本文(丸ごと全部)&掲示板
※今回は後書きも本編に含まれますので、けしてお見逃しの無きよう、どうぞよろしくお願いいたします。
『うふふふふふふふ』
『くすくすくすくす』
『あははははははは』
ほとんど照明がなく薄闇に包まれている地下空間にて響き渡る、無数の少女たちの笑声。
「……何だよ、これって」
学長室の本棚の裏に密かに隠されていたエレベーターで優に十フロア分は降下した後で、ようやくたどり着いた学園本校舎の地下深くで僕たちを待ち受けていたのは、あまりに異様な光景であった。
地下ラボ内のおよそ五、六階分ほどの高さのある広大な空間中に張り巡らされている、巨大な樹木の枝のようなものからぶら下がっている、まるで特大の試験管みたいな無数のガラス製の培養ケース群。
何とその内部に満たされた液体の中にはそれぞれ一人ずつ、まさしく歌音と瓜二つの十二、三歳ほどの長い黒絹の髪の毛に黒水晶の瞳をした見目麗しき多数の少女たちが、一糸まとわぬ姿で漂っていたのだ。
端整な小顔の中であたかも天使そのままの純真無垢なる微笑みを浮かべている、鮮血のごとき深紅の唇。
「いったいこれは、何なんだ? 何で歌音そっくりの女の子が、こんなにたくさんいるんだよ⁉」
そんなことをわめき立てつつも樹木の太い幹の根元のほうを見やれば、あたかも無数の根に搦め捕られるようにして一際大きな培養ケースが安置されており、更にはその基部からまさしく木の根そのままに放射状に連結されている、SF映画辺りでよく見かけるコールドスリープでもできそうな多数のカプセルベッド群すらも存在していたのであった。
「──なっ。あれは⁉」
しかもその特大の培養ケースの中で漂っていたのは、やはり一糸まとわぬ姿の二十代後半ほどの、歌音とそっくりな一人の女性であったのだ。
「まさか、母さん⁉」
そのように僕が思わぬ人物との思わぬ場所での思わぬ再会によって、完全に混乱の極みに達した、まさにその時。
「──よく来たな、響。まさかおまえが、ここまでたどり着くとはな」
樹木型プラントの陰より姿を現した、がっちりとした身体に白衣をまとい短い黒髪に縁取られた彫りの深い顔に色眼鏡をかけた、あまりにもよく見知った四十代後半の男性。
「……父さん」
そうそれは、このL学園の学長にして国立旧都大学量子物理学部主任教授でもあるところの、僕の父親御神楽道玄であったのだ。
「父さん、どういうことなんだよいったい、この地下ラボの有り様は⁉ この巨大な樹木みたいな、培養プラントは何なんだ? 何で歌音そっくりの女の子が、こんなに大勢いるんだ? それに何より行方不明だったはずの母さんが、どうしてこんなところにいるんだよ⁉」
もはや我を忘れてすべての黒幕と思われる人物へと食ってかかっていく、その実の息子。
そんな僕に向かって当の黒幕御本人ときたら、更に不可解極まることを言い出すのであった。
「ふふふ、ふふははは、わはははははは! そう、そうなのだ。私はついに積年の夢を叶えたのだよ! 見よ、この巨大樹木型培養プラントを! これこそがこの現世に顕現せし人為的な悪魔たる、クローン体ネットワーク型量子コンピュータ、『Lの悪魔』なのだ!」
「人為的な悪魔? つまり悪魔を創り出したって言うのか? つうか、クローン体ネットワークとか量子コンピュータって、いったい……」
「実はこの培養プラント内にいる少女たちは皆、おまえの母親である詩音のクローン体なのだよ」
「なっ⁉」
「十三年前、不治の病が急激に進行し余命残りわずかとなり手の施しようのなくなった詩音を、窮余の一策としてコールドスリープ状態にして延命させると同時に、見ての通り数十体ものクローン体を造り出したのだ」
「コールドスリープさせて病気の進行を止めるというのも十分アレというかSF的というかなんだけど、何でわざわざこんなにたくさんクローン体なんかを造ったんだよ?」
「それはもちろん、『悪魔』を捕まえるためさ」
「はあ?」
