけているじゃないか⁉」
「い、嫌よ! あの鶏たちを生み出したのが私だと知られたら、どんな目に遭わされることか⁉」
「死ぬ、死んでしまう! あんな地獄絵図の中に放り込まれたりしたら、絶対に殺されてしまうに決まっているだろ⁉」
もはやなりふり構わずに、必死の形相で騒ぎ始める救世主たち。
そんな彼らを尻目に、ただ一人鏡先輩だけはやけに真剣な表情をして、夢魔少女のほうへと身を乗り出して問いかける。
「……その多世界転移とやらは、この時点よりも過去に行くこともできるのか?」
「ええ、もちろん。異世界転移やタイムトラベルが実現できる可能性があるならば、すべての世界のすべての時点に転移できるべきであり、そのためにこそ先ほども申しましたように、この現実世界の無限の未来の可能性の具現たる多世界においては、すべての世界のすべての時点が停止状態で一つも欠けずに揃って存在しているのですからね」
「それと、今回の再転移においては、勇者以外の人物になることはできるのだろうか?」
は? 鏡先輩ってば、何でわざわざそんなことを希望するんだ?
「うふふふふ。やはりあなたが再転移を望まれたのは、そのためだったのですね。わかりました。先ほども申しましたように現実的に実現可能な異世界転移というものはいわゆる『精神体型転移』に限られるのであり、けしてSF小説やラノベのようにあなた自身が肉体そのものを伴って異世界転移をしているのではなく、別にこのスクリーン内の『異世界の勇者』はあなた自身というわけではなく、一時的に精神的にシンクロした単なる多世界同位体に過ぎないのであって、しかも過去という別の時代を選ぶということは、本来世界というものが一瞬一瞬の独立した状態であることからして、まさしく『別の世界』を選び直すようなものなのであって、再転移するごとに別の人物を自分の多世界同位体に指定することに何ら問題はありません」
「そうか。だったら俺の精神体をあの少女が──魔王が、勇者に殺される寸前の時点において、あのスクリーンにも映っている彼女の教育係の青年魔導士の身体に転移してくれ」
──なっ。あの幼い女の子が、魔王だってえ⁉
「……俺が間違っていたんだ。確かにあの子は同じ魔族からさえも恐れられ遠ざけられるほど強大な魔力を有し、将来世界にとっての災いとなる可能性が非常に大きかった。人間族の諸国が先手を打って異世界から勇者を召喚し、彼女を討伐しようとしたのも無理はないだろう。しかし俺がなぜか最後まで無抵抗だった彼女を討ち取った時、護衛として必死に彼女を守り続けていた魔導士が言ったのだ。彼女はけして魔王になることなぞ望んでいなかったと。それなのに同じ魔族からも恐れられて絶望のあまり心を閉ざしていたのだと。そんな不憫な少女に対して自分だけはあくまでもただの女の子を相手にするように親身に接し続けていたところ、そのことがきっかけとなって彼女に他者を──ひいては世界そのものを愛する心が芽生え始め、自分自身の意志で魔王の力を封じ込めることを成し遂げたのだと。それなのにいきなり勇者やその仲間たちが襲ってきて、無抵抗な彼女を殺してしまったのだと!」
今や血の涙を流しながら、懺悔の言葉を吐き出し続けている、学園きってのヒーロー。
……そうか。先輩が唯一救えなかった少女って、あの女の子──つまりは、かつて自分自身で殺してしまった、魔王のことだったのか。
「はいはい、わかりました。すべてはお望みのままに。さて、御要望は以上でございますか? では、そろそろ再転移と参りましょう!」
「うげっ⁉」
「ちょ、ちょっと待って!」
「そちらのヒーローさんとは違って、僕らは別に再転移なんて望んでは──」
「──カウントダウンは面倒だから省略! れっつらゴー‼」
「「「うわああああっ!」」」
サイバーゴスロリ少女の掛け声とともにあっと言う間に、救世主たちの身体がそれぞれスクリーンの中へと吸い込まれていってしまう。
ヤンデレサブヒロインに滅多刺しにされて絶命してしまう、八丈島先輩。
無数のシルベスター=スタローンの顔をした鶏の集中攻撃を受けて、骨すら残さずに喰い尽くされる、八海山先輩。
為す術もなく悪魔少女の光弾に撃ち抜かれて消し炭と化す、八日市君。
そんな中でわずかばかり過去へと巻き戻されたファンタジー世界では、魔導士の青年が身を挺して魔王の少女をかばい、勇者の凶刃をその胸に受けたのであった。
