03
帰り道
自宅マンションまでは徒歩二十分程度の道のりで
よく、こうして歩く。
入社と同時に安い折り畳み式の自転車を買ったのだが
出勤するときは自宅近くに駅があるのでもっぱら電車を使っている。
どちらにせよ、自宅から職場まで二駅離れているから自転車で通うのは難しい。
だからと言って、
まったく使わないという訳ではなく通勤のために利用する駅へ行く時や
自宅近くにある本屋ぐらいまでなら気分と天候にもよるが乗る日もある。
職場近くに会社が借り上げている二階建てのアパートがあったのだが、
ボロ屋過ぎたのでやめた。
せっかく上京してきたのに最初からそんな所には住みたくなかった。
半分、我が儘のような気もするが、その頃の私にとって
自分の好きな部屋を借りるには十分すぎる理由だった。
とは言ってみるものの、1DKで月六万は
親からの仕送りなしでやり繰りしている新社会人の私にとって結構大きな負担だ。
なおさら、
二駅離れたところを借りてしまったものだから通勤する度に電車賃が財布から消えていく。
今は、定期を買って使っているからお金を消費している実感が以前より極端にない。
利便性というのは、軽い金銭感覚の麻痺と紙一重の関係にある。
玄関を開けるのと同時に、
部屋に閉じ込められていた生ぬるい空気がどんよりと出迎え
ふと、私を不機嫌にさせる。
半分履き捨てるようにヒールを脱ぎ、部屋に入る。
今朝の支度は時間に余裕がなく、二枚焼いたうちの一枚の食パンが
食べられず未にトースターの中で焦げて挟まったままの状態で、
テーブルの上に飲みかけの牛乳が入ったコップと並んでいる。
そんなことはお構いなしに、片手にビニール袋を提げたまま
テーブルの下で裏返しになっているリモコンをすくい上げるようにして手に取り、
エアコンをつけて「中」のボタンを押す。
ビニール袋から汗をかいている缶ビール一本とつまみを取り出し、テーブルの上に置く。
もう一本の缶ビールをビニール袋ごと冷蔵庫にしまってひと段落しようとした時
携帯の着信音が鳴り始める。
取り出した携帯の画面には「母」の文字。
少し迷ったが、四回目の着信音で通話ボタンを押す。
「もしもし?かほ?お母さんだけど」
「あ、お母さん。久しぶり」
「久しぶりじゃないでしょ!ろくに電話もよこさないで!」
電話にでた母は私よりも先に切り出す。
やはり、と、言った具合で予想通りに怒っていた。
ふと、母の強い口調に私は怯みそうになりながらも平然を装いながら続ける。
「ごめんごめん。今、決算期だから毎日残業しててさ」
「またそうやって、かほったら上京してから仕事仕事でちっとも連絡してこないじゃない。お母さんどれだけ心配してるかわかる?」
「だから、ごめんってば。あたしだって仕事したくてしてるんじゃないんだし」
「そういうことをいってるんじゃないの。かほ、お母さんの言ってること分かるわよね?」
「わかってるって。あ、ごめん、職場から着信きてるから切るね。
今度はちゃんと連絡するから。それじゃーね」
自分でも、少し無理な切り方をしたかなと後悔することに
最近はすっかり慣れてきてしまった。
母の立場から見れば、高校を卒業したばかりの愛娘が一人上京し、
一人暮らしをしながら仕事をしていたら心配するのも、無理ないと思う。
なおさら、私の性格を知っているから。
後悔することは慣れても、この罪悪感のような鈍くて苦味を帯びた気持ちは
そう簡単には消え去ってはくれず、
ある日を境に、ずっと私の中のどこかに蓄積されていっている気がする。