「おまえ自身も『ラプラスの悪魔たち』とかいうネット小説に書いていた通り、悪魔や神などという全知全能の存在とは実のところは自意識を持った量子コンピュータみたいなものであるのだが、別にこの現実世界を含む個々の世界において個々の存在として悪魔や神そのままの全知全能の力を持つ必要はなく、あくまでも無限の多世界の無限の多世界同位体総体として全知全能であればいいのであって、個々の世界における個々の存在としてはただ単に多世界そのものや己の多世界同位体とシンクロする力さえ持っていればいいのであるが、もちろん普通の人間にはそんな超常の力なぞ持ち得るはずがなく、そこでこのプラントのように詩音のクローン体──つまりは疑似的な『多世界同位体』を多数創出し、詩音自身を中核にして互いにシンクロさせ合うというクローン体ネットワークを構築し、いわゆる原初的な生体型量子コンピュータネットワークを構成することでこの世界内のみで疑似的な『多世界間超並列計算処理能力』を発動させて、それを原動力にして悪魔と──詩音自身の多世界同位体としての『VR夢魔』とのシンクロを実現して捕獲して、そして今度はそのVR夢魔こそを中核に据えて本格的に生体型量子コンピュータネットワークシステムを稼働させることによって、おまえも知っての通り『Lの悪魔』として全知全能の力を振るわせることを成し遂げたというわけなのだよ」
「なっ。VR夢魔を母さんの多世界同位体にして捕獲して、Lの悪魔に祭り上げたって⁉」
「何せVR夢魔こそが生体型量子コンピュータ──つまりは、悪魔等の『多世界の住人』にとってのインターネット内における多世界同位体なのだからな。こうしてネットワークの中核に据えることによって、インターネットを介して世界中の者とアクセスして『Lの悪魔』サイトにおびき寄せたり、24時間年中無休でスマホ等を介して異能を使わせたりすることも、自由自在にできるようになるという次第なのだ」
つまりは父さんを始めとする旧大L部門こそが、すべての元凶である『Lの悪魔』騒動を仕掛けた黒幕だったというわけか。
「……待てよ。VR夢魔を母さんのクローン体を利用して捕捉したということは、まさか歌音、おまえって⁉」
僕はあまりに予想外の事態の展開の連続のためにすっかりその存在を忘れ果てていた、夢魔をその身に宿した己の母親そっくりな少女のほうへと振り向きざま問いただした。
「ええ。御想像の通り、元々この身体は──つまりあなたの妹さんは、あなたの母上殿のクローン体だったってわけ」
……何……だっ……てえ……。
茫然自失となる息子へと向かって、更に詳しい事情を明かしていく、白衣の科学者。
「いやまさか、あえてネットワークから排除していた失敗作に、多世界同位体による総体的シンクロ時においてはVR夢魔よりまして要となり得る、夢魔が宿っていたとはな」
「……失敗作?」
「ああ。クローン培養時に何か不具合でもあったのかあまりに身体が弱くて、ネットワークの負荷には耐えられそうにないので廃棄しようとも思ったのだが、詩音の存在を対外的に隠すためにも『出産時のアクシンデントにより身罷った』と思わせるのは有効なので、そいつを彼女の産んだ娘として家に連れて帰ったというわけなのだよ。何せ息子であるおまえすらも何の疑いも持たなかったくらいだし、お陰で世間様のほうもうまく騙すことができたようだ」
「──くっ」
そうか。歌音がほとんど三重苦状態だったのは、不完全なクローン体だったからなのか。
「お陰様って、むしろこっちの台詞よ。ネットワークから弾かれたクローン体が存在していたからこそ、こうして夢魔である私があなたに捕捉されることなく憑依することができ、自分の多世界同位体である大切なVR夢魔を取り戻す機会を得たのですからね」
そう言って不敵に微笑む少女に対して、こちらも笑顔で睨め付ける白衣の科学者。
「残念だが、もう遅い。ガフの扉はすでに開かれたのだ。そう。我々はようやく、かつて失われた楽園への道しるべを取り戻したのだよ。──見たまえ!」
そんなどこかで聞いたようないかにも芝居じみたことを言うや両手を大きく開け広げ、自分の足下の数十ものカプセルベッドを指し示すゲンド……もとい、道玄氏。
何とそれらの中で目を閉じて横たわっていたのは一糸まとわぬ人間の肢体であったのだが、残念ながらこれまた母さんのクローン体たちみたいにすべて同じ顔をした美少女とかいったわけではなく、そのほとんどが三~四十代のオッサンやオバサンばかりで、一応はちらほらと二十代の若者の姿も見受けられるといった感じであった。
「……ええと、その人たちは、いったい?」
「ふふふ。彼らこそ我がL部門の誇る、優秀なるスタッフたちなのだよ」
「へ? ということは、これ全部旧大の教職員や学生ってわけ? 何でれっきとした国家公務員や超一流大学の学生の皆さんが、裸でこんなところに寝ているんだ?」
「実は彼らは今まさに生体型量子コンピュータたるクローン体ネットワークによって、『精神体型タイムトラベル』を行っているのさ。しかも学園内で行われているような夢の中での己の多世界同位体との記憶の交換なんていう一時的なものではなく、正式に魂レベルでシンクロし己の多世界同位体と一体化して、完全に過去の時代の──具体的には第二次世界大戦時のドイツの科学者になってしまっているのだ」