そして何事かを叫ぶや、茫然自失となった勇者の手から、大きな聖剣がこぼれ落ちる。
泣き叫びながら魔導士の身体へとすがりつく、魔王の少女。
まさにその時事切れる、鏡先輩の多世界同位体。
……先輩。あなたはやっと、願いを叶えたんですね。
僕が心の中で深き感慨を覚えながら、そうつぶやいた、
その刹那であった。
スクリーンの中で少女が魔導士の身体を優しくそっと横たえた後で唐突に立ち上がり、身体中からまばゆい閃光を放ったかと思えば、映像が完全に途切れてしまったのである。
「あ、あれ? 何も映さなくなったぞ? ──つうか、スクリーンそのものが、無くなってしまったのか?」
「そりゃあ、そうでしょう。何せ『映す物』が、何も無くなってしまったのですもの」
「映す物が、無くなったって……」
「つまりは、世界そのものが消滅したってわけ」
「──っ‼」
「すごいものね。怒りと絶望だけで、一瞬にして世界全体を消し去ってしまうなんて。そりゃあ人間たちも必死になって殺そうとするし、同じ魔族からも恐れられることでしょう」
「そ、そんな。せっかく鏡先輩が我が身を犠牲にしてまで、助けてあげたのに。これじゃ、先輩がやったことは──」
予想外の結末を見せつけられて、思わずほぞを噛む傍観者の少年。
「は? 予想外って。お兄様ったら、それでもネット小説家なの? 本物のバケモノだった少女が、自分のことをバケモノ扱いせずにただの女の子として接してくれていた人を亡くしたのよ? そりゃあ一度は自ら封印に成功した内なる力を暴走させてしまって、人間や魔族もろとも世界を滅ぼそうともするでしょうよ」
「じゃあおまえは、こうなることをわかっていながら、先輩の願いを叶えたと言うのか⁉」
「ええ、もちろん。何せ私は未来の無限の可能性をすべて視ることのできる、多世界の住人なのですからね。絶対にこうなるとは断言できないまでも、非常に可能性が高いことは先刻承知だったわ。──今も、あなたの心の中を、ズバリ言い当てたようにね」
「くっ。それでは鏡先輩がやったことは、むしろ最悪の結末を導き出しただけだったのか⁉」
「それを決めるのは、あなたでも私でもないわ。案外先輩も、幼い女の子の命を犠牲にしなければならない世界なんて、滅んでしまったほうがましだと思っていたかも知れないし。少なくとも今回我が身を犠牲にしてあの子を救えたことを、本望だと思っているはずよ」
「だけどそれもすべて、無駄になってしまったわけじゃないか⁉」
「いいえ、大丈夫よ。お忘れになられたら困りますわ。先ほども言ったけど、これはあなたはもちろん先輩方にとっても、普通に寝床の中で見ている夢でもあるのよ。つまり現実世界の鏡先輩には、私の夢魔の力によって異世界に送られるところまではちゃんと夢の記憶として残るのであって、その後異世界がどんな結末をたどるかを知らぬままに、自分の本懐を遂げたことに対する満足感だけを噛みしめることができるってわけなの。もちろんそれは他の救世主の方々も同様で、実際に異世界でどんな目に遭わされるかは知らないとはいえ、いつでも夢の中で私から元の世界に再転移させられる恐れがあることはしっかりと記憶に刻み込まれてしまっていて、もはやこれまでのようにのん気に救世主気分に浸っていられなくなっておられるの」
「何だよ、それって。一方的にぬか喜びの夢や悪夢を与えて、記憶を操作しているようなもんじゃないか?」
「ええ。夢魔としては、すこぶる真っ当なお仕事でしょう?」
「ふざけるな! 僕たち人間の想いを、何だと思っているんだ⁉ この悪魔めが!」
思わず幼い少女に対して面罵する僕に対して、これまでになく冷ややかなる黒水晶の瞳が射ぬくように睨みつけてくる。
「──忘れないでちょうだい。元々この学園自体が、『悪魔憑き』であるあなたたち生徒をモルモットにした、SF小説的世界へ多世界解釈量子論を導入することの効果の実証実験を目的に創られているのよ? 別に肉体そのものに危害を加えているわけでもないし、少々記憶を操作することくらい当然でしょう?」
「くっ」
……最近少しはわかり合えてきたと思っていたけれど、やはり悪魔は悪魔でしかなかったわけか。
それにしてもこの学園は──父さんは、こんな非人道的な実験を繰り返して、いったい何を成し遂げようとしているんだ⁉