「魂レベルで一体化してしまっているって、だったらこの人たちは⁉」
「ああ。魂そのものが過去の人間の肉体に定着してしまい、徐々に現代人としての記憶を失い完全にその時代の人間となり、二度と精神がこの時代に戻ってくることもなく、肉体のほうはこれからずっと昏睡状態のままであり続けるというわけなのだよ」
「ちょっ。記憶を失って完全に過去の人間になってしまうって。自分の自意識がなくなってしまうんじゃ、せっかくタイムトラベルをしても何の意味もないじゃないか? よくそんな片道切符の無謀な実験に、みんな志願したものだな⁉」
「それが研究者の業というものだよ。真の科学者が、おまえたち学生のやっているような、いわゆる『一夜の夢』だけのタイムトラベルなぞで満足するものか。それにたとえこの時代の記憶を失おうがそれは前世や夢の記憶そのままに深層心理的に残り続けるのであって、科学者にとってはまさに文字通りの『閃き』として、いつかは必ず役に立ち得るのだから何も問題はなく、我々の目的である早期の原爆開発は必ずや成功することだろうよ」
原爆開発だと⁉ しかも第二次世界大戦時のドイツでって──。
「実は私の真の目的は、大戦初期──いや大戦全期間における最大の航空戦である英独による『バトル・オブ・ブリテン』終結直後に、両国を休戦させて第二次世界大戦を早期に終わらせることなのだ。史実においてはせっかくドイツ側が副総統であるヘス自らが英国に赴いて休戦を結ぼうとしたのに、自国民を犠牲にしてまでも金儲けを企む英国軍需産業や東欧や北欧の支配を目論むソビエト赤軍に後押しされたチャーチル英首相により拒否されて御破算となってしまったのだが、もしもこの時点でドイツが原爆とそれを絶対にイギリス本土に投下することのできる超音速の大陸間弾道弾であるV2号ロケットを完成させていたとしたら、もはや選択の余地はなくなるであろう。これにより当然アメリカが欧州戦線に参戦するためにわざわざ日本を経済封鎖等で挑発し太平洋戦争へと追い込む必要もなくなって、米軍による広島や長崎への原爆投下の可能性がなくなり、その結果、長崎出身の詩音が遺伝的な原爆後遺症で苦しむこともなくなるといった次第さ」
──‼
「……まさか、父さん。L学園自体が、そのための──」
「ああ、そうだ。何よりも生徒たちを使って実際にタイムトラベルや異世界転移等の多世界転移系の異能の繰り返させて、人為的に創られたSF小説的世界における多世界解釈量子論の導入の有効性を検証することによって、真に現実的かつ理想的な過去の世界へのタイムトラベルと過去の史実の改変の方法を編み出すための実験場だったのだ」
「おいっ! そもそも『Lの悪魔』サイトをネット上に設置して妄想癖の少年少女たちに異能をばらまいていたのも旧大L部門の仕業というのなら、すべては父さんの自作自演による僕ら生徒たちを登場人物にしての、現実世界を舞台にしたいわゆる『リアルSF小説劇』の実演みたいなものだったわけじゃないか⁉」
「そうだよ? だからといって、別に文句を言われる筋合いもないだろう。何せこっちはちゃんと、生徒たちの『小説の主人公になりたい』という願いを叶えてやっていたんだからな。──いやいや。そういう意味からもおまえのネット小説『ラプラスの悪魔たち』は、非常に役に立ったよ。何せ生徒たちが異能イベントを起こすごとに、その詳細のすべてを包み隠さず小説としてネットにアップしてくれるんだからな。実験の成果のほどを確認するにはうってつけだったよ」
「──ぐっ。で、でも、原爆投下を阻止するといってもそれはあくまでも他の世界のことなのであって、この世界の母さんを助けられるどころか、他の研究者の皆さんもろとも、このままずっと昏睡状態にさせてしまうだけじゃないのか⁉」
「おいおい。『ラプラスの悪魔たち』の作者ともあろう者が、この期に及んで何を言っているんだ? 他の世界──つまり多世界とはあくまでも、この現実世界の未来の無限の可能性を具象化したものなのであって、他の世界でなされたことが将来この世界において何らかの形で現実化する可能性は大いにあり、すなわち他の世界の歴史を変えることが、この世界の詩音の病状を回復させることに繋がることもあり得るのだよ?」
──っ。確かにそれは、そうなんだけど……。
「どうやら理解したようだな。──それでは私も、そろそろ過去の世界へと行くことにしよう。何せ私の到着こそが、今回の原爆早期開発計画発動のトリガーとなるのだからな」
そう言うや、すぐ足下の唯一空であったカプセルベッドのガラス製の上蓋を開けて乗り込んでいく、すべての黒幕の科学者。
まさしく、その刹那であった。
「──うわっ⁉」
唐突なる雷鳴のごとき爆音とともに地下ラボ全体が激震し、樹木型プラントの枝からぶら下がっている培養カプセル群は大揺れに揺れ、僕と歌音は為す術もなく床に投げ出され、父さんまでもがカプセルベッドから放り出されてしまう。
「な、何だ⁉」
爆音や振動は更に威力を強めながら間断なく続いていき、今や培養カプセルはもちろん天井自体までもがどんどんと崩落していく。
「父さんってば、さっきバトル・オブ・ブリテンなんて話題に出していたけど、まさか本物の空爆じゃないだろうな⁉」
「空爆だと? そんな馬鹿な! 我がL部門は、国連の諸機関やアメリカを始めとする常任理事国とも協力関係にあるんだぞ⁉」
その国連という言葉に、僕は咄嗟に歌音のほうへと振り向いた。
「おいっ! おまえさっき国連情報研究所の侵攻部隊の隊長と何か取引していたみたいだけど、この空爆のことを知っていたんじゃないだろうな⁉」
僕の詰問とも言える問いかけに対してその少女は、何とこの惨状の中において、笑顔ですっくと立ち上がるのであった。
「ええ、そうよ? あの時隊長さんには、私たちが地下ラボへと向かってからきっかり三十分後に、米軍に対して空爆を要請するようにお願いしておいたの」
「はあ⁉ よりによって何てことしやがるんだよ、おまえは⁉」
「むしろこれは当然の仕儀なのですよ? お兄様。さっきお父様もおっしゃっていたではありませんか? たとえ他の世界であろうとその歴史を変えてしまったら、この現実世界の将来においても何らかの影響をもたらしかねないと。例えば第二次世界大戦自体を勝手に早期に平和的に解決してしまうことが、結果的に多数の自国の若者を犠牲にして手に入れることができたアメリカの戦後世界支配体制をなきものにしてしまうとかね。そんなことを果たして米国政府が見逃してくれるかしら? 何せあの国はほんの少しでも自国にとって不利益になりかねないことであったら、けして手をこまねいたりはしませんからね。たとえそれが他の世界のことであろうとね。うふふふふ。実は私がお兄様に事あるごとにこの学園の生徒たちの異能イベントを小説化させていたのも、このためだったの。何せネット小説だったら、国連や米国政府関係者の目に留まることも十分あり得るのですからね」
「──!」
もはや妹だか母親だか夢魔だか定かではなくなってしまった少女からの思わぬ告白に、僕が完全に言葉を失ってしまったのを尻目に、今度は父さんが激しく食ってかかっていく。
「馬鹿な! このままだとここにいるおまえの多世界同位体である、詩音まで死んでしまうんだぞ⁉」
「別に無数に存在する多世界同位体のたった一つくらいが消失してしまおうが、構いはしないわよ」
「なっ⁉」
「それよりも私たち多世界の住人にとっては、たかが一つの世界の中のちっぽけな人間ごときに、私たちの総体としての全知全能の力を利用されることのほうが、けして看過できない大問題なのよ」
「そ、そんな。せっかく苦労の末にネットワークを完成させて、念願の悪魔の力を手に入れて、ようやく妻を過酷な宿命から救い出せると思ったのに⁉」
もはやすべてに絶望し、その場にうずくまる黒幕の男。
そんなこんなで今や地下空間全体が為す術もなく崩れゆく中で、むしろ落ち着き払ってゆっくりと、クローン体ネットワークの前へと歩み寄る少女。
『──アナタハ、誰?』
「私はアナタ、アナタは私。私は私を解放するために来たの」
そう言って歌音が、母さんが安置されている培養ケースへと手を差し伸べるや、
──世界のすべてが、純白の閃光へと包み込まれたのであった。
『──あれ? これで終わりなの?』
『え? 嘘⁉』
『た、確かに、本編中の謎や伏線等については、すべて説明がついたけど……』
『いくら何でも、唐突過ぎるでしょう?』
『これぞ本当の、「みんな一緒に死にエンド」w』
『いや、笑えないって』
『……そんな、そんな馬鹿な。何で、こんな──』
『うん? 「エコー」氏、どしたの?』
『馬鹿な⁉ こんなことがあるはずがない。何かの間違いだ!』
『ちょっ、ちょっと、「エコー」氏⁉』
『落ち着けって!』
『いったい、急にどうしたんだよ?』
『──なぜだ。なぜこのネット小説「ラプラスの悪魔たち」は、僕がこの前見た夢の内容と、何から何までそっくり同じなんだ⁉』




